第14話 捧げろ(4)

 (『襤褸を纏えど心は錦』とは言うが……)

 暗い部屋の中、田渕は寝室の床に座ってベッドによりかかりながら考えた。白髪交じりの頭を動かすたびにシーツに細かなしわができる。

 (それは、自分の心の持ちようか、少数の優れた人の話だ)


 (服装は、見た目は、人が人を判断するときの大きな基準だ。それなのにこのゲーム中は同じ服しか着ることができない)

 田渕は、ホームレス生活を送り始めてまだ数年も経っていないが、そのことをよく理解していた。昔は道を尋ねれば丁寧に教えてもらえたのだが、今は話さえ聞いてもらえないからである。困っている老人から怪しい不審者に自分を変えたのは他でもない服装であった。


 (このゲームは、そこが恐ろしい。生活に必要なことやある程度の娯楽は保障されている。だから、食べ物を確保して、敵から自分たちを守る必要がない。生物として生き残る実力、見た目に左右されない実力は評価されない)

 実際のところこのゲームを生き残るための能力は、グループの中では評価されている。見た目による判断はその手前、グループを作る段階でなされたのだが。


 (小学生は、その家の経済状況が露骨に身なりに反映されている。森本と柳原以外、服が古くて丈に合っていない。学生服やスーツは恰好が決まっている分、清潔に見える。作業着姿は普段街中で見ない分、悪目立ちしている。汚れがついていれば余計に悪い)

 (主婦たちや、俺を入れた老人たちも経済状況が身なりに反映されている。他の同年代が身ぎれいにしている分、分かりやすくみすぼらしい。逆に、突出して高価な服を着ている人もいるのだろうが、その手のものに詳しくなければ分からない)

 田渕は軽く膝を叩いた。痛みが走ることはない。ここに来て、気づいたときにはもう治っていた。いっそピリリと痛んだ方が良いのにと田渕は思った。そうすればこのゲームが終わっていると分かるからだ。


 (ただ、貧乏な恰好の人ばかりだったら、スーツ姿の方が浮いていただろう)

 その点、参加者たちの恰好は程よくばらついており、バランスが取れている。


 (座る場所も体を表している)

 田渕は片膝を伸ばすともう片方の膝を曲げた。軽い痺れと共に血液の流れが変わるのを彼は感じた。


 (歪な円状に並べられたブロックの中心に近い場所に腰を掛けるのは自信があるから、集団の中にいたいから)

 彼は路上生活をしながら、数多くの行き交う人々を観察していた。そのうち、他人の振る舞いを基に性格を予想するようになっていた。当たっていたのかどうかは分からない。何故ならば一度通り過ぎれば二度と出会わないことが普通だからだ。それでもおおまかなパターンの中に落とし込むことはできている、と彼は思っている。

 (離れた場所に座るのは目立ちたくないから、犠牲者の末路からなるべく離れていたいから、全体を観察していたいから、くらいか)


 (直線形に並んだ場所に座っているのは単独行動が苦手、わざわざ高いところに座るのは目立ちたいから、あるいは積極的な馬鹿だ)

 田渕は何の気なしに頬から顎までを撫でた。無精ひげさえも生えていない。剃りたてのままである。

 (それから、『ににぉろふ』で取り出した椅子を使っているのは、集団から外れてでも快適に過ごしたいからだろう。もう1週間も経つから皆、半ば決まった場所に座っている。入れ替わるのは、裏で手を引いている連中の間だ)



 田渕は寝る前に水を一口飲もうと立ち上がった。不意に闇が怖くなった。彼は「ににぉろふ」に向かって「電気」と一声かけて部屋を明るくすると、台所へ向かった。

 (それにしても……最悪の状況は避けられた……)

 田渕は幸運にも、何とか小ぎれいに見える服をつい先日から着ていた。その前の姿であったら真っ先に選ばれていただろう。彼はこうやって、仮定の凶事を逃れた安堵で心を落ち着けることで何とか気を保っていた。ただし、どんな服を着ていても、彼の淀んだ瞳と下がりきった目元や頬は隠しきれないものであった。


 冷たい水を飲むと、田渕は体の余計な熱や恐怖が流れていくのを感じた。そして冷静になるとそもそもの点を思い出してしまった。

 (このゲームに巻き込まれたことがそもそも最悪そのものだが)

 田渕は暗い気持ちになると残りの水を冷蔵庫にしまおうとして、考え直した。放っておいても補充されるのだから、飲みさしのものを保存する必要はないからだ。代わりに田渕はペットボトルをシンクに置いて、寝室に戻った。



 田渕は電気を点けたままにしてベッドに入ると、すぐに鼾をかいて眠り始めた。明日、誰が死ぬのか分からない、自分かもしれないという恐怖があっても、そのベッドに入れば嫌でも深い眠りに誘われるからである。最上級の素材に何もかもが自分にぴったりと合った寝具は、その使用者を溶かすように全身の余計な力を取り除き、全てを心地よくするのである。





 鈴木は影山たちとのミーティングを終えた後、自分の部屋で独り、熱燗をちびちびと飲んでいた。何日かに一度、こうやって仕事の疲れを取るのが彼の専らの小さな楽しみである。このゲームは短期戦ではない。だからこそ、鈴木は平時と変わらない方法でリラックスをすることで明日以降に備えていた。


 (100人目の母親は……全員の話をまとめると……、話し合いの時の反応、何よりも……)

 それでも全く違うことばかりを思い浮かべるわけではなかった。アルコールの効果で難しいことを考えられなくても、先ほどまでに分かったことをゆっくりと思い出して復習することはできる。鈴木はそうやって寝るまでの時間を過ごしていた。


 (他から回ってきた情報というのはどこまで信用できるのか……。まあ、それを元にしてある程度絞ることになったわけだ。後の数日で誰なのかは明らかになる)

 例の件に関してはもはや、誰かが誰かに偽の情報を伝える明確な利点はない。何十人もを敵に回すことになるだけである。自分たちのグループに隠れていたのならば、道連れにされる前に黙って切り離すことが適当だ。


 (乳牛が……)

 鈴木は今日の投票結果を酔いの回った頭で考える。

 (乳牛が、摂取した栄養を使う順番は……まず卵巣機能の回復が最後、その前に体脂肪。他を十分にして、余裕ができてから次の子供を作る)

 鈴木は口を閉じたまま深く深呼吸をした。日本酒のさわやかな甘みが鼻を通っていった。


 (その前は、産乳、次に成長)

 お猪口を口元で少し傾けて、それから飲み込むと、食道をじんわりとした熱が流れていく。

 (だから、子供が生まれていても自分の成長を優先する。……人間は、人間の成長は何も身体的な話だけではないから、ものに依るのだろう)

 鈴木は娘たちがまだ幼かった時のことを思い出した。彼の妻は仕事で帰りが遅くなりがちな鈴木の分まで育児に労力を割いていた。良妻賢母だ、自分にはもったいないくらいのできた人だ、と鈴木はいつも思っている。


 (……)

 そして、家族のことを思い出すと、鈴木は寂しさと同時に何があっても死ぬわけにはいかないと感じた。それはもちろん自分にとって一番大事な人、妻の命がかかっているからだけではなく、父母が揃っていなくなった後の子供たちの生活や心を案じてでもあった。


 お猪口は空になっている。鈴木が徳利を傾けて熱燗を注ぐと、熱を持った柔らかい香りがふわりと広がった。

 (その前が、妊娠しているなら胎仔の発育、最後に一番大事なこと、自分の生体の維持……。それは、何も乳牛が自分で決めてそうしているわけではない)

 また一口飲むと、その分体が暖まって肌に赤みが差す。

 (生物として、生理学的にそうできているからだ。人間は……、一概には言えないが、動物として、本能的にそうプログラミングされているのだろうか。だから今日、母親の誰かが100人目を諦めたことも、生物として正しい行動だったのかもしれない)


 自分が生き残るためには、他の誰かを、例え我が子であっても犠牲にする。他の哺乳類を見ればそれが合理的に映ることがある。種によってバリエーションはあるが、少なくともいくらかは事実である。ハツカネズミは腹が減れば我が子を食う。インパラはチーターに襲われれば子供を置いていく。


 (美談は、偶にだから美談になる。あるいは人間の場合、社会的立場や刷り込みもあって、そうするのだろうか。どちらが正しい?)

 鈴木は答えのない問いに対してぼんやりと考えた。1つ、確かに答えられることがあった。

 (私が極限の選択を迫られたとき、家族のために自分を犠牲にすることは訳もない)

 他人がどう思おうが、自分はそうする。それが答えだった。


 (だが、もし……)

 日本酒を口に含む。飲み込まずとも頬や舌に溶けていくような滑らかさのあるそれは、酒が飲める人なら決して勢いだけで飲んでよい代物ではないと分かるものであった。

 (もし、誰か1人だけしか助けられないとしたら……。私の中には、僅差だと思うが、大切な人たちの優先順位があった。その時は、恨まれてもいい。全員死ぬのに比べれば……。妻は自分の事よりも娘たちを優先してと頼むに違いない……)

 鈴木は妻の性格をよく理解しているし、その意思を尊重しようと考えている。それでも選択肢が残ってしまうことを彼はとっくに知っている。


 「まあ、そうならないようにすることが第一ですね」

 鈴木は自分に説明するように呟くと、徳利とお猪口を流しに持って行こうとして、その手は空を掴んだ。知らないうちにテーブルの上はきれいに片付いていた。


 「便利なんですけどね……」

 何だか物足りないと鈴木は感じた。代わりに鈴木はスマホを手に取ると「ににぉろふ」で酔い覚ましを取り出して飲んだ。早くも頭が冴えてくるのを感じながら、まだ酔いが残っているうちに眠ろうと、鈴木は簡単に服を脱いでベッドに潜り込んだ。



**



 地下&洞窟探検部!


 主人公、海原恭輔が高校入学初日の帰り道、突然地面から現れた謎の先輩、冷泉桐子(実は宇宙人だが本筋と全く関係がない)と出会い、半ば強制的に「地下&洞窟探検部!」に入部して、都市の地下空間や天然の洞窟を探検する青春もののライトノベル。いわゆるハーレム要素もあり、冷泉の他にも百発零中の自称霊感少女樹河ざくろ、地下帝国建国の野望を真面目に抱く刀根山奈々、幼馴染のドスコイ田沢、極貧サバイバル生活が日常の飯野恵那ら部員と共にあちこちを冒険し遊び、高校生活を謳歌する姿が描かれている。最新刊では隠し財宝を探したり、生焼けのマムシに当たったり、老人ホームでボランティアをしたり……。ニニィは洞窟好きかも。

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