第11話 集るな(2)

 元木信子は河本の部屋で政所、福本、徳田と朝食後のお茶会をしていた。紅茶の香りが薄い水色で統一された家具や調度品の間をくぐり抜けていく。高価なクロスが敷かれたテーブルの上には白く滑らかな皿とお洒落に飾られたスコーンがいくつか置かれている。


 「この味なのよ。昔パリで飲んだ味。どうして飲みたかったのがこれと分かったのかしら?」

 福本がさらりと説明を加えて一口飲んだ。他の4人もつられて一級品のカップを口元に運ぶ。彼女たち中年女性の体の中にとても綺麗な液体が流れ込んでいく。福本が言葉にしたせいだろう、まるでそこがパリであるかのように彼女たちは気取りだした。


 「C'est délicieux. 本当にいい香り、このお紅茶」

 元木もさらりとフランス語で伝える。優雅な一時である。その中で浮いているのは彼女たちの恰好だろう。河本と政所の私服はまだそこに溶け込む余地があるが、残りの3人はカジュアルなスーツ姿で、日本の事務室ならまだしも、パリのカフェテリアには例え高価な服であったとしても、似合わない。


 徳田は上品ぶってスコーンを口に運び、その甘みが紅茶の香りと調和しきっていることに眉を上げて驚いた。自然と言葉が口に出る。

 「このスコーンもとってもよく合っているわ」

 皆がスコーンに手を伸ばし、小さくかじる。その絶妙な甘みと塩気のバランスに自然と笑みがこぼれる。河本が日常に思いをはせる。

 「子供たちにもあげたいわよね。政所さんのところは何人?」


 「うちは2人よ。どちらもやんちゃな盛りで。寂しいけれど、ここに来てから手がかからなくなって助かったわ」

 政所はくすりと小さく笑い、河本と同じように家族のことを思い出す。手が空いて楽になったとはいえ、寂しいことには変わらないのだろう。それ以前の話、明日死ぬかもしれないという恐怖がある。


 「そうよねぇ。うちも2人よ。少子高齢化社会だし、最低でも2人いないと日本の出生率は下がっていくものね。本当にこの国、どうなってくのかしらね。徳田さんのところは?」

 河本のいう出生率は合計特殊出生率のことであろうが、彼女は出生率にはいくつかの種類があることを分かっていて、説明の手間を省くためにこの単語を敢えてこのように使用したわけではない。それらしく知ったかぶりをしているだけである。


 「アタシ? アタシのところは3人よ。旦那も家事やってくれるけど、子供産んで、育てて、それで仕事もやっていかないとなんだから。大変よね」

 徳田は口を歪めながらも得意げに笑った。徳田の場合は、女性だから評価を下げられているのではない。個人としての能力が低いだけの話である。それは別段今忙しいこととは関係なく、入社までにどれだけ努力したかが歴とした理由であるが、認めようとしていないだけである。


 「ホントよ、全く。うちもそう。女だからって。もう少し後に生まれればねえ、リケジョとか女性管理職を増やすとかで今の子はちやほやされてるじゃない? 女だからって。若いからって……」

 河本は徳田に同意して、ふーっと小さくため息をつくと紅茶を口に運んだ。

 「ところで、元木さんのところは?」


 「うちはまだ1人。中々機会に恵まれなくって……。でも、1人でも大変なのにもう1人できたら、どうなるのかねぇ」

 お茶会はパリのカフェテラスから中小企業の給湯室へとその開かれた場所を変えていく。いくら周囲を整えても為りが変わらないのだからそうなるだろう。


 「大丈夫よぉー、2人目なんて。1人目で慣れているからあっという間。ところで、福本さんのところは?」

 河本が顎を突き出して声を大きくする。そして、さりげなく身を小さくしている福本に狙いを定めた。


 「うちは……まだなのよ。羨ましいわ」

 福本の声には張りがなく、耳がわずかに赤い。椅子の下でつま先をもぞもぞと擦り合わせている。


 「あらそうなの? でも福本さん……早い方がいいわよ。ほら、高齢になると……ね? 生まれてからも、今度は体力が持たなくなるわよ。夜泣きにおんぶに、保護者で何かやったり、上の子と下の子のところを行ったり来たりで――」

 河本は声を高くして得意げに苦労を説明し出した。政所は時折頷いている。元木も確かに、と思うところはあるもののどちらかと言えば適当に頷いて、頭の中では別のことを考えていた。


 (確かにそうだと私も思うし、日本がこれからも残っていくには大事なことよね。だって、それ以外に方法はないでしょ? だから色々なプラスの扱いはいいと思う。でも、その考えを押し付けて、他人をマイナスの扱いにするのは違うわよね……)


 「ねえ? 子供がいないと日本がおしまいなのに、自分たちだけ子供がいないなんてずるいじゃない? 1人育てるのにかかる時間もお金も好きに使えて。その分楽な暮らしして、何? 老後は平等に年金もらって悠々自適ってやつ?」

 徳田はテーブルの下で片手の拳を強く握りながら、実にニッタリとほくそ笑んで嫌味を口にした。それとなくでなくても、子供のいない福本を責めるように。


 つまり、河本と徳田は同じメンバーの中でも自分たちの方が優位であるようにマウンティングを仕掛けているのである。高々45日であっても、本能的にやらずにはいられないのである。


 (彼女たちは分かっていないわ。自分の子供が欲しくても、抱きしめることができない女のおぞましく、狂気的なまでの渇望のことを。何でもする。医学的なことも、それ以外も。蝿を飲むくらい簡単、妊婦の腹を裂いて生き肝だって食べるわ)

 元木は静かに考えながら居心地の悪そうな福本と鼻を高くしている河本と徳田を見つめる。元木にとっては、自分がのしかかられなければそれでよいわけだ。当然、一々表立って庇うこともしない。


 (私じゃなくてよかった)


 その後も話題や立場が変わることがないまま、高級な紅茶やお茶菓子を前にして、河本と徳田は遠回しに、福本にしか分からない程度に、あるいは悪意を持って注意深く聞いているものには分かる程度に福本を突いては薄暗く微笑んだ。

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