第9話
夏が来た。
ジャンボはなんとか病院から退院していた。
家の中にいても夏の空気を感じる。
もう、二度と同じ失敗は繰り返さないよう、四合院の中にはジャンボだけでなく、バニラかチョコも必ず居た。
しかし、ジャンボも大きな怪我で体力を失ったせいか、寝台に横になってばかりいた。
虚ろな目で動かないジャンボを立たせて、髭をそらせる。
無精髭が伸びてしまうと、本当にもう、元には戻れない姿に見えた。
最近は会話もめっきり減った。
ジャンボは本当に、もしかしたらあの日、死ぬつもりだったんじゃないだろうか。
そんなことをバニラが言った。
チョコは黙り込んでテーブルを見つめる。
ジャンボは寝ていた。
その夢の内容がどんなものかさえ、二人は知ることもない。
目を覚ましても、ジャンボはチョコとバニラの名前を滅多に呼ばなかった。
それに前は料理もしてたのに、もう数ヶ月、台所にすら立っていない。
本当に寝てばかりになってしまった。
「今日は三人で、外で飯食おうぜ」
二人とも休みになった夏の朝、チョコはスイカやらなんやらを用意して笑った。
バニラはすぐに同意した。
ジャンボはぼけっとスイカを見ていた。
そうして、チョコとバニラでテーブルと椅子を外に出し、ジャンボも支えて中庭に出た。
「前にも、三人でスイカ食べたよな」
チョコはジャンボに話しかけた。
ジャンボはぼんやりとして、なにも答えなかった。
ただ手渡された食事は、自分でとれるようだ。
バニラはスイカを切り分けた。
それも片手で持てるくらいまで小さく。
あの頃は、前にスイカを食べた頃は、両手に抱えるくらい大きなスイカを食べたっけ。
チョコなんて、半玉全部食べようとスプーンを突き立てていた。
ジャンボはもう、全部忘れたの?
聞けないし聞く必要も無いほど、目の前のジャンボはもう、うつろな世界から出てこなかった。
でもただ一つだけ。
このモノクロの世界に一つだけ、色の着いた羽がふさりと通り過ぎた。
「あ」
ジャンボは短く発声して、突然席を立った。
何事かとチョコとバニラは身構える。
ジャンボはフラフラと上空を見ながら歩いていった。
その視線の先に、今度ははっきりと見える。
黄色い蝶だ。
あの日、ジャンボが追っていた、モンキチョウ。
その蝶にジャンボが連れていかれてしまうような悪寒を感じた。
「ジャンボ!」
二人は叫んで、ジャンボの前に回り込む。
そして、自分たちには目もくれず、歩いていこうとする体を止めた。
ジャンボはなにも言わず抱きしめられていたが、その目はずっと蝶を追っていた。
『見た人を幸せにしてくれるのよ』
なにかその瞬間、ジャンボのスイッチが切り替わったのだろう。
突然彼は焦った顔をし始める。
「あの」
ジャンボは二人の青年に聞いた。
「小さい男の子を二人、見ませんでしたか。チョコとバニラと言うんです」
二人の青年は、唇を噛んだ。
俺たちだよ。手の甲に刻んだんだろ。
「ジャンボ……」
思わず呼びかけた。
ジャンボは記憶がグルグルと混ざったらしい。
短い声と共に、その場に膝を着く。
「ジャンボ、大丈夫だよ。俺たちここにいるから」
「一緒にいるよ。大丈夫だよ」
声もなくジャンボは泣いた。
記憶が前後し混濁し曖昧になり、その切れ目に、17歳の彼らを認識出来た。
あとは絶望だ。彼らのことをどうしても、この頭に留めておけない。
頭の怪我は車に轢かれたせいで、さらに悪化していた。
「突然亡くなる可能性も視野に入れて置いてください」
脳の外傷は複雑だ。
何がどう作用して、ジャンボがまだ生きているのか分からないのだという。
死んでいてもおかしくはない、なんてとんでもないことをサラリと言われた。
だから、チョコとバニラは毎朝まず、ジャンボの生死を確認した。
生きてると分かるだけでホッとする。
けれど、目に見えてジャンボの様子は悪化していたから……チョコとバニラは覚悟を決めなければならなかった。
ずっと維持してきたこの生活も、終わりが近いことを。
「なぁ、バニラ」
チョコは言った。
「隣のおばさんにジャンボのことを頼んでさ。二人で森に行こうぜ」
その片手には、虫取り網。
首には虫かごを下げ、まるで小さな子供のように、チョコはバニラを誘う。
バニラは少し笑い、そして頷いた。
「おばさん、夕方までお願いします」
「いいよ、なんだか知らないけどちゃんと見てるから」
隣人はいつも優しかった。
こんなことをちょくちょく引き受けてくれた。
卒業式の日も頼んでいけばよかったのかもしれない、けれど、時の針はもう戻らない。
「虫取りにいくぞー」
「おー」
少し照れくさくなりながら、17の二人は虫取り網を掲げて歩いた。
夏の暑さにやられないよう、麦わら帽子を被り、完璧に遊ぶ気満々のスタイルになってしまった。
チョコもバニラも少しだけ露店に寄り道しながら、色んな思い出話をしながら、ゆっくりと森へ歩いた。
今日は急がなくてもいい。
今日くらいは。
よく冷えたラムネが美味しい。
たまに道に水たまりが見えた。が、近づくと消えてまた遠くに現れる。
逃げ水だ。
本当の水はどこにもない、ただの蜃気楼。
二人は森へと向かった。
今日は虫をとるんだ。たくさん。
空の入道雲がやけに綺麗に見えた。
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