第16話 欺け(3)
「水野、逆ロシアンルーレット、行きます!」
時田の部屋には連日のようにメンバーが集まっており、大人は酔いも回って、宴会芸を楽しんでいた。煙がモクモクと立ち込める室内は、賃貸物件なら家主がキレるくらいにヤニが染みついていそうなものだが、不思議と毎日何の痕跡も残さずに清掃されている。あまりの無臭具合に時田が不安になるくらいである。
アルコールと副流煙と、それから雑多な食べ物の匂いが混ざったそこはまさにどこかの大衆酒場さながらであった。違うところはテーブルの上に置かれているものがどれも最高級であること、それから、半数近くが未成年であることである。
「水野ぉー、当たり引くなよぉー」
中川が囃し立てると他がどっと笑った。水野は「しゃあ!」と気合を入れると、たこ焼きを1つ選んだ。中身は5/6でわさび入りである。中に煙草を入れるほど彼らは邪悪ではないし、本物の拳銃は当然使わない。結果は――。
「みず! みずぅ!」
当たりを引いた水野が苦しげにリアクションを取ると室内は大爆笑に包まれた。水野は部屋を飛び出し台所の陰へ口をゆすぎに行った。
「ぅあー、何度やってもダメですね」
少しげっそりした水野が戻ってくると、それもまた笑いを収める。彼も笑いながら次を指名しようとしたが、時田の視線を感じてやめた。
「つうか、さ」
時田が言い出した。何かがあると何人かは分かったが、いったい何がなぜ今なのかは分からない。
「今日のアレ、ヤバかったよな! あのおばさん!」
そう言って視線を自分に集めると、煙草を吸い、灰皿に押し付けた。
「俺もさ、ああ言うのが会社にいたんよ」
思い出しただけで時田の口元はヒクつく。
「てめえの発注ミスでモノが足りなかったってのによ、それ、俺らが盗んだから足りてないとか言いやがったんだぜ。意味分かんねえよな?」
「っすね」
畚野が素早く相槌を打つ。
「んなもん発注書見りゃすぐわかるだろ? したら、今度はお前らが書き換えたって言い始めてよ。俺らがする暇あるわけねえだろ」
時間が経って滑稽な話として昇華しているつもりでも、どうにも頭にくることには変わらない。酔っているせいでブレーキが利きにくくなっているようだ。時田は自分の気を逸らすために缶ビールに口をつけると、中身を飲み干した。
「結局、何とかなったけどさ、工期遅れて、最後の方大変でさ、それでも頭一つ下げなかったぜあのおばさん。ま、クビになったんだけどな」
最後のオチを言って溜飲が下がった時田は再び煙草に火を点けると、煙を体に流し込んだ。
「俺もある」
田名網が珍しく大勢の前で自分から話し出した。時田の話を聞いていたときから言いたかったのである。
「目視工程で、俺が何も見ないで流していたって、いきなりすっ飛ばしてマネージャーに言った奴がいたんだ。それで、ライン停止。直の始めからの分、全数分解して再確認だった」
普段の柔らかい態度を忘れたのか、鋭い目つきで淡々と田名網は語る。
「えぐいっすね」
同じくライン工の加藤には大まかに想像がついた。その時の工場の空気や田名網の心情が分かるからこそ、自然と感想が口から出てきた。
「んで……あったんすか?」
野口が興味半分で聞いた。
「そりゃなかったよ。マジでおかしいの。そしたら不良品が行かなかったのは偶然とか言いやがんだぜ。じゃあどうやってこっちに不良品取り分けたと思ってんだよって」
田名網は失笑した。それで、幾分か気が楽になったようだが、それでもまだ目は鋭いままだった。
「で、俺の方が入ったの後だったからさ、工場全体が疑ってキレてて中々だったよ、あれ」
田名網は話を終えると缶ビールをゴクゴクと飲み、缶をテーブルに置いたときには元の調子に戻っていた。
「あー思い出した!」
中川が声を張った。
「俺もあった。あのアマ……」
そこまで言って中川はビールに口をつけた。
「そいつ何したんすか?」
畚野が間を埋める。それに、この流れでそれしか言われなければ気になってしまう。
「それが、納品まで時間あるからさ、俺がサービスエリアで休憩してたらさ、いきなり警察に声かけられて睨まれた」
「で、ついてったらさ、アマが血、流して俺のトラックのとこに立ってんの。で、警察が『轢いただろ』って。血、付いてるって。んなわけねえよ。停めたときにチェックしてるっての、だいたいぶつかれば分かるって」
「アマが騒ぐから俺、完全に悪者扱いな。カメラなんかそんなにない時代でよ、荷物だけでも下ろさせてくれって言っても聞かないで、事務所に電話すると俺が疑われてな」
苦労話を語る中川はいささか得意気ではあったが、それでも不快そうに指でテーブルをトントンと叩いている。
「まあ、何とかなってな。たまたま見てた人がいて、それで、だ」
「よかったっすね」
畚野がおべっかを使うが、中川はいつものように大きい顔をせず、歯に何か引っかかったようなキレの悪い態度である。それもそのはず、たまたま見ていた人は彼の想像の産物だからだ。つまり、実際はさらにひどい目にあったのである。
「まあな。ただ、会社も客も疑われるようなお前が悪いってことになって、ボーナス減らされた。ふざけんなよって話だろ?」
「中川さん、それで折れたんすか?」
畚野が尋ねているのは泣き寝入りしたかしていないかではない。どうやって元を取り戻したのかである。彼がこのように尋ねたのは、中川が先ほどの表情から一転、ふんぞり返って、にやけ顔を作り、煙草を咥えているためである。
「それが、高校の時の先輩に相談したら、俺が見つけてやるってなってな。そいつと親、見つけて、あとはもう、な? 200万で片付いて、150万先輩に渡してって感じ。ボーナス分は取り返したってわけよ。マジ、裁判するより早いし、先輩すげぇ」
中川は「な? すげぇだろ?」と隣にいる畚野と時田にドヤ顔を見せた。彼のやったことは、要は脅迫である。つまり、彼の先輩というのはTeam.何とかの人である。
他のメンバーも次々と同じような話を思い出す。話し手は、自分は正常であると認めてほしい。聞き手は、今日の話し合いで得られなかった傍観者の立場に愉悦を覚える。あのときは、見て見ぬ振りをしたら次は自分の番と暗黙のうちに考えてしまった。自分に絶対的な自信がある人間は少ない。
飲み会はお開きとなった。皆、口々に挨拶をしながら帰っていく。泥酔しながら姿を消す中川たち、ほろ酔いで帰る高邑たちに混ざって子供たちもスマホを取り出し、「カードキー」を立ち上げる。
「お前らはああいう奴らと一緒にならないようにしろよー!」
時田が子供たちの背中に向かって叫んだ。
森本はその言葉が聞こえなかった振りをした。眠たかった。
(大人になりたくないな……)
「カードキー」のボタンを押すと、彼は一瞬のうちに自分の部屋へと戻っていた。
(世の中、変な人ばかり……。子供部屋おじさんとか、オトナ女子とか、見た目は年相応なのに頭は成長しないで、それなのに、年を取っているだけで偉そうに……。オトナ女子、こどもおばさん、こもどおばごん……)
半分しか回っていない森本の頭に謎のフレーズが浮かんだ。三角眼鏡をかけた太ったおばさんの姿がイメージされた。下半身はトカゲだ。ギャグマンガのキャラクターにいそうだと彼は無理矢理笑った。
(嫌だな。怖い。ああいう人と一緒にいると巻き込まれやすい? 守ってくれるのは誰だろう?)
森本は重たい瞼をこすりながら考えた。いざとなった時に助けてくれるのは、法か、コネか、それとも武力か? このゲーム中は? このゲームが終わった後は? ベッドまでの長い道のりを壁にぶつかりよりかかり進み、彼は考えた。
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