第237話 領都に帰らせていただきます

 領都が本格的に雪に閉ざされる前に帰らなければならない。多くの貴族が社交界シーズンが終わってもしばらくは王都にとどまるのに対し、北の領地を持つ貴族は急いで帰らなければならない。それはハイネ辺境伯家も同じだった。


「あ、カインお兄様が帰って来ましたよ」

「カイン、遅いよ。何やってるの」


 ミーカお義姉様と別れるのが名残惜しかったのか、領都に出発する前日になってからようやくカインお兄様が学園から戻ってきた。


「申し訳ありません。その……」


 口ごもったカインお兄様。思わずアレックスお兄様と目を合わせた。どうしたのだろうか。まさか、王都に残るとか言わないよね? それも有りと言えば有りなのだが、それならもっと早く言うべきだよね?

 そんなことを思っていると、その後ろからミーカお義姉様がやって来た。


「アレックスお義兄様、ユリウスちゃん、お世話になりますわ」

「え?」

「ほえ?」


 ああ、なるほど。ミーカお義姉様も一緒に領都に来るつもりなのねってオイ。こっちの方こそ、もっと早く言うべきだよね!? どうするの、アレックスお兄様?

 驚いていた俺とは裏腹に、アレックスお兄様は実にイイ笑顔を浮かべていた。怖い。もうやめて。すでに室内の温度はもうゼロよ。カインお兄様の口元が明らかに引きつっている。


「カイン、そういう大事なことはもっと早く言うべきだよ」

「も、申し訳ございませんでした」


 平謝りするカインお兄様。どうするんだろう、これ。馬車がもう一台必要だよね? それとも無理やり五人で乗るつもりだろうか。それならネロをリーリエが乗っている馬車に移動させて、リーリエを膝の上に載せてもらえば……おや? もう二台馬車が来たぞ。


 馬車にはクリスタル伯爵家の家紋が掲げられている。クリスタル伯爵と言えば、王族が秘密裏に行動するときに使う家名だったよね? と言うことは、あの馬車には王族が乗っているのか~ってバカー!


 そんなことを思っている間にも馬車は止まり、すぐに踏み台が用意されると中からダニエラ様がにこやかな顔をして降りてきた。ダニエラ様だけだよね? おまけはいないよね?


「遅くなってしまいましたか?」

「いえ、何も問題はありませんよ。ちょっと想定外のことが起きていますが、問題はありません」


 想定外のこと、それはミーカお義姉様。馬車から出て来た大物にカインお兄様とミーカお義姉様が頭を下げた。俺も慌てて頭を下げた。どうもダニエラ様とは親しくさせてもらっているので警戒が緩いんだよな。王族だと言うことをしっかりと頭にたたき込んで置かないと。でももうすぐ本当のお義姉様になるんだよなー。どうしよう。


「皆さん顔を上げて下さい。それではお話ができませんわ。皆さんもご存じでしょうが、花嫁修業のために私も一緒にハイネ辺境伯領に帰らせていただきますわ。よろしくお願いね」


 聞いてないよ。俺は恐ろしく速い速度でアレックスお兄様を見た。そんなお兄様は「あれ? 言ってなかったっけ?」みたいな顔をしている。ミーカお義姉様の登場にも驚いたが、こっちもとんだサプライズだ。

 だがしかし、これなら馬車は何とかなるだろう。アレックスお兄様の顔にどこか余裕があったのはそのためだったのか。


 出発は明日である。二人の予期せぬメンバーが加わったが、急いで準備を進めた。カインお兄様もミーカお義姉様も荷物は少なかった。ほとんどの荷物は学園の寮に置いているそうである。それにしてもトランク一つはやり過ぎだと思う。剣は何本も持っているのに。


 夕食の時間に馬車の割り当てが決まった。クリスタル伯爵家の馬車にはアレックスお兄様とダニエラ様が乗り、ハイネ辺境伯家の馬車にはカインお兄様とミーカお義姉様が乗る。俺とネロは両方の馬車を行き来する。……どうしてそうなった。俺は監視役か何かか。


 翌朝、朝食を終えた俺たちは領都に向けて出発した。家令や使用人たちに見送られ、馬車が軽快に動き出した。手を振るタウンハウスのみんなに、馬車から身を乗り出して応えた。もちろんアレックスお兄様からは怒られた。危ないからそんなことするなって。

 いいじゃない。一度やってみたかったんだからさ。


「帰りに例の温泉の街に寄るつもりだよ。王都に来るときには温泉が枯れていて入れなかったからね。楽しみだよ」

「あら? 何かありましたの?」

「ああ、ユリウスがちょっとね」


 待って下さいアレックスお兄様。確かに俺がやったことではありますが、それをわざわざダニエラお義姉様に言う必要はないのではないでしょうか? そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、楽しそうにお兄様が「温泉街の奇跡」について話した。もう忘れて欲しいけど、伝説になってるんだろうな。湖の精霊、元気にしてるかな。見た目が完全に変態だったけど。


「やっぱりユリウスちゃんはすごいわね」

「そ、そんなことはありませんよ、ダニエラお義姉様」


 楽しそうに笑っている。どうやらお義姉様呼びをしてもらってうれしいようである。

 それは昨日の晩ご飯の出来事だった。俺が「ミーカお義姉様」と呼んでいることに気がついたダニエラ様が自分もお義姉様で呼んで欲しいと言い始めたのだ。そう言われてしまえば俺も従わざるを得ず、お義姉様呼びすることになった。


 その後は何かにつけて俺をハグしてくるミーカお義姉様をまねして、ダニエラお義姉様もハグしてくるようになった。何だろう、ミーカお義姉様にライバル心を持っているのかな? こちらとしては姉妹仲良くして欲しいんだけど。

 うらやましそうな目でこちらを見るアレックスお兄様とカインお兄様が印象的だった。「そのおっぱいは俺のだぞ」とでも言いたそうである。俺のせいじゃないぞ。


 午後からはハイネ辺境伯家の馬車に移った。午前中にアレックスお兄様から聞いた「温泉の街に寄る話」をすると、カインお兄様の顔が微妙な顔になっていた。俺と同じ当事者としてはあまり良い思い出がないのかも知れない。

 もしかしてあのことで、カインお兄様にお父様からお叱りの手紙が来たのかな? だったらすまないことをしてしまったな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る