第289話 まだ内緒

 カインお兄様とミーカお義姉様がまだダイニングルームに来ていないため、まだ夕食は運ばれて来ていない。それならばと、気まずい空気を打ち払うべく、お母様が動いた。


「せっかくだから、試し書きをしてみましょう!」

「そうですわね、お義母様!」


 それにきれいに乗っかるダニエラお義姉様。使用人もその空気を感じ取ったのか、アレックスお兄様が紙とインクの準備を頼むと、すぐに持って来てくれた。どうやらアレックスお兄様も同じ気持ちのようである。何とかお父様をごまかさないと。そんな感じだろうか。

 あ、お父様の眉間にシワが寄っている。そんな顔で俺の方を見られても困る。


「インクを吸入するんだったわね?」

「そうです。先端をインクにつけて、後ろのこの部分を回すのです」

「ほほう、もしかしてこれを作ったのはユリウスかな?」

「そ、そうですけど」


 眉間にシワが寄ったままの笑顔。めちゃくちゃ器用な笑顔なんですけど。これはあとで執務室に呼び出されるかも知れない。一瞬空気が固まったが、何事もなかったかのように試し書きが始まった。


「素晴らしいわね。お昼に試し書きしたときよりも書き心地が良いわ」

「本当ですわ。何だかが手になじむような感じがしますね」

「ありがとうございます。気合いを入れて作りましたからね」


 インクは途切れることなく紙の上に文字を作り出していった。それを見たお父様はこれが新型のペンであることに気がついたようである。


「これはインクが切れないペンなのかね?」

「これまでのペンよりは切れにくいと思います。ですが最初に行ったみたいに、インクを胴体部分に入れる必要がありますね」

「それでもこれまでのペンよりは使い勝手が良さそうだな。ところでユリウス、私にはないのかね?」


 ものすごい笑顔である。ここで答えを間違えたら終わるな。


「もちろんありますよ。ですが、この万年筆は作るのが大変でして、大量には作れないのですよ。明日中にはお父様の万年筆の用意できると思います」

「そうか。楽しみにしているぞ」


 ホッ。どうやらおとがめはなしのようである。たぶん内緒にしていたアレックスお兄様が小言を言われるんじゃないかな? お兄様の顔色をうかがうと青くなっていた。頑張れ、お兄様。


 そうこうしているうちに、カインお兄様とミーカお義姉様がやって来た。俺たちが団子のようになってワイワイしていることに気がついたようである。すぐにこちらに近づいてきた。


「みんなで楽しそうに何をやっているんですか? またユリウスが何か変なものでも作り出したのですか?」

「変なものとは失礼な。ちゃんとした実用性のあるものですよ」

「やっぱりそうなのか……」


 どうやらカインお兄様は冗談のつもりだったようである。でも悲しいけど、事実なんだよね。興味が湧いたのかミーカお義姉様がテーブルに近づいた。


「これは……ペンですか? 見たことがない形をしてますね。それにとってもきれいです。あれ? インクがなくても書けるんですか?」

「何だって?」


 ミーカお義姉様の声を聞いたカインお兄様もテーブルに近づいた。そして試し書きをしている二人の様子をしっかりと見ていた。ここまできたら内緒にしておく必要はないな。万年筆の仕組みを軽く説明しておいた。


「何ですかこれ? 聞いてないんですけど。これがあればインクを机の上にこぼして大変なことになることもないですよね。ガラスペンもすごいですけど、こっちはもっとすごいですよね? 聞いてないんですけど」


 カインお兄様にとって、とても大事なことだったのだろう。二回言った。自分たちだけが知らされていなかったことに気がついたのだろう。ムッとした表情をしてる。ミーカお義姉様はそのことにも気がつかない様子で、目を輝かせて万年筆を見ていた。


 気合いを入れて作った、特別仕様の万年筆だからね。キラキラしているし、アクセサリーが大好きな女性陣にとってはぜひとも欲しい一品なのかも知れない。


「安心して下さい。ミーカお義姉様の万年筆も作りますので、楽しみにしていて下さいね」

「ユリウスちゃん! ありがとう!」


 ムギュ! と音がしそうなほどの力強いハグ。どうやらコツをつかんできたらしく、顔がスポッと胸の間に挟まった。同時に完全に息ができなくなる。まずい。慌ててミーカお義姉様の腕をタップして解放してもらった。

 危ない、危ない。堪能している暇がなかったぞ。死ぬところだった。


「ユリウス、できればで良いんだけど、俺も欲しいなー」

「もちろん構いませんけど、カインお兄様の万年筆はロザリアに作ってもらったらどうですか?」

「え? ロザリアも作れるのかい?」

「もちろんですわ! カインお兄様の万年筆は私が作りますわ」


 これでよし。お兄様たちはロザリアにとても甘いから、こっちの方がよろこんでくれるだろう。ついでにお父様が自分の万年筆もロザリアに作って欲しそうな顔をしていたので頼んでおいた。どこの家でも娘には甘いみたいである。


 夕食が運ばれてきた。話題はもちろん先ほどの万年筆についてだ。構造が複雑で簡単には作れないことを強調しておいたので、無理を言ってくることもないだろう。そして商品として売り出すためにはかなりの時間がかかるはずなので、当面は受注生産になるだろう。


 あとはお母様がどのくらいの人に自慢するかだな。さすがに百人とかにはならないだろう。ダニエラお義姉様は万年筆を国王陛下に話すか迷っているみたいだ。今は簡易に作ることができるガラスペンを普及させたいと思っているようで、そのライバルになるものを封じておきたいようだ。


 何となく察したので、これ以上、気合いを入れた万年筆を作るのはやめておこうと思う。ファビエンヌ嬢へのプレゼントもおあずけだな。この件に関してはなるべく広めない方が良さそうだ。そのことはお母様も分かっていると思うんだけどなー。あの異常なハイテンションが怖い。あとでアレックスお兄様がガツンと言ってくれると良いのだけれど。

 俺は……恐ろしくて言えない。

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