第14話 捧げろ(3)
小嶋祐司は激怒していた。野口たちと一緒に夕食を食べて、大人の宴会に混ざって騒いでいる間は感じなかったものが、自分の部屋に帰ってから込み上げてきた。床にはカラフルなボタンが取り付けられた学ランが落ちている。彼は着ていたそれを先ほど放り投げたのだが、それでも気が治まることはなかったのであった。
「何でだよっ!」
小嶋は大きく足音を立てて歩き、乱暴に洗面所のドアを開けた。それから歯ブラシを手に取り、雑に歯磨き粉を乗せて口の中に入れた。彼の怒りの源は今日の投票結果と多少なりとも関係することであった。
(子供は両親がいるからできるだろっ! 育てるのも両親だろっ! 全部がそうじゃないけどさぁ……、なんかまあ……)
小嶋は眉を吊り上げて目に変な力を入れながらも、セルフツッコミで自分の勢いを削いでいく。傍から見たらふざけているようだが、本人はこれで真剣である。
(だから、両親の時間や金や愛情や、そういうの使うんだから、父親にも同じ理由で……うーん…… 母親の体のことだし、負担がすごいとか、やっぱり、まあ……、おかしいんだけど……)
ラジカルな考えだと小嶋は自分自身でもよく分かっている。そして、難しい話題でもやもやするものが残ることも知っている。だからこそ、誰に説明するわけでもないのに言葉尻を濁しているのである。男性が経済的理由により子育てが不可能であっても、子供が生まれれば父親として扶養義務が生じる。
(それが自分の子供じゃなかったら)
小嶋の歯磨きは加速している。手元だけではなく首を大きく動かして、磨いている。小嶋は間接的ではあるが身を以て知っている。その子供と血縁上の父子関係がなく、法律上の父子関係だけの場合、さらにそのことを出生前に知らされていない場合、一層事態は複雑になること、1年経過した後に判明したならば、もう、事を穏やかに終わらせることはできないことを。
(こどもの権利条約とか、どうなってるんだよっ! DNA鑑定、しろよっ! まあ色々あると思うけどさぁ……)
小嶋はつい先日授業で習ったばかりのことを思い出した。第7条に、子供は生まれたときに自分の出自を知る権利があると書かれているのだから、99%以上確実なDNA鑑定をすれば、事情があれば先に知っているはずだから、ここではっきりすれば、誰も不幸になることはない、不貞を働いた男女を除いて、と小嶋は考えた。
(あれ? どこかで聞いた?)
どこで聞いたのか。その答えは、授業中に同じことを考えたのにただ忘れているだけ、であるが、小嶋は特に気にしないことにした。
(何でだよっ!)
口の中が痛くないのかと心配になるくらいに強く、小嶋は歯ブラシを動かしている。彼の考えは始めのものから逸れているのだが、彼にとっては順序良く進んでいる。つまり、洗面所に入ってから考えていたことは彼の父の弟、要は叔父に起こったことであった。
(……)
結局、小嶋の叔父は、自分の将来が死んだことに発狂して息子の生物学的な両親、つまり妻とその不貞相手を刺殺し、自分も喉元を割いて自殺した。葬式の日に初めて見た一応従弟の、幼いながらにもすでに濁っていた目を小嶋は忘れることができなかった。と同時に、叔父を死に追いやったその子供に激しい憎悪を覚えたこともであった。何も悪くないと分かっていても、両親の面影を持っているというだけで十分な理由だった。
小嶋はようやく感情の起伏をなだからにすると、口をゆすぎ、鏡の中の自分にぼやいた。
「子供がかわいそうってのと、嘘ついて関係ない人に押し付けていいってのは、別だよな……」
そもそもの話、子供をその状況に置いたのは他でもない血縁上の父母であり、諸々の帰する先はそこでなければ不自然である。知らない子供を渡されて、育てないと社会的に殺すと言われたら、「って、何で俺が?」となる人がいるのはおかしいことではない。血のつながった子供を持ちたいと思うのは生物として当然の権利だ。そう思わない人たちはそう思わない人たちだけで回っていればいい。他人に押し付けることではない。
「いや色々あっていいんだよ」
小嶋は、多様な家族の在り方自体を否定しているわけではない。ただ、父親の同意なく、父親が血のつながった子供を持てないまま、血縁上の子を偽った背乗り行為で財を奪われることを疑問に思っているだけである。
「はぁー……」
だからと言って彼に世の中を動かすことは今も、これからも、できない。できることは、自分がそうならないように自衛することだけである。
(つーかさ、やっぱり男は男とつき合わないとだよなっ! 早く都会に行って、いいアニキに出会いたいぜっ!)
小嶋は気分を無理矢理持ち上げると浴槽に湯を張った。それから、壁に吊るしてある色とりどりのエクステを順に指で指していった。
「で、明日は……赤!」
うんうんと何かに納得して頷くと小嶋は洗濯籠に衣類を放り込み、スマホを手に取って風呂場の扉を開けた。浴室内にはすでに湯気が籠っており、その温度も小嶋の好み通り、少し熱めになっていた。
「叔父さん……」
小嶋の口から自然にこぼれた。その熱気は今日起こったたくさんの出来事と共に、亡き叔父とよくサウナにいったことを思い出させた。筋肉質な姿に似合わず繊細で、詩的な語り口で知らないことをたくさん話してくれた叔父との思い出を小嶋は一つも忘れていない。
小嶋は曇った鏡を何の気なしに手で拭った。そのぼやけた向こう側には一瞬、叔父の優しい眼差しがあった。
「叔父さ……」
それは同じ血が流れていることを証明する、他でもない小嶋自身のものだった。
「胸毛の量が全然違う! 間違い探しかっ!」
小嶋はよく分からないツッコミを入れると、何故か満足した顔を浮かべて湯船に沈んでいった。
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