第235話 雨降って地固まる

 名残惜しそうに空きビンを見つめるヘイデン公爵。子供か! 続けて魔法薬を飲ませるべく初級回復薬を薦めた。


「ヘイデン公爵、こちらの初級回復薬も甘くしてありますので、何も心配は要りませんよ」

「そ、そうか。ではさっそく……甘いぞー! 何だこれ、本当に初級回復薬なのか!? ん? 何と言うことだ。肺の、肺の痛みがすっかりとなくなっているぞ。あんなに苦しかったのに!」


 興奮したヘイデン公爵が周囲の生暖かい目にも気がつかずに立ち上がった。って言うか、肺に痛みがあるって、かなり末期の症状だぞ。なんでそうなるまで放置していたんだ。もう少し遅かったら手遅れになっていたところだぞ。


 俺の怒りが通じたのか、ジョバンニ様が厳しい顔をしてヘイデン公爵の方を向いた。良いぞジョバンニ! 俺に構わずヘイデンの野郎を折檻してやってくれ!


「感心しませぬな、ヘイデン公爵。そこまで悪くなっているのなら、すぐにでも魔法薬を飲むべきです。ユリウス先生がヘイデン公爵の病状に気がつき、かつ、治療に必要な魔法薬を持っていたから良かったものの、あと少しで命を落とすところでしたぞ」

「ユリウス先生……」


 ヘイデン公爵が神様でも見るかのような目でこちらを見ている。ジョバンニ、もうやめて。ヘイデン公爵の信仰心がストップ高よ!


「ユリウス、まさか……」

「違いますからね、お兄様。私がこの状況を想定していたとか、そんな事実は一切ございませんからね?」


 なおも疑いの目を向ける四人。ダニエラ様、アクセル、イジドル、お前たちもか。ジョバンニ様も「やり遂げた」みたいな目でこっちを見ないでよね。どうしてこうなった。


「いや済まぬ。ユリウス先生が怒るのももっともだ。本当に申し訳ない」

「い、いえ、あの、当然のことをしたまでですので、頭を上げて下さい!」


 公爵に頭を下げさせる俺。とんでもない子供である。しかもナチュラルに「先生」呼びされている。相手が身分が上の公爵なだけに訂正しにくい。


「しかし驚いた。まさか魔法薬がここまで進化しているとはな」

「そうでしょう、そうでしょう。表には出ていませんが、ユリウス先生のおかげで、この国の魔法薬は他国の追随を許さないほどのレベルに達しているのですよ」

「表には出ていない?」

「はい。私たちは前面に押し出したいのですが、国王陛下はユリウス先生がまだ子供であることを理由に、今しばらくは内密にしておきたいようなのです」


 良いぞ、国王陛下。ジョバンニ様よりもずっと頼りになるぞ。このまま信者に任せておいたら、とんでもないことになるぞ。

 納得したかのようにヘイデン公爵がしきりにうなずいていた。


「国王陛下のおっしゃることはもっともだな。他国にそのことが発覚して、ユリウス先生が狙われることがあってはならぬ。残念ではあるが、今しばらくは黙っておこう」


 とても残念そうな顔をしている新たな信者。ユリウス教へようこそ。でも信者は募集していないぞ。そして俺を崇めても、何の利益も得られない。


「アレックス殿にもお世話になった。貴殿が弟君を連れてきてくれなければどうなっていたことか。感謝してもしきれるものではない」

「とんでもございません。ですがヘイデン公爵家と縁を深めることができたのなら、これほどうれしいことはありません」


 雨降って地固まるだな。これまではヘイデン公爵家とは普通の付き合いだったのだが、これからはより親密な関係を築くことができるだろう。ダニエラ様も降嫁することだし、とても心強い後ろ盾になるのは間違いないな。


 お互いに握手を交わしてダンスホールへと戻ることになった。俺の役目は終わったと思うのでこのまま帰らせてもらいたかったのだが、そうは行かないようである。

 元気を取り戻したヘイデン公爵は先ほどよりもパワフルになって招待客と話していた。周囲の人たちも何かおかしいと思っていたのだろう。今ではみんなニッコニコで話している。


 ダンスの時間が始まった。最初はヘイデン公爵やダニエラ様からスタートだ。もちろんアレックスお兄様もである。だれもが二人の息ピッタリのダンスを見てため息を漏らしていた。もちろん俺たちも。


「すごいな、ダニエラ様」


 たゆんたゆんとダニエラ様の胸が揺れている。今日のダニエラ様のドレスではお尻のラインはほとんど確認できない。


「アクセルは尻派じゃなかったっけ?」


 そんな品のない話をしていると俺たちにも声がかかった。今日の夜会は子供たちも参加できる緩いダンスパーティーなのだ。同年代の子供たちの人脈を広げるべく、色んなご令嬢と無節操に踊った。これならだれそれをひいきしていたと言われることはないだろう。


 アクセルとイジドルも一緒になって踊った。もちろん、他のご令嬢について来た取り巻きとも踊る。将来、ハイネ辺境伯家で雇うのもありだな。どうしても女性の使用人も必要になるのだから。

 残念ながら使用人枠であるネロはダンスをすることができなかった。周りからはキャーキャー言われていたので踊らせてあげたかったんだけどね。しょうがないね。


「ずいぶんと楽しそうだったね」

「ええ、まあ、そうですね。もちろん品定めもしていましたよ?」


 帰りの馬車の中でお兄様とそんな話をする。そしてちゃんと仕事もしていたアピールもしておく。お兄様はダニエラ様としか踊らなかったからな。その間、俺のことを見ていたのだろう。ダニエラ様は都合上、何人かの貴族と踊ることになっていたみたいだけどね。

 もしかして、嫉妬したりしたのかな。お兄様はいつもにこやかな顔をしているので、表情の変化が分かりにくい。


「気になる子は居たかい?」

「特にはいないですね。でもこれからも社交界に参加することになりますし、広く縁をつないでおくことは大事だと思いました」

「なるほどね。ユリウスを連れてきて良かったよ。アクセルとイジドルもありがとう。疲れただろう?」


 話を振られて、ちょっと疲れた様子で座席の背もたれに倒れかかっていた二人の背筋が伸びた。


「いえ、そんなことはありません。得難い経験をさせていただきました。ありがとうございます」

「私もアクセルと同じ気持ちです」


 この短期間で二人のマナー力はかなり向上した。どこぞの貴族の下に付くことになっても心配は要らないだろう。二人は今後、生きていく上で必要になる力を得ることができたのだ。ちょっとスパルタ気味だったけどね。そこは許して欲しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る