第160話 ジョバンニ・マドラス

 部屋の中で俺を待ち受けていたのは白髪交じりの群青色の髪を持つ初老の男性。ずぼらなのかファッションなのか、無精髭を生やしていた。


「待っておったぞ、ユリウス殿! 我が心の友よ!」


 そう言って俺を抱きしめてきた。身につけている深緑のローブは相当高級品のようで、フカフカとした素晴らしいさわり心地だった。それにしても、やけにジャイアニズムあふれる好々爺だ。


「ジョバンニ様、落ち着いて下さい。ユリウス様が困っておりますよ」

「えっと、ユリウス・ハイネです。しばらくの間、お世話になります」

「しばらくなどとは。ずっといても良いのだぞ」

「ジョバンニ様」


 冷たい声と冷たい目線がジョバンニ様に突き刺さる。それを見て冷静さを取り戻したのか、一つ咳をしながら俺を離してくれた。


「良く来て下さった。私は王宮魔法薬師団をまとめているジョバンニ・マドラスと申す者です。ユリウス殿に会える日を楽しみにしておりました」

「私もここに来る日を楽しみにしていましたよ」


 うん、社交辞令は大事だ。ケンカを売っても良いことなど何もないからね。ヨイショして良好な関係を構築していた方が何倍もお得である。


「ユリウス殿のことは『無欲の人』として、ここでは有名になっておりますよ」


 うれしそうにそう言った。無欲の人……たった今、打算したところなので心が痛い。

 どうやらここでは本当にそう思われているようである。俺をここまで案内してくれた人も、同じような顔をしてうなずいている。


 どうも万能薬の作り方を独占しないで公開したことがずいぶんと評判になっているようだ。そしてその万能薬を開発したことになっているお婆様はずいぶんと名を上げているのであろう。あの世でお婆様が微妙な顔をしていそうだ。


「マーガレット様が万能薬の作り方を秘密にしていたことはもっともなこと。これほど作るのが困難な魔法薬はありません。きっとより簡単な作り方を見つけようとしていたのでしょう」


 うんうんとうなずいている。そうだな、別のレシピを見つけないと無理だろうな。今の素材の組み合わせなら、今のやり方がもっとも簡単なはずだ。この世界にある未知の素材に期待だな。


「ずいぶんと失敗したと聞きましたが、どの辺りで失敗しているのですか?」

「それが、特定の段階ではなく、様々な過程で失敗しているのです。一向に対策が取れなくて困っておりまして……。そのお年で万能薬を作りあげた、マーガレット殿の孫であるユリウス殿なら何か分かるかも知れない。そう思って国王陛下に無理を言ってお呼びしました」

「なるほど」


 申し訳なさそうにしているジョバンニ様。何だか俺が叱っているような雰囲気になっているな。こんな場面を他の人に見られたら変なウワサが立ちそうだ。


「私にどれだけのことができるかは分かりませんが、できる限り協力させていただきますよ」

「ユリウス殿ならそう言って下さると思っていました。ありがとうございます」


 ウソではない。ここで何とか万能薬作成の成功率を上げておかないと、領都で落ち着いて魔法薬作成に打ち込むことができない。万能薬の作成を全面的に俺に頼られることになったら、俺の存在価値が上がってしまう。そうなると色々と面倒なことになりそうだ。




 お互いに挨拶が終わると、施設内を案内してくれることになった。王宮魔法薬師団というが、その役職にあるのは全部で十五人しかいないらしい。ここで作られた魔法薬は全て王家が保有し、王家のために使われることになる。つまり、外に売り出しているわけではないので、この人数でもやっていけるそうである。


 どこに行っても熱烈な歓迎を受けた。彼らは魔法薬の作成だけでなく、魔法薬の研究も行っているらしい。しかし、新たな魔法薬を開発するのは容易なことではないらしく、なかなか成果が出ていないそうである。


 そこでもたらされた「万能薬の作り方」は非常に画期的で、雲の上から世界を見下ろしたかのように、魔法薬に対する見方が広がったそうである。すごく大げさなことになっているな……。


「ようやく挨拶回りが終わった」

「お疲れ様でございます」


 思わず出てしまった独り言を使用人が拾った。最初に案内された客室に戻ってきたが、まだアレックスお兄様は戻って来ていないようだ。

 午前中はあまりの大歓迎ぶりに気疲れしてしまった。だが午後からは別の気疲れをすることになるのだろう。それも午前中よりも嫌な気遣いをすることになりそうだ。このまま帰れたら良かったのに。

 お茶を飲みながらホッと一息ついているとアレックスお兄様が戻って来た。


「どうだった、ユリウス?」

「熱烈な歓迎を受けましたよ」

「そうだろうね。しばらくの間、王宮魔法薬師の人たちが夜遅くまで興奮して何かをやっていたみたいだからね」


 苦笑するお兄様。きっと苦情が出たのだろう。あの歓迎っぷりを見たらそうだろうなと思う。

 お兄様が戻ってきてからすぐに昼食に呼び出された。ここで食べるのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。お兄様は知っていたらしく、特に気にすることなく部屋を出た。


「お兄様、昼食をどうするかのお話もダニエラ様となさっていたのですか?」

「まあ、そうだね。どこで食べるか、だれと食べるか」


 どうも歯切れが悪い。きっと俺とクロエ様をどの場面で会わせるのかを考えていたのかも知れない。そしてどうやら昼食の席で会わせることにしたらしい。これは料理の味が分からなくなるかも知れないな。


 お城の使用人は俺たちをさらに王宮の奥へと連れて行った。ここはすでに王族しか出入りできない場所である。以前も来たことがあるが、独特の雰囲気がする空間だ。

 ダイニングルームらしき部屋が見えて来た。そこでは何人もの使用人が行き交っている。

 手汗がすごいことになってきたぞ。一体クロエ様に何を話せばいいんだ? 俺はどうすればいい? 何が正解なんだろうか。

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