第16話 欺け(2)

 吉野の部屋は重い空気に包まれていた。自分たちのグループの中から初めて誰かが死んだこと、それから、ミーティングの開始早々谷本が言うように――。


 「吉野サン、どうして河本サンを庇ってあげなかったの?」

 吉野の言う通りにしていれば、自分たちは助かって、さらに2000万円をもらえると「透明な殺人鬼ゲーム」をどこか楽観視していたためである。


 谷本の訴えに吉野は重い体を椅子から持ち上げると、じっと谷本を見て、それから全体に向き直った。

 「そりゃ、ここにいる全員がそうじゃないか」

 その言葉は事実で、自分と自分の一番大事な人が生き残るために河本を見捨てた分、部屋の空気は余計に重たいわけであった。何人かが目を逸らす。


 鰐部が吉野の顔色を窺いながらも、口を開く。

 「でも、私たち、吉野さんが守ってくれるから、そのお返しに守りの票を入れているのよ」


 「アタシはこのグループを守っているじゃないか」

 そう言うと、吉野はピンと来ている人と来ていない人を確認した。

 「つまりね、このゲームのルールの一つに『投票時に参加者が8割を超えていなかったらゲーム―オーバー』ってのがある。だから、今の参加者の2割以上が全員欠席したら問答無用で参加者全員が死ぬ」


 「だから、1つのグループに2割以上の参加者がいたら、それだけでアウトだろう? そんなことするつもりがなくても、傍から見たら大差ない。その可能性があったと言われて、そのグループのメンバー全員が順番に犠牲になるだけだ」

 「つまり、今の参加者の数に合わせてグループを小さくする必要がある」

 最後に吉野がはっきりと言い切った。ざわめきが起こる。ようやく全員が理解した。


 (全員は助からないのネ……)

 (じゃあ、吉野さんと一緒にいる理由って……)


 「アタシも、ここにいる皆のできるだけ大勢と生き残りたいと思っているよ。だから話し合いのときに、いつも舵取りをしているじゃないか」

 吉野は、誰かの考えそうなこと、実際に考えていたことの説明を始めた。

 「その分、目立っているからね。他の参加者からマークされている。守りの票が入れられているからできることだよ。アタシに守りの票を入れる理由はね、このグループ全員の生存率を高めるため。アタシが死んだら、この中で誰がリーダーシップを発揮するんだい? 役割を果たせていないと他から思われたら、一気に投票されて死ぬよ。どっちが生き残るのに有利だい?」

 吉野は力強く言った。誰も反対できない。人前に出て話して、誰をどう采配して、まとめ上げて……。彼女たちの中に吉野ほどできる者はいない。さらに、吉野は全てを伝えているわけではない。具体的な数字も、他のグループとのやりとりも、分からない者は知る必要がないと考えている。


 「それからさ」

 吉野は柔らかい椅子に腰を掛けた。たっぷりと時間を設けても、誰も意見を言わなかったからだ。

 「河本サンの場合、あれは自業自得じゃないかい? いきなり言いがかりをつけて、それも無策でさ。収拾のつけようがない。あれは助けないのが正解だったよ。全員、間違っていなかった」

 吉野は優しい口調になった。それは罪の意識を取り除き、連帯感を高める効果があった。


 「一緒に生き残ろうよ。2,000万円も必ず渡すからさ」

 何とかそれらしくフォローを入れて場の空気を和らげると、吉野は手を挙げた。

 「賛成の者は手を挙げてくれないか?」


 ここで、手を挙げないという選択肢はなかった。そうすれば、このグループから弾かれる、つまり、死ぬ。

 満足そうに吉野が手を下ろすと、他のメンバーも倣って手を下ろした。


 「それじゃあ、いつもの話をしようか。明日の投票先は今日と同じにはできないから、そうだね――」




 全員が帰った後、吉野は指輪の宝石を眺めながら今日の出来事を思い出していた。

 (そりゃ、あそこに手を出したらいけないでしょ)


 (あのガキがアタシに向けたあの目は、あのときのあの目と瓜二つだったねえ。餌を取られそうになった時のメスのヤマカガシの目。およそ爬虫類とは思えない、次に手を出したら殺すと言わんばかりの、あの意志の込められた目だ)

 吉野は子供の頃の出来事を思い出していた。田んぼのあぜ道を歩いていた吉野はそこにメスのヤマカガシがカエルを咥えてゆっくりと飲み込もうとしているのを見つけた。意地悪か単純な興味か忘れてしまったが、吉野はそのカエルを近くに落ちていた枝で突いた。ヤマカガシは吉野の方を振り向いた。そして、全身から容赦のない敵意を剥き出しにした。彼女に殺意を向けた者がそれまでいなかったから、強く印象に残っていたのであった。


 (あのガキはどうしてあの……柘植に思い入れがあるのか、不思議だねえ)

 吉野は指を動かして宝石の輝く様子を眺める。醜い顔が様々な角度から映りこむ。

 (何でもいいか。今は他の勢力を削る方が優先だね)


 (あのとき、アタシがカエルを落としたら飛びかかってきたはずよね。だけど、カエルを咥えていなかったら逃げていたと思うのよ)


 吉野は、柘植たちのためにそれ以上頭を使うことは無駄だと考えた。そして、明日以降の動きについて考え始めた。

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