第三雨

カーテンを開けば、外では大粒の雨が降っていた。誰かの涙がこの雨を創るのだろうか。もしそうだとしたなら、この世界のどこかで今、誰かが泣いているのだろうか。そんな詩的な、馬鹿らしい思考を頭を振って追い払う。こんな人らしい感傷なんて、とっくに忘れたと思っていたのに。




彼、青木圭あおきけいを助けた日から3カ月が経っていた。中々に忙しい日々を送っているらしい彼はあの日、朝ご飯を嬉しそうに食べた後掛かってきた電話に呼び出され、早々に我が家を飛び出して行った。私の手元に残ったのは、半ば強引に交換されたメッセージアプリの連絡先と、シルバーのネックレスだけだった。

ネックレスはドッグタグのようなもの、というかそのものだ。


[Kei Aoki Blood type:A 1995/5/8]


とだけ刻印されているタグ、それが2つ、ペンダントトップとしてぶら下がっている。なぜこんなものを持っているのか分からないが、次に会う時に返さなくては。

........去り際に首にかけられ、『外さないでね?』なんて言われてしまえば、流されやすい私はその場で突き返すことができなかった。というか、あんなに寂しそうな、心細そうな眼をされたら、誰も突き返すことなんてできやしないだろう。

まあ良いこともあった。彼の誕生日を知ることができたのだ。私は1996年の1月8日生まれということにしているから、誕生日は彼の方が早かったみたいだ。

来年は。

祝ってあげられるかな、なんて、思っていたのに。





­­--­­--❖­­--­­--





そんな感情をもてあますようになり、気持ちを自覚するに至ったのは、彼を助けて一ヶ月ほど経っただけの、とある弱雨の降る日。二ヶ月ほど会っていなかった友人の言葉だった。


「そいうえばあおい、この二月でなんかあった?」

「え?」

「なんかねぇ、一気に綺麗になった。もしや男か?男なのか??」


ほれほれ〜、さっさと吐きな〜?と頬をぷにぷにされる。


「そんな訳........ぅああ」


心当たりなんて無いと思っていたが、ひとつだけあることに気付いてしまい、変な声が出る。それを聞いて色めき立った友人が畳み掛けてきた。


「え? これはまさかの? えっねぇねぇどんな子? イケメン? とりあえず写真無い?」

「そうだ君面食いだったよ」

「もっちろん! 男は顔が良くてナンボよ!!」

「そのスタンスで何人と付き合ってきたn「んー、今世は15人くらい?」もう何も言わないけど........」


何度も振られて酷い目に遭っているはずなのに、懲りない友人だ。毎度毎度対応させられるこちらの身にもなってほしい。ずっと前からしていることだから、もう慣れっこになってしまったけれど。


その頃、彼は2、3日に1回の割合で我が家を訪れ、お土産〜と言いながらケーキやお惣菜をくれたり、私が夕食をご馳走したりする関係になっていた。お隣さん同士、という関係が友達、くらいになったのだろう。相変わらず忙しいようで、唐突に訪れては数時間で帰って行くので、毎度毎度私はドッグタグを返すタイミングを逃してしまう。もう少しいても良かったのに、と感じることが多くなっていたが、この気持ちに『友達だから』という理由だけで説明をつけられると思っていた。いや、決定的な言葉で名前をつけられるのに、目を逸らしていたという方が正しい。





居心地の良い関係を、壊したくなくて。


私の『嘘』に、気付かれたくなくて。


また、おいていかれたく、なくて。


おいていかれるくらいなら、自分からおいていきたかった。






­­--­­--❖­­--­­--






彼を助けて二ヶ月が経った頃、その瞬間は唐突にやってきた。

その頃には、気の置けない友人、くらいの関係になっていて、お互いに名前で呼び合っていた。

小雨がベランダへ吹き込み、窓に水玉模様を作っているのを、カーテンが覆い隠す夕方。


「ねぇ、葵さん?」

「どしたの圭くん、晩ご飯ならあと10分でー、.........」

「ご飯の後。ちょっと、良い?」


ご飯の催促かと思って軽く返せば、思いのほか真剣な声音が返ってきた。ちょっと格好良いな、なんて思った感情に蓋をして、晩ご飯を済ませる。いつもうるさいくらいに喋る圭が静かだから、調子が狂うな。


「........で? どうしたの、圭くん。」


食後のコーヒーを淹れ、彼の前に置きつつ問いかける。ミルクとコーヒーが2:8、シュガースティックは袋の半分のものが彼、ミルクとコーヒーが3:7、砂糖は彼の残りを入れた分が私。この二ヶ月で完璧になった淹れ方なんだよね、これ。


「え、と」

「んー?」


いつも自信ありげに話す圭は本当に静かで、なにか変なものでも食べたのではないかと心配になるくらいだ。私の作った先ほどの夕食にはなにも変なものは入れていない。ならば昼食か、はたまた朝食か........と、とりとめのない思考に沈み始めた私に、圭はどこか悲愴な、覚悟を決めたような顔で眼を合わせた。


「あのっ、俺たち、まだ出会って二ヶ月なんだけど。

 好きです!!

 つ、付き合って頂けませんか!!」


言い始めた顔は、頬と耳が紅くなり、なんとも可愛らしいものだった。中学生かと言いたくなるほどに初心な告白だが、元々の顔が整っているだけに、破壊力がえげつない。やばいぞこれは母性とやらが目覚めそうだ........というか変な扉を開きそうだからちょっとやめてくれないか圭さんや?あれこんなこと前にもあった気がするなでもそんな人の子なんていなかったはずなんだが????

と、脳内は大混乱してしまい、冷静沈着を身上とする私の口から零れたのは、変な組み合わせのひらがな2文字だけだった。


「........ほぇ?」

「だ、だめ、ですか........??」


ああああああ待ってその眼で見ないで........多量の諦めと悲しみとちょっとの期待とを混ぜたなんでも頷きたくなってしまう眼で見ないで........ただでさえ惹かれ始めてしまったのに.........!

思わずそっぽを向いてしまった私を見て、圭はその眼から期待を消した。


「だめ、ですよね。ごめんなさい、突然こんな話をして。........もう、ここにはお邪魔しませんから。ありがとうございました。」


そう言って儚げな笑顔を浮かべて荷物を纏め、去って行こうとする圭。

寂しいと訴えかけてくる背中が廊下へと消えそうになった時、やっと再起動した私は。辛うじて、指先で、少しだけ。圭の袖口を捕えた。


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