メルリ・サッサネロ 編 4
朝。今日は目覚めが良かった。この東地区は通行人たちの騒ぐ声はほとんど聞こえてはこないし、俺が使わせてもらっている二階の部屋は通りとは反対側に面しているから余計に過ごしやすいと感じている。元々空き部屋だったというが、家族三人で暮らしていたはずのこの住宅。一階は店舗になっていて奥には今は使っていない工房がある。二階には夫婦の寝室とこの空き部屋、そしてダイニングキッチンやバスルーム。三階にはメルリの部屋があるだけだ。
この家は三階建てだがそんなに大きくはない。むしろ、店舗が入っている分だけ狭いとすら思える。俺たちの世界とは間取りや部屋の使い方に違いがあるみたいで、所謂リビングと呼ばれる部屋がなかったりもする。もしかしたらこの家だけの特殊な間取りなのかもしれないが、家族団らんはダイニングでのみ行われていたのは確かだろう。
であれば、この空き部屋は何の為に存在したのか。リビングを削ってまで誰も使わない部屋を作る必要はあったのか? 商人である店主、メルリの父親はどうしてこんな決断をしたのか。考えても分からないことではあるが、少し気になってしまった。朝っぱらから脳を使おうとするなんて……俺らしくないな。今日はきっと疲れるだろうし、甘いものでも食べてしっかりと糖分を摂っておかないとだな。
「アイガさぁん、おはようございますぅ」
扉がノックされ、返事をする前にメルリが部屋へと入ってきた。以前であればその行為はたいして気にもならなかった。ここは彼女の家であり、魂の抜け殻のようだった俺がただ寝ているだけで、それを彼女が毎朝声をかけ元気付けようとしてくれていたわけだからな。
でも、今は違う。俺はすっかり調子を取り戻したし、意識も気持ちも前を向いて歩きだそうとしている。そんな男が寝泊まりしている部屋にいきなり押し入ってくるのはいささか危険じゃないのかと心配してしまう。メルリにはまるで危機察知能力が備わっていないかのようだ。
「おはよう、メルリ」
しかし、俺には何も言えはしない。店主代理であり家主代理でもある彼女がもしも俺を危険な野獣だと感じてしまったらここを追い出されてしまう可能性だって出てくる。そりゃあ以前のように無一文でもないし、泊めてくれる宿屋だって探せば見つかるだろう。だけど俺はここに居たい。こういう生き方が俺にはお似合いだ。メルリの優しさに甘えていたいんだ。
「起きられそうですかぁ? お昼を過ぎると教会には多くの人たちが参拝に訪れるのでぇ、そろそろ出発しようと思うのですがぁ」
「ああ、すぐに起きるよ。うーん……メルリが干してくれた布団が気持ち良くて、本当はもう少し寝ていたいけどな」
「もぉ……アイガさんったらぁ」
「ははは。よし、顔を洗ってくるよ」
「あ、はいぃ」
部屋を出て洗面所へと向かう。顔を洗って出掛ける準備だ。この世界に髭剃りなんていう道具はない。小さな専用ナイフで剃っていく。これにも慣れるのは時間がかかったけど、もうこの世界で四ヶ月以上も生活しているから慣れたものだ。髪は適当でいい。無造作ヘアという名の寝癖ヘアが俺らしさだからな。
小さな鏡に向かって決め顔を作り準備オーケーだ。それにしても、あの安宿でもそうだったが、どうして洗面所の鏡はこんなにも小さいんだろうな。まるで手鏡くらいの大きさのものが壁に貼り付けてある。姿見までとは言わないからせめて上半身くらいは映せる大きさのものがあった方が便利だと思うけどな。女の子がいる家庭は特にそういうものじゃないのか?
「ま、いいか。俺が口を出すことじゃない」
部屋に戻るとメルリはいなかった。窓が開きベランダには布団が干してあった。さすがに仕事が早いな。着替えを済ませて一階へと降りる。店内はがらりとしている。今日は休みにしたから当然だ。そこでメルリは道具を手入れしながら待っていた。本当に好きなんだな。
「あ、では行きましょうかぁ」
「うん。今日はよろしくな」
「はいぃ!」
店を出て、鍵を閉めるメルリを待ってから一緒に大通りへと向かって歩く。付かず離れず、伸ばせば簡単に届くその手をけして掴んだりはしないが、俺もメルリもその距離感を崩さないように歩いていく。それを誰に邪魔されることもない。この東地区の朝は本当に静寂と言ってもいいくらいに人っ子一人いないんだ。
しかしそれも大通りへと出るまでの間だけだった。この大通りまで出たら目的地まではもうすぐ。少し緊張し始めた俺にメルリが気付いたのか、先に寄りたい場所があると返事も聞かずに行ってしまった。俺もすぐに後を追う。そして、メルリは「少し待っていてくださぁい」とだけ言い残して店内へと入っていった。
「……花屋、か」
メルリは気の利く良い娘だ。俺が気が付かないことにも配慮が行き届いている。手向けの花。母親を亡くしているメルリもきっと父親と二人でその最期を看取り、墓前に花を添えたのだろう。大事な人を失った悲しみを理解してくれる人っていうのは、やっぱり同じ悲しみを抱いたことのある人なんだな。
ふと、通りの反対側から視線を感じた。俺がそちらを向くとやはりというか何というか、こんな時でも容赦なく俺の身に降りかかってくるんだ。向かいの店から出てきた女性が俺の存在を認識したことで、またいつもの現象が起きている。そして俺は思った。もしかしたら、あれについて調べたり検証したりするのに使えるかもしれないと。
「数字は……ちょうど『50』か」
例えばこの数字が俺に対しての好感度だと仮定して、パーセント表示なんだとしたら『50』とは最大値のちょうど半分の値になる。増加しかしないこの数字を減少させる方法はないのか。それとも俺の予想とは違い、この数字は好感度ではない別の数値なのか。
ずっと俺を見つめているその女性に歩み寄っていく。逃げられたりはしない。それどころか嬉しそうにすら見える。名前も知らない若い女性だ。間違いなくこれが初対面であり、話しかけるのも声を聞くのもこれが初めてだ。女性の正面で立ち止まり心の準備をする。数字を増加させない為には俺が発する第一声が重要になる。そうだな……まずは。
「おい。ジロジロ見てんじゃねぇよ」
「あ、ごめんなさい……」
よし、第一印象は最悪だな。でもまだ数字に変化はない。一気に畳み掛けたいが思いつきだからそんなに言葉も用意してはいない。とりあえず、適当に話をして嫌われるようなことを会話の節々に挟んでいけばいけるだろう。問題はどこまでやれば嫌われるのか……だけどな。
「あの……あれだ。こんな所で何してんだよ」
「えっと……。ま、待ち合わせ……を」
「そうか。あ、いや……そんなもん向こうでやれよ。こんな人の通りが激しい場所で足を止めてると他の人にも迷惑だろ」
「あ、はい……」
「相手はいつ来るんだ? 君はここでどのくらい待ってる?」
「……分かりません。わたしは、二時間くらい……です」
「二時間!? そんなに待ってるのか? こんな朝早くから?」
「はい。起きたらここで待つように言われていて……」
「相手は彼氏か? 友達か?」
「…………」
「どうした?」
「わたしは……彼の何なのでしょうか?」
「は? いや、俺に分かるわけないだろ。とにかく、その男に言っておけ……」
「おい! 彼女から離れろ!!」
突然、若い男の声が割り込んできた。その男は俺と話していた女性の前に両手を広げて立ち、怒り狂った瞳で俺を睨み付ける。ああ……こいつかと、瞬時に理解できた。見た感じは細く貧弱そうな体型で背も低い。子どもって感じではないが大人になりきれてもいないように見える。
「お前がこの子の待ち合わせの相手か?」
「そうだ! お前みたいな奴から彼女を守るのがオレの役目だ!」
「あっそ。ヒーロー気取りかよ。だったら彼女を二時間以上もこんな場所で待たせんなよ。もしかして、いつもそうなのか?」
「待たせてない! オレたちはいつも時間ピッタリだ!」
「は? いや、待たせてるだろ」
「待ってない! 彼女はいつも『今来たところ』だって言っている!」
「……なんだこいつ、本気かよ。起きたら集合って具体的に何時なんだ?」
「時間? 我が家に時計はないからな……」
「時計がない? そんな家あるのかよ。だったらどうやって集合時間に合わせて起きるんだ?」
「お前……何を言っているんだ?」
「なんだよ」
「オレが起きたら準備してここに来るんだよ」
「は? え? はあ? まてまて。意味が分からない」
「何がだ!」
「それじゃあ彼女はどうやってお前が起きたことを知るんだ?」
「すごいだろ? 彼女にはオレが起きた時間を知る力があるんだ! オレたちは心が通じ合っているからな!」
俺は男の後ろにいる女性に目で訴えかけると彼女は静かに首を横に振った。おいおい。つまりはこの男……絶望的なまでに馬鹿なんじゃないか? いや、馬鹿だ。デートの日はこいつが起きたらここに集合する。しかし彼女にはこいつが起きる時間は分からない。今日は二時間だったが、もしかしたら半日以上待たされたこともあるんじゃないか? だとしたら酷すぎるだろ。
「お前……彼女を幸せにするつもりはないのか?」
「何を言う! 彼女は」
「不幸だって言ってんだよ! お前らが何で付き合えてるのか不思議でならないけどな、この子はお前を好きになってくれたんだろ!? それなのにお前は自分の都合でこの子を引っ掻き回しやがって。彼氏なら彼氏らしく振る舞えよ! お前の理想を押し付けんな!」
「な、なんでお前にそんなこと言われないといけないんだよ!」
「なんで……だろうな。確かに俺が口を出すことじゃなかった……」
「なんだよこいつ……。行こうぜ」
「待て」
「まだ何か用かよ!」
「最後に一つだけ聞かせろよ。お前にとってその子は何だ?」
「そんなの恋人に決まってるだろ」
「違う。そういう意味じゃない」
「は?」
「なんでお前らは恋人になったんだ。お前は彼女を本当に愛しているのか?」
「そんなこと、お前に言う必要はない」
「誰も俺に告白しろとは言ってないだろ。今じゃなくてもいい、でも後でちゃんと口に出して彼女に伝えろ。いつかじゃダメなんだ。そのいつかはもう訪れないかもしれない。言いたくなった時にはもう……彼女はそこにいないかもしれないんだからな」
「…………そういうことかよ。お前、フラれたな? だから他人にお節介して気分を晴らそうってんだな? けっ! 馬鹿らしい」
「約束しろ。ちゃんと彼女に想いを告げると」
「ああするよ! もういいだろ! じゃあな!」
吐き捨てるように男は言って歩き出した。女性もその後に付いていくが、一度振り返ると俺に向かって深く頭を下げていた。何をやってるんだろうな、俺は。どうしてこうなったんだろうと思いながら女性の数字を確認すると『59』まで増加してしまっていた。あーあ、って感じだった。
あの男があまりにもクズで女性が可哀想だと思ってしまった。まぁ、あんな男に合わせる方もおかしいのかもしれないけどな。それでも、あの二人の関係性は平等じゃなかった。好きになった方が負け……なんて言葉があるのは知っているが、できることならどちらも勝ちであってほしい。それが恋愛において最も平和的で両者ともに幸せになれる条件だと思うからだ。
とにもかくにも、俺にとって理由もなく嫌われる行為は難しいことだと学んだ。話をして、その人の人間味に触れるとどうしても情が湧いてしまう。これは俺の体質の問題もあるのかもしれない。もしも次があったら話を聞くのではなく、こちらから一方的に話すように心掛けた方がいいなと思った。
「アイガさぁん?」
呼ばれて振り返ると、そこには白い花束を持って不思議そうな顔をしたメルリが立っていた。緊張して待っていたはずの俺が通りの反対側でどこぞの恋人たちと声を荒げて話していたから驚いたのだろう。俺は「道に迷ったらしくてな」と誤魔化してはみたのだが……。
「こんな大通りで迷う人なんているんですかぁ?」
「そうだよな。普通ならいないのかもしれない。でも、道っていってもいろいろとあるだろ?」
「……?」
「人の道、とかな」
「あぁー」
人生なんて語れるほど、俺の歩んできた道は波乱万丈でもなかったが。それでも普通に生きていれば陥らない谷底の景色や、見知らぬ他人だからとはいえ経験してほしくはない不幸な出来事を俺は知ってしまった。だから他人にどう思われても、お節介だと邪険にされても見過ごすわけにはいかなかったんだ。せめて、あの女性の恋が上手くいくことをこれから向かう場所で奉られている神様とやらに祈っておいてやるかな。
「それじゃあ、行きましょうかぁ」
「はいよー」
そして遂に俺とメルリは町の中央にある建物……アメムガリミス教会へとやって来た。ここへ来るのも久しぶりだな。最近はずっと避けてたからな。ここだけじゃない。
足が止まる。そして震え出す。分かってはいてもここに
教会の部屋の一つに視線を向ける。しかし、そこから見ている人の姿はない。キヤス神父は留守だろうか?
「どうしますかぁ? 私が一人で受け取りに行きましょうかぁ?」
「メルリ……ありがとう。でも、大丈夫。俺も行くよ。いや、俺が行かないとダメなんだ。
「……分かりましたぁ」
俺たちは教会へと入る。礼拝堂にいた神父に事情を伝えると簡単に奥の部屋へと通してくれることになった。買ってきた花束を教会に預けた後、待機所のような部屋でメルリを待たせ、俺は見知らぬ神父と二人で地下へと続く階段を下っていく。徐々に明かりが届かなくなり、階段を下りきる頃には真っ暗になっていた。そして、重たい音の扉を潜った先で神父は燭台に乗せられた蝋燭の火を灯す。
ボゥッと赤くなった部屋。そこにあったものは無数に並べられた小さな丸い陶器だった。地下で保存してある水の入った瓶か? いや、それならもっと大きな器に溜めるはずだ。その陶器は人の頭程度の大きさでしかない。それが何なのか……本当はもう分かっている。だけど脳が断定しようとはせず拒んでいるようだ。そこにあったのは壺だ。聖なる炎で焼かれた肉体から残ったもの……そうだ、これらは全て骨壺なんだ。
神父がその中から比較的新しそうな壺を両手で持ち、部屋の中央にポツンと置かれたテーブルの上に乗せて一歩下がった。それが合図だと理解した俺はテーブルの前まで向かいその骨壺と対面する。そして、恐る恐る壺に乗せられている蓋を掴んで持ち上げ、そっと外すと壺の横に置いて手を離した。骨壺の中にあったもの、それは白く所々が欠けたり砕けたりしているものであり、紛れもなく人間の骨だった。そしてこれが
「…………う、うぅ。あぁ
俺は膝から崩れ落ちるようにしてその場で項垂れ泣いてしまった。感情が抑えきれなくて溢れてくる嗚咽と共に、ただ悲痛な声と悲しみの涙を吐き出し続ける。こうなることは分かっていた。だからメルリには待機所で待っていてもらったんだからな。
きっと俺がこうなることは神父にも分かっていたのだろう。泣き崩れる俺に……いや、テーブルの上に置かれた骨壺の中にいる
「
――待機所へと戻った俺はメルリと合流し、神父に一礼をしてから教会を後にした。メルリは言葉を発しなかった。赤く目の腫れた俺の顔を見て心境を察してくれたんだろう。骨壺を抱いた俺の後ろから付かず離れずに付いて来てくれる。しかし俺の足はサッサネロ道具店へは向かわなかった。町の南。
その丘からはイザードパレスを一望できる。背後には大きな城がそびえ、眼前には空と海がどこまでも続いて見える。
俺たちは都会で生まれ育ち出会った。高いビルに囲まれ、そこら中で車や電車が走ってて。俺が不甲斐なかったせいで旅行にだって連れて行ってあげられなかった。だから、この景色を見せてあげたかったんだ。せめて異世界でも……いや、異世界だからこそのこの幻想的な眺めを。
「メルリ、今日はありがとう」
「いえ……」
「俺一人だったらまだ無理だったと思う。それだけじゃない。きっとまだ立ち直れてもいなかったはずだ」
「…………」
「
「私にもぉ……」
「ん?」
「私にも、ほんの少しだけですがぁアイガさんの気持ちが分かりますぅ。大事な人を失った気持ち……。私には恋人ができたこともないので同じなんて言ったら失礼かもしれませんがぁ」
「そんなことない。メルリの大事な人ってお母さんのことだろ? 家族と恋人を比較することなんてできないけど、誰かを大事に想う気持ちは同じだと俺も思うよ」
「はいぃ」
「どんな人だったんだ? 良かったら、教えてくれないか?」
「母は……私がまだ小さかった頃に他界してしまったのでぇ、鮮明に覚えていることはあまり多くありませぇん。でも、私の記憶の中にいる母はいつも笑顔で優しくぅ、とても強い女性だったと思いますぅ」
「うん」
「仕事一筋の父に理解がありぃ、工房に入り浸っていた父の代わりにお店にも出ていたと聞いていますぅ。母はこの国の出身ではなかったのでぇ、苦労も多かったらしいですぅ。私が生まれてからはお店に子育てにと休む暇もなく、父が母の異常に気がついたのは心労で倒れた後だったとかぁ」
「…………」
「当時はまだこの国の他国出身者への扱いは酷く、治療費に入院費と莫大な額を請求されたらしいですぅ。それを支払う為に父は自分の作った道具を持って他国へと商売へと向かったんですぅ。まだ子どもだった私はぁ、常連さん……中でも酒場のマスターさんのお世話になったりもしていたらしいですぅ。あまりその時のことは覚えていませんがぁ」
「大変だったんだな」
「はいぃ。でも結局、母は助かりませんでしたぁ。私は父と一緒にその最期を看取り、その時に母の形見としてこの髪留めを譲り受けたんですぅ」
「お母さんは最後に何か言っていたか?」
「いえ……。でも、母は最後まで笑っていましたぁ。それはまるで私と父の未来を案じ、幸せを願っていると言っているような。だから、私は幸せにならないといけないんですぅ。いつか母に笑って話せる日がくるように」
「そうか。きっとお母さんは喜んでるよ。メルリがこんな素敵な女性になって、店主代理として立派に店を守ってるんだからな」
「ありがとうございますぅ。ただ……私思うんですぅ。母は幸せだったのかなって。知らない土地でずっと働き詰めで私を育ててぇ……。父も、母が亡くなってからはこれまで以上に商売に精を入れるようになってしまいましたしぃ……」
「…………幸せ、だったさ」
「え?」
「幸せだったに決まってる。愛した人との暮らし、その間に産まれた最愛の娘。それだけで十分だろ。場所なんて関係ない。仕事だってそうだ。家族の為に頑張れるならそれを不幸だとは思わないはずだ。きっと……そうだろ?」
「……はいぃ」
そうだ。俺と
「あ、すみませぇん。私の話ばかりしてしまいましたぁ」
「いや、いいんだ。俺が聞きたかったんだから。それに、同じ気持ちを……この気持ちを理解してくれる人がいる。そんな人が隣に居てくれてることで安心もできる。家族でも恋人でも、知ってる人知らない人、好きな人嫌いな人……それがどんな人でも失われた命を想う気持ちは同じ。メルリが
「アイガさぁん」
そろそろ気持ちを抑えることも難しくなってきた。高ぶる鼓動に血が全身を巡る。それでも俺の脳は冷静に働いている。抱えていた
「なぁ、メルリ」
「はいぃ、なんですかぁ?」
「君の家……一階は店舗で二階と三階は住居になってるよな。そして三階には君の部屋がある。きっとお父さんが家族の為に建てた家だ。二階には夫婦の寝室もある。だったら……あの空き部屋はなんなんだ? 客間にしてはその部屋割りが異常すぎる。夫婦の寝室と三階への階段の間……そんな所に客間なんてあるはずがない。そうだろ?」
「あれは……そのぉ」
「何か意味のある部屋なのか? 例えば宗教的な意味合いがあったり、商人として成功する為の風水的な意味合いがあったりだとか……」
「い、いえ、そのようなことはありませぇん。あの部屋は……私のぉ」
「メルリの?」
「私の……旦那様となる方のお部屋なんですぅ」
「…………どういうこと?」
「父は普段は優しくて温厚な人格なのですがぁ、私のことになると人が変わったように厳格になるんですぅ。それで、未来の旦那様も自分が認めた人じゃないとダメだと……それで」
「それで部屋が用意されてるのか。それって店を継がせるつもりもあったってことだよな?」
「そうかもしれませんねぇ。でも、私にはそういうお相手もいなくて。というよりも、私に声をかけてくださる男性を父が追い返してしまうものでぇ」
「はは、旦那様どころか恋人まで行き着ける男もいなかったわけか」
「はいぃ……」
「そうか。だったら今がチャンスなのかもな」
「え?」
「お父さんはいない。そして今、あの部屋を使っているのは俺だ。この町にいるどの男たちよりも俺が一番メルリの傍にいる。だって俺はサッサネロ道具店で雇われている従業員であり、メルリの用心棒でもあるわけだからな」
「……アイガさぁん?」
「本末転倒だよな。そう、
俺はベンチを背にして立ち上がり、メルリの方に向き直る。少し驚いたような困惑したような表情のメルリ。うるみ色の短髪に水色で三日月型のヘアピンがよく映えている。彼女が今、俺をどう想っているのかは分からない。だけど、俺の体質が俺の気持ちを駆り立てるということはそういうことなんだろう。彼女に重なって数字が見える。以前よりも増えて『82』となっていた。これならば……。
「俺はまだこの世界で生きていかなければならない。その目的は……今のところないけど。でも、俺一人では生きられない。生きていける気がしない。この世界は俺のいた世界とは違いすぎる。他国との戦争に怯えているのは似ているけど、魔物という存在や魔法という存在によって人ひとりの肩にのし掛かる責任と死があまりにも近しいものになっている。そういうものに関わらないように生きていくにはこの町で暮らす人の協力が不可欠だ。そして俺が頼れるのはメルリしかいない」
「………………」
「もう元の世界に戻れなくてもいい。この世界で生涯を終える覚悟を決めてもいいと思ってる。だからメルリ……俺をこれからも君の傍に置いておいてくれないか?」
「それは……もちろんですぅ。アイガさんがいてくれたら私もいろいろと助かるのでぇ」
「メルリ」
「はいぃ?」
「あの空き部屋を俺の部屋にしたい。この先何年も何十年でもあの部屋で眠り、朝になったらメルリに優しく起こしてほしいんだ。店のことも用心棒としてではなく、家族として守れるようになりたい。俺には商人の才は無いけどできるだけ努力はするから」
「アイガさん……それってぇ」
「メルリ、俺を愛してほしい。常に隣で支えてほしい。もしもこの願いを受け入れてくれるなら……俺は生涯、君の為だけに生きていくことを誓うよ。俺は、メルリを愛している」
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