和田紗愛 編 4

 異世界召喚によってこの世界へと招かれた俺たち六人。キヤス神父に連れられアメムガリミス教会へとやって来た。そこで勇の者として俺たちを呼んだ理由とここで成すべきことを伝えられた。彼らの神が与えてくれた加護によって特別な力を得たことを知った高校生たちは、ダンジョンに巣食う魔物とそれを従える魔王の討伐を引き受けることに決めた。しかし、俺と紗愛サナは……。


「悪いな、俺たちは断固辞退させてもらうとするよ」

「なっ!?」

「ど、どうして!?」

イサム……お前が言ったんだ、自分の意思で決めろってな」

「それは……ですが、あなたなら……」

「俺は武忠タケタダの行いで自分の力を知る機会を逃した。もちろん、それで知れたという確証もない。だけど、マイ美菜ミーナは魔法が使えて、イサム武忠タケタダは魔法が使えないことを知れた。俺は自分のそれを知らない。君たちとの間にあるこの差は大きい」

「オレが……悪いって言うんスか?」

「いや、武忠タケタダのしたことに悪気がなかったことは理解してる。でも、だからといって何も知らないまま戦いに身を投じて君たちの盾となって犠牲になるつもりもないってだけだ」

「……それでは、貴殿はどうすると仰るのですか? 元の世界へと帰るにはどの道ダンジョンへと潜らなければなりません」

「そうですよ。愛訝アイガさんは紗愛サナさんをこの世界に留めておいていいんですか?」

「………………」

「ダンジョンは確かに危険かもしれません。だけど、僕たちには戦う力があります。そして、この国の人たちもいずれ魔法が使えなくなるかもしれなくて……魔王がダンジョンの外に魔物を解き放つかもしれません。そうなったらこの城下町も安全ではなくなるかもしれません。戦わないという選択肢は今を逃れる言い訳にしか……」

「はははははは!!」


 思わず笑ってしまった。腹を抱えるほどの大爆笑だ。その姿に高校生たちは説得する言葉を失ったかのように驚き、困惑していることだろう。だけど、そんなことを言われたら笑うしかないだろ。


イサム、可能性の押し売りはやめてくれよ。かもしれないなんて……そんな理由でお前は俺に死地へ赴けって言うのか?」

「ち、違います!」

「違わない。お前は分かったつもりになってるだけだ。キヤス神父の言葉は全て真実だと疑いもなく受け入れている。良い奴だよ、お前は。だけど、それは付け入る隙にもなる。気をつけた方がいい」

「ならアンタはこの神父が嘘をついてるって言うのかよ!」

「いや、この人はきっと嘘なんてついていないだろうな。だけど、全てを話したとも思わない。それはここまでのこの人の態度とその対応で分かるはずだ」

「………………」

「この人はこの町では知らない人はいないと自称した。それは町の人に聞けばすぐに真相は分かる。だからこれは本当のことだ。教会のことや信仰心の話もそうだろう。そして、町のことやこの国のことも嘘ではない。魔法については既にこの目で見ているから疑いようがない。だけど、ダンジョンや魔王についてはどうだろうな。この人も『言われている』というような言い回しで話したよな? それなのにダンジョンの最深部には魔王がいて、その背後に扉があることに関しては見てきたような話し方だった」

「そうだったか?」

「僕は気にもしていなかった……」

「勘違いされても困るからこれだけは先に言っておくが、俺は別にキヤス神父を疑ってはいない。この人は協力的だとも思う。しかし、この人は俺たちに説明すると言ったはずだがその事柄に関しては基本的にこちらの質問に答える形で行われたよな?」

「……聞かれなかったことへの説明が足りなかったと?」

「どうなんだ?」

「…………確かに、そうだったかもしれませんね。しかし、貴殿方の質問が実に的を得ていて私から言うべき事柄がなくなったというだけのことですよ。我らの神に誓って隠し事はありません」

「そうか」

「ほらな! アンタが間違ってんだよ!」

「やめるんだ、武忠タケタダ。その思い込みこそが間違いだと愛訝アイガさんは言っているんだ」

「あ?」


 イサムは頭が良い。理解力もある。人を惹き付け、共感もされやすい人柄なだけにできれば敵対はしたくない。武忠タケタダはこういう場では無能を晒すだけの役立ずだ。でも、腕っぷしは確かに一番ありそうだからダンジョンでの戦いでは必須級だと言ってもいい。あとは何とかこの場をこちらの都合の良いように切り抜け、まとめてしまえばあとは自由に行動できそうだな。


「キヤス神父、質問してもいいか?」

「はい、何なりと」

「あなたたちはこの国の王の命令で異世界召喚を行った」

「はい」

「俺たち勇の者への対応も王の指示だった」

「はい」

「魔王や扉の話はあなたも王……または側近の誰かから聞かされた話だった」

「その通りです」

「うん。では……俺たちが王の命に従わないと言うならどうする?」

「どのようにも致しません。この後、彼らをヴァンシュノヴァイン城へと案内し、そこで王との謁見が叶えば激励のお言葉を頂戴することとなるでしょう。その際にこの世界で生きていく為の最低限の保障と生活の為の援助金はご用意なされていることと思います。しかし、協力が得られない貴殿方はここで解放されることとなります。先程もお伝えした通り、その後のことに関してはどのようにも致しません」

「分かった。ありがとう、キヤス神父」


 協力しないなら勝手にしろってことか。自由は与えるが権利も保障も優遇もなし。何にも分からないこの異世界で勝手にの垂れ死んでくれと……それがこの国の王のやり方だ。分かりやすくていいな。


愛訝アイガさん、ここはやっぱり従っておいた方が得策だと思います。すぐにダンジョンへ駆り出されるわけでもないはずですし、しっかりと準備を整えてから臨めば危険だって減らせるはずです」

「ありがとう、イサム。だけど俺の意思は変わらない。俺たちは勇の者じゃない。君たちの召喚に巻き込まれただけの通行人AとBだ。ただのモブがいつまでもでしゃばる話じゃないだろ?」

「しかし……」

「安心しろよ。何もこれっきり関わり合いになりたくないって言ってるわけじゃない。俺はこの国の王には協力しない。だけど、君たちの協力者ではいるつもりだ。君たちは勇の者として真っ当に王道を征け。俺たちは町で情報を集めたり、いろいろと探ってみるつもりだ。君たちに知らされないこの国の裏の顔があればそれを伝えてやる」

「僕たちは表で、愛訝アイガさんたちは裏を進むと?」

「そういうことだ」

「だがよ、たった二人で何ができんスか?」

「二人じゃないさ。キヤス神父も協力してくれる……そうだろ?」

「…………私は、私の神に背くことはできません」

「分かってるさ。そんなに無茶を言うつもりもない。それに、協力してくれるなら俺たちもあなたの夢に協力してもいい」

「私の……?」

「己の神を信ずる者たちがあなたの考えを支持するようになれば、この教会はもっと多くの信仰者で溢れることになるだろう。俺たちはただの町民になるわけだからな。この町の人たちとの交流が増えればあなたの代わりに話をするくらいのことはできる」

「…………なるほど、確かにそれは私にとっても非常に喜ばしいことですね」

「ま、どこまでできるのかは分からないけどな」

「それはお互い様というものです」

「はは、そうだな」


 これでいい。自分でも口八丁だと思うよ。それでも、この場にいる者は他者の言葉を信じやすい者ばかりだからな。疑われるくらいなら、先にこちらから疑ってしまえばいい。それだけで俺の言葉が正しく聞こえてしまっていることだろう。やっていることはこの国の王と大差ないけどな。


 俺は戦うことが怖いわけじゃない。たぶん、武器を持てばこの中の誰にだって負ける気はしない。でもそれはできない。なぜなら、元の世界へ帰ることよりも俺には大事なことがある。優先順位が他のみんなとは違うんだ。だから……都合の良いように動かせてもらった。


紗愛サナ、それでいいよな?」

「うん。あたしは愛訝アイガから離れるつもりもないし、愛訝アイガがそう決めたならそれに付き合うわ」

「……というわけだ。俺たちはこれで失礼するよ」

「本当に行ってしまうのですか?」

「ああ。でも、そうだな……。俺の手にした力が判明して、それが君たちに必要だと感じたらいつだって手を貸すさ」

「へっ! アンタの力なんて無くてもオレがいれば楽勝だっての!」

「そうか、それじゃあ期待させてもらう。ああそうだ、門を開く時は呼んでくれよ? 巻き込んでおいて勝手に帰るなんてことはするなよ?」

「それはもちろんです! 時々は情報交換の為に会いましょう。ここなら余計な目にも触れないでしょうし。キヤス神父、宜しいですか?」

「はい、構いませんよ」

「ありがとうございます」

マイちゃん、美菜ミーナちゃん、手伝ってあげられなくてごめんね?」

「いえ……」

「………………」


 あの二人は途中から会話に入ってこなかったけど、どこまで理解できたのか。マイは少しふてくされたように視線を下げて紗愛サナの言葉に愛想なく返事をした。美菜ミーナは黙ってはいたがしっかりと目を合わせて首を横に振っていた。


「それじゃあまたな! キヤス神父、札が入荷した頃にまた来させてもらう。門前払いはしないでくれよ?」

「もちろんです」

「行こう、紗愛サナ

「うん」


 俺は紗愛サナと二人で部屋を出る。階段を下りて廊下を進み礼拝堂へと出たが、やはりここで祈りを捧げている人は少ない。外へと出てみたが集まっていた人たちもどうやら解散したようだ。あれだけいた神父服の人たちもいずこかへと消えてしまったかのようにその姿を見かけなかった。



 ――紗愛サナを先導するようにして町を……イザードパレスを歩いていく。教会へ行く時は建物だったりを頭の中で描いた地図に配置していく作業をしていたからな。今度はゆっくりと観光でもするように歩いていく。


 町の人たちの様子は俺たちのいた世界に生きる人たちと変わりはない。急ぎ足の人もいればのんびりと散歩でもしているような歩き方の人もいる。男女比はどうだろう。同じくらいか少し女性の方が多いかもしれない。パッと見だけど若者の方が多そうなのは向こうの世界とは真逆だな。


 行き交う人々の中には探検家と呼ばれる仮装でもしているかのような格好の人たちもいる。彼らはダンジョンとやらに潜って魔物退治をしたり、そこにある宝を持ち帰って換金したりして稼ぐ人たちなんだろう。魔物を倒すことが仕事になるのかは分からないが。


 剣と魔法で戦う異世界ファンタジー……か。向こうにいた時は簡単に考えていたけど、物語の主人公たちはよくもまぁ平然と戦いを受け入れるよな。イサムたちもそれに倣ったんだろうけど、とてもじゃないが俺には無理だ。魔物が怖いわけじゃない。異世界だからって理由で命を奪う行為をそうそう肯定なんてできるか?


「ねぇ、愛訝アイガ?」

「ん?」

「さっきは……ありがとう」

「なんだよ。紗愛サナがお礼を言うなんて珍しいな」

「…………愛訝アイガ、こっちに来てから何か変わった? どこか落ち着いてるし、不思議と頼り甲斐があるように見えるわ」

「そうか? 俺はいつも通りのつもりだけど、紗愛サナにそう言われると嬉しいな」

「あたしは全く話に付いていけなかったもの。でも愛訝アイガは話の中心になってた。あたし……愛訝アイガがどこか遠くに行っちゃった気がして……」

「気のせいだよ。俺はどこにも行かない。俺が頑張ったのは紗愛サナの為だ。紗愛サナをダンジョンになんて連れて行けないもんな。でも、普通に断ったんじゃ立場も危うくなるかもしれない。だから、それらしいことを言ってあいつらを騙して如何にも正論だと思わせる必要があった」

「それじゃあ……嘘なんだ。町で情報を集めるって言ったのも、あの神父に言ったことも」

「ああ……。そんなつもりは欠片もないよ。俺のこと、見損なった?」

「別に。おかしいと思ってたもの。あの愛訝アイガが自分から動こうとするなんて……って。頑張るって約束してくれたから張り切ってるのかとも思ってたけど」

「ごめん。自分たちの世界でもまともに働けない俺が、こんな訳の分からない世界でなんて……余計に難しくなった。でも、これだけは信じてほしい。紗愛サナのことを守りたかったから……」

「分かってるわ。ダンジョンには人を襲う化け物がいて、もしもそこにあたしが行ったら……たとえ武器を持っていても、魔法を使えたとしても最初の犠牲者になることは目に見えてるもの。あたし……運動は苦手だから」


 苦手……という言葉は相応しくない。紗愛サナは絶望的なまでに運動音痴でラジオ体操すらまともにできないレベルだ。物を投げればあらぬ方向へ飛んでいくし、走り方が死ぬほどダサいから人前では絶対に走れないようにいつもヒールを履いてる。


 人には向き不向きもあるし、得意なことや不得意なことだって当然ある。俺はどんくさい紗愛サナのことも好きで、それを表に出さないように努力している姿には尊敬だってしてる。美人でスタイルも抜群で、頭も良くて世渡りの上手いできた人柄という完璧な女の子。そのイメージを崩さない紗愛サナは俺の誇りだ。


愛訝アイガが断ってくれなかったらどうなっていたか……。あたし、魔物の話が出てからはもうまともに聞いていられなかったし」

「でも、ちゃんと堂々としてたように思うよ。誰にも気づかれなかったしさ」

「……そうだといいけど」

「ま、おかげで手に入らないものもあったけど、ひとまず自由になれたわけだしさ。あいつらが魔王を倒してくれることに期待しよう。その間、俺たちは異世界での生活を満喫していればいいだけだしな」

「簡単に言うけど、大人二人が一から安定した生活を手にするのは難しいわよ? 分かってる? あたしたち無一文なのよ?」

「ああ、それは分かってるよ。だから紗愛サナにお願いがあるんだ」

「……何? あたしに何かさせようっていうの? 嫌よ、あたし……愛訝アイガ以外になんて……無理だから!」

「落ち着けって。そんなことさせるわけないだろ。ただ、荷物を少し分けてほしいなってさ。向こうの物がこっちに無いとも限らないけど、もしかしたら高値で売れる物もあるかもしれないだろ?」

「荷物って言っても……」

「ほら、遊園地のお土産とか。紗愛サナ、いろいろと買ってただろ? この世界で価値のある物があるのかは分からないけど……。あ、価値を調べるならわらしべ長者をしてみてもいいかもしれないな。この世界の物にも触れられるかもしれないし」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 愛訝アイガ……気付いてないの?」

「ん? 何に?」

「…………あたしのお土産を持ってたのは愛訝アイガでしょ? そして今、愛訝アイガはそれを手にしていない」


 ……言われてみればそうだ。俺は両手いっぱいにお土産を抱えていた。遊園地を出てから満員電車の中でも持っていた。最寄り駅に付いて帰路についた時もしっかり持っていた。でも、今はもうない。どこに忘れて来たんだ? いや、そんなのは分かりきってる。俺は……。


美菜ミーナを助けようとした時か……。無我夢中になって紗愛サナの荷物を投げ捨てた?」

「………………」

「ごめんな、紗愛サナ

「それは……もう今言っても仕方ないことだけど、もしもあのお土産を持ってきてたとしてもそんなに価値が付くとは思えないわよ」

「そうなのか? 園内でしか買えないし、何かやけに高そうだったし、紗愛サナも夢中で選んでたし……俺はああいう所にはあんまり行かないからさ。でも、じゃあ何であんなに買ってたの?」

「何でって……」

「だってそうだろ? 入園料だって払ってるのに、価値のないものを追加料金を支払ってまで買うなんて……」

「別に愛訝アイガのお金じゃないでしょ! あたしが自分のお金で何を買おうが文句言わないでよ!」

「……ごめん、別に文句を言ったつもりはなかったんだけど」

「いい? あたしが買ってたのは物じゃないの。思い出なの。愛訝アイガと恋人になった一周年記念に遊園地デートをしたっていう記憶は目に見えないけど、一緒にアトラクションに乗ったり、キャラクターの話をしたり……そういうのを形に残せればそれを見た時にまた思い出せるでしょ? 物の価値は値段じゃないの。あたしは愛訝アイガとの思い出にならいくらだって支払えるんだから!」

紗愛サナ……」


 こういうところだよな。俺は無神経で彼女の気持ちも汲めないような男だ。紗愛サナはこんなにも俺を好きでいてくれてるのに、その期待に応えられてない。どこまでも現実主義。夢を見ることもない、哀れな男だ。


「どうせ売るなら、この世界では役に立たないだろうけど存在しない技術なんかを取り入れてある物の方が良かった。例えば……スマホとか? ここには電波もないだろうし、電気もないから充電もできないけど、内臓バッテリーが動く間だけでもその機能の一部を見せれば興味を惹けたと思う……」

「それだ! スマホを売ろう。他にも何だっていい。売れる物は売ってしまおう。とりあえず、今晩の宿代だけでも手にしないとな!」

「でも、それも無理よ」

「え?」

「だって、あたしたちの持ち物は全て消えちゃってるもの。この世界に持ち込めたのは身に付けていたものだけ……それにも気づいてなかったの?」


 嘘だろ? 俺はポケットに手を突っ込んだ。しかし、いつもしまっている場所にそれはなかった。それだけじゃない。けして重くはなかったし、こちらでは使えないんだろうけど財布も消えてしまっている。紗愛サナが言った通り、正真正銘の無一文になっていた。


「マジか……それじゃあ俺たちはこの町で生きていくことすらできない。どうする。教会へ戻ってキヤス神父に頼んでみるか? いや、それはできない。あれだけのことを言って出てきたんだ。すぐに助けなんて求めたら呆れられて見損なわれて一気に立場が危うくなる。イサムたちに知られたら一生の笑い者だ……」

愛訝アイガ……」

「ごめん紗愛サナ、俺のせいでつらい目に遭わせてしまうかもしれない。俺に……俺に騙されたって言えば紗愛サナだけでも教会に保護してもらえるかもしれないけど、そうなったらダンジョンに…………」


 詰んだ。やっぱりゲームとは違う。町中に金やアイテムが転がってるわけでもないし、いきなりダンジョンに出向いても魔物に勝てるはずもない。仮に運良く倒せたとしても何もドロップなんてしない。異世界召喚を受けた時点で俺たちには逃げる選択肢なんてなかった。王家の言いなりになって死ぬまでダンジョン探索を強要され続ける運命に従うしかなかったのか。


「……カッコ悪いわね」

紗愛サナ……?」

「さっきまでの愛訝アイガは自信に満ち溢れていて本当にカッコ良いと思ってたのに。やっぱり愛訝アイガ愛訝アイガなんだ。でも、少し安心もした。あたしの知ってる愛訝アイガのままでいてくれたことには」

「……なんでそんなに落ち着いてるんだ?」

「むしろ、なんで愛訝アイガはそんなに焦ってんの? お金が無いことなんて愛訝アイガにとってはいつものことじゃない」

「それは……でも、この状況じゃ……」

「どんな状況でもどんな世界でも、お金を手に入れる方法なんて同じでしょ? ちょうど良い機会だし、愛訝アイガの頑張りをちゃんと見せてよね」

「それって……まさか?」

「そう。働くの。この異世界で誰の助けも受けずに稼ぐには、真面目に働いてその給金を受けるしかないはずよ?」

「いや……そんな……いきなりすぎるだろ」

「仕方ないじゃない。あたしも無一文なんだから食べさせてあげられない。働かないと本当に飢え死にしちゃうわよ?」

「でもどうやって? この世界にアルバイトなんていうシステムはあるのか? 履歴書はどこで手に入れる? 銀行は? 住所のない俺たちに口座は作れるのか?」

「はぁぁ……。愛訝アイガ、そうやって考えすぎるから何も出来なくて動けなくなるの。世の中には確かにルールがあってそれを守らないといけないのは当然。でないと集団生活なんてできないから。だけどね、世の中は厳しくても世間は……人の心っていうのは困っている人を助けようとするもの。事情を話せば分かってくれる人は必ずいるわ」

「そんなのは……相手の偽善か何か裏があるからに決まってる。あとでどんな要求をされるか分からないじゃんか」

「その時はその時。でも、そんなことにはならないと思う。愛訝アイガも見たでしょ? 怪我をしている人を魔法で治してあげる人がいた。彼女はその代金を要求したりはしなかった。この世界には利害なんて度外視で他人に手を差し伸べてくれる人もいる。魔物なんていうものがいる世界だもの、人間同士が助け合わなくてどうするの?」


 そんなのは綺麗事だ……。そんなことを紗愛サナには言えない。向こうの世界は他人に厳しい世界だった。いつも誰かが悪者を探して、小さなミス一つ許さないような環境で、みんながみんな怯えながら生きてた。一度の失言で匿名の集団から罵詈雑言を浴びせられ、その名誉がどれだけ傷つき燃え上がっても他人事のように済ませるような世界だった。


 そんな世界で俺は誰よりも底辺にいた。救いようがなかった。でも、紗愛サナはそんな俺を側に置いてくれた。飯を食わせ、寝床を用意してくれた。そんな彼女の気持ちを踏みにじるようなことは言えない。俺は……変われるのかな? あの時の覚悟を、この世界で試すにはまだ勇気が足りない。でも、俺は一人じゃない。紗愛サナがいてくれるなら……俺は。


「…………やってみるよ。怖いけどさ、紗愛サナは一緒にいてくれるんだろ?」

「うん。当然じゃない。言ったはずよ? あたしは愛訝アイガから離れるつもりはないって」

「……ありがとう、紗愛サナ

「頑張ろうね、愛訝アイガ!」


 ここはイザードパレス。俺たちが暮らしていた世界とは異なる世界にある町。知り合いなんていない。積み上げてきたものや築き上げてきたものも意味を成さない。金も栄誉も権力も全てを取り上げられたような状態だ。でも俺は、はじめから何も持ってはいない。失ったものなんてなかった。その落差で苦しいのは紗愛サナの方だ。俺は彼女の力になれるだろうか?


 やるだけのことはやってみよう。この世界の人は俺がダメダメで彼女に養ってもらっていたヒモ男だということを知らない。ある意味では、この世界だからこそやり直せる可能性も大きいというわけだ。あとは俺の心持ち次第。下を向いてはいられない。顔を上げて自分にできることを探すんだ。あの人も言っていたな……大事なのは最初の一歩だと。



 ――日が落ち、辺りが暗くなってくると街灯の明かりで町の様子ががらりと変わり始めた。子どもや女性の多くはそそくさと家路に着き、探検家や酔っ払いたちが通りを闊歩する。そんな人混みの中を俺と紗愛サナは体を寄せ合って歩いている。漂ってくる料理の香りに腹を鳴らし、垂れてくるよだれを必死に吸い上げながら向かったのは……宿屋だった。


 無一文の俺たちが借りられる部屋なんてない。これで八件目。断られることにも慣れ始める件数になってきた。それでも紗愛サナは諦めていない。人情っていうものを信じているみたいだ。俺は既に半ば諦めモードで宿屋に入っていく紗愛サナの背中を見送った。次に断りの台詞でも聞こうものなら、心が折れてしまいそうだったからだ。


「すみません。部屋を一つお借りしたいのですが……」


 石造りの建物。補強された木の扉。それが閉まっていく間際に紗愛サナの声が聞こえてきた。店主はさぞ喜んで客をもてなそうとすることだろう。そして、すぐにがっかりするか怒りを露にして追い返そうとする。どの宿でもそうだった。


 俺は一人で夜空を見上げる。この国は気温が一定に保たれているのか、夜になっても暑くもないし寒くもない。街灯のせいか星は見えないけど、吸い込む空気は澄んでいて美味しいとさえ感じる。これをおかずに白飯でも全然いけるんじゃないかと思ってしまうほどに。


「腹減ったなぁ……」


 贅沢な悩みだ。今の俺たちには水一滴を胃袋に垂らす手段もない。雨でも降ってくれないかと神に祈りたくもなる。人それぞれに崇める神は違う……か。俺はこれまで神に祈りを捧げたことなんてないけど、この状態を抜け出せるなら祈ってみてもいいかもなと手を組んで星に願ってみることにした。


「頼むよ、神様。俺に何か特別な力があるっていうのなら……それを見せてくれよ」


 そんな独り言を通行人の女性が立ち止まって聞いていた。華やかなドレスを着た夜の町の女……といったようなその女性と目が合った時、これはヤバいと思った。この世界でも俺は女性に好かれやすいままのようだ。だったらそれを利用して美味しい思いをするのも悪くはないだろう。だけど、紗愛サナは嫉妬深い性格だ。そんなことをしたら今度は平手打ちだけで済む気がしないな。これは……本当の最終手段にするしかない。


愛訝アイガ!」


 突然、背後から呼ばれた。びっくりして心臓が口から飛び出るかと思った。そこにいたのは当然紗愛サナで、何故かその表情は柔らかく……笑っていた。宿屋の扉を開いたまま一向に出てくる気配はない。それどころか、彼女は俺に向かって手招きすらしていたんだ。


「部屋、貸してくれるって!」

「え…………マジ?」

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