第4話

 チョコもバニラもぐっすり眠っていた。

ジャンボはその二人を強引に起こした。

突然の事で二人は寝ぼけながら困惑する。

闇の中でジャンボの声が響いた。



「誰だおまえら」



ああ、ついに。



「ジャンボ……ポケットのメモ、見て」

「訳の分からないことを言うな。いつからいた?ここは俺の家だ」

「頼むから……ジャンボ。ポケットのメモを読んで」



 泣きそうな顔をする見知らぬ子供たちは、何度も繰り返しポケットを指さした。

なんのつもりかは知らない。が、ジャンボは一応ポケットに手を入れてみた。

かさりとメモに手が当たる。

本当になにかが記されたメモが、ポケットに納まっていた。


 ジャンボは月明かりを頼りに、ゆっくりとその内容を読んだ。



「ジャンボ……」



 あ、あ、この声は。「バニラ」の。

ガラガラと自分が崩れ落ちていくのを感じた。

こんな感覚に毎日襲われていたが、ついに俺はもう、一線を越えてしまった。


 今までどんなにショックを受けても無表情だったジャンボは、立ち上がって二人の視線から逃げた。

断片的な記憶に、彼等はちゃんといるのに。

名前さえもメモに頼らないと俺はもう、何も分からない。



「ぁぁぁ」



 おかしな呻き声を上げ、ジャンボはメモを落とし、フラフラと壁へ歩く。

そして、止める間もなく頭を壁に打ち付けた。

力加減もなにもなく、壁に穴があきそうなほど、重い衝撃が走る。

チョコとバニラは顔色を変えて、ジャンボに駆け寄りしがみついた。



「なにしてんだよ!怪我が酷くなるだろ!!!」



 至極真っ当な意見だ。だが、今のジャンボは理屈では動いていない。

ただ、自分の存在に耐えられなかった。

どれだけの迷惑と不安を彼らに背負わせて、俺はのうのうと生きているのだろう。

しかも、それを今、言葉にもできなかった。


 もうなんでもいい。頼むから俺を。



「俺たちを置いていかないでよ!!!」



 ピタリと動きが止まった。

ジャンボは頭から再び血を流し、顔が赤く染まっていた。

そんな顔で二人の方を振り返る。



「俺を……」



 そこから先は言葉にならなかった。

違う、出来なかった。

二人に頼めるはずもない。


 誰か俺を、どうか、殺してくれ。


 二割の正気が苦痛に耐えかね心の奥で叫んだ。

八割の意識の迷走が、ジャンボの足を寝台へ運んだ。

そして、そのまま眠りにつく。

呆気なく収束した事態に、チョコもバニラも青ざめて、ほっとして目を閉じた。


 外傷による記憶障害なら、傷が治る内に良くなっていく可能性がある。

可能性、と医者は言った。それ以上は何も言わなかった。

いつまで俺たちは、この生活を続けられるだろう。


 チョコもバニラも、そしてもしかしたらジャンボも、同じことを考えていた。

今日のようなことが、これからも頻繁に起きるんだ。

ジャンボは大切な二人のことさえ忘れてしまう。


 地獄のような日々とも言えた。

しかし、ジャンボの調子が良ければ、特になにも不都合なく話せた。

当たり前のようにジャンボは笑って、学校の話を聞いたり、京劇の話をしたり、そして、自分が職を失い記憶がおかしいこともキチンと理解していたりした。


 だからこそ、中華包丁を向けられても、希望を捨てられなかった。

「誰だお前らは」と問う声はあまりに冷たい。

でも、それでも、ジャンボが自身の頭を壁に打ち付けるのと同じだ。

俺たちは。



「斬ってもいいよ。でもその前にポケットを見て」



 その度に特大の苦痛を互いに味わった。

その刃先をジャンボは自身に向けることもあった。

もちろん、二人で止めた。

きっといつか、ジャンボはよくなる。


 きっと……そう信じて、彼らは生きた。

慰謝料が足りなくなってくれば働いた。

かつてスタントマンとしてジャンボを起用していた会社から、子役の仕事を貰ったりした。

身体能力は二人とも抜群だ。演技力はともかく、重宝された。


 その間も、ジャンボはあの家の中にずっと居た。

ずっと、混乱に苛まれたまま。

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