ロコノミシリノ⑥

「どうぞー」


スライドドアの向こうからくぐもりつつも鈴が転がるような声が聞こえた。


あぁ、生で聞くのは久々だな。


いや~、思ったより時間かかっちゃったよね~。


病院の清潔な香りの中に彼女の匂いが混じる。


「お、おじゃましまーす……」


「すみません、面会謝絶なんですけどー」


「ま、まぁまぁそう言わずに……」


顔を見るなり不機嫌MAXだった。


お兄さんから入院した、て聞いて連絡しようとしたら『来るな!』ってメール来てたしね。


「死ぬ前に面でも拝んどこうってわけ?」


「そ、そういう事言わないでよ……」


ズキズキと胸が痛む。


「……!う、嘘よ、神林に……こんな姿……見られたくなかったの……!」


あの日からまともに顔を合わせて話すのは今日が初めて。


電話やメールのやり取りはあったけど。


前は家にまでズカズカ来てたのに、おかしいとは思ってたけど、単純に体力がなかったからみたい。


「あれ?眼鏡掛けてるの?」


「あぁ、これ?そう。前にパソコンの画面も見辛くなったから作ったの。今も書いてる途中だったし」


そういえば、備え付けのテーブルにノートパソコンが置かれてる。


閉じられてるけど。


「ふむぅ、ロコノミ氏の書きたてホヤホヤ……」


「見せるわけないでしょ」


「ちょっとだけ!」


「最後に見直ししないと誤字とか結構あるんだから」


「それはそれで、ロコノミ氏萌え~ってなるけど」


「作品の世界観壊れるから嫌なの。読者に指摘されるのだってショックなんだから」


「黙ってたほうが良いの?」


「速やかにこっそり教えてっ」


「はーい」


まぁ、確かに突然誤字あると冷めるのはあるけど……。


「それで、今日は何の用なの?」


眼鏡を外す仕草も美しい。


そして眼鏡姿も良いけど、やっぱり素顔は素晴らしいね。


「見惚れてるだけなら帰ってもらいたいんだけど」


「はっ。こ、こほん。PCがあるならちょうど良いや。はい、これ」


そう言って、机の上に置く。


「これは、USB?」


「そ、そ。ま、中を見てみんしゃいな」


「ウイルス?」


「そんなことしません」


こころんはUSBをノートPCに挿して開く。


PCロックのパスワード見ようとしたら、残念ながら指紋認証だった。


心の中で舌打ちをした。


そしてちゃんとUSBをウイルスチェックに掛けられる。


「いや、だからそんなことしないって」


「本人の気づかないうちに、というのもあるでしょ」


「そっすね」


そう言われたら何も言い返せないっす。


そうこうして、やっとファイルが開かれた。


「はぁ……!」


言葉もなく、ため息とともにみるみると笑顔になっていく様に私もにまにましてしまう。


あぁ、可愛い、眼福……!


これで苦労も報われるってもんよ。


でも、この笑顔が本題じゃないんだけどね。


「ねぇ、これってもしかしてオリジナル?」


「……そう」


「どうしたの急に?オリジナルは描けないんじゃなかったの?」


「心境の変化……かな」


頬をポリポリ。


嘘ではない。


へぇー、ふーん、と画面に近づいて見たり、離れて見たり、そんなテレビに映ってる人の毛穴まで見てやろうっと食い入るように見てる。


そんな風に見られると恥ずかしいけど、自分も神絵にはそんな感じだからなんとも言えない。


なんとなく背中がむず痒い気がする。


「ね、ねぇ、もっと見たい?見たくなったりする?」


「そりゃ……見られるなら嬉しいけど、これを見れただけでもすごく嬉しいかな」


「そ……そっか……」


後ろに回してる手を握りしめる。


これでもダメなんだ……。


あと、私にできることってなんだろう……。


「なに、もっと描いてくれるの?」


「こころんが……望んでくれるなら」


「うーん、じゃあねぇ……見たいのがあるんだけど」


「なになに!?」


「ちょ、近いっ」


「ううん、大丈夫」


フンス、フンス。


病院で薄まってたこころんの香りが鼻を満たす。


「何が大丈夫かわからないけど、私が嫌なの!」


ベッドに乗り出していた体を押し戻される。


あぁ、こころんの香りが遠のく……。


もう、こんなに近づかなければ感じられないんだ。


「それでね、見たいものっていうのは……」


「いうのは?」


「漫画が見たい。私の話の。あなたが描いた」


「漫画……かぁ……」


今まで描いたことがなかった。


だから、描けるかどうかもわからない。


でも、言えることはある。


「必ず描くよ」


「うん、ありがとう」


「だから……」


「だから?」


「生きてよ!精一杯あがいてよ!諦めないでよ!」


「……」


ずっとそんな意志は見せなかった。


最初からいなくなること前提で話してた。


お兄さんもご両親も諦めてないのに本人が諦めてた。


「ねぇ、こころん」


「……」


俯いて髪に隠れた表情は見えない。


「……い」


「ん?」


ボソボソと何か言ってる。


「……さい」


「こころん?」


「うるさい!!!!!!」


その声はシンとしている病室中で壁や天井を破壊する勢いでぶつかるように響いた。


「わっ」


そしてガッ、と襟元を掴まれてこころんの綺麗な燃えるような瞳で睨みあげられる。


「あんたに何がわかる……!」


「くる……し……」


呼吸が苦しくなるほどその手には力が籠もっていた。


こんな細い腕のどこにそんな力があるんだろう。


「私が……私が……何も考えず気にせず苦しまずにいたとでも思ってるの……!?」


その瞳にただ魅入られる。


「自分の死の宣告を受けて私だって最初は何もできなかった。ただただ絶望してた。ぼんやりと思っていた将来を全部消されたんだ!」


燃えるような瞳が潤みだす。


「だからしたかった事をツラツラ書いた、そしたらいつの間にかファンが付いてた、続きはいつですか、新作楽しみにしてますって!……嬉しかった、でも苦しいんだよ」


そうか、こころんにとって書くことは……。


「私にはこんなにしたかったことが、夢見てたことがどんどん溢れ出してくるんだ。でも、どうしようもないんだよ。私の頭の中の空想でしかないの、実現することなんてこれっぽっちもない、ありえない」


「ごめ――」


「謝るな!そんな同情がほしいわけじゃない。ただ、小説のおかげで私がただの不幸な少女のまま死ななくても済む道を示してくれた。少しでも、私のことを多くの人に知ってもらえた。これは普通に生きてたらきっと味わえなかった。ロコノミは生まれなかった。だから、今の私があるのはこの運命のおかげなの!」


こころんはロコノミとして死にたいんだ……。


「そして、あんたが私の小説の世界を絵にしてくれた時、これが私の見たかったものだって、思った。だから……だから……」


締め上げてた力は緩まり、その腕は震えだす。


「嬉しかったの。叶わないとありえないと思っていた夢が……神林のおかげで叶ったのっ……」


涙を流しながら、くしゃくしゃな笑顔を見せる。


「こころん……」


「私は死んでもロコノミは死なない。世界から忘れられない限り。それでも、こうして神林とリアルで出会えたのも運命なら、神林にお願いがあるの」


「何?」


「どうか、私の代わりに私が思い描いた世界をどんどん世界に広めていって。ロコノミを少しでも長く、この世界に残して」


「え?」


それはあまりにも大きくて、とてつもなく重い、想い。


「だから、漫画が良いかなって。そうしたら原作と作画、てなるじゃない」


「でも……」


「いやも、でもも、その他拒否も受け付けないんだから。遺書にも書く、神林に私の公表してない作品全部あげるって」


「えぇ……」


こんなやつにそんな大役を任せるなんて……。


「もっと自信を持ちなさい、神林は充分すごい、この私が保証する。この絵だってそう、この絵から話を書きたいくらいだもの。あなたが描く世界が私の、ロコノミの世界だから」


トス、と拳を胸にぶつけれる。


「う―ん……」


「じゃあ、しょうがない、とっておきのものもあげるわよ」


「とっておき?」


「そう、もう私のために生きていくしかない、て思っちゃうようなもの」


「それって呪いなん――」


「んっ」


チュッ、と音を立てて柔らかくて温かい感触が唇を離れた。


「え、あ、いえ、あ、いぇ?」


頭の中が何も処理できない。


何が起こったのかもよくわからない。


「私のファーストキス、どう?」


「ふぁ!?」


「ま、もちろん神林もファーストキスだろうから、お互い様だけど」


「き、き、き、きききき、キッス!??!?!?!?!?」


え!?こころんが!?私と!?ワタクシメなんかと!!?!??!?!?


「女の子同士ならスキンシップなのかと思ったけど、やっぱり恥ずかしいものね。うん、次のネタに活かせそうね」


「なんでそんな冷静なの!?」


「ばーか、これでもドキドキしてるんだから」


指を頬に当てて悪戯っぽく笑みを作る。


かわいいなーもー!


「だから、あなたは絶対覚えていて。私のこと。ロコノミとしても美野こころとしても」


「うん」


そして、こころんをそっと抱きしめる。


「忘れない。忘れるわけない。こんな美少女のことを」


「そうね、あなたとこんな美少女とは一生縁がないでしょうしね」


「仕方ないよ、こころんと比べたら誰だって見劣りしちゃうもん」


「……!」


初めてこころんを恥ずかしがらせることに成功した。


もちろん私も恥ずかしかったけど。

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