和田紗愛 編 1

 俺の名前は重杉愛訝アイガ。二十三歳。現在無職。今日は恋人と遊園地デートをして来たわけなんだけど、色々とあって今は自分が抱いてた劣等感にようやく勝てそうな気になっている。甘え癖が付いてて、その上厄介な体質まで持ち合わせている俺を見捨てず、今日まで寄り添ってきてくれた紗愛サナには本当に感謝してる。


愛訝アイガ、帰るわよ」

「はいよー」


 和田紗愛サナ。二十一歳。現役女子大生。赤みのある茶色のミディアムヘアで目付きは鋭く小顔美人。スタイルも良くて特に彼女の美脚に惚れない男はまずいない。まぁパンツスタイルが好きらしく、そうそう素足をお目にはかかれないんだけどな。着痩せするタイプだから分かりづらいけど、結構胸も大きい。それを最後に見たのは……いつだったか。


紗愛サナ、ちょっと歩くペースが速くない?」

「そう? いつもこのくらいじゃん」

「ほら見て? 俺、両手いっぱいに荷物を抱えてるわけじゃん?」

「そうね。でも、頑張るんでしょ?」

「頑張るけどさ、それとこれとは……」


 満員電車の中でも荷物……遊園地で買った紗愛サナのお土産を持ったまま立ち続けていたから、俺はもうヘトヘトだった。最寄り駅に着いてからも紗愛サナは休ませてくれず、そのまま改札口へと直行する。周囲の人たちがクスクスと笑う声が聞こえてくる。それは彼女の尻に敷かれている俺の姿を笑っているわけじゃない。俺の姿は今、そんなことよりももっと恥ずかしい状態になっているからだ。


「なぁ、せめてこれだけは外させてくれよ」

「ダーメ! 帰るまでそのまま!」

「マジか……」


 遊園地の園内で販売されている動物の耳が付いた被り物。俺はそれを退園する際に外すのを忘れていて、被ったままここまで来てしまった。当然、満員電車の中でもめちゃくちゃ笑われたよ。だけどコイツは、俺が心を入れ替えるきっかけになった……言うなれば改心するための必須アイテムだったのかもしれない。もしそうなら、遊園地デートに誘ってくれた紗愛サナのおかげだ。


「ま、結局のところ、紗愛サナがいてくれないと俺はダメダメだってことだな」



 駅を離れ、同棲しているマンションへと向かう。通る道は普段ならそんなに人通りの多い道ではないはずなんだけど、時間帯によっては彼らとすれ違うことがある。近くの高校に通う学生たちだ。そこそこ偏差値の高い共学の学校で、スポーツ系の部活にも力を入れているらしく、全国制覇と書かれた垂れ幕が校舎の壁に吊るされているのも見える。


「高校生かー。みんな若くて羨ましい」

紗愛サナだって少し前までは学生服に袖を通してただろ?」

「そうだけど、あたしは女子校だったから制服姿を見せる相手がいなかったもん」

「あー。紗愛サナの制服姿、俺も見たかったな」

「ふふふ、愛訝アイガのエッチ!」


 そう言って笑う紗愛サナの姿を見て制服姿を思い浮かべる。まだまだ全然イケそうだけどな。たまにはそういう格好をさせてじゃれあってみるのも悪い気はしない。ここ最近はそういうのもご無沙汰だったし、今日は付き合って一周年の記念日だから……紗愛サナだって同じ気持ちになってるかもしれない。


「なぁ、紗愛サナが着てた学生服って実家にあんの?」

「……ううん、マンションに置いてあるけど?」

「マジで?」

「うん。それがどうしたの?」

「今晩……着てみない? 見てみたいなって」

「えー。入らなかったら嫌だし」

「大丈夫だって! 紗愛サナはスタイル良いし。それに絶対似合うって分かるし」

「それ、見た目がまだ高校生のままってこと?」

「違う違う!」

「…………まぁ、着るだけなら別にいいけど」

「やった!」

「着るだけ……だからね?」

「分かってる分かってる」

「汚したくないし」

「汚さないって」


 今日は良いことが続いてる。流れが俺に傾いてきてるっていうか、今なら何をやっても上手くいくって気もする。紗愛サナは初めての相手が俺で、今でこそ立場は逆転しちゃってるけど……付き合いだした当初は礼儀正しくて従順な子だったんだよな。あの頃みたいに可愛がってあげれば、また初々しい紗愛サナの姿が見れるかもしれないな。


「…………期待してるとこ悪いけど、しないからね?」

「……え?」

「そういうのはちゃんと努力して結果を出してからにして」

「それは当然だけど、そんな……制服姿だけ見せられてもな、生殺しじゃん?」

「知らないわよ。見せるだけって言ったでしょ?」

「そんな……」

「……前のコンビニバイトってこの辺りの店だっけ? 何ならその場で履歴書を買って店長にまたお願いしてみたら?」

「いや、あそこはもう……無理だろ」

「客と揉めたって言っても、相手はストーカーだったんでしょ?」

「ああ」


 俺がバイトしてたそのコンビニは、通学路の途中にあるからか高校生たちがよく通ってくれる活気のある店舗だった。数ヶ月前のある日、一人の女の子が震えながら入ってきて、陳列棚の間で隠れるようにしゃがみ込んだ。俺は気になって声をかけたんだけど、その子は恐怖で俯いたままだったから顔も見れなかった。


 すると、挙動不審な一人の男が店内に入ってきてキョロキョロと誰かを探してるみたいだった。俺のそばにいた女の子に気付くと物凄い勢いで迫って来て、その子を連れて行こうとした。女の子は嫌がっていたし、店員として俺は迷惑行為は困ると訴えた。男は何か勘違いをしたのか、俺がその子の彼氏だと思い込んで激昂……棚に並ぶ商品をぶちまけて奇声を上げだした。


 冗談じゃないと思った。一緒にシフトに入ってた他のバイトの人は驚きつつも我関せずって顔をしてて、店内にいた他の客はスマホで撮影し始める始末。誰も止めないから仕方なく俺がやめるように言った。当然、相手の意味不明な怒りの矛先が俺に向いた。そこからはほとんど乱闘状態で店内には悲鳴が響き渡った。


 埒が明かないと思った俺は、商品だったビニール傘を持って武器にした。今思えばそれが悪手だったんだろう。剣技を習ったことのある俺が、いくら暴走を止める為だといっても素人に対してそれを使った。相手は一撃で無力化したけど、その後に来た警察によって散々注意を受けた。


 撮られた動画はネット上にアップされ、俺は世間的には少女を救った英雄的な扱いを受けていたけど、現実では店内で暴力行為を行ったとしてバイトはクビになった。その時に相手の男はあの時の女の子をストーキングしていたってことを聞かされた。俺はどうすれば良かったんだろうか。他のバイトの人みたいに揉め事は店の外でやってくれよって顔して見て見ぬふりをすればよかったんだろうか。今でも正解は分からないままだ。


愛訝アイガ?」

「……ん?」

「そんなに思い詰めた顔をしないでよ」

「そんな顔してた? ごめん」

「あたしは愛訝アイガが間違ってたとは思ってないから」

「…………ありがとう、紗愛サナ


 紗愛サナがいなかったら俺はどうなっていたことか。あれから仕事を探せずにいた俺は路上生活をする羽目になっていたかもしれない。金もなかったしな。生きていたかも怪しい。俺は自分の人生をなげうってでも女子高生を救ったと言えばカッコイイけど、そこまでの覚悟はしてなかったかもな。今はあの時の女の子がたとえ俺に感謝していなくても、元気に学生生活を満喫してくれていたらいいなと思うよ。



「おい、あれ見ろよ……耳、付いてんぞ? ウケるー」

「失礼だろ、笑うなよ」

「だってよ、あれ……ウケね?」

「可愛い……かも?」

「遊園地デートかな?」


 高校生たちだろうか、俺たちの後ろを歩く数人の足音と男女の話し声が聞こえてくる。どうやら、俺は高校生にも笑われる立場にあるらしい。もちろんそれは、この耳の被り物のせいだろうけど。


「羨ましいなぁ。私も行きたーい!」

「だったらオレと行くか? つーか四人で行きたくね?」

イサムが行くなら……行ってもいいかも?」

「なんでだよ! オレはオマケかよ!」

「だって武忠タケタダって私のタイプじゃないもーん」

「ひっで! オレだってな、マイなんかお断りなんだよ!」

「何それ、酷くない!? ねぇ、イサムもそう思うでしょ?」

「……美菜ミーナは行きたいって思う?」

「って聞いてないし……」

「わたしはそんなに……それに、みんな部活で忙しいでしょ?」

「まぁ、確かにね」

「今は試合もねえし、テスト期間でどの部活も休みだけどなー。テスト明けからはまた地獄の日々の始まりだぜ?」

マイイサムくんも武忠タケタダくんも、みんな全国大会の常連だもんね。すごいなぁ」

「私は小さい頃から習い事とかいっぱいさせられてるからね」

マイはお嬢様だもんなー」

美菜ミーナだって勉強は得意だろ? 僕はそっちはあんまりだから凄いなって思うよ?」

イサムだって頑張ってるよ! 武忠タケタダと違っていっつも赤点ギリギリってわけじゃないし!」

「う、うるせーよ!」

「ま、私はスポーツも勉強もどっちもできる子だけどね!」

「くっそ! マイは最強かよー!」

「あははっ!」


 楽しそうだな。俺の高校生活は華やかではあったけど楽しくはなかったから羨ましいとさえ感じる。恋愛体質と何故か異性を惹き付けてしまう俺の周りには女の子ばかりが集まって来ていたからな。もっと普通の……男女問わず友達を作ってみんなでワイワイするような、そんな学生生活を送りたかった。


「あ、信号変わっちゃう!」

 紗愛サナが歩くペースを上げていく。


愛訝アイガー! 早く!」

「いやいや、荷物あってそんなに早く歩けないから!」

「もう……。変わっちゃったじゃない!」

「ゆっくり帰ればいいじゃんか」

「はぁぁ……」


 何をそんなに落ち込んでいるのかは分からないけど、信号なんて数分あればまた切り替わる。マンションだってもうそんなに遠くはない。焦る必要もない。これを渡らなかったら死んでしまうってわけでもないんだしな。


愛訝アイガが後ろの子たちを気にしてるから先に渡っちゃおうと思ったのに」

「そんなことないって」

「どうだか! それに……あんな若い子に目移りされたら敵わないもの……」

紗愛サナ?」

「んーん、なんでもない!」


 また機嫌を損ねたかと思ったけど、そういうことではないみたいだ。紗愛サナは後ろの女の子たちが俺に好意を持ってしまうことを恐れているのだろう。確かに、これだけの距離まで近付いちゃうと嫌でも視線は感じるからな。でも、俺の方が気を付けていればいい。相手が分かっていればいちいち探してしまわずに済むだろうし。


「ん? あれは……?」

「なんだ? あ? なんだよあれ!」

「白い……光?」

「眩しい。なんでこんなところで光ってるの?」

「分からないけど、普通じゃない」


 突然、後ろの高校生たちが騒ぎだした。その驚いた声には恐怖心が乗っていて先程までとは違った声色になっていた。それが気になってしまい、俺は後ろを振り返った。彼らは信号でも横断歩道でもなく、交差点の中央付近に目をやっていた。その表情はやはり驚いていて、目を見開き、空いた口が塞がらない状態のようだ。


「光が……渦巻いてる?」


 隣で紗愛サナも呟いた。俺も交差点へと視線を向ける。そこには確かに白い輝きを放つ光があった。それは一メートルほどの大きさで外から内に渦巻くように流れを生み出している。どういう現象なのかは分からない。こんなもの、今までに見たことなんて……当然ないんだから。


「……声が聞こえないか?」


 後ろの男子高校生の一人が言った。冷静そうな優しい声だったから落ち着いている方の男子だろう。もう一人の男子は「声!? 誰の声だよ!?」と騒がしくしている。俺の姿を笑っていたのがこの騒がしい方の奴だったな。


「私は何も聞こえない……美菜ミーナはどう?」

「ううん。何も……」

「そんなことよりあの光だろ! なんかヤバくねーか!? どんどんでかくなってやがるし!」

「でも、何が光ってるの? 交差点に何か落ちてた?」

「いや、何もなかったと思うけど」


 高校生たちの会話を聞きながら、俺は周囲を見回していた。不思議なことに、さっきまでは車が行き交っていた交差点に一台も侵入してくる気配はない。それどころか、信号も全然変わる様子がない。どうなってるんだ?


愛訝アイガ、離れた方がよくない?」

「ああ……そうだな」


 よく分からないものには近付かない方が吉だ。どんどん巨大化し、二メートルを超える大きさになった光の渦は、光度も増しているのかその眩しさで目が眩みそうになる。薄れていく視界の中で俺と紗愛サナはその場を離れようとしたが……。


イサム!?」

「おい! どこ行くんだよ!? そっちはなんかヤベぇって!」

「ち、違う! 体が勝手に……吸い寄せられるみたいに!」

「そんな……助けないと!」

イサム! 私の手に掴まって!」

「おい! 危ねぇって! マイ!」

武忠タケタダ! 離して! イサムが!」

「くっ!」

イサムくん!」

「……美菜ミーナ!」


 落ち着いた感じのあった男子高校生が光の渦に吸い寄せられてジリジリとその距離を狭めていっているようだ。あれは相当まずいんじゃないか? 下手をしたら他の子たちも巻き込まれてしまいそうな予感がする。何がどうなるのかは分からないけど、俺は……紗愛サナを守らないと。悪いけど、自分たちの身の安全が第一だ。


「大丈夫なの……?」

「分からない。でも、どうすることも……」

「あたしたちだけでも先に離れるべきじゃない? 巻き込まれたくないし」

「ああ……」

「行こう、愛訝アイガ!」


 紗愛サナが俺の手を引く。その手が震えているのは感じていた。こんな訳の分からない状況で恐怖を感じない人なんていないだろう。一刻も早く逃げるべきだ。それは分かっているのに、俺は光の渦と高校生たちから目を離せなくなっていた。


「ダメだ! 戻れない!」

「うおっ!? オレらも引っ張られてね!?」

武忠タケタダ! 二人を連れて逃げろ!」

「やだ、イサム!」

「無理だ! もう戻れねぇ!」

「……みんな!」

「くっ、美菜ミーナだけでも……逃げてくれ!」

「そんな……助けて…………誰か助けてください!」


 大人しそうな女の子がこちらを振り向いて叫んだ。確認しなくても分かる。ここには俺たち以外にはいない。あの子の友達が光の渦に飲み込まれるのはどうみたってもう止められない。今さら向かったところで被害者が一人増えるだけだ。そんなのはごめんだ。


 …………そう、頭では分かっているのに、俺は未だに逃げ出せずにいた。紗愛サナが手を引っ張っているのに俺の足は動かない。俺はあの子たちに背を向けることができないでいた。悩んでいる暇はない。逃げ出せないなら進むしかない。今動かないと絶対に後悔するから!


「助けないと!」

「え……愛訝アイガ!?」

「ごめん! 紗愛サナは逃げてくれ!」


 俺は紗愛サナの手を振り払って駆け出した。もう眩しすぎて渦の近くにいた三人の姿は見えなくなっていた。せめて、目の前の女の子だけでも引っ張り出してあげたい。分かっている。この子が助けてほしいと願ったのは前にいた三人なんだろう。だけど、躊躇し、迷い、決断が遅れた時点でもう間に合わない。


 また人助けなんて。誰に褒められることもないのに。それどころか、また何かを失ってしまうかもしれない。今度は命を奪われるかもしれない。それくらいヤバい雰囲気が漂っている。どうして俺の足はそれでも前に進むのか……。俺なんかじゃあの人のようにはなれないというのに。


「おい、手を伸ばせ!」


 女の子に向かって叫んだ。その子は必死になって渦に引き込まれるのを堪えながら俺に向かって右手を伸ばしていた。見えたのはそこまでだった。あまりの眩しさに何も見えなくなった。何も聞こえなくなった。体が宙に浮いたようなそんな未体験の感覚だけが俺の状態を知らせてくれる。


 それは刹那の刻のようであり、永遠の刻のようにも感じた。徐々に光が弱まっていくのが瞼の裏からでも分かり、俺はゆっくりと目を開いていく。すぐに視界は開けなかった。それでも、目の前にぼんやりと黒い影が浮かんでいるのは分かった。まだ白い景色の中で心細さを紛らわせる為に俺はそれを掴もうと手を伸ばした。


「……え?」


 声。女の子の声だった。俺が掴んだのはさっきの大人しそうな女の子の手だったらしい。柔らかいその手を握りしめた時、地に足が着く感覚が戻り、急激に光が弱まって視界を取り戻すことができた。目の前にいたのはやはりさっきの女の子だった。お互いに顔を確認するように、手を取り合ったまま見つめ合う形になっていた。


「あ!」


 女の子が驚いたように大きな声を出した。俺は焦り、慌ててその手を離した。助けを求めたのはこの子の方だ。でも、全てが遅すぎた。俺は誰も助けられないまま彼女らに巻き込まれ光の渦へと飲み込まれてしまった。そんな奴が急に手を握ってきたんだ。痴漢だと騒がれたらそりゃあ困る。俺はすぐに言い訳をしようと言葉を探った。


「ち、違う! 俺はただ……その……」


 咄嗟には言葉にならない。だけど、もう言い訳なんて必要なかった。彼女は何かに気付いて目線を逸らした。辺りをキョロキョロと見回している。そして俺も気付いた。目に映り込んでくる風景がさっきまで立っていた交差点とはまるで違うということを。



 そこは町の中。周りにはコンクリートではなく石造りの建物が並び、足元にはアスファルトではなく石畳の道が伸びている。どこかの通りの脇なのだろう。すぐ近くを見慣れない服装をした人たちが歩いている。しかも、中には腰に剣のようなものを吊るしていたり、長い槍のようなものを持っていたり、鉄で作られたような頑丈そうな鎧を着込んでいる人や、三角帽に杖というまるで魔女のような格好をしている人もいる。


 なんだこれは? コスプレとかいうやつか? 俺はその界隈についてはあまり詳しくない。でも、仮装しているにしては規模が大きすぎる。行き交う人々の多くがそういった格好をしているからだ。今日は祭りか何かか? いや、そんなことよりも……ここは一体どこなんだ?


「なんだよ! 何が起きたんだ!?」

「ここは……? なんでこんな所に立ってるの?」

「…………みんな、無事か? 美菜ミーナは!?」

イサムくん! みんな!」


 大人しそうな女の子が友達三人の方へと駆けていく。どうやら全員無事だったらしい。この状況を無事と言えるのならばだが。落ち着いた感じの男子はホッとしているように見える。騒がしい男子があーだこーだ言っている隣で育ちの良さそうな女の子が大人しそうな女の子に声をかけている。


美菜ミーナも無事だった! よかった……」


 そう言って手を取ろうとした。しかし、バチバチ! と静電気のような音がして二人の手は触れあうことなく引き離されてしまった。


「もう! なんなのよ!」

「結構デケぇ音がしたけど大丈夫か?」

美菜ミーナ、平気?」

「うん。わたしは何ともない」

「あーもう、やだぁ。イサムぅ……私のことも心配してよぉ……」

「も、もちろん心配してるさ。マイも怪我はないな?」

「うん……それだけ?」

「え?」

「痺れてねぇか? 指、見せてみろよ!」

武忠タケタダはいいの!」

「なんでだよ!」


 なんというか、こんな状況なのによくもまぁあんなにも普段通りにしていられるな。仲の良い四人が一緒だからか? 俺は一人だ。一昔前の外国のような風景の町中に佇み、どことも知れない場所でどうやって打開策を考えればいい? そもそもこれは何とかできる状態なのか? 一人でいることがこんなにも寂しいなんて思いもよらなかったな。


紗愛サナ……」


 彼女は無事に逃げられただろうか。心配させてしまっているだろうな。あんなにも手が震えていたのに、俺は彼女を置き去りにしてしまった。でも、こんなことになったわけだし、俺たちが消えた状況を説明できる人間がその場に残っているというのはけして悪くはないはずだ。その証言のおかげで俺たちの居場所を見つけてくれるかもしれないからな。


愛訝アイガ?」

「…………紗愛サナの声が聞こえる。心細いからなのか? でも、何か嬉しいな……」

「それが恋人を置き去りにした男の心境なんだ?」

「…………ごめん。でも、助けたかったんだ。放っておけなかった。結局、何も出来てないから意味なんてなかったのかもしれないけどさ」

「ふーん。でも、いいんじゃない? あたしは……そういう愛訝アイガだから好きになったんだし、カッコ良かったと思う」

「…………そうかな?」

「ただ、やっぱりあたしを放置したのは許さないけど。帰ったらお説教ね?」

「…………ああ、構わない。紗愛サナに会えるならどんな罵声や怒号を浴びせられても耐えられる。会いたいよ、紗愛サナ

「はぁぁ……。愛訝アイガ、振り向いたら会えると思うわよ?」

「え?」


 俺はその声に従って振り返った。そこには容姿端麗でスタイル抜群の美女が立っていた。赤みのある茶色のミディアムヘアに、鋭い目付きで俺を睨み付ける紗愛サナの姿があった。


紗愛サナ……?」

「さっきぶりね、愛訝アイガ

「な……なんで!?」

「何が?」

「なんで紗愛サナもここにいるんだよ!? あの距離だったら逃げられたはずだろ?」

「そうね」

「だったらなんで!?」

「…………怖かったんだもん」

「へ?」


 珍しく弱気な発言をした紗愛サナは俺の胸に飛び込んできた。俺の襟元を掴んだ手は震えている。強がりな紗愛サナはこれまであまり弱みを見せなかったけど、さすがにあの状況では仕方ない。俺は少しでも不安を取り除けたらと思って彼女の背に腕を回そうとした。しかし……。


「こんのぉ…………」


 紗愛サナが急に手に力を込めて襟元を掴んだまま俺を押し始めた。それで体勢を崩しかけた俺はフラフラと体重を後ろへと向けてしまう。


「バカ愛訝アイガ!」


 離れゆく右手。離れない左手。俺は大きく頭の上まで振りかぶられた紗愛サナの右手へと視線を向けるが、脳が危険を察知したのかすぐに顔を背けて歯をくいしばった。バチィィィィン! と頬に衝撃が走る。そしてゆっくりと痛みが追いかけてきた。


「あんたはあたしの彼氏でしょ!? 恋人をほったらかしにして他の女なんて助けに行かないでよ!」


 痛烈に響いた。耳に、頬に、脳に、心に……。どうやら俺は間違えてしまったらしい。さっきはカッコ良かったと言ってくれたのに。いや、それは男としての行動だったらそう思えたってだけで、彼氏としての行動では不合格だったということだろう。俺たちは恋人同士なんだから、何があっても紗愛サナを守らなければならなかったんだ。


「…………ごめん。怖い思いをさせて」

「本当よ……。本当に怖かったんだから……」

「うん。ごめん……」


 俺は紗愛サナを抱きしめた。彼女もそれを拒絶したりはしなかった。しかし、それ以上のことは何もしてやれない。たぶんそこまでは望まれてないし、さっきから周囲の視線が刺さってる。近くにいた高校生たちも驚いたようにこちらを見ているのが横目でも分かった。


 情けない姿を見られたな。こんな時に気の利いた言葉もかけてあげられないし、彼女よりも他人を優先してしまった愚か者だし、無職でヒモ男でファッションセンスもないボサボサ頭の……頭? 俺はふと、自分の頭の上に手を乗せてみた。


「あ…………」


 そこには耳が生えていた。モフモフしていて本当に俺から生えているわけではないそれは、何の動物をモチーフに作られた耳なんだろうか。これは……俺だって人のことを言えないな。コスプレ祭の参加者だと思われていても不思議じゃない。そんなことを考えていると……。


「あの……」


 突然、隣から声がした。振り向いてみるとそこには一緒にあの光に飲み込まれた高校生たちがいて、大人しそうな女の子が申し訳なさそうな顔で俺たちを見ていた。


「その……わたしがあんなことを言ってしまったせいで、こんなことに巻き込んでしまって……本当にごめんなさい!」


 深々と頭を下げた女の子を見て、さっきの紗愛サナの言葉を聞いてしまったからだということはすぐに分かった。でも、違う。悪いのはこの子じゃない。


「いや、気にしなくていいよ。あの場面なら誰だって助けを求める。逆の立場だったら俺たちもそうしたかも。さっき紗愛サナが……あ、彼女が言ったのは俺の行動に対してだから」

「でも……」


 女の子が困っていると、紗愛サナがバッと俺から離れ、ビシッと背筋を伸ばし、キリッとした顔で女の子の方を向いた。


「あなたが謝る必要なんてないわ。この人が言った通り、あたしが怒ったのはこの人があたしを見捨てようとしたからなんだから」

「え? いや、見捨てようとはしてないじゃん?」

「あたしがそう思ったのは事実だもん」

「それはもちろん悪いとは思ってるけど……ごめん」

「ごめんなさい…………」

「なによ。二人してそんなに謝んないでよ。もう怒ってないから」


 その場はこれで何とか収まってくれた。だけど、この状況は何一つ解決していない。まずは現状の把握に努めるべきだろう。女の子が謝りに来てくれたおかげで他の高校生たちとも話やすくなったし、六人もいれば何か気付くこともあるかもしれない。紗愛サナの不安も少しなら和らぐかもしれないしな。


「なぁ、君たち…………」


 そう声をかけようとした時だった。


「どいてくれ! 道を空けるんだ!」


 少し……いや、少しどころじゃない。血相を変えた数人の男たちが通りを駆けてくる。その内の何人かで何かを運んでいる。その上には別の人が寝ていることから、それは担架のようなものだと思う。怪我人か?


 運んでいるのはやはり仮装したような格好の人たちだった為、俺は祭ではしゃぎすぎた人が足でも捻ったのかと野次馬のような気持ちでその怪我人を眺めようとした。


「うっ……」


 その人を見た瞬間、胃液が逆流してくるような吐き気を覚えた。紗愛サナや高校生たちも同じように口元を手で覆うようにして押さえ込んだ。担架には想像を絶するような怪我をした人が寝かされていた。全身から血を吹き出したかのように衣装は真っ赤に染まっていて、右手は肘から先が無くなり、左足はあり得ない方向に折れてしまっていた。


「な、何が……あったんだ……?」

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