第287話 おあずけ

 まごまごしていると、ネロが昼食を運んできた。ナイスだ、ネロ。これはこの話をうやむやにするチャンス。


「ありがとう、ネロ。ほら、ロザリアも一緒に食事にしようね」

「ユリウスお兄様、そのお胸のポケットに入っているものは何ですか?」


 ロザリアー! 空気を読むんだ。あ、ネロが表情を固くしてこちらを見ている。これはもうダメかも分からんね。


「ユリウス?」

「えっと、これは、その、万年筆と言いまして……」


 それから俺はアレックスお兄様に万年筆がどのようなものであるかを話した。それを興味深そうに聞いている女性陣。みんな身を乗り出していて圧がすごい。


「なるほど、大体分かった。食事が終わったらちょっと使わせてもらっても良いかな?」

「も、もちろんですよ。ほら、ロザリアも食べようね」


 あ、ロザリアが半眼でこちらを見ている。どうして私に何も言わなかったのか、と顔に書いてある。だってロザリアは魔石バーナーを作るのに忙しそうだったじゃない、と言い訳をしたかった。


 昼食はパンにハムや野菜を挟んで、マヨネーズのようなものを塗りつけたものである。手軽にどこでも食べることができるので、昔から貴族の間では大流行である。俺もサッと食べることができて気に入っている。


 その分、すぐに食事が終わってしまうのだけれども。すでに食事を終わらせたアレックスお兄様が万年筆の書き心地を試していた。何度も手元と万年筆を見ているので、たぶん気に入ったのだろう。


 続けてダニエラお義姉様が使ったのが、何だか楽しそうである。最後にお母様だが……返してとは言えない空気になっていた。真剣そのものである。ロザリアは自分の手元に来ないので口がガチョウのようになっていた。


「ガラスペンもすごいけど、この万年筆もすごいな。インクなしで書けるなんて、画期的すぎるよ」

「インクはペンの胴体部分に蓄えてあるだけなので、切れたら補充しないといけませんよ」

「それでも頻繁にインクを補充する必要はないのでしょう? やっぱりすごいわ」


 ダニエラお義姉様の目が明けの明星のように輝いていた。とても欲しそうである。これは作らないといけないやつだな。お母様の分も含めて。お姫様用なので、ゴージャスにしないといけないのか。大変そうだ。


「あの、良かったらみんなの万年筆も作りますよ? ただし、作りが複雑なのですぐには用意できませんが……」

「そうなのかい? それなら商品化するには少し時間がかかりそうだね」

「そうなりますね。なるべく簡単に作れるように改良するつもりですが、時間がかかると思います」


 どこかホッとしたような顔をするお兄様。どうにか一息つけそうだと思っているのだろう。あとはこれ以上負担をかけないように、妙な物を作り出さないようにするだけである。

 その後は液体のりの作り方や、ガラスペンの今後について話しておいた。


「液体のりを作るのはそれほど難しいわけじゃないみたいだね」

「そうですね。工房で使われている接着剤とは違い、だれもが手を出しやすいような形にしてます」

「なるほどね。今までは職人用の道具だったからね。それをみんなが使えるようにしたわけか。考えたね」


 実はそこまで考えていなかったりする。単に封蝋が面倒くさかっただけである。もちろんそのことは黙っておいた。


「入れ物を工夫すれば、貴族用と庶民向けに分けることができそうですわね」

「そうだね。貴族は庶民と同じものを嫌うから、分けた方が良いね。もっとも、まだ庶民で手紙を出す人はあまりいないだろうから、普及するまでには時間がかかるだろうけどね」


 そう言えば郵便は未発達だったな。庶民が手紙を出すには、色んな町を経由する商人にお金を渡して頼んでいる人がほとんどだ。なので、手紙を出す庶民は少ないだろう。

 その一方で貴族になればどんどん手紙を出す。使用人に頼んだり、早馬を出したりもする。何と言っても情報は武器になるからね。勢いのある貴族ほど、まめに手紙を出すのだ。


 どうやら液体のりはそこそこの数の生産で済みそうである。問題はガラスペンか。こっちは普及しそうだな。キレイだし、便利。これを機に、庶民の間でも手紙を書く人が増えるかも知れないな。


「一つ一つやっていくしかないね。ガラスペンの方はどうかな?」

「ロザリアが魔石バーナーを作っているので、すぐに作れるようになりますよ。まだ素材のガラスが届いていないですけどね」

「それなら明日、届くみたいだよ。職人を募集しているけど、さすがにまだ集まらないね。申し訳ないけど、今のところは二人に頑張ってもらうしかないね」


 しょうがないね。調理場では今も料理人たちがドライフルーツ作りに奔走しているはずである。俺たちも頑張らないといけないな。ガラスペンの素材は明日来るみたいだし、ファビエンヌ嬢へのプレゼントもおあずけだな。


 万年筆はとりあえず家族の分だけ作ることになった。売り出すのは当分の間はおあずけにするようだ。まずはハイネ辺境伯商会を軌道に乗せることを優先するみたいである。

 確かにその方が良いな。今のところ、どうなるのか先が全く見えないからね。体制作りにもまだまだ時間がかかりそうだ。


 食事を終えて工作室に戻ると、ロザリアは魔石バーナー作りを再開した。万年筆も作りたそうにしていたが、魔道具の魅力にはあらがえなかったようである。ロザリアは本当に魔道具が好きなんだな。


 俺と言えば、昼食のときに頼まれた万年筆を作ることにした。今度は金属で本体を作ろう。金メッキにすれば豪華に見えるはずだ。凝った装飾も施せば、ダニエラお義姉様に献上しても申し分ないものになるだろう。

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