第539話 一日、二本まで
ひとしきりの演奏が終わり、予定していたすべての演奏が完了した。蓄音機のスイッチを操作して録音機能を停止させる。あとはこれを固定すれば任務完了だ。別の演奏会でも録音できるように、いくつか録音用の魔法陣を描いた鉄板を渡しておくことにする。
「これで曲の記憶は完了しました。もう話してもらっても大丈夫ですよ。静かにしていただき、ありがとうございます」
振り返って俺がお礼を言うのと同時に、盛大な拍手が聞こえてきた。なぜか涙を流している一団があるが、賢い俺はそれを見なかったことにした。よくあの状態で声が出なかったな。すごく我慢したんじゃなかろうか。悪いことしちゃったな。やっぱり呼ばない方が……。
「ユリウス様、私は今、猛烈に感動しておりますぞ。ユリウス様の曲には邪気を
「落ち着いて下さい、ジョバンニ様。そんな効果はありませんから」
涙を流す一団の代表者として、ジョバンニ様がスススッと近寄ってきてそう言った。あまりの速度に思わず体がのけぞりそうになる。
きっとずっと我慢していたんだろうな。それがこの勢いを生み出したというわけだ。俺の手を握ってしきりに先ほどの演奏がどれだけすごかったのかを語っている。
俺はそれを右から左へ受け流す。だって相づちを打っていたら、いつまで続くか分からないんだもん。
「ユリウス様、素晴らしい演奏でしたぞ。これほどの才能を持っているとは。実に多才ですな」
「本当に素晴らしかったわ。この演奏がこれからも何度も聴けるだなんて、とってもうれしいわ」
「ありがとうございます。そう言っていただけて、うれしいです」
国王陛下と王妃殿下にほめられて、ようやく肩の荷が下りたような気がした。なるべく平常心を保つように心がけていたが、知らずに力が入っていたようである。
やれやれだぜ。これでようやく落ち着くことができそうだ。
夜もいい時間になっているので、その場で解散することになった。もっと聴きたかったとファビエンヌが言ってくれたのが、とてもうれしかった。また今度、機会があれば演奏してあげようかな? 今度は他の人を呼ばずに。
部屋に戻るとソファーに浅く腰掛け、背もたれにダラリと体を預けた。
「ようやくこれで一息つけそうだ」
「お疲れ様でした。とっても素晴らしい演奏会でしたわよ」
「ありがとう。でも、もう演奏会はいいかな」
苦笑いする俺を見て、ファビエンヌとネロが残念そうな顔をしていた。演奏会のことがこれ以上広まらないように口止めしておくべきか? いや、そんなことをしてもあまり意味がないか。たぶんソフィア様からダニエラお義姉様へ知らせが行くだろうからね。
「もう演奏することはないのですか?」
「……個人的にならするかも?」
「本当ですか? そのときは絶対に私を呼んで下さいね!」
うれしそうにそう言ったファビエンヌが俺の腕にしがみついてきた。胸の圧がすごいことになってる。油断してたわ。淑女としてはあまりよくない行為なのだろうが、俺たちは婚約者同士だからね。問題ないのだ。ネロがちょっと困ったような顔をしているが、手帳に書き込むことはなさそうだ。よかった。
その日はそのまま、ファビエンヌとネロの絶賛の声を聞いてから眠りについた。これはハイネ辺境伯家へ帰ったら、間違いなく演奏会を開くことになるな。どうせやることになるなら、どこかの楽団を呼んで、少しでも自分の存在感を消したいところである。頑張れ、俺。あきらめたら終わりだぞ。
翌日、朝食を食べ終わるとすぐに室内訓練場の一角へと向かった。昨日完成した魔石の粉をもらうためである。これがなくては始まらないからね。
俺たちが到着したときには、すでに作業が開始されていた。念のためちゃんと朝食を食べたかを聞くと、食べたと言ういい返事が返ってきた。ウソは言っていないようである。
「これだけあれば数回は実験できると思う。ありがとう。無理はしないで、ちゃんと休んでよね。エルヴィン様もですよ」
「分かっているよ。俺がいつまでも作業をしていたら、他の人が休めなくなるからね。ところで、休憩時間には俺もあの初級体力回復薬をもらってもいいんですよね?」
「……一日、二本までですよ。他のみんなもだよ」
分かりました! と、これまたいい返事が返ってくる。エルヴィン様からもいい返事が返ってきた。それでいいのかと思いつつも、魔石の粉は絶対に必要な素材なのでそのまま頼んでおいた。
大丈夫かな? レイブン王国の英雄に怪しい粉作りなんかさせても。聖剣だけ借りることができればよかったんだけど……。
ちょっと首をひねりながらも、今度は調合室へと急いだ。
今日から魔法薬を作る約束をしていたからね。レイブン王国の魔法薬師たちはそれに納得して、昨日はすぐに休みを取ったのだ。それを俺が
調合室ではすでにみんなが勢ぞろいしていた。そして実験台の上には何やら怪しげな色をした土が置いてあった。まさか、けがれた大地なのか?
「遅れてすみません。魔石の粉をもらってきました。少量ですが、試験するには十分だと思います。それで、その土はもしかして……」
「はい。こちらは試験用に王城へ持ち込んだ、けがれた大地の土になります」
「持ち出して大丈夫なのですか?」
「大丈夫です。厳重に管理しております」
その顔は真剣そのものである。まさか城へ危険物を持ち込んでいるとは思わなかった。この土が他の場所に汚染を広げたらどうするつもりなのか。
てっきり魔法薬を完成させたら、ボーンドラゴンが現れた山の近くにある町にでも向かうのかと思っていたのに。隣にいるファビエンヌの眉が、心配そうに垂れ下がっている。俺もとっても心配だ。
ジョバンニ様たちは知っていたようで、それほど驚いていなかった。もしかすると、昨日のうちに、汚染が感染するかどうかなどの簡単な試験をしているのかもしれない。それにレイブン王国でも、すでにそれなりの研究しているだろうからね。それなら安全なのかもしれない。
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