第528話 涙ぐむ人々
どうしよう。ソフィア様とエルヴィン様が固まったままだ。これは俺がなんとかしないといけない場面だよね? ファビエンヌもそう思っているみたいだし。
「えっとあの、実演のために私が演奏したピアノの曲を録音しています。もちろんあとから別の曲を録音することもできますよ。時間があるときに楽団を呼んで、音楽家たちの演奏を録音して下さい」
「ああ、えっと、ありがとう?」
なぜか疑問形で返事をするソフィア様。これはまだ頭が混乱したままだな。エルヴィン様も目を白黒とさせているし、二人が正気に戻ったら、改めて蓄音機の使い方を教えることにしよう。
「ユリウス様、ピアノの演奏までしていたのですか? いや、それよりも、いつの間にピアノが弾けるようになったのですか?」
「それはだね、ライオネルくん。紳士のたしなみってやつだよ」
「……」
言葉には出なかったけど、ライオネルにすごく微妙な顔をされた。まあ、俺とライオネルとの付き合いだ。そんなもんだと理解してくれるだろう。理解してくれるよね? いいとも。
「ソフィア様、ユリウス様の演奏はとってもお上手なのですよ。きっとソフィア様も驚くと思いますわ。このスイッチを押すと音楽が流れる仕組みになっています」
この微妙な空気を感じ取ったファビエンヌが支援に動いてくれた。正直、助かる。本当にどうしようかと思っていたところである。料理人や使用人が何事かと手を止めていたからね。
「ああ、えっと、これですわね?」
ソフィア様がスイッチを押す。すると蓄音機の拡声器部分から、俺が演奏したピアノの曲が流れ始めた。最初は静かな曲を入れているので、この微妙な空気にも耐えられるだろう。
よかった、アニソンとかを入れていなくて。ファビエンヌとネロに頼まれたけど、さすがにやめておいたのだ。ナイス判断、俺。
ダイニングルームに流れる、静かなピアノの調べ。それを聞いて立ち止まる料理人たちと使用人たち。ピンと張り詰める空気。どうして。
「あの、お気に召しませんでしたか?」
「ハッ! いいえ、違うわ! あまりにも美しい演奏だから聞き入っちゃって。みんなもビックリしているんじゃないのかしら?」
そう言ってソフィア様が周囲を見渡すと、止まっていた人たちがウンウンと何度も首を縦に振っていた。そして動きを再開した。心なしかリズムに乗っているような気がする。ぶつかったりしなければいいんだけど。
「これをユリウス様が演奏したのかい? まさか一流の音楽家だったとはね。驚きだ」
エルヴィン様が何度もうなずいている。その隣ではソフィア様が”聞いてないよ”みたいな目で俺を見ていた。そうだよね、ダニエラお義姉様からの手紙には俺が音楽をたしなむだなんて、一言も書いていなかったはずだからね。
なぜならハイネ辺境伯家で楽器を演奏したことは一度もないから。
きっとソフィア様からダニエラお義姉様へこのことについての手紙が行くんだろうな。そしてダニエラお義姉様が一体なんのことかと驚愕する。
見える、俺にもその光景が見える。
これはもしかしなくても、やってしまったような気がする。今回ばかりはライオネルからのフォローも期待できないだろう。俺の隣で目を大きくして口元を押さえているからね。どうやら驚きのあまり、声を出さないようにしている様子だ。
そうこうしている間にジョバンニ様たちがダイニングルームへとやって来た。採取してきた素材の仕分けでもしていたのだろうか? 彼らの顔がなんだかうれしそうである。
素材の片づけで笑顔になるとか、もう色々とヤバそうだな。これが魔法薬師の末路か。
「お待たせしてしまいましたかな?」
「いえ、そのようなことはありませんわ。こちらの準備もそろそろ整う頃合いだと思います」
ソフィア様がそう返事をした。急ピッチで料理人たちが右往左往している。だが、それでもリズムに乗っているようだ。どんだけ気に入ったんだよ。しかも、みんな流れるようにスムーズに動いている。ぶつかる心配もなさそうだ。
「おや、素晴らしい曲が流れておりますな。ピアノの独奏曲ですかな? これは素晴らしい。……どうやらこの魔道具から聞こえてくるようですな」
そう言ってジョバンニ様が俺の顔を見た。その顔はとてもニッコリである。笑顔が怖いぞ、ジョバンニ様。もちろんちゃんと用意してあるぞ。俺はネロに目配せして、棚に置いていた蓄音機を持って来てもらう。
「こちらがジョバンニ様の蓄音機になります。同じ曲を入れてありますので、部屋で楽しんでもらえるとうれしいです。私が持っている物と同じ装飾になってます。それで、こちらは国王陛下への献上用になります」
「なんですと?」
「え? えっと、こちらを国王陛下へ渡していただければと思いまして……」
「ユリウス先生と同じ物をいただけるのですか! おお、神よ」
受け取った蓄音機を天に掲げながら膝をつくジョバンニ様。その信仰の対象は俺である。やめて。みんな注目しているから、やめて。
こんなことならあとからコッソリと渡しておけばよかった。でもそうすると、夕食の時間の間、さっきの怖い笑顔を向けられることになるのか。
うん、これでよかったと思おう。
「今流れている曲はユリウス様が演奏したものだそうですよ」
「……え?」
笑顔のエルヴィン様。よかれと思って言ってくれたのだろう。その気持ちはとてもありがたい。でも、今じゃないんだよなー。ジョバンニ様の俺を見る目が変わった。まるで本物の神様を目の当たりにしたかのようである。
「おお、おおお……!」
再び蓄音機を天に掲げ、膝をつくジョバンニ様。今度は涙を流している。
どうしよう、この状況。まさかこんなことになるだなんて……。しかもどうしてソフィア様とエルヴィン様も少し涙ぐんでいるんですかね?
いや、二人だけじゃない。なぜかこの部屋にいる料理人や使用人まで涙ぐんでいるぞ。なにこれヤバイ。早く、早く料理を持って来るんだ! 急げ、料理人たちー!
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