第15話 欺くな(2)
昼食時、酒瀬川は台所でもやもやとしていた。理由は単純で、今まで何万杯と作ってきたラーメンを作ることができないからである。彼はスマホを取り出すと「ににぉろふ」を立ち上げて半ば投げやりに「ラーメン」と呟いた。
次の瞬間、出来立ての醤油ラーメンがテーブルの上に現れていた。それは丼やレンゲまで酒瀬川の店で使っているものであった。ヒビや汚れまでもが寸分違わず一致している。
(出すことはできても……)
食べ物を取り寄せたのだから、食べないわけにはいかない。彼はそう考えて椅子に腰をかけた。
「いただきます」
レンゲを手に取ってスープを一口、味わった。
(うん、美味い)
鶏ガラと煮干しをベースにしたそれは、色が淡くともすると丼の底が見えかねないほどであるが、出汁はしっかりと出ていて、醤油の香りと程よく調和している。一流の味ではないがどこかほっこりとする、冬の日本海端で飲みたくなるような味である。
丼の中は細く縮れた麺に、ナルト、チャーシュー、メンマ、ネギ、ほうれん草、海苔、煮卵とどれも酒瀬川の店で出しているものと同じである。具の種類が多いと割に合わないことを彼は分かっているが、それでも彼の中ではラーメンと言ったらこれなのである。
箸を片手に酒瀬川は食べ始めた。どの味もいつもと同じである。値段相応の味、消費税増税の煽りを受けた分昔よりも麺とスープの量が少し減ったが、それ以外は変わらぬ味である。
「うーん……」
美味しいが、何か違うと酒瀬川は思った。
(匂いがないのと、テーブルが違うのと……)
彼は、長年昼の遅い時間に一旦店を閉めて、自分で作ったのを店の中で食べていた。そことこことの違いは、いくつも挙げられるが、どれも決定的ではない。
(やっぱり、俺が理由か……)
彼はチャーシューにかぶりついた。しっかりと温められており、硬く、豚肉の旨味が引き立っている。麺をすすると、スープとよい塩梅に絡み合ったまま口の中に運ばれていく。どう食べてもいつもと変わらない味であった。
(何も動いていないからな、それに、自分で作っていないからか)
彼は数日前から気づいていたことを今日、ようやく認めた。このゲーム中、彼の昼食はいつもラーメンだった。仕事をしなくても生活できるというのはある意味理想である。しかし彼は働きたい、手を動かしたい。つまり、汗水垂らすことがエッセンスだった。
「ごちそうさま」
酒瀬川は、最後にスープを2杯レンゲですくって飲んでから、氷水に口をつけて、少しずつ体の熱と塩気を薄めた。いつもそうしてから、次の仕込みを始めるのである。
(何とかならないか……)
ラーメンを作りたい。しかし、自由度の高い「ににぉろふ」を使っても調理器具は用意できなかった。ラーメンを作って、誰かに食べてもらって、ごちそうさまと言ってもらえるだけで彼は十分満足であるのだが、それができない。
(……生き残ることが……最優先だよな)
酒瀬川はそうやって現状維持をしようと考えた。たかが40日近く我慢すればそれで済む話ではあるが、それでも彼は長年繰り返してきたことができないせいで、どうにも落ち着かない。恐怖がそれに拍車を掛ける。そのままだと挙動不審になりかねないし、そうなれば死ぬ。
(やっぱり何とかならないか……)
趣味らしい趣味はなく、「ににぅらぐ」で尋ねる勇気もない。酒瀬川は、手を動かしていないとどうにも息苦しく感じてしまう。カツオが止まることができないのと似たようなものである。彼は立ち上がるとウロウロとし始めた。
(火を使わない料理……うーん……包丁も使わない……)
まず自分の得意なものから考え始める。しかし、思いつかない。
(何か組み立てようか? 碌に工具も揃わなそうだし……)
彼は、何とか思いついたことをすぐに否定した。包丁や手術の道具が用意できないのだから、大工道具も無理だろう。自分の店で使えそうな物を作ろうと知らず知らずのうちに考えているが、本題のラーメンからは遠くなっている。第一ゲームが終わっても持ち出せるわけではない。
そうやって「違う……」、「でもなあ……」と呟きながら座っては立ってを繰り返し、彼はある考えに至った。
(仏様を彫ろう)
どこからどうやってそこに至ったのか、彼自身が再現できないくらいに突飛であるが、酒瀬川はそれが正解であるように思った。
(このゲームで犠牲になった方たちのために)
彼はさっそく「ににぉろふ」で小型ナイフと木材を取り出すと、自宅の仏壇に安置されている仏像を思い浮かべて、削り始めた。
酒瀬川は贖罪のために、そして犠牲者たちが死後、救われるようにと祈っている。彼は宗教に興味も理解もないし、死後の世界があるか信じても信じていなくもなく、ただ何かが休まるようにと考えているだけである。
それでも、死者をどう思おうと、自分と自分の一番大事な人の命の方を優先しているのであり、今日も同じことをするために広間へ行くのである。
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