#135 港湾都市ノースフォークⅠ

 ノースフォークは帝国最北東端に位置する僻地とは思えぬほどに活気に満ち溢れる街だった。交易都市マイルズに勝るとも劣らない人の波、人荷を運ぶ馬車が忙しなく行き交い、露天商の威勢のいい掛け声が方々から聞こえてくる。


 顔を真っ黒にした鉱夫らが昼間から楽し気に酒を飲む光景も街の景気が分かる指標である。同じく鉱山を持つドッキアでもよく見かけた光景で、鉱物資源に恵まれている証なのだ。


(尽きぬ海洋資源、鉱物資源、肥沃な大地……栄えて当然だな)


 海沿いの街らしさを実感させられるのはとにもかくにも建物だ。ほとんどの建物は地面から少し浮かせて建てられており、高い建物はほとんど無い。強いて言えば東に見える領主館くらいなものだが、それも他の地域の主城に比べれば半分程度の高さしか無いかもしれない。


 こんな街中で潮風を感じるのはマラボの地以来。それも全く規模が違うとなればその新鮮さは俺の心を浮きだたせる。


「おっと、そこの嬢ちゃん獣人かい!? こりゃ珍しい! 寄ってってくんな! ウチのメタルイカは秘伝のたれで焼いた歯ごたえ抜群の絶品だ!」

「ひでん……はごたえ……ん?……こらぁっ! シィは竜人イグニスだ!」

「イグ……ニス……? だーっはっはっは! 冗談はよしてくれ。あの幻? だとか言われてるヤツらがこんな僻地の街中にいる訳ないだろう」

「こんのうでまくりひげもじゃ人間ぶっこ……ぶっとばす」

「待て待て」


 髭の親父はこれ見よがしにパタパタとイカを扇いで香ばしい匂いを漂わせ、タレが炭に落ちる心地の良い音で追い打ちをかけてくる。


 俺はとりあえずプルプルと震えるシリュウを押さえつけ、急いで親父の元へ駆け寄り、イカ串三本を買い上げて一本をシリュウに手渡した。ついでに遠慮しまくるラインハルト氏にもう一本を押し付けておく。


「まいどあり!」

「おいひげもじゃぁっ! まずかったらゆるさない!」

「威勢がいいなぁ嬢ちゃん! 食ってみてくれ。……どうだい?」

「むぐっ……ヒィはいくにすあ!」

「だっはっは! わかったわかった、オレぁ客の顔は忘れねぇ主義だ! 今度は自分の財布から頼むぜ、竜人のシィ!」

「シ……ふんっ!」


 シリュウが街をうろつく限り、ことある毎にこのやりとりをする羽目になるのは間違いない。小さな村ならともかく、こんな大きな都市でいちいちひと悶着起こしていては本当にキリがないだろう。


 だが、場所によっては亜人を怖がったり避けたりする地域もまだまだあるだけに、そう言った素振りもなく早々に声を掛けてきた露天商には感謝すべきとも言える。


 こんな往来の激しい場所で大声でやり合えば当然衆目は集まるというもの。だが顔の利くラインハルト氏のおかげで全く騒ぎにはならなかった。


 ブチリとイカ串を嚙み千切り、抜群の歯ごたえと甘辛いタレの風味を味わいながらその場を後にする。


「噛み応えというか、純粋に固いですな。しかし、悪くない――ブチッ」

「メタルイカはこの街の名物なのです。骨を丈夫にすると言われてましてな。こいつが食べられれば――ブチッ――立派な大人だという事で、ノースフォークの男児は事ある毎に――ブチッ――します」

「たしかに――ブチッ――子供には手ごわい――ブチッ――ですな」

「しかし、多少の問題も――ブチッ」

「ふむ?――ブチッ」

「ああ、すみませぬ――ブチッ――お話しするほどの事ではありません」


 そういうならあえて追及はすまい。冷めると余計に硬くなって食えたもんじゃないというので、食べ歩きながら俺たちはラインハルト氏が用意した宿へ案内された。


「改めて確認いたします。七日後に帝国艦隊の主だった者による面談を兼ねた決起会が執り行われる予定です。そして翌日に出航と相なります」

「承知」

「できればそれまで街に留まって頂きたいのですが……」

「そればかりは何とも」

「そうですな。貴殿は冒険者だ。我々があれこれ言える立場ではない」

「ご安心を。これも含めた依頼だと思っていますので必ず」

「ありがた……いや、お頼みします」

「承知」


 そうしてラインハルト氏とは宿で別れ、俺とシリュウは実質バイスリー伯爵が用意した部屋へ案内された。


「……」

「まぁまぁだな!」


 正直、外観からある程度の察しはついていた。


 豪華すぎる。広すぎる。


 こうも広いと落ち着かないのだが、これを無下にしては伯爵の顔に泥を塗ることになるので受け入れざるを得ない。


 そうため息をついて机の上に腰荷と舶刀、夜桜を置き、椅子に腰かけた所で女中が何か言いたそうに扉の前に立ったままな事に気が付いた。


「どうかなさいましたか」

「あ、あの……恐れながら」

「……はい?(恐れながら?)」


 俺はここで女中の態度に心当たりを得る。間違いなく、伯爵の関係者だと思われて恐縮されているのだ。これは正直、たまったものではない。ただでさえ部屋のおかげで落ち着かないのに、そんなに畏まられては肩が凝ってしまう。


「私は平民。ただの冒険者です。そのように緊張なされてはこちらまで恐縮してしまいます」

「そ、そうなのですか?……あっ、申し訳ありません! お客様に失礼があってはなりません! 私のような下女にはもったいのうございます!」

「(う~む)」


 まぁ無理に態度を改めろという方が酷かもしれないので、これはひとまず置いておき、何か用があったのではと改めて問うた。


「ご、ご案内が遅れて申し訳ありません! あ、あの、シリュウ様のお部屋は別にご用意させて頂いております!」

「……え?」

「んぁ?」


 俺は開いた口のまま勢いよく頭を下げる女中を見やった。


 あまりに部屋が広いので俺もてっきり相部屋だと思い込んでいた。しかしよく考えれば馬鹿デカいがベッドは一つだし、明らかに賓客としてここにいる。加えて曲がりなりにもシリュウは女子おなごだという事を思い出せば、伯爵家が二部屋用意するのは当たり前だったのだ。


 これは、恥ずかしい。


「なるほどお恥ずかしい……ですが、これで我々が相部屋上等のしがない旅人であることはお分かりいただけたでしょう?」

「……うふふっ。お気遣いありがとうございます」


 確かにシリュウは扉が開けられると同時に部屋になだれ込んでしまったので機を逃してしまったのも無理はない。その後、悠々とくつろぐシリュウを見てさらに機を逃してしまったのだろう。


「だそうだシリュウ。すみませんが案内をお願いします」

「かしこまりました。向かいとなりますのでご案内―――」

「――だ」


 女中が荷物を抱えて改めて案内をしようとしたその時、ベッドにうつぶせになりながらもごもごと何かを言ってシリュウは言葉を遮った。


「なんだって?」

「いやだ」

「も、申し訳ありません! 何か失礼を!?」


 そう言って慌てる女中を手で制し、俺はもう一度ため息をつきながら面倒なわがままを問いただす。


「広い部屋と備え付けの菓子やら飲み物を独り占めできるんだぞ」

「……ここのおかしものみものも全部シィの」

「少しは分けろ! いやいや違う。女中さんに迷惑だ。さっさと移動せんか」

「……どっちもいやだ」

「なぜだ。まさか一人が寂しいなどとは言うまいな。出発前、スルトの貴賓館でしばらく一人だったろうが」

「……ここお師の里じゃない」

「はぁ……もういい」


 説得するのは時間の無駄と分かり、俺は剣と腰荷をもって立ち上がる。こ奴が移動しないなら俺が動けばいいだけの話だ。


「お願いします」

「は、はい……」


 移動と言ってもすぐそこの向かいの部屋である。駄々をこねる意味が分からない。


 しかし敷居を跨ごうとしたその時、シリュウは俺の頭上を華麗なとんぼ返りで飛び越し、両手を広げてその背でゆく手を塞いだ。


「おい」

「……」

「邪魔だ」


 背中越しに少し怒気を込めて言ってやった。ビクリと肩がすぼんだが、それでも道を開ける様子はない。そこまで同室がいいと言うなら最早何も言うまい。正直、そろそろ面倒になってきたところだ。


 諦めて踵を返そうとすると、思いがけない女中の言葉が飛んで来た。


「リカルド様。本当に申し訳ありません」

「な、なにがです?」

「私の勘違いで、実はお向かいの部屋は女性専用となっておりました。リカルド様にはこの部屋にお留まり頂く以外にございません」

「えっ……ああ、そうでしたか……」


 そういう事なら仕方がない。と納得してみるが、気のせいか……女中が急に……


「シリュウ様、よろしければ私に少しだけお付き合いいただけませんか?」

「……なんで」

「実はお客様用に大量に買い込んだ菓子類が余っててしょうがないのです。ぜひシリュウ様にお持ち頂きたいと存じます」

「もらう」

「はいっ! さっそく参りましょう!」

「ん」


 何やら二人でコソコソ話している。ここで聞き耳を立てるは男じゃない。内密のようなので聞こえぬように窓の外を眺めていると、静かに扉のドアが閉じられ、部屋には俺だけが一人残された。



 ◇



「セロット。何してるんだ?」

「あ、料理長。ここに客間用のお菓子ありませんでした?」

「ん? ああ、そこのはもう切らしたがさっき届いたヤツなら裏口だ。まだ封切ってない」

「ありがとうございます!」


 慌てて裏口へと向かった同僚の背を見て、この男の勘違いはひた走る。


「なんだ? 補充は午前中に済んでるはずなんだが……ま、まさかアイツ……やっと俺を手伝う気になってくれたのか! ううっ!」


「料理長~! 今日はとびっきり美味しい夕食をお願いしますね!」

「お、おう! 任せとけ!」


 その箱の中身はたった一人の客の胃袋に入るとはつゆ知らず。あとで一人菓子を買いに走る羽目となる料理長はぐずりと鼻を鳴らした。



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