メルリ・サッサネロ 編 5
「いらっしゃいませぇ!」
「お、メルリちゃん今日は一段と元気だね」
「えへへ、そうですかぁ?」
「何か良いことでもあったのかい?」
「そうですねぇ……そうかもしれませぇん!」
店主代理は嬉しそうに返事をしている。常連客たちは彼女の笑顔に当てられてそれはもう楽しそうに会話を続ける。しかし、彼女の気を引こうとあれこれ策を講ずる者はもういない。何故ならば、これまで以上に彼らを監視する目が強く光っているからだ。その眼差しはもはや殺気に近く、この店内で彼女の笑顔を奪おうものなら容赦なく追い出されてしまうことだろう。
「すみません、質問いいですか?」
「はい。何でしょうか」
「この商品なんですけど……」
「ああ、はいはい。これはですね、一見するとただの手のひらサイズの球体でしかありませんが、こう強く握りしめることで内部から徐々に熱を帯びていき、最終的にその表面温度が人間の体温と同等程度まで上昇します」
「へぇ。それで、どう使うんですか?」
「はい。基本的な使い方としましてはですね、ダンジョン内にある小部屋……そこが罠部屋かどうかを調べる為に用います。宝箱の有無で判断するのが一般的ですが、それが部屋の中央にあるとは限りません。通路からでは見えない位置に設置されている場合、無策で準備もなく足を踏み入れてしまうこともあります。それを防ぐ為にも、この球体を投げ入れることでそれを判断する材料にするというわけです。もちろん、人間の体温に反応する罠だけが存在するわけではありませんので、あくまでも参考程度になりますが」
「うーん、使えるかなぁ……ちなみに、これはいくらですか?」
「はい。銅貨で十五枚ですね」
「え……なかなかに高いな」
「そうですね。それなりに値は張ってしまいます。ですが、一つあれば回収することで何度でも再使用は可能ですよ。それにこれは命を事前に予防することができるということでもあります。罠避け役を雇わない探検家さんたちの間ではそれなりに人気でもあります。どうですか? 試しに使ってみませんか? 今なら少し値引き交渉にも応じますよ」
「本当ですか? そうだな……これ一つで自分だけじゃなくて仲間の命も危険に晒さなくて済むのなら……。よし、決めた! 一つ貰えますか?」
「ありがとうございます。では、こちらへ」
「はい!」
俺はというと、道具店の従業員としてようやく役に立て始めてきたと思えるようになってきていた。苦手な接客にも慣れてきた。命の尊さは誰よりも理解しているつもりだ。客はその命を懸けてダンジョンを探索する探検家たちだ。命を守るために道具を使ってもらう。俺が直接手を貸すことはできない。だけど、商品の説明をしてそれを販売し、使ってもらうことができれば……結果的に俺が誰かの命を守ることもできるかもしれない。そう思ったら全く苦ではなくなったんだ。
「店主代理、お会計をお願いします」
「あ、はぁい!」
「これを……少しばかり値引きしてあげてもいいですか?」
「値引きですかぁ。これでも頑張っている方なんですよぉ?」
「すみません。そうだな……銅貨十三枚でどうでしょう?」
「まぁそれくらいならぁ」
「ありがとうございます。お客様、どうですか?」
「うーん、もう一声お願いできませんか? 銅貨十枚くらいになりませんかね?」
「だそうですけど」
「なりませぇん! この道具は他の店では販売していない商品なんですよぉ? 本来ならもっと値が高騰していてもおかしくないものなんですぅ。でも、探検家さんたちの身を案じて少しでも手の届く範囲でとお求め易くさせて頂いているんですぅ。これ以上の値下げはお客様が得をするだけでは済まなくなるんですよぉ? この店はあまり大きくはありませんのでぇ、売り上げが減ると次の仕入れが困難になりますぅ。そうなったら他の探検家さんたち、そして回り回ってお客様に提供できる品を用意できなくなりますぅ。ご理解頂けますかぁ?」
「…………はい。すみません」
「いえぇ。分かってくださればいいんですぅ。それではぁ今回は特別に銅貨十二枚でお売りしますぅ。いかがですかぁ?」
「はい、それで構いません」
「ありがとうございますぅ!」
この店では町の西側にあるショッピングモールのようにお客様第一主義……みたいな接客はできない。集合商店ならば集客した時点である程度の売り上げは見込める。それは数多くの種類の店舗を入れることで目的も無しに訪れた客へ様々な角度から誘導することができるからだ。フードコートもあったし、探検家たちの為のフロアもあった。他にも何階層にも渡って店舗が入っているから客が望む何かが必ずそこにはあるといってもいいくらいだ。
逆に個人商店であるサッサネロ道具店には文字通り道具しか置かれていない。それを目当てに来る客しか相手にできず、ライバル店も多い。だからお客さんは神様だなんて言葉を頼りに商売なんてしてたら潰れてしまう。客のわがままに応えつつ、この店独自の物を用意し、できるだけの利益を回収して次の来店を促す。これができてようやく商売が成り立つわけだ。
店主代理は商人としての才能がある。きっと店舗経営なんてそれほど意識してないだろうけど、父親譲りのその才がけして店を危険には晒さないように上手く機能しているんだろう。俺はそんな彼女の手が回らない場所や見えないもの、そして周囲からの感情の部分を制御できればいいと考えている。それが俺に与えられた役目であり、使命であり、義務だ。
――昼過ぎになり、俺は買い出しを頼まれた。本当は店から離れたくはないんだけどな。夕食はともかく、昼食は作ってる余裕もないからいつも買いに出ることになる。俺を雇う前は一体どうしていたんだろうな。さっさと買って帰りたい……ところではあるんだけどな、今日は別の用事も頼まれてしまった。それは商品の買い付けだ。
店主代理の父親……つまり、サッサネロ道具店の店主のように道具を自作している人は他にもいて、その販売の委託も道具店では請け負っていることが多い。ただ、ダンジョンで使用するような探検家たち向けではなく、一般家庭で使用するような雑貨だったりが主な商品だ。そういったものを専門に扱う店もあるだろうけど、試作品だったりするものはより多くの感想だったりを求めているらしいからな。こちらが売れるものだと判断すれば買い付けることもあるそうだ。
「この時間は客も少ないだろうからな。まぁ一人でも大丈夫だろ……外に出るなとは言ってあるし」
そんなことを呟きながらも俺の表情は緩む。それは以前の俺と言っていることが違うからだ。あれから環境も変わったし、なによりも関係性が大きく変わった。今一番の心配は彼女の身の安全だ。昼食はいつものおすすめランチだし、商品の買い付けも正直そんなに重要じゃない。あの頼りなくも立派な店主代理を今日も一日無事に終えられるようにということしか考えられなくなっていた。
渡されたメモを見ながら何店かを回り終えた頃、通りを歩いていると路地から人影が飛び出してきた。突然のことで避けられそうにはなかった。それでも何とか体を捻ってぶつかる面積を狭くしようと努力はした。結果、俺の肩に弾き飛ばされるようにしてその人は地面に向かって尻餅をついた。
「痛いわね、どこ見て歩いてるのよ!」
その人影は女性だった。ロールアップさせた茶髪に良質な生地の衣服を身に纏い、少し目付きは悪いが美人だと言ってもいいくらいの容姿をした女性。年齢は見たところ俺とそう変わらない気がする。俺は立ち尽くしたまま女性を眺めていた。するとその女性はこちらを睨み付けたまま手を伸ばしてきた。それを俺は身構えつつもただ見つめるだけだった。
「ちょっと! 起こしなさいよ! あんたが突き飛ばしたんでしょ!」
「ん? ああ……いや、突き飛ばしてはいないけどな?」
「いいから! 早くしてよ!」
「はいよー」
俺は言われるがまま女性の手を引いて起こしてやる。履いているヒールが高く自分では立てなかったみたいだ。それにしても、そんなヒールでよく走れたものだ。飛び出してきて避けきれない程度には速度も出ていただろうし下手したら捻挫じゃ済まないほどの怪我を負っていたかもしれないのに。
「まったく……トロい男ね」
そう愚痴を吐きながら女性は衣服に付いた砂を払っている。もしかしたらと俺は彼女に重なる数字を見てみることにした。集中すると『04』という数字が浮かび上がる。凄いな、これまで見てきたどの数字よりも低い。この女性は俺に好意を抱くことはない。つまりはいろいろと試すにはもってこいの相手だということになる。
「何を急いでた?」
「……何よ、文句でもあるわけ?」
「当然だ。ぶつかっておいて謝罪もできないような礼儀知らずな女……」
「あんただって同じじゃない」
「俺は被害者だろ?」
「はぁ? 淑女が駆けていたら黙って道を空けるのが紳士の務めでしょ? こんなの常識よ」
「聞いたことないな、そんな常識」
「無知を自慢しないでくれる? いいこと? 無知はそれだけで罪なのよ」
「……違うな」
「なんですって?」
「自分の知識内だけがこの世の全てだと思ってる奴、他人の考えや生き方を否定するような奴の方がよっぽど罪深いだろ。それは自分の思い通りに相手を動かしたいだけだ」
「それの何が罪なのよ」
「マニュアル通りの行動にテンプレートな回答、そんな機械みたいな奴を相手にしてあんたは楽しいか?」
「……キカイ?」
「あー、何て言えばいいんだ? マシン……自動人形……からくり仕掛け? まぁとにかく、自分に従うだけの存在だな。反抗もせず、ただただ従順な人間を飼いたいと思うか? 人を人とも思わない奴こそ、俺は人間だとは思いたくないね」
「…………あっそ」
そっけない返事。それは相手にもう反論する言葉がないという証明だろう。俺は言い負かせたんだ。この偉そうで傲慢な態度の女を。ここまでされて嫌な気分にならないはずはない。そう確信を持って女の数字を確認する。見えたのは『10』という数字だった。増え……てる? 何でだ? 俺は動揺を隠せなかった。
「お前……喜んでるのか?」
「!?」
「嘘だろ? 初対面の人間に説教されて……なんでだよ」
「あんた……何を……」
その時だ。彼女が駆けて来た路地の方から「いたぞ! こっちだ!」というような男の声が響いた。女はそれに反応して表情をしかめた。まさか……追われていた? だったら何でこんな所で俺の説教を黙って聞いていたんだ? ていうかヒールなんか履いてあの男たちからどうやって逃げ出してきたんだよ。
そんなことを考えている間に複数人の男たちが現れてあっという間に包囲されてしまった。男たちの風貌は所謂ヤクザだとかマフィアだとかに近く、そんな連中に囲まれた女はもう逃げられない。その包囲網の中で何故か俺まで立ち尽くしている状況だ。巻き込まれかけている。これじゃあ本当に訳の分からないまま被害者にされてしまう。どうするか……俺は関係ないと立ち去るか? しかし……。
「おい、あんた。捕まったらどうなるんだ?」
「……さぁね」
「大丈夫なのかよ?」
「大丈夫なんじゃない? あいつがあたしに手荒な真似をするはずがないもの」
「あいつ?」
「………………」
「助けてほしいか?」
「は?」
「助けてほしいのかって聞いてんだよ」
「……必要ないわよ」
「そうか……」
これはまさしくアレな場面だなと思った。だったら俺の行動は決まってる。こんな状況で追い込まれてる女性を放っておけるはずがない。紳士ならばスマートに荒事を静めて華麗に淑女をエスコートするべしってな。だから俺は男たちにこう言い放つんだ。
「連れていけよ。俺には関係ない。通してもらうぞ?」
それはブラフやハッタリといったような言葉ではない。それを示すように、俺は小さく両手を上げて敵意はないことを見せながら男たちの横を通り過ぎる。相手は警戒していたが、俺が反転して襲いかかるようなこともしなかった為に、一気に女の元まで詰めていった。
これでいい。俺は一定の距離まで進んで振り返る。女はおとなしくしているが拘束されたり乱暴な扱いを受けているわけではなさそうだ。しかし、その視線は常にこちらへ向けられていた。言ったはずだ。俺はマニュアル通りの行動やテンプレートな回答をする機械じゃないってな。
俺はすぐに女の数字を再確認する。これで下がっていなければもうこの数字はやはり減少はしないと確信が持てる。見えた数字は『32』だった。減るどころかめちゃくちゃ増えてやがる。こうなってくるとこれが本当に好感度を表しているのかも怪しくなってきたな。
男たちに連れられて女はやって来た路地の方へと戻っていった。彼女にこの先どんな運命が待ち受けているのかなんて知りはしない。彼女自身が手荒な真似はされないと言ったんだからな。俺はすぐにその場を離れて買い出しの続きへと向かう。悪いな……俺はあんたのヒーローじゃないからな。どんなことがあっても自分が定めた優先順位は覆らないんだよ。
――全ての買い出しを終え、少し遅くなったがおすすめのランチも無事に買えた。俺は帰路へと着く。ああ……早く帰りたい。帰ってあの甘くとろけるような声でお出迎えされたいものだ。おれはウキウキしながら早足で帰った。そして、もう昼とは言えない時間帯に差し掛かった頃にようやく道具店に戻ってくることができた。
「ただいま」
そう言って扉を開く。そこには腹を空かせて待っている店主代理がいて、待ちわびたように俺に声をかけてくれるはずだった。しかし、妙な感じがした。この時間ならまた常連客が店主代理の様子を伺いに来ているはずなのに、その騒がしい声も聞こえてはこないからだ。だけど店内に誰もいないわけではない。カウンターの前に女性客が二人。一人は椅子に腰掛け、もう一人はその傍に立ち姿勢を正していた。
「あら、見知らぬ殿方ですわね?」
「はい。確かこの店舗では一見の男性客はお断りしていたはずですね。しかしながら、先程の殿方たちと同様に堂々としている様子からしてもここしばらくの間にできた常連の方なのかもしれません」
「そう。ではマリア、あの殿方にもお帰り頂いて」
「承知いたしました」
なんだろう。どことなく高貴な装いにあの口調。椅子に座っている女性は若くまだ十代半ばの少女のようだ。お洒落なハットを深く被り顔はよく見えないが、中に仕舞われたブロンドの髪は見てとれる。そして、もう一人の女性は二十代半ば。なかなかに美人ではあるが、その気配は只者ではない感じが漂っている。黒髪を畳むように編んでおり、給仕服のような格好をしている。いや、あれは……もしかして?
「メイド……か?」
そうだ。あれはメイド服だ。それに年上のはずの彼女が立ったままで、座ったままの少女の言葉に頭を下げている。そこには明らかな立場の違いがあった。主人と従者。リアルでそんな関係の人たちを見たのは初めてだ。俺は歩み寄ってくるメイドに目を奪われ、言葉を失っていた。
「誠に勝手ながら、現在この店は我が主人の貸し切りとなっております。申し訳ありませんが時間を空けてご来店頂きたく……」
「………………」
「あの、もし?」
「あ、ああ。いや、それはできない」
「急ぎの用件でしたら他の道具店をご案内致しますが?」
「そういうことじゃない」
「と、言いますと?」
「俺は客じゃないからだ」
「…………どういうことでしょうか? それはこの店に対して何らかの人道に背く行為を行うつもりであったと?」
「なんでそうなる。逆だよ、逆」
「逆……とは?」
「俺はこの店の従業員だ。ここで住み込みで働いている。今も買い出しから戻ったところだ。店主代理は昼食もまだなんだ。俺が追い出されたら夕食まで我慢させることになる」
「…………お嬢様」
「その言葉が真実かどうか、少しお待ち頂きましょうか。もうすぐメルリさんが戻られますわ。それではっきりするでしょう」
「承知いたしました」
目の前に立つメイドはその場から動こうとはしない。俺を通すつもりはないようだ。おいおい、なんで自分の働く店でこんな扱いを受けないといけないんだよ。でも……動けなかった。このメイド、どうやら普通のメイドではなさそうだ。殺気に近い気配を放つことで俺の足を完全に止めている。動きたくても動けなかったんだ。まぁいいさ、店主代理はもうすぐ戻るって言ってたしな。ほら、来たようだ。
「お待たせしましたぁ……あれ?」
「ただいま」
「あ、おかえりなさぁい! 遅かったですねぇ?」
「ちょっと途中でいろいろあってさ。でも買い出しは無事に終えた。購入した商品は後日運び入れてくれるってさ」
「はいぃ、分かりましたぁ。ご苦労様ですぅ」
「疲れたよ。まだまだ慣れないからさ。それに腹も減った。早く座って食べたいんだけどさ……」
「……メルリさん、この殿方はお知り合いですか? こちらで住み込みで働く従業員だと仰っておりましたが」
「え? あ、はいぃ。アイガさんはここでお店のお手伝いをしてくださってる方でぇ、私の、その…………こ、恋人……なんですぅ」
「あら、そうでしたの? それはごめんなさい。マリア」
「はい。メルリさん、おめでとうございます」
「いえぇ、ありがとうございますぅ」
メイドがその場を離れて主人の後ろへと立ち位置を戻した。ようやく解放された俺はランチを持ってカウンターの隅っこを陣取った。店主代理は持って来ていたカップを座ったままの少女の前に置いた後もそこを動こうとはしない為、俺は一人で先に食べ始めた。
「アイガさん、失礼ですよぉ?」
「別にいいだろ。失礼はお互い様だ」
「もぉ……ごめんなさい、ミアムさぁん」
「いいえ、結構ですわよ。わたくしたちが失礼を働いたのは事実ですし、改めて謝罪をさせてくださいませ」
「そ、そんなことまでなさらなくても大丈夫ですよぉ……」
店主代理の言葉に構わず、少女は椅子から立ち上がってこちらを向いた。ハットを取り胸に抱き白く綺麗なその顔を見せる。その行動にメイドが何やら動揺していたようだが、黙々とランチを食べながら見つめる俺を見て落ち着きを取り戻したようだ。そして、少女が小さく一礼をしてから自己紹介を始める。
「はじめまして。わたくしはこの町で……そうですね、貴族の娘をしております、ミアムと申します。宜しければそうお呼びくださいませ。こちらは従者のアスノマリア。アイガさん……でしたか? 改めて宜しくお願い致しますわ」
「ああ、宜しくな。ミアム」
「失礼な! 手を止め、席を立ち、礼節を持って頭をお下げなさい! あなたごときがこの方の名を気安く呼ぶなどと……敬称も付けずに」
「マリア、いいですわ。わたくしは気にしていません」
「ですが、ひ……お嬢様!」
「アイガさんはわたくしをご存知ないのです。そのような方に頭を下げろなどとは申せませんわ」
「しかし……」
「貴族の娘って言ったって、それは貴族である父親か母親がいてこそだろ。それに俺には関係のないことだ。誰の立場がどうとか」
「アイガさぁん! いくらなんでも失礼が過ぎますよぉ!」
「…………」
「ミアムさんに謝ってくださぁい!」
「……悪かった。言い過ぎた」
「あら、メルリさんの言葉には素直に従うのですね?」
「そりゃあな。俺はここを追い出されたら行き場を失ってしまうからな。俺にとっては貴族様の言葉よりも店主代理様の言葉の方が重いんだよ」
「追い出したりしませんからぁ! それに……いつものようにメルリと呼んでくださいよぉ」
「いや、店を開いている間はダメだ。これは俺のケジメだからな。いくら恋人になったと言ってもそれを職場に持ち込んでたら俺はまた君に甘えてしまう」
「アイガさぁん……」
「そういうことでしたら。マリア、お店の札をひっくり返して来てください」
「承知いたしました」
メイドのアスノマリアが店を出て開店中と書かれた札を返してまた戻ってくる。閉店中となった札はサッサネロ道具店の今日の営業を終えたことを示す。ミアムお嬢様はこれで良いのでしょう? というような表情で笑っている。まぁ確かにこれなら俺が店主代理をメルリと呼んでもおかしくはなくなったが。はたして店を開けていたいはずのメルリはどう思っているのだろうか。
「メルリ、勝手をさせていいのか?」
「え? あ、はいぃ。今日はもう店終いということでぇ……」
「それでは、これで落ち着いてお話ができそうですわね」
ミアムお嬢様が再び椅子に腰をかける。その後ろには従者らしくアスノマリアが立ち、正面にはメルリがカウンターを挟んで立っている。メルリとミアムの世間話が進む中、隅っこで昼食を終えた俺も座ったままで彼女たちの会話に参加する。
「それで? 貴族のお嬢様が道具店に何用で?」
「おかしいかしら?」
「いや。いつも来てるのは買う気もないのにメルリの様子見だとか言って居座り続ける連中ばかりだからな。こちらとしては金を持ってる貴族様にこそ常連客になってもらいたい。そして大量買いでもしてくれるならいくらでも媚びを売るし、失礼しましたって靴でも何でも舐めてやるけどな」
「うふふ、面白いお方ですわね。ですが、わたくしも貴族こそ道具店に足を運び、その目で商品を見て、学び、選び抜いたものを買い与えるべきだと考えていますわ」
「買い与える?」
「はい。アイガさんはこの国の一番の資源が何だかご存知でしょうか?」
「それはダンジョンだろ。他のを全く知らないだけかもしれないけど、あれはこの国だけの特別資源だ。だから他国からも探検家たちが訪れているわけだろ?」
「その通りですわ。そこには計り知れないほどの財が眠っています。一攫千金を夢見た人たちが毎日のようにダンジョンへと潜っていくのも分かりますわ。しかし、現実はそう甘いものではありません。ダンジョンには多くの危険が待ち受けているからです」
「魔物に罠、それに探検家同士の妨害……か」
「そうですわね。それらを掻い潜り最深部の宝を手にできるのは、やはり良い武具を整え、信頼のできる道具を使いこなし、頼れる仲間と優秀な罠避け役を雇うことのできる探検家だけですわ」
「そうだな」
「……………………」
「そうか。そういうことか。貴族ならばそれらを全て金の力で用意できる。ミアムお嬢様はダンジョンの宝が欲しいってわけか」
「わたくしというよりも、父が血相を変えるほどそれを追い求めているのですわ」
「ふーん。だが、いくら良い武具や道具を準備して探検家や罠避け役を雇ったとしてもだ。人の心までは買えないよな? もしもその宝を探検家たちが持ち逃げしたらどうするんだ?」
「それは……」
「こほん。僭越ながら私がお答え致しましょう。まともな貴族であれば宝など探検家の報酬として譲渡してしまうのが定石でしょう」
「何故だ? 宝欲しさにわざわざ雇ったんだろ?」
「欲しいのは宝そのものではないのです。誰も手に入れることのできなかったその宝を手にしたという栄誉。貴族たちはそれを得られるだけで十分に元が取れてしまうのですよ」
「どういうことだ? そんなものをどうやって? それに、それこそ探検家たちが独占してしまうものだろ」
「それは……名前です」
「名前?」
「はい。雇った貴族の家名を探検家たちに名乗らせるのです。簡単に申しますと看板を背負ってダンジョンに潜らせるのです。そうすることで優秀な人材を雇ったとして貴族の名は知れ渡り、その者らが使った武具や道具などにも注目が集まります。では、それらも全てその貴族が買い与えた……もしくは貸し与えたものであったなら?」
「…………なるほどな。貴族たちは金を動かすだけで利益を生んでいるわけか。探検家たちに譲渡する宝は広告費や宣伝費として済ませられるし、傘下の武具店や道具店に人が集まればそれ以上の収益を生む。つまり貴族たちはダンジョンを使って商売をしているということか」
「そういうことです」
大通りにあるド派手な店舗や町の西側にあるショッピングモール。あれらはどこぞの貴族が建てたものということか。もしかしたら数多く存在する宿屋や酒場みたいな探検家御用達の店なんかもそうなのかもな。だからこの店のような個人商店には人が集まらない。たとえどんなに探検家たちを想って道具を作っても、この店に来るような客では最深部までたどり着くことはできないからだ。
「どの世界でも金を持ってる奴がやっぱり偉いんだな。だけど、それじゃあこの国はそのうちひっくり返るんじゃないか? それも簡単に……店のあの札みたいにな」
「どうしてそう思われるのですか?」
「この国の王様もダンジョンに興味がおありだそうだ。そして、貴族たちと同じように探検家たちを雇い入れてる。中には半強制的に招かれた者たちもいる。そして、王様は最深部の宝が欲しいんだそうだ。探検家たちには金銭のみが支払われる。もしかしたらもっと酷い仕打ちだってしてるのかもな。この国にはアメムガリミス教会だって付いてる。彼らなら他所から人材を強制連行することだって……」
「ア、アイガさぁん! もうそれくらいに……それ以上はまずいですよぉ!」
「……見たところ、アイガさんはこの国のご出身ではなさそうですが、この国に対して何か不信感をお持ちなのでしょうか?」
「違うな。俺が不信感を持っているのはこの国に対してではなく、アイヴイザード王家に対してだ」
「な、なな……なんと不敬な!」
「落ち着きなさい、マリア。一貴族であるわたくしたちが王家の代わりにその侮蔑を払拭する必要はありません」
「ですがお嬢様!」
「いいのです。それに……わたくし、気づいてしまいましたから」
そう言ってからミアムお嬢様はカウンターに置かれたカップを持って一口だけすすり、静かにゆっくりと息を吐いた。俺は……いや、メルリや従者のアスノマリアまでもお嬢様が何かに気づいたという話の続きを待っている。誰も声を発せずに。きっとこのお嬢様は待っているんだろう。俺たちが息を整え、冷静になるのを。
「わたくしは今日、ただ道具を拝見しに参っただけではないのですわ。メルリさんからのお手紙に書かれていたことについての事情を確認しに来たのですのよ? しかし、それについてももうお話を聞くまでもありませんわね。全ての点が線によって繋がりました。アイガさん、あなた……勇の者、ですわね?」
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