第129話 スパイ

 その日、夕食の席が終わったあとで、俺はお父様に一つの報告を上げた。それは競馬の警備員として雇っている冒険者から聞いた報告だった。

 怪しい人物がいる。

 それは領都を自由に動き回っている冒険者だからこそ気がついた、小さな違和感だったのだろう。


 どんなに忙しくても、お父様は執務室で一日の報告を受けていた。その場にいたのはお父様の他に、お母様とライオネル、そして数人の忠実な部下だけである。


「ご苦労だった。その冒険者には褒美を与えておいてくれ」

「心配は要りませんよ、お父様。すでに与えておきましたので」


 俺はお父様にニッコリとほほ笑んだ。与えたのは俺が作った魔法薬の詰め合わせだ。ものすごい勢いで喜んでいた。ガッツポーズがすごかった。もちろん、作ったのは俺じゃなくてお婆様ということにしているが。


 ハイネ辺境伯家で使っている魔法薬がすごいというウワサを聞いていたのだろう。周りの冒険者もそれを見ていたので、今頃血眼になって領都中を探しているかも知れない。


「そうか、助かる。ようやく尻尾がつかめそうだな」


 お父様が深いため息をついた。この感じだと、国が調べている方面ではあまり成果が得られていないようである。さすがにこれ以上、他国との関係に首を突っ込むのは良くないと思ったので黙っていた。


「聞いた話を総合すると、どうやら領内を調べているようですな」

「そうだな。どこまでつかんでいるかは分からないが、もしかすると、万能薬の出所を探っているのかも知れん」


 ヒュッとお母様が息を吸い込んだ。美しいその顔色がみるみるうちに青くなってゆく。そんなお母様を安心させるようにその手を握った。さすがにそこまでバレていないと思いたい。


 恐らくは国王陛下が無事だったので、どこかに強力な解毒剤があるとにらんだのだろう。そしてそれがある可能性が高いのが、国の高位魔法薬師であったお婆様が住んでいたこの地である。それで調査に来たのだろう。

 もしかすると、他の高位魔法薬師のところにもスパイが潜り込んでいるかも知れないな。さてどうするか。


「お婆様が残した魔法薬を探りに来ただけかも知れませんよ? その怪しい人物は、領都の魔法薬ギルドでたびたび見かけたって言ってましたからね」

「なるほど。そうなると、万能薬の存在はまだ知られていないか。だがそうなると、屋敷内にその魔法薬があるのではないかと思われるかも知れないな」


 うーん、それは困ったぞ。将来的に泥棒、もしくは襲撃されるってことになるよね。可能性としては泥棒かな? さすがに襲撃できるほどの人を秘密裏に集めるのは無理だろう。どこかにあると言われている怪盗ギルドに頼むのかも知れない。二十面相的なやつが来るのかな? 何か嫌だな。


「スパイが屋敷に潜り込もうとしているかも知れません。警備と身分証明を徹底します」

「そうしてくれ、ライオネル。当面は新たな人材の雇用は無理だな。だが、いつまでもそうしてはいられん。さてどうするか……」

「囮作戦はどうですか? 私が囮になりますよ」

「ダメよユリウス!」


 ぐえ。お母様が抱きついてきた。窒息死する! おっぱいで窒息死する! バンバンと二の腕をたたくが、お母様は全く気がついていない。それに気がついたのはライオネルだった。


「奥様、落ち着いて下さい!」


 そう言って何とか引きはがしてくれた。今度からお母様の近くに座るときは発言に気をつけないといけないな。さすがにまだ死にとうない。


「ユリウス、アメリアの言う通りだ。お前を囮にするわけにはいかん。囮になるなら私がなろう。何、私に万が一のことがあってもアレックスがいる。問題はない」

「イヤイヤイヤイヤ! 何言ってるんですかお父様! 領主自らが囮になってどうするんですか!」

「だがしかし」


 だがしかしではない。一体何を考えているんだ。もしかしてお母様からホールドされたかったのかな? それなら一体どうすれば。囮、俺たちの代わりに囮……そうだ!


「お父様、お婆様からいただいた本の中に、変身薬の魔法薬の記述がありました。それを使いましょう!」

「変身薬?」

「そうです。自分自身の姿を、特定の姿に変えることができる魔法薬です」

「そ、そんな物があるのか!?」


 もちろんそんな魔法薬は本には書かれていない。これから書くのだよ! あとからなら何とでも書ける。うん、何だかいそうな気がして来たぞ。


「変身薬はあります。それを使って、だれかに私の姿になってもらいましょう。それなら囮作戦でも構いませんよね?」

「うむ、そうだな……」


 お父様があごに手を当てて考え込んでいる。ラザール帝国とルンドアル王国の問題を長引かせるわけにはいかない。早いところ、隣国のルンドアル王国との結びつきを強めて、ハイネ辺境伯領の安全を確保せねば。


「囮役は私がなりましょう。その変身薬を飲めば私もユリウス様と同じ姿になれるのですよね?」

「そうだよ。ライオネルなら安心だね。あ、でも手足が縮むから、いつも通り動くと転ぶかも知れないよ?」

「ハッハッハッハ、そのような心配は要りませんよ。そんな軟弱な鍛えかたはしておりません。いつ、どのような姿になっても十全に戦えるように、日々訓練をしておりますので」


 自信たっぷりにライオネルが言った。それに勇気づけられたのか、お父様が顔を上げ、ハッキリと宣言した。


「ユリウスの案を採用する。ユリウス、変身薬の準備を頼む」

「お任せあれ!」


 やったぞ! お父様の命令で魔法薬の素材を買い集めることができる。ここはやはりバレないように、その他の素材も買っておくべきだろう。うっしっし。


「大丈夫かしら? ユリウスが変な顔をしているわ」

「へ、変とは失礼な。大丈夫ですよお母様!」


 俺は上機嫌で答えたが、お母様の疑惑の目が晴れることはなかった。

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