メルリ・サッサネロ 編 2

 俺はもう少しだけ生きてみようと決めた。それから数日後、ようやく店にも足を踏み入れることができるようになった。だけど、慣れてきていた接客は全くできなくなっていた。それは、他人と話をするのが怖くなっているからだ。対人恐怖症とは少し違うかもしれないが、ここ数年の俺は他人からどう思われているのかっていうのを気にしてしまう生き方をしてきた。それが深く溝を掘ったように向こう側へと渡ることを拒んでいる。


「いらっしゃいませぇ」


 店主代理のメルリはそんな俺を変わらず雇ったままでいてくれている。何も言わず、何も聞かないように。でも時々、心配そうな視線を感じることはある。なるべくなら余計な心配はかけたくない。今はできることからやろう。そう思った俺は棚に並ぶ商品を一つ一つ手に取り、それを清潔な布で磨きながら商品名やその効力、価格などの情報を頭の中へと叩き込んでいく。


 午前中はそれだけで時間が過ぎていった。昼になり客足は少しずつ増えてくる。そうなると当然、現実逃避なんてしている余裕はなくなる。探検家たちは毎日毎日ダンジョンに潜っているわけではない。たまの休みには普通の町民と同じように過ごしたり、仲間同士で集まって作戦会議をしたり、中には武具や道具を新調しようと買い物に出かける人たちもいる。


「ここだよ、ここ」

「マジでこんな所に道具屋なんてあったんだな」

「穴場だろ? まぁ俺も入るのは初めてだけどな」


 二人組の男性客。本来、この店は一見の男性客は来店をお断りしている。しかし、今は俺という用心棒がいるからか敷居は低くなっていた。何も知らないその二人組は初めて訪れた道具屋に少し緊張しつつも、並べられた見慣れない道具の数々に目を光らせて店内を見て回り始めた。


 そこで俺はメルリへと視線を送る。もし彼女が追い出せと言うのならそれを実行するのが俺の仕事だ。しかし、メルリは俺の方には見向きもしない。何故ならば今は他の客に対して接客をしている最中だからだ。少しホッとした。人と話すのが怖くなっている今の俺には自分から声をかける行為にも勇気がいるからだ。


「こちらの商品はぁ……」


 店内にはメルリの甘い声が響いている。それが耳に入ったのか、二人組の男性客の一人がキョロキョロとその声の主を探している。そしてメルリの姿を確認するとヒソヒソともう一人の男性と内緒話をはじめた。ま、どんな内容の会話なのかはだいたい予想がつくけどな。


「……あの、すみません。ちょっといいですか?」


 よそ見をしていると後ろから声をかけられた。俺は肩を跳ね上げるようにして驚いてしまう。ゆっくりと振り返るとそこに立っていたのはもちろん客だ。困ったような表情で商品を手に持ち、それを俺に見せながら尋ねてきた。


「これはどういった道具ですか?」


 簡単な質問だ。ただ仕様説明をすればいいだけ。それは小さな瓶に詰め込まれた紫色の砂だ。ダンジョン内の壁には点々と火の灯った松明が設置されているらしく、その火に瓶の中の砂をひとつまみだけ取って振りかけると砂と同じ色に変色するという効果がある。


 迷路のようになっているダンジョンでは一度通った通路に目印を付けることがあるらしいが、多くの探検家たちが訪れるためにめぼしい場所には既に十字傷やらが刻まれていて意味を成さないらしい。仲間内だけに分かる記号を作ったりする探検家たちもいるらしいが、この道具なら一目瞭然だし遠くからでも確認ができる。とても使い勝手の良い道具になっている。


 その効果の持続時間も半日と長く、色も数種類が用意されている為に他の探検家たちと使い分けることができる。ただ、それを悪用して他の探検家たちを陥れようとする奴らもいるとのことで、道具屋各店はそういう使い方をしないようにと注意喚起も行っている。それはここサッサネロ道具店でも同じことだ。そう……それをただ目の前の客に言うだけ、ただそれだけのことなのに……。


「あ…………それは、えっと……」

「はい?」

「いや、その……」


 言葉が出ない。頭では分かってるのに声に出そうとすると上手く言語化できなくなる。焦りと恐怖で顔が引きつる。笑顔も作れない俺の表情に気分を害したのか、客の表情も強張っていく。せっかく商品に興味を持ってくれた客が現れたってのに、俺はみすみすチャンスを棒に振ろうとしていた。


「なんなんだよ! 早く答えろよ!」


 我慢できなくなった客に怒鳴られた。その瞬間、もう俺の頭の中は真っ白になって何も考えられなくなっていた。周囲からの突き刺さるような視線。それにも耐えられなくなった俺の脳は全てを遮断し、目の前で吠えている客の言葉も聞こえなくなった。そして、誰かが俺の横へと駆け込んでくる。


「すみませぇん! 私が代わりますぅ! どうかなさいましたかぁ?」

「コイツが無視するからよ!」

「まことに申し訳ございませぇん。あ、そちらの商品のご説明ですかぁ?」

「もういいわ! 帰らせてもらう! ったく、使えねぇ店員なんて置いとくんじゃねぇよ!」

「…………申し訳ございませぇん」


 去っていく客。その背中に何度も頭を下げる店主代理。俺のせいで大事な客を一人失った。いや、一人じゃない。一見だった二人組の男性客も居た堪れずにいる俺の気持ちを察してか黙って店を出て行った。気がつけば、店内には俺たち以外には誰もいなくなっていた。全ての客の信用を俺の失敗によって失ってしまった。


「メルリ、ごめん……」

「………………」

「あ、いや……すみませんでした、店主代理」

「え?」

「俺、やっぱりここには……」

「気にしなくて大丈夫ですよぉ! 失敗は誰にでもありますからぁ。私もたまにボーッとしてお客様に気付かないこともありますしぃ」

「………………」


 致命的なミスだった。それくらい俺にだって分かる。この城下町には他にも道具屋なんて山ほどある。それなのにわざわざこんな町外れの店にまで足を運んでくれる客はそうそういない。これが愛らしい看板娘の失敗なら大概の男性客は笑って許してくれるだろう。だけど、使えない店員を雇うような程度の目利きしかない道具屋の店主代理と思われたらおしまいなんだ。商人にとっては信用こそが何よりも大事だからだ。


 俺個人にとっては小さなミスだとしても、店にとっては大損害に繋がることはある。だからこそ致命的なんだ。それなのに……どうしてメルリは俺を叱らない? 解雇しようともしない? 優しくするのは未だに髪留めを拾ったことへの恩を感じているからか? それに甘えてここに居座っている俺は何とも無様で滑稽な人間なんだろうか。


「さて、丁度お昼も過ぎたことですしぃ、昼食にしましょうかぁ。アイガさんは何か食べたいものはありますかぁ?」

「……いや、俺は」

「んー。それじゃあおつかいを頼んじゃってもいいですかぁ?」

「おつかい?」

「はいぃ。店を出て大通りの方にまっすぐ行くと美味しいランチのお店があってぇ、そこのおすすめを二つお持ち帰りでお願いできますかぁ?」

「俺は別に……」

「ダメですぅ! お腹が空いてると午後からのお仕事に支障が出ちゃいますよぉ? それに、私もお腹がペコペコでぇ……お願いしますぅ」

「…………分かったよ」

「はいぃ! あ、今お財布を持ってきますねぇ」


 メルリがカウンターの方へと向かう。俺は彼女を少し集中して覗き込むように眺める。すると、彼女に重なって『69』という数字が浮かび上がってくる。変動はしていない。あんなミスをしたというのに、彼女は俺に対して本当に呆れたりがっかりするような気持ちにならなかったのか?


「はい、ではこれを……。ではアイガさん、よろしくお願いしますねぇ?」

「ああ……行ってくるよ」

「はぁい。行ってらっしゃいですぅ」


 財布を手渡されて店を出る。追い出された……わけではなく、メルリなりに気を使ってくれたという感じだろう。外の空気を吸えば気持ちをリフレッシュできるかもっていうような意図なんだと思う。しかし、俺の気持ちは晴れない。そして今、俺の頭の中はあの数字のことでいっぱいになっていた。


 あれは紗愛サナが見ていたであろう数字。特定の女性にのみ重なって見えるもので、その条件はおそらく俺を認識すること。どうして俺にそれが見えるようになったのかは分からない。紗愛サナの得た能力を俺が引き継いだのだろうか。分からないことだらけだが、その数字が表しているのはおそらく好感度……のようなものだろうと俺は予想している。


 その女性が俺のことをどれだけ好意的に想っているか。それを数値化したもの。確証はない。俺が勝手にそうだろうと思っているだけだが、美菜ミーナの『79』やマイの『08』なんかはわりとそれっぽい感じにはなっていると思う。ただ、一つ気になることもある。この数字は増加変動するが、減少変動はしない点だ。


 仮に好感度だとすると、数字が増えるとより好意的になる……つまりは好かれているということだ。しかし、減らないということは嫌われることがないということだ。それはおかしい。自分でも低すぎるだろと思えるマイの『08』だけど、彼女には港の一件で更に嫌われたと認識している。それなのに減少しないのは変だろう。


 もちろん、見えている数字が現在の好感度ではなく、これまでの最高数値だという可能性もあるから間違っているともいえない。これまでは紗愛サナに聞かなければ分からなかったことだけど、これからは俺が一人で背負っていかなければならない。発現しなかった紗愛サナの力と得体の知れない俺の力が解明される日は果たして訪れるのだろうか。



 ――考え事をしながらも、無事におつかいを果たすことはできた。いくら人と話すのが怖いとはいっても買い出しくらいなら問題なくできる。こちらが客の立場であれば、相手はマニュアル対応と定型文のみでの会話になる。それはもう精巧な人形……機械とそう大差ないから気が楽なんだ。


「ただいまー」

「あ、おかえりなさぁい」


 店に戻るとまだ客は一人もいない状態だった。それを見て少し気持ちが沈みかけたが、お弁当を受け取ったメルリが「一緒に食べましょうかぁ」と言って奥のカウンターまで俺の手を引いていく。並んで座り、お弁当の蓋を外すとまだホカホカの温かい料理の匂いに思わず腹を鳴らしてしまった。


「んふふ、ペコペコですよねぇ。私もですぅ」

「……うまそうだな」

「うまそうじゃありませんよぉ! 本当に美味しいんですからぁ!」

「そうか。それじゃあ……いただこうかな」

「はいぃ! いただきまぁす」


 そうして俺たちはいつもと同じように昼食を摂る。微妙な空気感を漂わせているのはたぶん俺の方だろう。失敗を失敗のままにしておくなんて、きっと紗愛サナなら許してはくれなかった。でもメルリはやっぱり叱ったりはしないようだ。それを嬉しいだとか助かったなどとは思えない。怒鳴られることが当たり前だった俺にとっては何も言ってもらえない方が恐怖を覚えるんだ。


「メルリ」

「はいぃ?」

「さっきはごめん」

「……いえ、もう大丈夫ですからぁ」

「失敗のことだけじゃない。俺はあの場から逃げ出そうとした。それをちゃんと謝ろうと思って」

「…………逃げ出したくなる気持ち、私にも分かりますからぁ」

「え?」

「私も昔はよく失敗しましたぁ。商人の娘なのにぃお金を数えるのが不得意で、きっと疎かったんだと思いますぅ。お客様から初めて値切りの交渉を受けた時も、商品価値に対してあまりにも安く売ってしまったこともありましたぁ。でも、父はそんな私を叱ることは一度もありませんでしたぁ。自分が一生懸命に作った道具を赤字同然で売ってしまった私に『ありがとう』と言ってくれたんですぅ」

「ありがとう?」

「はいぃ。父曰く『道具は使われることに意味がある。メルリのおかげであの道具は人の役に立てるようになったんだよ』と……」

「そうか。良いお父さんだな」

「はいぃ! だからアイガさんも気にしなくて大丈夫ですよぉ?」

「…………いや、それなら俺はやっぱり叱られるべきだろ。商品を売るどころか客を帰らせちゃったわけだしな」

「でもぉ……」

「いいんだ。俺は褒められて伸びるタイプでもないし、失敗したら遠慮なく叱りつけてくれていい。でも、メルリやこの店に迷惑はかけたくない」

「そんなことぉ……」

「だから……次は失敗しないように頑張るよ」

「あ、はいぃ! 私も一緒に頑張りますねぇ!」

「ははっ! メルリはもう十分頑張ってるだろ」


 気持ちはまだ晴れない。きっとまた失敗を重ねてしまうことだろう。それをメルリに叱られることもたぶんない。だけど、それでも頑張ろうと思えるのは俺を叱りつけ、励まし、応援してくれた人がいたからだろう。俺の体や心には今でもまだ紗愛サナとの暮らしが息づいているということなのかもしれない。


 前を向いて歩いていく。一度は乗り越えられた壁だ。今度もまた乗り越えてみせるさ。紗愛サナはもういない……。でも、応援してくれる人はいる。今の俺にはメルリしかいない。この子の為にも、もう一度立ち直ってみせる。そしていつか恩返しをしよう。行き場を失った俺をこの店に置いてくれていることにも、一緒に頑張ると言ってくれた時のあの笑顔にも。



「こんにちわ、メルリちゃんは居るかい?」


 昼食を終え、午後からの営業を開始してからしばらくすると常連客が訪ねてきた。おそらくこの店の店主……メルリの父親の友人だろうその人がこちらをチラリと見た。俺はその視線に恐怖心を感じたがぐっと堪えて軽く会釈をした。しかし、その男性はそれを無視するようにそっぽを向いてメルリの元へと向かい二人だけで話を始めてしまった。


 話の内容は聞こえてはこない。だけどそんなのは聞こえなくても分かってしまう。きっと午前中に来た客の話を聞いて様子を見に来たってところだろう。要は俺を監視、または排除しようって動きだ。あんな歳の離れたおっさんですらメルリに気に入られようと必死にアピールをしに来る。異常とも思えるが、それだけメルリには魅力があるんだろうな。


 しかし、そのメルリには全く相手にもされていない。おっとりとしていて頼りなさそうに見える……いや、実際に頼りないのは間違いではないのだが、メルリは思ったことをはっきりと言える子だ。それが表情にも出ている。きっと俺の陰口を言いに来たそのおっさんに向かって「アイガさんは頑張ってくれていますよぉ?」と少しご立腹の様子で答えていた。


 おいおい、俺のことは叱ってくれなかったのに……。なんて思うわけにはいかない。それじゃあ叱って欲しいの意味合いが変わってしまうからな。でも……それに関してはちょっと嬉しかった。メルリは俺の……いや、従業員のことを大事にしてくれる良い店主代理だと思える。だからこそ俺は……。


 バタン! と両開きの木の扉が勢いよく開いた。この店の扉はそろそろ壊れてしまうんじゃないか? そう思ってしまうほど駆け込んでくる人が多い。でも、今回はそうじゃないみたいだ。俺もメルリも、店内にいた客が一同に扉の方へと視線を向ける。そこには足を上げて扉の前に立つ若者。そう……そいつは扉に蹴りを入れて開いたんだ。


「おうおう! ここに良い女がいるらしいじゃねぇか!」

「げへへ。アニキ、あそこにいるぜ」

「あん? ほほう? 確かに良い女じゃねぇか……よぉ、アンタの名前は?」


 現れた少年たちは全部で六人。歳はみんな十四、五といったところか。威勢の割にはみすぼらしい格好をしている。中でもアニキと呼ばれた少年は驚くことに髪がドリルのように前へと突き出してある。この世界にもリーゼントみたいな髪型をする奴はいるんだなと関心してしまった俺はかなり冷静だった。


「なんですかぁ? お店の扉をそんな乱暴にぃ……」

「ああん? えらく甘ったるい話し方をする女だな!」

「あなたたち、営業妨害ですよぉ?」

「メルリちゃん……こいつら、トウガンの子どもたちだ」

「え?」


 トウガン? おっさんが発したその言葉を聞いた少年たちは血相を変えた。目を血走らせて睨み付ける。六人が六人ともだ。よほど怒りを誘う言葉だったようだが、俺には何のことかまでは分からない。ただ、おっさんはしまったと言わんばかりに口を塞ぎメルリを放置してカウンターの後ろへと身を隠してしまった。


「おい! 今なんつった……おっさんよぉ!!」

「ひぃぃぃぃ!」

「アニキ、殺っちまうか?」

「そうだな……。オレたちに喧嘩を売るとどうなるか、その身に教えてやるよ」

「ま、待ってくれ! 悪気はなかったんだ! 頼む、見逃してくれ!」

「うるせぇ! 馬鹿にしやがって……ぶっ殺してやる!」

「待ちなさぁい! 大人に向かってそんな口の聞き方をするものじゃありませんよぉ?」

「アンタもそいつの肩を持つのか? だったら……」


 アニキと呼ばれた少年がメルリに歩み寄る。しかし、彼女の元へはたどり着くことはない。何故ならば、その間に割り込むように俺が道を塞いだからだ。少年たちの威嚇対象が一斉に変更される。悪ガキたちに睨まれながらもまだ冷静でいられていることに俺は自分自身に驚いていた。


「落ち着けよ」

「なんだアンタは?」

「この店の用心棒……みたいなものだ」

「ほう? つまり、アンタがオレたちと遊んでくれんのか?」

「遊ばねーよ。仕事中なんだ、出て行ってくれ」

「ふざけんじゃねぇ! アニキ、殺っちまおうぜ!」

「まぁ待て。アンタ、オレたちのことを聞いてもビビってる様子はねぇな……よそ者か?」

「まぁな。あのおっさんが何をビビってるのかは知らないし、お前たちの態度を見る限りは余程酷い侮辱の言葉だったんだろう。大人としてそれは謝る……すまない」

「………………」

「それにな、俺もあのおっさんは気に食わない。袋叩きにしたければ止めはしない。ただ、店内では遠慮してくれ。俺に仕事をさせないでくれよ」

「くくく、ふははははは! いいね、アンタ気に入った! いいだろう。今回は許してやる」

「そうか。話が分かる奴で助かるよ。お前、見た目以上に大人なんだな」

「…………勘違いするな」

「ん?」

「あのおっさんへの興味が失せただけだ。アンタにはきっちりオレと遊んでもらうぜ」

「本気か?」

「なんだ、怖ぇのか?」


 そう問われて思い出す。俺はどうしてこんなにも平然と話せているのだろうかと。さっきまでは接客すらまともにできなかった俺が、店内に押し入ってきた少年たちに対してはえらく冷静に対処できている。子どもだからか? 俺はそんなカッコ悪い理由で偉そうに話をしているのか?


「分かった、遊んでやる。但し、店の外でな」

「よし!」

「アイガさぁん!」

「…………店主代理の仕事は店内の客を隙を見て逃がしてやることだ。それから、メルリは外に出るなよ」

「あ……」


 俺は少年たちを引き連れて店の外へと出る。相手は六人。子どもだとはいえあの人数では俺に勝ち目はないだろうな。だが店の用心棒として負けるわけにはいかない。俺にとってはこれは仕事で、こいつらにとってはただの喧嘩だ。喧嘩には負けていい。だが……頭だけは潰させてもらうけどな。通路の真ん中で向かい合って距離を空ける。いきなり襲ってくるような卑怯な真似はしてこないようだな。


「お前ら、手を出すなよ?」

「アニキ!? なに言ってんだよ!」

「うるせぇ! これはオレの喧嘩だ。手を出した奴は仕置きじゃ済まさねぇからな!」

「…………いいのか? 数的優位を自らから捨てて」

「構いやしねぇ。オレは強ぇからな」

「すごい自信だな。将来は探検家になるのか? それとも、もうダンジョンに潜ってるとか?」

「………………」

「どうした?」

「オレたちは探検家にはなれねぇ」

「なんでだ?」

「そんなことはどうだっていい。アンタはオレを楽しませてくれればな!」

「!?」


 アニキと呼ばれた少年が走り出した。緩急をつけながら少し横に弧を描くようにして接近してくる。武器は持っていない。素手か? 警戒しながらも俺も戦闘体勢を整える。こちらも武器はない。殴りあいの喧嘩はしたこともない。正直、勝機はないがこの初撃で相手の実力くらいは測っておかないとな。


「うおぉぉぉぉおおおおお!」


 距離を詰めてきた少年が拳を振り上げる。俺はそれを防御しようと両腕を上げようとしたがギリギリまで見ることを選択した。もう目の前だ。拳が振り下ろされる。その瞬間に俺は体を捻るようにしてそれを躱して後方へと跳躍しようとした。しかし、少年が拳を振り下ろした矢先、カチカチカチッと妙な音が聞こえてきた。


「くらいな!!」


 そうして今度はそれを振り上げてきた。間一髪だった。棒状のものが目の前を通過する。それを俺は背中から地面に倒れ込みながら見送った。受け身をとって後転し、距離を空けると急いで立ち上がる。そして、少年の手にあるものを見た。段々になっていて先端にいくほど細くなっている鉄の棒だ。元は十五センチ程度だろうか。それを振った時の反動で中に収納されていた部分が飛び出してくる仕組みだろう。全部で四段。警棒みたいなもののようだが、それよりも少し長く見える。


「ほう? これを初見で躱されたのは初めてだな。なんで分かったんだ?」

「腕の振り方だ。あれは殴る時の角度じゃなかった。明らかに何かを振るう時のそれだった」

「いいね。アンタやっぱいいぜ。楽しいじゃねぇか」

「そいつはどうも」


 軽口を叩いてはみるがこれで圧倒的に不利になった。およそ六十センチもある鉄の棒を相手に素手で挑むのは無謀すぎる。手加減をしてくれるような奴じゃなさそうだし、一度でも受けたら骨折してしまうだろう。何か……俺にも武器にできるものはないか? 辺りを見回してみるがそう簡単には見つからない。


愛訝アイガ、間合いを見極めろ。その為に自分の得物を使いこなせ。何千、何万と振るった分だけ相手との距離感を瞬時に測れるようになる。いいか? 切っ先だけを見つめて素振りをするんだ』


 俺は両手で握り拳を作り、それを重ねて腕を伸ばし胸の前で構える。俺の手は何も握ってはいない。だけど、俺には見える。何千、何万回と振るった木刀が。そして、たとえそれを握っていなくとも俺の記憶が覚えている。三・五尺の間合いを。相手はおよそ二尺の鉄の棒……形状からして叩き付けることに特化したものだ。他の攻撃手段はない。ならば……。


「何のつもりだ?」

「……気にするな。只の空気の刀だ」

「馬鹿にしてるのか?」

「どうかな。打ち合えば分かるさ」

「…………もういい。これでおしまいにするぞ!」


 少年は再び殴りかかろうと接近してくる。まだだ……もっと引き寄せろ。俺は見えない木刀の切っ先だけを見つめ、その時を待つ。もう少し……もう少し、今だ! 相手が間合いに入った瞬間、こちらからも接近して一気に距離を縮める。その行動に対して少年はすかさず鉄の棒を振り上げて攻撃体勢に入った。その間にも俺たちは接近し続け、彼がそれを振り下ろす頃には完全に間合いの中へと入り込むことができた。


 得物の長さに対して対象者が自身の間合いよりも内側にいる場合、その攻撃は実際の半分以下の威力も発揮できはしない。俺は空気の刀で振り下ろされる鉄の棒を弾くように、両腕を使って少年の腕を殴打した。勢いはそのまま。姿勢を下げ、肘を立てるようにして怯んだ少年のみぞおちへと押し当てる。


「ぐはっ!」


 俺の前で少年は意識を失って倒れた。まだ子どもで武器を持っていたとはいえ、随分と戦い慣れているなと感じた。きっと毎日を喧嘩に明け暮れるような生活をしてきたんだろう。しかし、タイマンを挑んできた時点で俺に負ける要素はなくなっていた。俺の習っていた剣技は個にも複数にも対応できるものであり、特に個に対しては師との打ち合いによって鍛えられているからな。


「アニキが負けるなんて……」

「そんなバカな!」

「どうするんだよ!」

「オレたちでアニキの仇を!」

「待て。ここは引くぞ」

「あん!? なんでだよ!」

「お前は倒れてるアニキを放置できんのか!?」

「……できねぇけど」

「借りはまた返せばいい。次はアニキも油断しねぇさ」

「油断……そうだよな。アニキがこんな奴に負けるわけがねぇ」

「行くぞ」

「くそ! 覚えてやがれよ!」


 嫌なこった。だけど、これで終わるとは思えないな。あんな子どもが女目当てに乗り込んで来たんだ。何か理由があるはずだ。それに気になることもある。俺は逃げ帰った少年たちを見送ってから店内を確認する。窓からメルリが覗いていた。外に出るなとは言ったが、あれじゃ危ないことには変わりないな。一緒にいたはずの客……あのおっさんはいないな。ちゃんと逃がしたのは偉いが、メルリを守ろうともせずに逃げ出したのかと呆れてしまった。


 とにかく、今日のところは何とかなったな。用心棒としての仕事もきちんとこなせた。あの少年たちとは普通に話せていたし、俺の対人恐怖症は治ったのか? だとしたら今回の一件は俺にとっては良い刺激であり特効薬のような効果をもたらしたのかもな。感謝……するべきか? なんて考えていると可笑しくて笑ってしまった。


「やるねぇ。だが、やっちまったとも言えるけどね」


 女の声がした。店の外、通路の反対側にある薄暗い路地から一人の女性が歩いてくる。町民にしては派手な衣服で、探検家にしては露出が多い格好をしている。日に焼けているのか少し褐色化した肌で髪は銀髪だ。歳は……俺よりも少し上か? その女が俺の前で足を止めた。


「面白いものを見させてもらったよ。あんた、なかなか良い腕をしてるじゃないか」

「…………それはどうも」

「あいつらはこの東地区じゃ有名なガキどもさね。きっとまた来るよ」

「だろうな。あいつらについて詳しいのか?」

「どうだろうね。でも、あんたよりは詳しいだろうさ。聞きたいかい?」

「ああ、頼めるか?」

「へぇ、意外と素直じゃないか。名前を教えてもらえるかい?」

「……愛訝アイガだ。重杉愛訝アイガ

「アイガ。良いね……いい男だ」

「そっちは?」

「あたいかい? あたいはカルバニ。カルバニ・スィミだよ」

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