和田紗愛 編 1
俺の名前は重杉
「
「はいよー」
和田
「
「そう? いつもこのくらいじゃん」
「ほら見て? 俺、両手いっぱいに荷物を抱えてるわけじゃん?」
「そうね。でも、頑張るんでしょ?」
「頑張るけどさ、それとこれとは……」
満員電車の中でも荷物……遊園地で買った
「なぁ、せめてこれだけは外させてくれよ」
「ダーメ! 帰るまでそのまま!」
「マジか……」
遊園地の園内で販売されている動物の耳が付いた被り物。俺はそれを退園する際に外すのを忘れていて、被ったままここまで来てしまった。当然、満員電車の中でもめちゃくちゃ笑われたよ。だけどコイツは、俺が心を入れ替えるきっかけになった……言うなれば改心するための必須アイテムだったのかもしれない。もしそうなら、遊園地デートに誘ってくれた
「ま、結局のところ、
駅を離れ、同棲しているマンションへと向かう。通る道は普段ならそんなに人通りの多い道ではないはずなんだけど、時間帯によっては彼らとすれ違うことがある。近くの高校に通う学生たちだ。そこそこ偏差値の高い共学の学校で、スポーツ系の部活にも力を入れているらしく、全国制覇と書かれた垂れ幕が校舎の壁に吊るされているのも見える。
「高校生かー。みんな若くて羨ましい」
「
「そうだけど、あたしは女子校だったから制服姿を見せる相手がいなかったもん」
「あー。
「ふふふ、
そう言って笑う
「なぁ、
「……ううん、マンションに置いてあるけど?」
「マジで?」
「うん。それがどうしたの?」
「今晩……着てみない? 見てみたいなって」
「えー。入らなかったら嫌だし」
「大丈夫だって!
「それ、見た目がまだ高校生のままってこと?」
「違う違う!」
「…………まぁ、着るだけなら別にいいけど」
「やった!」
「着るだけ……だからね?」
「分かってる分かってる」
「汚したくないし」
「汚さないって」
今日は良いことが続いてる。流れが俺に傾いてきてるっていうか、今なら何をやっても上手くいくって気もする。
「…………期待してるとこ悪いけど、しないからね?」
「……え?」
「そういうのはちゃんと努力して結果を出してからにして」
「それは当然だけど、そんな……制服姿だけ見せられてもな、生殺しじゃん?」
「知らないわよ。見せるだけって言ったでしょ?」
「そんな……」
「……前のコンビニバイトってこの辺りの店だっけ? 何ならその場で履歴書を買って店長にまたお願いしてみたら?」
「いや、あそこはもう……無理だろ」
「客と揉めたって言っても、相手はストーカーだったんでしょ?」
「ああ」
俺がバイトしてたそのコンビニは、通学路の途中にあるからか高校生たちがよく通ってくれる活気のある店舗だった。数ヶ月前のある日、一人の女の子が震えながら入ってきて、陳列棚の間で隠れるようにしゃがみ込んだ。俺は気になって声をかけたんだけど、その子は恐怖で俯いたままだったから顔も見れなかった。
すると、挙動不審な一人の男が店内に入ってきてキョロキョロと誰かを探してるみたいだった。俺のそばにいた女の子に気付くと物凄い勢いで迫って来て、その子を連れて行こうとした。女の子は嫌がっていたし、店員として俺は迷惑行為は困ると訴えた。男は何か勘違いをしたのか、俺がその子の彼氏だと思い込んで激昂……棚に並ぶ商品をぶちまけて奇声を上げだした。
冗談じゃないと思った。一緒にシフトに入ってた他のバイトの人は驚きつつも我関せずって顔をしてて、店内にいた他の客はスマホで撮影し始める始末。誰も止めないから仕方なく俺がやめるように言った。当然、相手の意味不明な怒りの矛先が俺に向いた。そこからはほとんど乱闘状態で店内には悲鳴が響き渡った。
埒が明かないと思った俺は、商品だったビニール傘を持って武器にした。今思えばそれが悪手だったんだろう。剣技を習ったことのある俺が、いくら暴走を止める為だといっても素人に対してそれを使った。相手は一撃で無力化したけど、その後に来た警察によって散々注意を受けた。
撮られた動画はネット上にアップされ、俺は世間的には少女を救った英雄的な扱いを受けていたけど、現実では店内で暴力行為を行ったとしてバイトはクビになった。その時に相手の男はあの時の女の子をストーキングしていたってことを聞かされた。俺はどうすれば良かったんだろうか。他のバイトの人みたいに揉め事は店の外でやってくれよって顔して見て見ぬふりをすればよかったんだろうか。今でも正解は分からないままだ。
「
「……ん?」
「そんなに思い詰めた顔をしないでよ」
「そんな顔してた? ごめん」
「あたしは
「…………ありがとう、
「おい、あれ見ろよ……耳、付いてんぞ? ウケるー」
「失礼だろ、笑うなよ」
「だってよ、あれ……ウケね?」
「可愛い……かも?」
「遊園地デートかな?」
高校生たちだろうか、俺たちの後ろを歩く数人の足音と男女の話し声が聞こえてくる。どうやら、俺は高校生にも笑われる立場にあるらしい。もちろんそれは、この耳の被り物のせいだろうけど。
「羨ましいなぁ。私も行きたーい!」
「だったらオレと行くか? つーか四人で行きたくね?」
「
「なんでだよ! オレはオマケかよ!」
「だって
「ひっで! オレだってな、
「何それ、酷くない!? ねぇ、
「……
「って聞いてないし……」
「わたしはそんなに……それに、みんな部活で忙しいでしょ?」
「まぁ、確かにね」
「今は試合もねえし、テスト期間でどの部活も休みだけどなー。テスト明けからはまた地獄の日々の始まりだぜ?」
「
「私は小さい頃から習い事とかいっぱいさせられてるからね」
「
「
「
「う、うるせーよ!」
「ま、私はスポーツも勉強もどっちもできる子だけどね!」
「くっそ!
「あははっ!」
楽しそうだな。俺の高校生活は華やかではあったけど楽しくはなかったから羨ましいとさえ感じる。恋愛体質と何故か異性を惹き付けてしまう俺の周りには女の子ばかりが集まって来ていたからな。もっと普通の……男女問わず友達を作ってみんなでワイワイするような、そんな学生生活を送りたかった。
「あ、信号変わっちゃう!」
「
「いやいや、荷物あってそんなに早く歩けないから!」
「もう……。変わっちゃったじゃない!」
「ゆっくり帰ればいいじゃんか」
「はぁぁ……」
何をそんなに落ち込んでいるのかは分からないけど、信号なんて数分あればまた切り替わる。マンションだってもうそんなに遠くはない。焦る必要もない。これを渡らなかったら死んでしまうってわけでもないんだしな。
「
「そんなことないって」
「どうだか! それに……あんな若い子に目移りされたら敵わないもの……」
「
「んーん、なんでもない!」
また機嫌を損ねたかと思ったけど、そういうことではないみたいだ。
「ん? あれは……?」
「なんだ? あ? なんだよあれ!」
「白い……光?」
「眩しい。なんでこんなところで光ってるの?」
「分からないけど、普通じゃない」
突然、後ろの高校生たちが騒ぎだした。その驚いた声には恐怖心が乗っていて先程までとは違った声色になっていた。それが気になってしまい、俺は後ろを振り返った。彼らは信号でも横断歩道でもなく、交差点の中央付近に目をやっていた。その表情はやはり驚いていて、目を見開き、空いた口が塞がらない状態のようだ。
「光が……渦巻いてる?」
隣で
「……声が聞こえないか?」
後ろの男子高校生の一人が言った。冷静そうな優しい声だったから落ち着いている方の男子だろう。もう一人の男子は「声!? 誰の声だよ!?」と騒がしくしている。俺の姿を笑っていたのがこの騒がしい方の奴だったな。
「私は何も聞こえない……
「ううん。何も……」
「そんなことよりあの光だろ! なんかヤバくねーか!? どんどんでかくなってやがるし!」
「でも、何が光ってるの? 交差点に何か落ちてた?」
「いや、何もなかったと思うけど」
高校生たちの会話を聞きながら、俺は周囲を見回していた。不思議なことに、さっきまでは車が行き交っていた交差点に一台も侵入してくる気配はない。それどころか、信号も全然変わる様子がない。どうなってるんだ?
「
「ああ……そうだな」
よく分からないものには近付かない方が吉だ。どんどん巨大化し、二メートルを超える大きさになった光の渦は、光度も増しているのかその眩しさで目が眩みそうになる。薄れていく視界の中で俺と
「
「おい! どこ行くんだよ!? そっちはなんかヤベぇって!」
「ち、違う! 体が勝手に……吸い寄せられるみたいに!」
「そんな……助けないと!」
「
「おい! 危ねぇって!
「
「くっ!」
「
「……
落ち着いた感じのあった男子高校生が光の渦に吸い寄せられてジリジリとその距離を狭めていっているようだ。あれは相当まずいんじゃないか? 下手をしたら他の子たちも巻き込まれてしまいそうな予感がする。何がどうなるのかは分からないけど、俺は……
「大丈夫なの……?」
「分からない。でも、どうすることも……」
「あたしたちだけでも先に離れるべきじゃない? 巻き込まれたくないし」
「ああ……」
「行こう、
「ダメだ! 戻れない!」
「うおっ!? オレらも引っ張られてね!?」
「
「やだ、
「無理だ! もう戻れねぇ!」
「……みんな!」
「くっ、
「そんな……助けて…………誰か助けてください!」
大人しそうな女の子がこちらを振り向いて叫んだ。確認しなくても分かる。ここには俺たち以外にはいない。あの子の友達が光の渦に飲み込まれるのはどうみたってもう止められない。今さら向かったところで被害者が一人増えるだけだ。そんなのはごめんだ。
…………そう、頭では分かっているのに、俺は未だに逃げ出せずにいた。
「助けないと!」
「え……
「ごめん!
俺は
また人助けなんて。誰に褒められることもないのに。それどころか、また何かを失ってしまうかもしれない。今度は命を奪われるかもしれない。それくらいヤバい雰囲気が漂っている。どうして俺の足はそれでも前に進むのか……。俺なんかじゃあの人のようにはなれないというのに。
「おい、手を伸ばせ!」
女の子に向かって叫んだ。その子は必死になって渦に引き込まれるのを堪えながら俺に向かって右手を伸ばしていた。見えたのはそこまでだった。あまりの眩しさに何も見えなくなった。何も聞こえなくなった。体が宙に浮いたようなそんな未体験の感覚だけが俺の状態を知らせてくれる。
それは刹那の刻のようであり、永遠の刻のようにも感じた。徐々に光が弱まっていくのが瞼の裏からでも分かり、俺はゆっくりと目を開いていく。すぐに視界は開けなかった。それでも、目の前にぼんやりと黒い影が浮かんでいるのは分かった。まだ白い景色の中で心細さを紛らわせる為に俺はそれを掴もうと手を伸ばした。
「……え?」
声。女の子の声だった。俺が掴んだのはさっきの大人しそうな女の子の手だったらしい。柔らかいその手を握りしめた時、地に足が着く感覚が戻り、急激に光が弱まって視界を取り戻すことができた。目の前にいたのはやはりさっきの女の子だった。お互いに顔を確認するように、手を取り合ったまま見つめ合う形になっていた。
「あ!」
女の子が驚いたように大きな声を出した。俺は焦り、慌ててその手を離した。助けを求めたのはこの子の方だ。でも、全てが遅すぎた。俺は誰も助けられないまま彼女らに巻き込まれ光の渦へと飲み込まれてしまった。そんな奴が急に手を握ってきたんだ。痴漢だと騒がれたらそりゃあ困る。俺はすぐに言い訳をしようと言葉を探った。
「ち、違う! 俺はただ……その……」
咄嗟には言葉にならない。だけど、もう言い訳なんて必要なかった。彼女は何かに気付いて目線を逸らした。辺りをキョロキョロと見回している。そして俺も気付いた。目に映り込んでくる風景がさっきまで立っていた交差点とはまるで違うということを。
そこは町の中。周りにはコンクリートではなく石造りの建物が並び、足元にはアスファルトではなく石畳の道が伸びている。どこかの通りの脇なのだろう。すぐ近くを見慣れない服装をした人たちが歩いている。しかも、中には腰に剣のようなものを吊るしていたり、長い槍のようなものを持っていたり、鉄で作られたような頑丈そうな鎧を着込んでいる人や、三角帽に杖というまるで魔女のような格好をしている人もいる。
なんだこれは? コスプレとかいうやつか? 俺はその界隈についてはあまり詳しくない。でも、仮装しているにしては規模が大きすぎる。行き交う人々の多くがそういった格好をしているからだ。今日は祭りか何かか? いや、そんなことよりも……ここは一体どこなんだ?
「なんだよ! 何が起きたんだ!?」
「ここは……? なんでこんな所に立ってるの?」
「…………みんな、無事か?
「
大人しそうな女の子が友達三人の方へと駆けていく。どうやら全員無事だったらしい。この状況を無事と言えるのならばだが。落ち着いた感じの男子はホッとしているように見える。騒がしい男子があーだこーだ言っている隣で育ちの良さそうな女の子が大人しそうな女の子に声をかけている。
「
そう言って手を取ろうとした。しかし、バチバチ! と静電気のような音がして二人の手は触れあうことなく引き離されてしまった。
「もう! なんなのよ!」
「結構デケぇ音がしたけど大丈夫か?」
「
「うん。わたしは何ともない」
「あーもう、やだぁ。
「も、もちろん心配してるさ。
「うん……それだけ?」
「え?」
「痺れてねぇか? 指、見せてみろよ!」
「
「なんでだよ!」
なんというか、こんな状況なのによくもまぁあんなにも普段通りにしていられるな。仲の良い四人が一緒だからか? 俺は一人だ。一昔前の外国のような風景の町中に佇み、どことも知れない場所でどうやって打開策を考えればいい? そもそもこれは何とかできる状態なのか? 一人でいることがこんなにも寂しいなんて思いもよらなかったな。
「
彼女は無事に逃げられただろうか。心配させてしまっているだろうな。あんなにも手が震えていたのに、俺は彼女を置き去りにしてしまった。でも、こんなことになったわけだし、俺たちが消えた状況を説明できる人間がその場に残っているというのはけして悪くはないはずだ。その証言のおかげで俺たちの居場所を見つけてくれるかもしれないからな。
「
「…………
「それが恋人を置き去りにした男の心境なんだ?」
「…………ごめん。でも、助けたかったんだ。放っておけなかった。結局、何も出来てないから意味なんてなかったのかもしれないけどさ」
「ふーん。でも、いいんじゃない? あたしは……そういう
「…………そうかな?」
「ただ、やっぱりあたしを放置したのは許さないけど。帰ったらお説教ね?」
「…………ああ、構わない。
「はぁぁ……。
「え?」
俺はその声に従って振り返った。そこには容姿端麗でスタイル抜群の美女が立っていた。赤みのある茶色のミディアムヘアに、鋭い目付きで俺を睨み付ける
「
「さっきぶりね、
「な……なんで!?」
「何が?」
「なんで
「そうね」
「だったらなんで!?」
「…………怖かったんだもん」
「へ?」
珍しく弱気な発言をした
「こんのぉ…………」
「バカ
離れゆく右手。離れない左手。俺は大きく頭の上まで振りかぶられた
「あんたはあたしの彼氏でしょ!? 恋人をほったらかしにして他の女なんて助けに行かないでよ!」
痛烈に響いた。耳に、頬に、脳に、心に……。どうやら俺は間違えてしまったらしい。さっきはカッコ良かったと言ってくれたのに。いや、それは男としての行動だったらそう思えたってだけで、彼氏としての行動では不合格だったということだろう。俺たちは恋人同士なんだから、何があっても
「…………ごめん。怖い思いをさせて」
「本当よ……。本当に怖かったんだから……」
「うん。ごめん……」
俺は
情けない姿を見られたな。こんな時に気の利いた言葉もかけてあげられないし、彼女よりも他人を優先してしまった愚か者だし、無職でヒモ男でファッションセンスもないボサボサ頭の……頭? 俺はふと、自分の頭の上に手を乗せてみた。
「あ…………」
そこには耳が生えていた。モフモフしていて本当に俺から生えているわけではないそれは、何の動物をモチーフに作られた耳なんだろうか。これは……俺だって人のことを言えないな。コスプレ祭の参加者だと思われていても不思議じゃない。そんなことを考えていると……。
「あの……」
突然、隣から声がした。振り向いてみるとそこには一緒にあの光に飲み込まれた高校生たちがいて、大人しそうな女の子が申し訳なさそうな顔で俺たちを見ていた。
「その……わたしがあんなことを言ってしまったせいで、こんなことに巻き込んでしまって……本当にごめんなさい!」
深々と頭を下げた女の子を見て、さっきの
「いや、気にしなくていいよ。あの場面なら誰だって助けを求める。逆の立場だったら俺たちもそうしたかも。さっき
「でも……」
女の子が困っていると、
「あなたが謝る必要なんてないわ。この人が言った通り、あたしが怒ったのはこの人があたしを見捨てようとしたからなんだから」
「え? いや、見捨てようとはしてないじゃん?」
「あたしがそう思ったのは事実だもん」
「それはもちろん悪いとは思ってるけど……ごめん」
「ごめんなさい…………」
「なによ。二人してそんなに謝んないでよ。もう怒ってないから」
その場はこれで何とか収まってくれた。だけど、この状況は何一つ解決していない。まずは現状の把握に努めるべきだろう。女の子が謝りに来てくれたおかげで他の高校生たちとも話やすくなったし、六人もいれば何か気付くこともあるかもしれない。
「なぁ、君たち…………」
そう声をかけようとした時だった。
「どいてくれ! 道を空けるんだ!」
少し……いや、少しどころじゃない。血相を変えた数人の男たちが通りを駆けてくる。その内の何人かで何かを運んでいる。その上には別の人が寝ていることから、それは担架のようなものだと思う。怪我人か?
運んでいるのはやはり仮装したような格好の人たちだった為、俺は祭ではしゃぎすぎた人が足でも捻ったのかと野次馬のような気持ちでその怪我人を眺めようとした。
「うっ……」
その人を見た瞬間、胃液が逆流してくるような吐き気を覚えた。
「な、何が……あったんだ……?」
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