第14話 捧げろ(2)

 白川彩々は水鳥たちとのミーティングを終えて自分の部屋に戻った途端、腰から下に力が入らなくなるのを感じて「あっ」と声を出した。先ほどまでは良くも悪くもメンバーの存在が彼女に緊張をもたらしていたのだが、独りになるや否や安堵と恐怖が堰を切ったように訪れた。下半身の自由が利かないまま、白川はその場にストンと崩れ落ちた。


 (ここ、いたら、ダメ……)

 白川は言いようのない寒気を覚える。そのまま明るい部屋のやや中央に座り込んでいると、四方八方から自分を狙うような視線を感じてしまう。壁と冷蔵庫の隙間、天井の隅、死角……。どこかとは言えないが、どこかからいくつも……。


 (逃げ……なきゃ……)

 その姿はまさに小動物であった。目立たない場所、つまり電気の点いていない寝室の、隅の方を目指して白川は這った。足に力が入らないことよりも、その場に居続ける不安の方が強い。


 「ハァ、ハァ……、ンッ、ハァ……」

 荒い息を飲み込んで呼吸を無理矢理落ち着かせ、セーラー服やスカートに皺を作りながら、白川は必死に進む。落ち着いて動けばすぐにたどり着けるはずの場所が異様に遠い。足に力が入らないことに加えて、四肢がバラバラに動いているせいでちっとも前に進まない。


 (イヤ! 死にたくない……)

 いつまでも明るいところにいるせいで、白川は誰もいないはずの背後から誰かの狙いすますような視線を感じ、余計にパニックを起こす。目の周りには涙が飛び散っており、顔全体をくしゃくしゃにしながら、もがきにもがいて、白川は何とか寝室に入った。


 「ハァ……、ハァ……」

 暗がりに入って多少落ち着いたのだろう、白川はそれまでよりも素早く壁沿いに動くと、ベッドの正面に座った。そこは寝室全体に目を配らせることができる場所であった。白川は壁に何とか寄りかかり、ガクガクと震えた。


 (明日は、誰になるの……? 私? 私、どうして?)

 特段何もないはずの暗闇をキョロキョロと警戒しながら、白川は、自分たちがしているように他の場所で誰かが投票先を決めていると、それが自分なのではないかと想像してしまった。


 初日から今日まで、近藤や高橋、草野を含めてもよいかもしれないが、彼らには投票先となり得る要素があった。田川にしても粗暴なところがあったから、白川は無意識のうちに選ばれても仕方がない人物と考えていた。要は、自分とは関係ないと思っていた。


 しかし、昨日外崎が犠牲になったとき、白川には全く理由が分からなかった。若い、温和そうな男性が何故選ばれたのか、票が集まったのか、それは、誰かが意図的にそうしたから以外に考えられなかった。


 (私、何も悪いことしていないよ……、違うよね……)

 だから、自分が何もしていなくても、選ばれるとはっきり分かってしまった。昨日は翌日の犠牲者がほぼ100%決まっていて、自分は助かると知っていたから何とか耐えることができていた分、つい先ほどその考えがまとまって襲って来た。


 (だって、あとは、究君の説明だと、あの子のお母さんが……、それなだけで、あとは、だって……)

 投票先になりそうな参加者、守りの票が入ってない参加者が白川には分からない。それ以外の、白川も含まれていている集団から選ぶしかないように思えてくる。「誰にしようかなEeny, meeny, miny, moe」、数%の確率で自分に死が降りかかると白川は、今この瞬間に誰かが自分の名前を宣告しているのではないかと恐れ、すぐにできることはなく、ただ震えていた。


 実際の話、投票先は適当に決まることはないと言ってもよいだろう。何かしらの理由があるのだが、傍から見たら結局ランダムに決まっているように見えるだけである。



 (お腹……空いた……)

 暗闇に隠れ続けて落ち着いたのか、部屋の中に広がるベルガモットの香りがリラックスさせたのか、しばらくして白川は足に力が戻っていることに気が付いた。


 彼女はよたよたと立ち上がり、キッチンに行って戸棚から水とペレットを取り出した。

 (……うん、大丈夫。明るくても、怖くない)

 そうやって自分を勇気づけて、白川は椅子に腰かけるとペレットの袋を開けた。1粒食べるごとに体が温かくなり、1袋食べ終えるころには気持ちが前向きになっていた。


 「落ち着くピアノの曲」

 腹の膨れた白川が「ににぉろふ」に向かって言うと、曲名こそ分からないが白川の求めていた通りの曲が部屋全体にゆっくりと優しく流れ始めた。


 「薄暗くして」

 白川はリビングのソファに深く座り込むと目を閉じて、これからのことをなるべく自分から遠いところに置いて考えた。そうしなければ現実に押し潰される。

 (大丈夫。究君がみんなを守ってくれる。私、ちゃんと仕事できている。だから、選ばれない。選ばれないでください。お願いします……、お願いします……)

 白川の目から涙がこめかみに向かって一筋流れた。


 彼女の願望は理想の上では間違っていない。リーダーが上手く舵を取れば、犠牲者はグループ外から選ばれることになる。無能でなければ、グループが飽和したときに足切りの対象となることもない。ただ、たとえ水鳥がどんなに優れていても、他の参加者すべてを相手にしては優秀な味方を完全に守りきることはできない。

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