第185話 ミーカ・ラニエミ子爵令嬢

 なんだかんだで時刻はお昼時になっていた。学園の廊下には、授業が終わった学生たちが笑顔で行き交っている。どうやら今のところ、流行病は深刻な問題になっていない様子である。


 俺はアレックスお兄様の後ろを黙って付いて歩いていた。いくつかの建物を抜けると、良い香りが漂ってきた。どうやら食堂は近いみたいである。廊下を歩く生徒の数が、心なしか減っているように思えた。

 そういえばカインお兄様が高位貴族専用の食堂があるって言ってたな。きっとそこに向かっているのだろう。


「ユリウスはここに来るのは初めてだよね」

「はい。カインお兄様と学園の見学に来たときは、主に外の施設を見て回りましたから」

「ふふふ、カインらしいね」


 アレックスお兄様の中でも、カインお兄様は脳筋気味だと思われているようだ。内よりも外を優先的に見せてくれたからね。そう思われても仕方がないか。

 食堂にたどり着くと、そこにはすでにカインお兄様がいた。その顔は月のない夜のように暗かった。


「カイン、待たせてしまったかな?」

「はい……いえ、今来たところです」

「カイン……」

「カインお兄様……」


 どうやらかなり追い詰められているようである。社交辞令すらもまともに出ないくらい思い悩んでいる様子だ。


「話は食事を食べながら聞くよ。まずは昼食を注文しよう」


 使用人に何かを指示すると、一つ礼をしてからどこかへと行ってしまった。どうやらこの食堂ではメニューから選ぶという選択肢はないようである。良く見ると、他のテーブルの上にもメニュー表はなかった。


「ラニエミ子爵令嬢の容体は良くないのかい?」

「ええ、まあ、そうだと思います。部屋に入らせてもらえませんでした」


 沈んだ声を出すカインお兄様。これは午前中の授業は完全に耳に入ってないな。

 部屋に入らせてもらえないということは、それほど容体が悪いのだろうか。これは一刻も早くラニエミ子爵令嬢のところに行くべきだな。


「あの、ラニエミ子爵令嬢は寮生活をしているのですか? 確か、王都に住んでいるのでしたよね」

「ああ、そうだよ。ミーカの強い希望で寮生活をしているんだ。一度、一人暮らしをしてみたかったらしい。学生のときくらいしか、機会がないだろうからってね」

「カインお兄様と同じですね」


 カインお兄様が照れ笑いしている。似たもの同士なのかも知れない。そこで気が合ったのかな。お互いに肩に力が入らない関係なのだろう。


「カインたちみたいに記念に寮生活を望む生徒は結構いるよ。もっとも、使用人付きだから、完全に一人暮らしと言うわけじゃないけどね」


 料理が運ばれてきた。昼食とは思えないほど豪華である。肉に野菜にパン。どれもが輝いているように見えた。この食堂は王族も利用するのだろう。それならこれだけ豪華な料理が出されるのもうなずける。

 ある程度、食事が進んだところで本題に入った。


「カイン、食事が終わったらすぐにラニエミ子爵令嬢のところに向かうよ。案内して欲しい」

「分かりました。一応、ミーカの使用人には午後から兄と弟が魔法薬を持って来ることを伝えてあります」

「ありがとう。あとは部屋の中に入れるかどうかだね」


 沈黙が下りる。これがミーカ・ラニエミ子爵令嬢の実家だったら、子爵に頼んで部屋に入れさせてもらえるのだろうが、ここは学園。さらに言えば、俺たちは女子寮に入り込まなければならない。


「あの、女子寮に入っても大丈夫なんですか?」

「本来はダメだね。そこをどうするか。カインはどうやって入ったんだい?」

「あの、ミーカのお見舞いという形で入りました。ミーカが風邪を引いているのは他の女子生徒たちも知っていることですので」


 ふむ、そうなると、カインお兄様とラニエミ子爵令嬢が良い感じになっていることは周囲に知れ渡っているということか。カインお兄様もイケメンだし、周囲の女の子たちは「キイイ」ってなってるかも知れない。

 もしかして、女子寮に乗り込むのは危険か?


「なるほどね。カインは午後からも授業があるんだよね?」

「ありますけど、ついて行きますよ?」


 語気が強い。一歩も引くつもりはないようだ。それもあって、朝に会うのは諦めたのかも知れない。その意志にアレックスお兄様も折れたようである。授業に出ないと言ったことをとがめることはなかった。

 まあ授業に出ても、気もそぞろだろうしね。それなら授業に出ないのと同じである。


「それじゃみんなで行くことにしよう。カインの案内が必要だからね」

「任せて下さい。それよりも、魔法薬の方はどうなりましたか?」

「大丈夫ですよ、カインお兄様。ちゃんと持ってきましたから」


 それを聞くと、安心したのか、カインお兄様の食べる速度が上がった。早く食事を終わらせて、早く行きたいのだろう。

 苦笑しながらも、それに合わせるようにアレックスお兄様が食べ始めた。俺も早く食べなきゃ。


「ここの三階です」

「ここか。さすがに私も入るのは初めてだよ。良くカインは入ることができたね」


 アレックスお兄様があきれている。女子寮の周囲にはグルリと高い塀があり、門の前には警備員が立っていた。男子寮にはなかったはずなので、ここだけのようである。

 門の鉄格子の間から見える中庭には花が咲いている。見ただけでもしっかりと手入れされていることが分かる。園芸は女性貴族の趣味としては一般的なものだ。きっと寮に住む生徒たちが手入れをしているのだろう。


「行きましょう。朝も来たので、警備員もこちらのことを分かっているはずです」


 ズンズン進むカインお兄様の後ろにアレックスお兄様と俺が続く。お昼の休憩の時間に寮に戻って来ている人もいるようだ。俺たちの姿を遠巻きに見ている。

 警備員に話をつけて中へ入れさせてもらった。女性の花園に入るのには勇気がいるな。


「何だか、良い香りがしますね」

「そうだね。独特の香りがする」

「こっちです、お兄様」


 脇目も振らず、まっすぐにその部屋を目指した。数人の女子生徒とすれ違ったが、みんながみんな驚きの表情だった。まさかここに男が入って来るとは思ってもみなかったのだろう。


 やがてカインお兄様は一つの扉の前で立ち止まった。扉の表札には「ミーカ・ラニエミ」の文字がある。

 トントン、とノックする。すぐに小さく返事が返ってきた。


「ミーカ、俺だ。カインだ。朝に話していたように、お兄様と弟が魔法薬を持って来た。この扉を開けて欲しい」


 一瞬の間があったが、扉が開かれた。ホッとした表情をするカインお兄様。そんなカインお兄様に続いて部屋の中に入る。中には一人の使用人と、ベッドの上に体を起こした女性がいた。


「ミーカ・ラニエミですわ。このような恥ずかしい姿をしていて、申し訳ありません」


 途中で何度も咳き込みながら挨拶をするラニエミ子爵令嬢。カインお兄様が目にも止まらぬ速さでラニエミ子爵令嬢に近づき、背中をさすっていた。いつの間に。

 うん、何と言うか、ビックリするくらい胸が大きい。あんまり咳き込むと、こぼれ落ちるんじゃないのか? それだけじゃない。スタイルもものすごく良さそうだ。

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