第13話 捧げるな(4)

 広間はざわついている。話題は勿論100人目が誰の子供なのかであり、少なくとも自分ではないと分かっている参加者たちは好奇心半分、生き残りをかけた駆け引き半分で近くの人に尋ねている。この件に関してはグループ間の境界を跨いで会話をしていても何ら不自然ではない。


 「とざいぃ、とうざぁーい、『透明な殺人鬼ゲーム』、7日目。全員揃ってぇ、10分後に投票、はじまりぃー」

 モニターの中のニニィがSD化された自分の人形を操りながら開始の合図を告げると、薄暗さを残してモニターは影も形もなくなった。


 「それじゃ」

 食い気味に野口が音頭を取る。

 「昨日の続きなんだけど……どうだった?」

 ただし、漠然とした問いかけである。具体性を欠いた進行で生じた隙を影山が逃さない。

 「まあ待て。公衆の面前で言いにくい話だろう。まずは、自分が100人目の母親だと分かったのかどうかだ。名乗り出ないのか?」


 囁き声や衣擦れの音がいくつか重なり、意味のない雑音を作り上げる。全員に聞き取れる言葉はない。


 「つまり、全員自分ではないと言っているのと同じだ。1人、嘘をついている。それでいいな?」

 影山の視線にはこれまで以上の熱が込められている。嘘をついている。それはつまり――。


 「それ、昨日と変わらなくねぇか?」

 時田が横槍を入れた。


 「いや、昨日は必ずしも嘘をついているとは限らなかった。自覚がない場合もある。今日は、違う。俺たちを騙すか、あるいは確認しようともしなかった」


 「騙すって……」

 青い顔をした大浜がぼそりと声に出す。静かな空間に響いた。影山がゆっくりと首を動かし、大浜の方を向いた。

 「少なくともその母親が投票を欠席すれば2人、欠席したことになる。参加者の人数が不正確で、条件……参加者が8割を超える、それを満たしていなかったらゲームオーバー、全滅だ。避けるためには、誰が100人目の母親か明らかにしなくてはならない」

 影山は苦虫を噛み潰したような顔をする。例え全員が全員、持っている能力や性質を駆使して生き残るために全力を尽くしても、ゲームオーバーになったら元も子もない。


 「よっ、と」

 かけ声にしては大き目の声を出して吉野が立ち上がった。自然と全体の注意が向く。

 「予想外の全滅を避けるには、投票先を100人目にするしかないね。母親が名乗り出なければ、やむを得ない」


 (どうして……そんなこと言えるの……)

 田辺は息苦しさを感じて下を向いたまま、スカートから覗く自分の足にぼんやりと焦点を当てる。彼女は、もうじき起こりうることが昨日までとそう変わらないことに気が付いていない。何か特別な感情を以て無意識のうちに優先順位をつけているだけなのに。


 誰も名乗り出ない。

 (誰だ……?)

 (あいつは……違う)

 (一体……)

 幾多の視線が方々に飛び交い、母親の正体を探し出そうと、動き、姿勢、諸々の小さな隙を観察する。


 吉野が言葉を変えて、揺さぶりをかける。

 「正体を隠した方が生き残るのに有利。そのために100人目を切り捨てる。そう判断しただけ。もう、外野が口出しすることじゃないね」


 (どこだ……どこにいる?)

 (違う、いない……)

 (いない? これ以上は悪者になっちゃうねえ。次は……)


 吉野は次の手に移る。さぞ親身であるような、自分にも経験のあるような顔をして、似つかわしくない優しい声を作る。

 「日本の法律では、確か……『妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの』が中絶することを認めている。要するに母親は名乗ることが自分の健康を著しく害すると判断した。全く正当じゃないか」

 罪悪感を、もし感じているのなら、取り除くように、安心させるように。


 しかし、本当のところは違う。不意をつくことで、安堵や動揺といったボロを出させることが目的である。


 (分からない……)

 (何故だ……)

 (調べていないところか? 誰だ……)

 影山も松葉も、他の手練れにも見抜けない。母親は絶対に参加者の中に潜んでいるはずなのに、誰一人として分からない。


 (まさか、ここまでのペテン師がいるとはねえ……)

 吉野も内心、感心している。数々の詐欺師を見抜き、時には地面師を暴いて生き抜いてきた彼女がここまで全く分からないというのは、判断材料が少ないとはいえ稀である。


 (かわいそうだけど……でも……)

 住本は影山と松葉のいる中間辺り、ちょうど夏里のいるところを何となく眺めながらそう考えた。自分が生き残るためには他の誰かを犠牲にしなければならない。それは、このゲームに限った話ではない。


 「もう出てこないなら、アタシが言うことは何もないよ」

 吉野が話を無理気味に終わらせて座った。続きは他の話し手に任せることにしたのだろう。何も話さずに他の参加者の観察を始めた。


 その姿を影山がちらりと見る。野口が今度こそ話を始めようとする。が、影山の方が早い。ためらいがない。大勢の前で説明をする経験に圧倒的な差がある。

 「それなら誰か、この件を続けたい者はいるか?」


 返事はない。母親が誰なのか知りたいと思う者は多くいるだろうが、これまでの会話で誰一人として見抜くことができないでいる。さらに、どれだけ知りたいと思ったとしても、影山や吉野のように話を仕切る腕があるとは限らない。言葉の選択だけではない。声の調子や表情、ジェスチャーも使いこなさなければ、ただ話をしているだけの人になる。それどころか、注目を集め大ポカをすれば無能という印象を与えてしまう。それだけで投票しても仕方がない人物、あるいは投票しても問題のない人物とレッテルを貼られかねない。


 「いないのなら……、全員に共有しておきたいことはないか?」

 影山の問いかけに答えるものは……いない。話すつもりがない者もいれば、イニシアチブを取ろうと牽制し合っている者もいる。相手が何某と分からずとも微妙な空気の流れを感じ合っている。


 「それならさ」

 一番素早く反応で来たのは――野口だ。若さゆえに反射神経に分があった。

 「これ、知ってる? ににぉろふって、英語でも反応するんだ」

 大したことのないような話題でいて、自分のレベルを高く見せることができる情報だ。それでいて、ほぼ、無意味だ。野口は自信に満ちあふれたにやけを小さく口の端に浮かべている。


 「それなら、ドイツ語とロシア語にも対応しているのか教えてもらえませんか?」

 猪鹿倉がちくりと刺し、野口の気分をしぼませた。切り返せない野口相手に猪鹿倉は、口には出さずに冷たい表情で返事を待っている。野口の立場がどんどんと悪くなる……。その沈黙を――野太い声が切り裂く。


 「英語に反応するんなら何語でも反応するだろ」

 助けに入ったのは……中川だ。そう言ったきり明後日を向いて、相手の話を聞くそぶりはない。他の参加者は興味半分、無関心半分といったところで、どちらにしても口を挿もうとしていない。


 (……)

 猪鹿倉も特に何とも思っていない。単に野口の勢いを削げればそれでよいのだろう。妙な空気が流れて、そして――。


 「さあさあ、投票の時間なりぃー」

 ニニィのそれらしい口上と共に舞台は暗転し、誰が誰に投票したのか、建前が何であろうと誰にも分からないのだから……。そして、舞台は再び幕を開けた。


 「今日の犠牲者は、Not enteredでしたぁー」





 田名網はニニィのアナウンスをとっさに理解することができなかった。

 (のれんたー? そんな奴いたか?)

 ただし、言葉の意味が分からなくても、その正体は分かってしまった。視界に入れさせられた黒塗りのケースから推測できる。


 広間中央に置かれていたケースは明らかに小さく、その表面を「自主規制」の文字が横向きにスクロールしている。


 (そう……か)

 田名網がそう思うように、大半の参加者たちが感じるものは、まず自分が選ばれなかったという安堵、それからケースの中にいる誰かに対する様々な感情、そして、これから見せられる光景に対する嫌悪と恐怖であった。


 「始めまぁーす」

 ニニィの言葉とともにケースは2回小さく振動した。


 (いつもこうなら……まだ……)

 中で何が起こったのかは連日の流れから明らかである。しかしその方法は誰にも分からない。想像さえしなければただの事実として終わる。これまでの現実と何一つとして変わらない。


 「さよなら三角また来て四角」

 ニニィが言葉に合わせてジェスチャーで形を作っていく。

 「四角は豆腐、豆腐は白い、続きは自分で調べてねっ」

 そして、最後にニニィがウインクを放つとモニターが消え、黒いケースは沈んでいった。


 ゲームの参加者たちはいつも通り自分の部屋に帰っていく。田名網も他と同じように自分のスマホをポケットから取り出そうとして、落とした。

 「あっ」

 間抜けな声を田名網は思わず出してしまう。おまけにスマホを拾おうと屈みながら半歩前に出たときに、つま先で軽く蹴ってしまった。彼のスマホは滑らかな床面を2、3歩先まで滑っていった。


 (年取るとこれだよ)

 頭の中で思ったところに体が行かない。それが目測の問題なのか、それとも体の問題なのか、その両方だろうかと田名網は考えながら、今度こそスマホを拾い上げて、気が付いた。


 (いつもと何か違う?)

 何が違うのかは、田名網には分からなかった。

 (俺には関係ないこと、だな)

 彼はそう判断すると「カードキー」を使い、自分の部屋へ戻っていった。



**



今日の犠牲者 Not entered

一番大事な人 Hidden Information


 様々な考えがあると思う。法律には従うべきであろう。で、この赤ちゃん、名前がないままだと何かと不便だから、100番目の参加者ということで、大和言葉で「百」は「もも」と読むし、XXなら桃子、XYなら桃……太郎と呼ぶのはどうだろうか。妖怪退治したり鬼退治したりできそうな感じがしてくるね。他にも、チャンバラやったり、憑依したり、魔法少女やったり、そのお兄ちゃんやったり、RPGつくったりしそうな名前の候補は色々あるし、ジェンダーレスやグローバリズムや、画数や苗字との語呂や何やかんやを考えたらきりがないけれども、後の祭りだよね。

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