和田紗愛 編 5

 朝。石造りの天井。窓から差し込む光。漏れてくる喧騒。否応なく目を覚まさせられる。天井からは燭台をぶら下げる為の鎖が垂らされている。そんな狭い部屋に小さなベッドが一つ。そこで大の字になって眠る俺を優しく起こしてくれる人などいない。この部屋には俺以外には誰もいないのだから。


「ふぁぁぁ……。ねむ。こんな早く起きてどうすんだよ」


 そんな愚痴を溢しながらも体を起こす。外が騒がしすぎて二度寝なんて絶対にできない。本当は賑やかだとかって言葉を使わないといけないんだろうけど、俺にとってはただうるさいだけの日常だ。備え付けのテーブルの上にある水をコップに注いで飲んだ。それをテーブルに戻した時、空のコップが二つ並んだ。


 ここは宿屋の二階。そして、この部屋は俺だけの個人部屋ではない。紗愛サナと二人で宿泊している部屋であり、彼女の名前で借りているから代表者は紗愛サナで、俺は同行者という立場になる。つまり、宿代を支払っているのも紗愛サナであり、俺はまた……この世界でも……。


 ここイザードパレスに来てから既に二週間が経過した。俺たちはこの宿屋の主人のご厚意により空き部屋の一つを貸し与えられ、その代金は主人の知り合いが経営している酒場で働いて返していく……という約束を紗愛サナが取りつけてくれたことでこうして寝床を確保することができた。


 飲み水は頼めばいつでも無料で分けてもらえるし、部屋にはシャワー室もあって汗も流せる。ただ、ビジネスホテルのシングルルームよりも窮屈と言わざるをえない。お世辞にも綺麗とは言えないし、大人二人で暮らすにはあまりにも狭すぎるけど、清潔でないわけではないし、壁と天井で雨風は凌げるし、柔らかいベッドで眠れるのは精神的にも大きい。


 そんな部屋で俺が一人で目覚めたこと……それには当然理由がある。まず、紗愛サナがここにいないのは、約束を果たす為に彼女は酒場で配膳……ホールスタッフのような仕事に就くことになったからだ。元々、何か仕事を探すべきだと言っていた紗愛サナにとっては、これ以上にないくらいの結果になった。宿と仕事が同時に見つかったわけだからな。


 元の世界では居酒屋でバイトしていた紗愛サナはすぐに仕事を覚えて酒場のマスターにも気に入られていた。愛想も良いし気立ても良い、元気があってやる気もある。何よりも美人でスタイルも良いから給仕服もよく似合うって客からも人気がでて、酒場へ足を運んでくる人が増えて連日大盛況らしい。居酒屋と違って朝から晩まで営業しているからか、休憩の時間以外はずっと働き詰めなのは心配だけどな。


 ……さて、ここで本題に戻そう。俺が一人で目覚めた理由だったな。紗愛サナがいないからというのはもう言うまでもない。彼女が酒場に行っている間、俺は何をしているのかっていうのがその答えになる。単刀直入に言おう……俺はこの世界でも無職のままだ。


 正確に言うと、俺も最初は紗愛サナと同じ酒場で働かせてもらえることになっていたんだが、料理はできない、注文は取れない、配膳もままならなければ、勘定すら計算できないという無能さを晒しただけだった。俺は……三日と持たずにその仕事を辞めてしまった。いや、辞めさせられたと言った方がいいのかもな。


 俺はまた……この世界でも……。そうさ、俺はまた紗愛サナのヒモ男へと逆戻りだ。つまりは紗愛サナに食わせてもらってる。宿の部屋も間借りしていて、働かずに彼女の帰りを待つだけの日々だ。これが俺たちの異世界生活。


「……そんなわけにはいかないよな」


 俺は紗愛サナが用意してくれた服に着替える。それは衣装のように見えるけど、この世界での一般的な衣服らしい。なんだろうな、ゲームで言うところの布の服……みたいなことなのか? 正直、向こうの世界から着てきた服装でいいのだが、この世界にはないものだから悪目立ちしてもなってことで仕方なくなんだ。


 紗愛サナがテーブルに置いていった今日の昼食分の代金……この世界での硬貨を拾う。十円玉のような色だけど、大きさは五百円玉よりも大きい。それを五枚だけ持って部屋を出る。気まずいから主人がいない隙を狙って宿屋を出て、そそくさとその場を後にする。無職の男がいったいどこへ向かうというのか……。それはもちろん決まってる。職探ししかないだろ。


 こんな異世界にまで来てゴロゴロしているだけの生活なんて、たとえこの国を治める王や信仰心の厚い教会の神父が認めても、ただ一人の女の子……恋人である紗愛サナだけは認めてくれない。俺も約束したからな。頑張ってみようとは思っている。毎日のように町を歩いてみてはいるけど、未だに俺が働けそうな店も雇ってくれそうな店も見当たらない。



 城下町というだけはあって、ここイザードパレスは結構大きな町だ。海にも面していたのか城のある丘とは反対方向には港があった。島国だって言っていたからそりゃそうだろって感じだが。今日はとりあえず、その港の方へと足を運んでみようと思っている。


「おい、聞いたか?」

「ん? 何をだ?」

「王様がどこぞの国からダンジョン攻略の為に助っ人を招いたそうだぞ」

「ああ、聞いた聞いた。なんでも若い男女だって話だろ? 上手くいくのかねぇ?」

「さぁな。近いうちに潜るらしいからそれでどの程度の腕かは分かるってもんだろ」

「お手並み拝見だな」

「それとよ、そいつらの報酬に税金は使われてないって話だったが……いったい何を目当てに引き受けたんだろうな?」

「王様の個人的な資産か……ダンジョンの宝か……?」

「ったく、金に目がねぇってのはどこの国の奴も同じだな」

「まったくだ。聞いたかよ? 先日、町の娘が首を吊ってたって話」

「おう、聞いた聞いた。他国から来た探検家の彼氏の稼ぎが悪くて働き詰めだったらしいな」

「それがどうやら……あれはその彼氏が彼女の金を奪うために殺したって話だぜ?」

「本当かよ!」

「なんでも彼女の方が他の男に一目惚れしちまって別れを告げたらしいんだけどよ」

「おー怖い怖い。やっぱいくら観光資源が潤うっつったって、よそ者の探検家なんて野蛮でがめつい存在でしかないってことだな」

「違いねえ」


 立ち話をしている男性たちの会話だ。内容はおそらくイサムたちの噂話。彼らは勇の者ではなく、助っ人としてこの国に協力していることになっているのか。町を挙げて盛大にプレッシャーをかけるのかと思っていたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。しかし、それでは町の人たちからの優遇には期待できそうにないな。たぶん異世界者ということも伏せているだろうし、せいぜい腕の立つ探検家というような設定にされているくらいか。


「もうダンジョンに行くのか。何がすぐに駆り出されるわけじゃないはず……だよ」


 いくらなんでも早すぎる。彼らはただの高校生で魔物とやらと戦うには最低限でも武器を扱う知識は身に付けてからでないと。それとも、それが必要ないくらいにイサム武忠タケタダの特別な力とやらは使えるものだったのか? もしかしたら、城にはその力を知る方法があの札とは別にあったのかもしれないな。


 報酬の件はもう考えるまでもない。異世界者に与えられるのは元の世界へと帰る為の扉を開く権利だけだ。町の人はその存在を知らないみたいだ。それもそうか。開いた者が望む場所へと繋がる扉……なんて、普通の人間には手に余る代物だ。どんな使われ方をされるか分からないからな。


 それから……町では首吊り事件なんていうのが起きていたのか。自殺なのか彼氏の犯行なのかってことだったけど、探検家っていうのはそこまで稼ぎが悪いのか? ダンジョンの宝は簡単には手に入らないのかもしれないな。一種の博打みたいなもので、外せば転落する人生が待っているのかもしれない。やっぱり参加しなくて正解だったのかもな。


 そんなことを考えながら歩いていると、急に冷たい風が横から殴りつけるように吹いてきた。俺を煽ったのは海風か。どうやら港に着いたらしい。あちこちに白いテントが立てられていたり、荷車などが止められている。その前で食べ物などを販売している人たちとその客で賑わいをみせている。


 その奥には船着き場があって大きな船が何隻も並んでいる。その多くが船体に付いた筒状の部分から煙を上げている。蒸気船ってやつか? あまり船にも詳しくないが、向こうの世界でもテレビとかでよく見かけたやつだ。きっと島の外の国とも貿易やらで往き来しているんだろう。


「あのぅ、すみませぇん……」


 そう言ったのは誰だ? すごく近くから聞こえた気がした。 キョロキョロと見渡してみたがその姿は見当たらない。それにしても、脳を刺激する甘くとろけるような女性の声だった。でも、やっぱりそれらしき人の姿は見えない。


「ごめんなさぁい、通してもらえますかぁ?」


 その声と共に後ろから肩を指先でトントンと叩かれる感触があった。俺は慌てて振り返ると、そこにはうるみ色の短髪に水色で三日月型の髪留めを付けた女性が立っていた。パッチリとした目がとても綺麗で、その困ったような表情には父性が沸き立つ感じがした。


 紗愛サナと同い年くらいか少し下だろうか。首を傾げる彼女をじっと見つめていた俺は自分の体質を思い出して我に返る。そうか、この子は俺に好意を持って声をかけてきたんだ。そうでなければ逆に説明がつかない。こんなに可愛らしい女性が理由もなく俺に声をかけるはずなんてないからだ。


「あ、ごめんね。俺には恋人がいて……君の好意を受け入れることは……」

「…………はいぃ?」

「ん?」

「お願いしまぁす。急いでいるのでぇ、そこを通してもらえますかぁ?」

「え、ああ……はい、どうぞ」


 俺が一歩横に逸れるとその女性は港の方へと駆け出してしまった。残された俺は何とも恥ずかしい気持ちになった。改めて周囲を見てみるとコンテナとして使われているのだろう巨大な木のボックスが置かれていて、この辺りは幅が狭く突っ立っていた俺がどれだけ邪魔だったのかと理解するのにそう時間はかからなかった。


 もう一度さっきの女性へと視線を戻す。一隻の船の前で誰かと話をしているようだ。相手は小太りで五十代手前くらいのおじさんだ。仲良さそうに笑顔で会話を交わし、男性が船に乗り込むまでの間、ずっと小さく手を振り続けていた。どういった関係なのか。赤の他人である俺には詮索することもできないが妙に気にはなった。


「……ここに仕事はなさそうだな。ぐるっと一回りして戻るか」


 たぶん仕事がないことはないだろう。見てみぬフリをしたけど、船に荷物を運び込んでいる人の姿は多かった。ああいうのって出港時間とかも関係してくるからめちゃくちゃ忙しそうだし、たぶん常に人手不足なんだろうとは思う。でも、ああいうのは無理だ。選べる立場ではないんだけどな。


 ふと、海の向こう側に目をやると遠くに別の島が見えた。遠いとはいってもそんなに離れてるわけじゃない。あれもこの国の治める島々の一つなんだろう。向こうに行けば別の町……いや、村があったりするのか? ここは城下町だから都心部みたいなものだろう。俺には田舎すぎない程度にそこそこ人の集まるような場所の方が合ってるのかもしれないな。


「いらっしゃい、らっしゃい!」


 近くで良い匂いがした。目をやると荷車の上で肉を焼いて商売をしている人がいて、その香ばしい匂いで腹が唸るように鳴り響いた。俺はポケットに入れていた硬貨を取り出し、少し早いけどここで昼食を摂ることにした。


「これで買えるだけ」

「おう、らっしゃい! ちょっと待ってな!」


 店主は硬貨を受けとると白米のようなものを握り込み、その上にさっきの肉をぐるぐると巻きはじめた。肉巻きおにぎりみたいなもののようだ。


「なぁ、向こうの島にも町があったりするのか?」

「ん? あんたこの国は初めてかい?」

「まぁ」

「この国にはこのイザードパレスしかねぇよ。他の島にはキャンプ地とかはあるけどな、基本ダンジョンの入り口があるだけだぜ」

「ダンジョンか……それってどのくらいあるんだ?」

「正確な数は知らねぇな。新しいのがどんどん見つかるって話だし、今は五十を超えてんじゃねぇか? その辺りは直接探検家共に聞いた方が早ぇよ」

「そうか」

「そういや、ダンジョンのいくつかは王家が管理していて、そこには特別な許可がない限り一般の探検家は入れねぇって話も聞いたことがあるな」

「そういうのもあるのか。そこにはよっぽどの物があるってことになるが」

「お、あんたもダンジョンのお宝狙いかい? 初心者はちゃんと罠避け役を雇うんだぞ? それをケチって死んじまう輩が後を絶たねぇからな」

「はぁ」

「ほら、できたぞ! ちょっとオマケしてやったからな、しっかり食って頑張ってきな!」

「……ありがとう」


 店主から包みを受け取って俺はその場を後にした。ダンジョンになんて行かないけどな。でも、わりと良い情報を聞けたんじゃないか? 王家の許可がなければ入れないダンジョン……そのどれかに魔王がいて、そこに元の世界へ戻る為の扉があるってことなんだろうな。イサムたちはそういうダンジョンだけを探索させられることになるんだろう。


 包みを開けて肉に食らいつき頬張る。まずは巻かれた肉の甘辛いソースが口の中に広がる。次はとろけるような肉の柔らかさを堪能させられ、最後に餅米のような弾力のある噛み堪えによって満腹中枢を刺激される。美味しい……そう素直に思えるような一品だった。頑張ろう。今はとにかく生活を安定させないと。その為にも。



 ――港から町中に戻った俺はその足で片っ端から店を訪問した。飯屋とかはダメだ。酒場と同じで俺には合わない。覚えることは少ない方がいい。それでいて何かと情報を得られるような所がいい。この国の最大の収益は観光資源によるものだ。つまりはダンジョン。探検家からの情報が最も好ましい。


 彼らが集う場所といえば……やはり酒場が最も多いだろう。酒の席ならば口も軽くなるだろうしな。でもそちらはいい。紗愛サナのことだからきっと上手くやってくれる。俺は別の角度からいく。探検家たちにとって必須と言ってもいいくらいに無くてはならない店。そういう所で働けたらいいなと思う。


 俺は大きな通りに面したちょっと派手だけど立派な建物へと足を踏み入れる。その足は若干震えてはいるが何とか逃げ出さずにはいてくれている。心臓は高鳴り、息をすることすらも忘れるくらいに緊張しているのが自分でも分かる。でも、これを乗り越えなければ何も始まらないから……。


「あの……」

「いらっしゃい!! いいものが揃ってるよ!! 短剣に長剣、槍に斧、弓に杖など様々な得物を扱う我が武器屋へようこそ!!」

「あ……」

「今日はどのようなものをお探しで!?」

「いや、俺は……」

「これなんかはどうでしょう!! 今イチオシの商品でして、最近ダンジョンから見つかったばかりの物で市場にはまだ出回っていない剣にございます!! 未知の鉱石が使われております故に修復は不可能ですが、切れ味はまだまだ現役!! それにこの重量感のある見た目とは裏腹に何とも軽い!! どうぞ、一度手に取ってみてください!!」

「す、すみません、今日は……その……」

「んん!? どうかなさいましたか!? お客様、顔色が優れないようですが……!?」

「あ……ああ、で、出直してきます」

「そうですか……。またのご来店、心よりお待ちしております!!」


 俺はその武器屋を後ずさるようにして抜け出した。なんだあの店主は……。あまりにも接客が暑苦しい。こっちの都合なんかお構いなしに勧めてくるし、声がでかすぎて緊張してる心にぐっとのし掛かるようで押し潰されるかと思ったわ。無理。ここはダメだ。次へ行こう。


 そうやって訪れたのは防具屋。さっきの武器屋とは違って落ち着いた雰囲気の建物。恐る恐る足を踏み入れてみたが店主が歩み寄って来たりはしない。レジカウンターの奥で籠手か何かを丹念に磨いているようだ。俺は一度深呼吸をしてからゆっくりと店主に声をかけてみることにした。


「あの……すみません」

「ん? はいはい。なんでしょう?」

「えっと……。俺……あ、いや、私はこの国に来たのは初めてで、色々とあって全財産を失ってしまいまして。今は仕事を探しているんですけど、この店は店員を募集していたりとかってしますか?」

「…………なるほど、君はうちで働きたいと?」

「はい……」

「ふむ」


 返事をして店主は俺の顔をまじまじと見始めた。アルバイトの面接とは違う。この世界には電話もなければ、履歴書のようなものもなかった。働き口を見つけるには自らの足で赴き、自分で自分を売り込まなくてはならない。そう酒場で聞いたと紗愛サナが教えてくれた。とりあえず、ようやく話を切り出すところまではいけたんだ。何とか得意の口八丁で言いくるめて雇ってもらえるようにしなくては……。


「君、名前は?」

「はい。重杉愛訝アイガ……です」

「シゲスギアイガ? 変わった名前だね」

「……よく、言われます」

「まぁいい。ではアイガくん、君は何故この店を選んだのかな?」

「それは、たまたま目についただけ……といいますか。でも、知り合いが探検家になろうとしていて、そのサポートまではできないけど、こういう仕事に就いていれば他の探検家たちの話も聞けるかなと思いまして……」

「ふむ、正直でよろしい。見たところ職人でもなければ技巧師でもない。まだ若そうに見える君自身が探検家になろうとしないのは魔法も使えず武器を持つ勇気がないからかな? そんな君が仕事を探しているということはだ……それはつまりどのような内容であっても働き口さえ見つかればよかった、というように感じるのだが?」

「…………そう、なりますね」

「うん。防具を売るだけなら楽そうだと、君はそう感じたわけだ」

「いえ、そんなことは……」

「では、君はここで何を得られると思う? 君はこの店の為に何をしてくれるのかな?」

「………………」

「こちらも給金を出す以上はそれなりに売上にも貢献してもらわなければならない。軽い気持ちでと言うのならばお断りさせてもらうよ」


 防具屋で働いて得られるもの。そして、この店に対して俺ができること。この質問に答えられなければ雇ってはもらえないようだ。そんなの……分かるはずがない。防具屋なんて向こうの世界には無かった。古いゲームの知識しかない。俺には……何も答えられない。


「……防具にも色々と種類がある。胴体を守る衣服や鎧、頭部を守る帽子や兜、他にも手袋や籠手、靴や具足、全身を守ることのできるフルプレートメイルなんていうものもある。手に持って扱う盾も防具の一つだ。そして、それらに使われている素材もまた多く存在する。革だったり鉄だったりと素材ごとに重量や耐久性が変わってくる。身に付ける者によっては体格も違うからオーダーメイドになる品もある。それらを総合的に評価し価格が定められる。ここまでは分かるね?」

「…………はい」

「防具屋の仕事は接客だけじゃない。素材の調達、防具の開発、商品の陳列、接客と採寸、調整と加工、修復と廃棄。そして何より、物の価値を見極める目が必要なんだ。アイガくんには申し訳ないが、うちには君に任せられそうな仕事はなさそうだよ」

「そう……ですか」

「本気で商人の道へ進みたいと考えるなら、まずは素材のことから勉強するといい。武器や防具には共通する物も多いからね。行商ではなく店舗務めを希望するなら、品数が豊富で特別な技術を必要としない物を扱う所から始めるといい。それから、探検家たちの話を聞きたいなら酒場にでも行ってみるといい。力になれず、すまないね」

「いえ……ありがとうございました」


 意気消沈のまま俺は店を出た。何が口八丁で言いくるめるだよ。緊張でまともに話すこともできなかった。防具屋の店主は最初から見抜いていたように、俺にこの店で働くことの大変さをただ教えてくれただけだった。舐めていたのかもしれない。この世界では学歴も職歴も関係ない。使える人間かどうかは見る人間が見れば判断できるんだ。この世界でこそ、俺は世間から笑われる存在なのかもしれない……。



 とぼとぼと通りを歩いて、俺は薄暗くなる時間になってようやく宿屋へと戻ってくることができた。宿屋の主人の視線なんて気にならないくらいに無言で廊下を進み、階段を上がって部屋の扉を開いた。小さなベッドへとうつ伏せに倒れ込んで「はぁぁぁぁ……」と深いため息を吐く。


愛訝アイガ? 戻ったの?」


 紗愛サナの声だ。今日は先に帰っていたようでその声はシャワー室から聞こえてきた。彼女がシャワーを浴びていたら覗きに行きたくなるのが男心だが、俺はその場から動けなかった。未だに仕事を見つけられない俺に対して紗愛サナはどう思っているのか。叱咤しったされるかもしれないし、また平手打ちが飛んでくるかもしれない。そう思うと能天気に浮かれてなんていられない。


愛訝アイガ? あ、やっぱり戻ってきてた。返事くらいしてよ。別の人が入ってきたのかと思って怖かったじゃない」


 しばらくして紗愛サナがシャワー室から出てきた。髪を拭きながら俺が寝ているベッドに腰を掛ける。きっと今はバスローブ姿だろうな。最近はいつも着ているし、貸し出しは無料で洗濯も宿の人がしてくれるから部屋着として活用しているのだろう。


「どうしたの? 何かあった?」


 そういつもと変わらないトーンで聞かれる。心配している様子でも怒っている様子でもない。でも逆にそれが俺には怖くて。だけど、黙っているわけにもいかない。


「…………今日、防具屋の面接を受けてきた」

「うん」

「ダメだった……手に職のない俺にできる仕事なんてないってさ」

「そう」

「はぁぁ……。ごめん」


 謝ってしまった。ここからは説教タイムになる。彼女を朝から晩まで働かせ、俺は町を散歩してきただけだ。面接だってたった一件だけ。それにあんなのは面接とも呼べるようなものじゃなかった。そんなに甘い世界じゃないんだと諭されただけだったからな。


愛訝アイガ、座って話そ?」

「………………」

「もう……。そうやって落ち込んでると悪いことばかり考えちゃうでしょ? そんなんじゃ次も失敗しちゃうわよ?」

「……次なんて……あるのかな?」

「諦めなかったら見つかるわよ。こんなに広い町なんだから、愛訝アイガに合う仕事もきっとあるはず」

「そう……だといいけど」

愛訝アイガ、もしかしてあたしに合わせる顔がないとか思ってる? 戻るのが遅くなったのもそういう理由だったりするの?」

「…………いや、まぁそれもあるかも」

「もう……まったく愛訝アイガは……。ここはあたしが借りた部屋だけど、愛訝アイガの部屋でもあるんだよ? 自分の部屋に戻るのを苦痛に感じてたら休まる場所がないじゃない」

「………………」

「それに、あたしが怒ってると思ってるんでしょ? 全然そんなことないからね? むしろ……嬉しいと思ってるくらい」

「……嬉しい?」

「うん。だって、愛訝アイガが頑張ってるんだもの。あの時の約束を愛訝アイガは忘れてなかった。こんな世界に来ちゃって最初は戸惑ったけど、愛訝アイガと普通に生活できるのなら……あたしはどんな世界でだって構わないわよ?」

紗愛サナ……」


 俺は寝転がって仰向けになった。そして紗愛サナを見上げた。彼女はこちらに笑顔を向けていた。なんでそんなに幸せそうに笑えるんだよと不思議に思ったけど、紗愛サナは俺の失敗を失敗とは見ていないんだろうな。この失敗は俺にとっての最初の一歩になった。ここで打ち止めにするか、もう一歩踏み込むのかは俺次第だ。だったら俺は……。


「また……探してみるよ。まだ一件目だしな。心が折れるには早すぎる。紗愛サナだってこの宿を見つけるまで頑張ってくれたし」

愛訝アイガ……。うん、頑張ろう。あたしも応援するから」

「ありがとう……紗愛サナ



 ――それから数日、俺はまた働き口を求めて町をさ迷い歩く日々を続けていた。その中でいくつか面接まで漕ぎ着けた店もあるにはあったが、未だに雇ってくれるところまではたどり着けないでいた。この異世界は元の世界と違って無数に感じるほどの業種があるわけでもない。ここはダンジョン攻略に訪れる探検家を相手に商売をする店が圧倒的に多く、その狭い範囲内の業種だけがしのぎを削っている。


 ゲームではお馴染みの町にある店。武器屋が何店舗もあるとそれを巡るだけでも面倒だった記憶があるが、それが現実になると何十店舗の中から商品の質と金額を精査し、自分に合ったものを見つけなければならなくなる。宿だって町に一つじゃない。金があれば必ず泊まれるってわけでもない。何よりも、現実では歩いてるだけで疲労が溜まるし、食事をしなければ体力も持たない。セーブもロードもない。


 でも、現実でも起こることがある。それはゲームではイベントと呼ばれるものだ。何もせずじっとしているだけではほぼ起こり得ないが、懸命に何かを探し行動し続けてると、どこかでフラグが立って舞い込んでくる新しい風だ。その風の善し悪しはこの際置いておくとして、それを運んで来てくれるのは俺の場合は彼女をおいて他にはいない。


愛訝アイガ! 愛訝アイガ!」

紗愛サナ? どうしたんだ、そんなに慌てて」

「朗報よ! 見つかったの!」

「見つかった?」

「そう! 愛訝アイガを雇うことを前向きに検討してくれるって人が現れたのよ!」

「俺を……? 本当に?」

「本当よ! 良かったわね、愛訝アイガ!」

「ああ……。ああ、良かった!」


 この日、確かに風が吹いたんだ。俺が自らの足で掴み取ってきたわけではないけど、やってきたことが無駄だったとも思わない。失敗して挫けそうになって、それでも手を伸ばすことを止めなかった……手を伸ばすことを止めさせないように支えてくれた人がいた。いくら感謝しても足りない。俺はきっと、紗愛サナなしでは生きられないだろうな。そう感じた瞬間だった。

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