第427話 何もなかった

 昼食は最近ミュラン侯爵領に出店してきたというお店で食べることになった。そのお店からは懐かしい匂いがした。


「この匂いは……」

「香辛料の匂いがすごいでしょう? 何でも、色んな種類の香辛料を混ぜ合わせて作っているみたいなのよ」


 カレーだ。これ完全にカレーの匂いだ。鼻の良いミラが嫌がるかなと思ったのだが、目をつぶってスンスンとその匂いを堪能していた。ミラは思っているよりもグルメみたいだね。

 すでに予約を取っていてくれたのか、店に入るとすんなりと席へ案内された。


 お忍びスタイルなのだが、あまり役に立っていないような気がする。お店の前で並ばなくてすむのは大変ありがたいけどね。メニューを見ると、カレーだけでなく、丼物もあった。残念ながら寿司はなかった。流行らなかったのかも知れない。


「おすすめはこのカレーよ。前に食べたことがあるけど、すごくおいしいのよ」

「それじゃ俺はそれにしようかな」

「私もそれにしますわ」

「俺も、俺も」

「キュ!」

「ミラには俺のを分けてあげるからね~」

「キュ!」


 こうして俺たちはそろってカレーを食べることになった。カレーを食べるときに一番注意しなければならないのは服が汚れることである。しっかりとファビエンヌに前掛けをつけてあげる。


 俺の過保護な様子にアクセルが笑っていたが、「これをつけないとすぐに後悔することになるぞ」と言ってみんなにつけさせた。もちろんミラにもである。


「似合ってますわよ、ミラちゃん」

「キュ……」


 無理やり取り付けた前掛けはミラの頭から体の半分までを覆っている。それが気に入らなかったのか、ちょっと不機嫌そうだ。ファビエンヌが何とかなだめているので、その間に食べ終わりたいところである。


 カレーが運ばれて来た。うん、どこからどう見ても普通のカレーだ。だれかが伝えてくれたのかな? 久しぶりのカレーに心が躍る。


「これは……ちょっとからいね」

「そうですわね。でもおいしいですわ。何だか複雑な味がしますわね」

「きっとこの香辛料が原因ね。作り方は門外不出みたいよ」

「分かる気がする。これだけうまいからな」


 ミラの毛につかないように細心の注意を払って食べさせてあげる。両手をほほに当てておいしいアピールをしているところを見ると、気に入ってもらえたようである。機嫌もいつの間にか直っていた。カレーの力ってスゲー。


 そして予想通り、みんなの前掛けにはカレーがついている。変な目で見られてもつけさせて良かった。いくら替えがあるとはいえ、物を大事にしなければならないと思う。昼食のあとはデザートである。向かった先にはシュークリームがあった。


「うーん、これはイジドルにも食べさせてあげたかったな」

「お土産に買って帰ろうぜ」

「そうだね、そうしよう」


 おいしそうに食べるファビエンヌのほほにクリームがついている。さすがにそのままにするわけにはいかなかったので指で取って食べる。ファビエンヌの顔が真っ赤になった。青春してるな、俺たち。


 そのころミラは口の周りをベタベタにさせていた。ああもうむちゃくちゃだよ。それだけおいしくて、ガツガツ食べたのだろう。カスタードクリームが絶品だもんね。

 ミラの口の周りを拭き、シュークリームのお持ち帰りを頼んだ。


 シュークリームは生ものなので日持ちしない。デートで行きたかった場所には行くことができたし、今日のところはこれで屋敷へ戻ることにした。領都は広い。近いうちにまた、別のデートスポットに行くとしよう。


 屋敷に戻ると、何だか雰囲気が違った。何と言うか、みんな明るいと言うか、安心したような表情になっていた。使用人たちもである。

 お土産を買ってきたことを報告して、サロンでお茶の準備を整えてもらっていると、すぐにイジドルがやって来た。


「ユリウス、聞いた?」

「何かあったの?」

「東の辺境伯様からの使者が来て、東の魔境に潜んでいた凶悪な魔物を討伐したんだってさ。これで森も安全になるだろうって言ってたよ」

「まあ、本当ですの?」


 キャロが歓喜の声を上げた。両手を口元に当てて、目は潤んでいる。それだけ心配していたというわけだ。その肩をアクセルがそっと抱きしめている。ヤダ、イケメン。だがしかし、確認しておかなければならないことがある。


「イジドル、余計なことは言わなかったよね?」

「余計なこと? アッ!」


 思い当たったのか、両手で口を塞ぐイジドル。その動きこそが良くないんだよね。ほら、ファビエンヌが目を細くして俺を見ているじゃないか。どうやってごまかそう。ネロの顔はスッと無表情になっている。イジドルもネロを見習いたまえ。


「……ユリウス様、今のイジドルさんの反応は何ですの? まさか私の知らないところで何かあったのですか?」

「いや、何もないよ?」

「ウソでしょう」

「ウソだ」


 キャロとアクセルが参戦して来た。その目は俺を疑うかのように半月のようになっている。キャロはすぐに使用人を呼び、どのような報告があったのかを聞いた。だがしかし、急ぎの報告だったみたいで、魔物の氾濫の引き金となったとおぼしき魔物を倒したとしか言わなかったようである。


「イジドルにお土産を買ってきたんだ。シュークリームだよ」

「わあい! ありがとう」


 棒読みのイジドルが座る。俺もミラを連れてイスに座る。すぐに使用人がお茶をついでくれた。紅茶も良いけど、久しぶりにコーヒーも飲みたいな。まだこの世界には出回っていないみたいだけどね。


「ごまかしましたわ」

「ごまかしましたわね」

「ごまかしたな」


 いまだに疑う三人は置いておいて、買ってきたシュークリームを食べる。うん、おいしい。ついさっき食べたばかりだけど、まだまだいける。


「何これ? めちゃくちゃおいしいんだけど!」

「イジドル、一人一個だけだからな。他の人の分まで食べるなよ」


 あきらめたのか、アクセルが席に座る。それにつられてファビエンヌとキャロも席に座った。

 これで良し。良い感じにうやむやにすることができたようである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る