第6話 ママっ!?

「……ヤバい」 


刻一刻と進む時計の針を見つめながら、俺は冷や汗を垂らしながら呟いた。


……いや、これは冗談抜きでヤバいんじゃないか?


深雪の口から伝えられたときにはあんな反応をしてみせたものの、いざ本人に会うとなると心臓の鼓動が止まらない。


緊張している状態のまま、もう約束の時間は近づいてきている。


──どう接すればいい?


──何を話すのが最適解なんだ?


頭の中で疑問符が浮かんでは消え、俺は焦燥を隠せなくなっていく。


ダメだ、完全に頭が混乱している。

いつもの日常なら決して縁が無かったはずの由々しき事態……焦るのも仕方ないが、この調子で彼女と会ったら何かやらかしてしまいそうで敵わない。


落ち着け……こういうときは素数を数えるといいんだっけか?


「2、3、5……」


「あ、来たみたい!」


「だあーっ、タイミング悪すぎだろ!?」


思わず頭を抱える俺を見事に無視して、玄関へと向かう深雪。

待ってくれ、まだ心の準備が──!


「やあやあ、どうも〜」


「……え?」


開かれた扉の先には──誰も立っていなかった。

気の抜けたような、ふわふわした声が一瞬どこかで聞こえただけで、扉の前には誰も……いや、いる。


いるのだ。

目の前に、美しい桃髪をなびかせる小柄な女性が。


──憧れの絵師、江波ナオさんが。


「……なっ、ナオ、さんっ……ほ、本物? 本物なんですよね?」

 

興奮と動揺を露わにしながら、目の前の女性に震えた声で問う。


「偽物が出るぐらい人気だったら良かったんだけどね〜。……ま、お姉さんは本物だよ。深雪ちゃんから話は聞いてるから、よろしくね? 悠人くん」


俺の勢いに押されたのか困ったように頭をポリポリと掻きつつ、ナオさんは砕けた笑顔でそう言ってみせた。


「……深雪、ありがとう」


「えっ?」


深雪の両肩に手を添えながら、俺は堪えていた感情を爆発させる。


「Vtuberになってくれて、本っ当にありがとうっ!!」


「ちょ、お兄ちゃん!? 嬉しいのは分かるけど、ナオさんもいるし、近所に声響いてるから!!」


荒ぶる俺を深雪が制そうとしてくるが、言葉は溢れて止まらない。

すまないな、愛する妹よ……お兄ちゃんは結構、心のダムが緩々ゆるっゆるなんだ。


「随分と仲がいい兄妹なんだね〜」


「そうでしょう、そうでしょう! さすがは俺の妹! 人々に幸福をもたらす姿は、もはや女神そのもの……!」


あ、自分でも何かちょっと言い過ぎてる気がする。

同時に、隣にいる深雪の雰囲気が変わったような気も……コワイ。


「舞い降りた! 新世界の救世主が、今ここに舞い降り──」


「お兄ちゃん……いい加減に、して!」


「げふぅ!?」


もはや言っていることが宗教じみてきた俺の首に叩き込まれたのは、豪速の手刀。


──ああ、誇っていいぞ、深雪。

恐ろしく速い手刀……俺ですら見逃しちゃったね。



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