第106話 手ほどき
「ミラ、濡れたらダメだって言ったよね?」
「キュ?」
聞いてないよとばかりに首をかしげるミラ。そのかわいらしい仕草に思わずほほが緩みそうになったのを両手で押さえた。
言った。確かに言ったはずだ。
「ミラ、言うことを聞かないんだったら、檻に入れることになっちゃうよ?」
「キュ~!」
ミラが悲しげな声を上げた。ちょっと脅しただけなのにこの罪悪感。聖竜の声には人の心に作用する何かがあるのだろうか? それを聞いたロザリアが飛んできた。
「お兄様!」
「いや、別にミラをいじめているわけじゃないから」
ロザリアにことの次第を話すと「自分がミラを手放したのが原因なので、ミラは悪くない」の一点張りだった。その様子はまさに妹をかばう姉そのものだった。妹か弟が欲しいって言ってたもんな。夢が叶ってうれしいのだろう。
だがそれはそれ、これはこれである。ロザリアも含めて怒ることになった。子供をしつけるのは大変だな。
「これで少しは成長してくれると良いんだけど……みんなロザリアには甘いからな。俺も含めて」
ゴロリとベッドに横になっていると、ミラがフサフサの頭を押しつけてきた。その頭をなでていると、疲れが取れてくるような気がする。癒やし効果でもあるのかな?
数日後、お父様から手紙が届いた。禿げ山の件はお父様がハイネ辺境伯領に帰って来てから正式に処分が下されることになるようだ。木がポンと成長したことについては特に触れていなかった。ちょっとあとが怖いぞ。
お父様たちが帰って来るまでにはまだ半月ほど時間がある。今頃王都ではあちこちでパーティーが開かれているはずだ。社交界シーズンの終わりには、大きなパーティーがいくつも開催されると聞いている。それが終わるまではお父様たちも帰ることができないだろう。
「お兄様、今日はエドワード様のところに行って来ますわ」
「気をつけて行って来るんだよ。迷惑をかけないようにね。それからミラは置いていきなさい。まだ領都の中を連れて行くのは早いからね」
ミラをしっかりと抱え込んでいるロザリアにそう言った。ミラのウワサは貴族たちの間には広がりつつあった。予定通りである。あとはそこから領民にも広がっていけば、ミラが道端を歩いていてもそれほど騒ぎにはならないだろう。それまでは辛抱だ。
「分かりましたわ」
ロザリアは素直に言うことを聞いてミラを手放した。自由になったミラが俺の膝の上に飛んでくる。それを見届けると、ロザリアは出かける支度を始めた。
さて、俺も準備をしなくてはならないな。今日はファビエンヌ嬢がやって来る日なのだ。もちろんその目的は、俺から化粧水とハンドクリームの作り方を習うためである。
あれからファビエンヌ嬢は魔法薬に興味を持ってくれたようである。時間があるときに手ほどきをしてくれないかとお願いされたので、二つ返事でOKした。
ついに俺にも魔法薬仲間ができたぞ。これほどうれしいことはない。
ロザリアがエドワードの実家であるユメル子爵家に出発したのを見届けると、ファビエンヌ嬢を迎える準備を始めた。ほとんどの準備は昨日のうちに終えているので、あとは最終確認をするだけだ。
「準備は良さそうだな。ミラ、良い子にしてるんだよ」
「キュ」
神妙にうなずいた。マルスさんがいるから、ミラのことは任せてしまって大丈夫だろう。さすがに調合室には連れていけない。危険な道具がいくつかあるし、火を使う作業が多いからね。火傷でもしたら大変だ。そう言えば、聖竜に回復薬って効くのかな?
そうこうしているうちに、ファビエンヌ嬢が到着したという知らせが来たので、急いで玄関まで迎えに行く。
「ようこそ、ファビエンヌ嬢」
「キュ」
「本日はお世話になりますわ」
ファビエンヌ嬢が美しい礼をする。思わず見とれてしまうほどだった。ボーっとしていたところをミラにつつかれて、あわてて調合室へと案内した。
そうだった。今日はファビエンヌ嬢に調合の手ほどきをするんだった。なるべく早く興味がある方向に持って行った方が良いだろう。調合室に入ると、そこにある装置類を見て驚いたような声を上げた。
「魔法薬ギルドで装置を見たことがありますが、組み合わさるとこのような形になるのですね」
「売られているのは装置だけですからね。組み合わせ次第で色んな形になるのですよ。ファビエンヌ嬢、これをドレスの上から着て下さい。素敵なドレスが汚れるといけませんからね」
そう言って作っておいた白衣を差し出した。機能性を重視したシンプルな作りである。リボンやフリルなどはついていない。だがしかし、しっかりと服を汚れから防ぐことができるようになっている。
「ありがとうございます。なるほど、これを身につければ汚れを気にしなくても済みますね」
本当は汚れても大丈夫なツナギなんかに着替えて欲しいのだが、さすがにご令嬢にそんな格好をさせるわけにはいかない。そしてそれは俺も同じであった。汚れてもいい服の方が捗るんだけどな。
俺もファビエンヌ嬢と同じタイプの白衣を身につけた。お揃いである。
「それでは簡単なものから作ってみましょうか。魔法薬を作るのは違法になりますが、中間財を作るだけなら大丈夫ですので。まずは全ての基本である蒸留水を作ってみましょう」
「よろしくお願いしますわ。その蒸留水も化粧水の素材になるのですか?」
ファビエンヌ嬢が首をかしげている。何だろう、これまでもキレイだったけど、さらに磨きがかかっているような気がするぞ。化粧水のお陰かな? それに何だか良い匂いがする。ちょっとドキドキしてきた。
「蒸留水は全ての魔法薬で使うと言ってもいいほど、色んな魔法薬の素材になっているのですよ。もちろん化粧水の素材にもなりますし、ハンドクリームを作るときにも利用しますね」
「そうだったのですね。どうやって作るのか、ちょっと楽しみですわ」
目を輝かせてそう言った。その期待を裏切らないように、装置の使い方と作り方を教えた。蒸留水を作るのは難しくないので、すぐにファビエンヌ嬢でも作ることができるようになった。
ファビエンヌ嬢は初めて自分で作った蒸留水を見て小躍りしていた。つかみはOKのようである。
次はその蒸留水を使って、実際に化粧水を作ることにした。自分の力で化粧水を作ることができたという体験は、きっとファビエンヌ嬢に良い影響を与えてくれるはずだ。
片手鍋に蒸留水を入れて、薬草を入れて。前回俺が作ったときと同じ手順で作っていく。完成した化粧水をおしゃれな小瓶に移せば完成だ。
小瓶は今回のために特別に用意した。前回使った小瓶は鳥の装飾だったのだが、今回はファビエンヌ嬢が大好きなお花の模様をあしらっていた。この小瓶を見たファビエンヌ嬢は、目を大きくさせて、時が止まったかのように見つめていた。
「これで完成です。実に良いものに仕上がりましたね」
「こんなかわいらしい小瓶があるとは思いませんでしたわ。この小瓶はどこで見つけたのですか?」
ファビエンヌ嬢がキラキラと目を輝かせてこちらを見つめている。ああ、どうしよう。正直に言うべきだろうか。言うべきだろうな。
「この小瓶は私が作ったのですよ。ファビエンヌ嬢が喜ぶかなと思って……」
「まあ」
開いていた目がさらに大きく見開かれた。そのほほはピンク色に染まっていた。そんなファビエンヌ嬢の顔を見た俺は、追加の小瓶をプレゼントすることを決意するのであった。
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