#133 こっちのほうがうまい
ゼノン・ラインハルトは古くからバイスリー家に仕える家の長子として生を受けた。他家に漏れず待望の男子とあって父や祖父は大喜びし、幼いころから彼に英才教育を施してきた。
そして期待を一身に受けて育てられたゼノンも期待通りの成長を見せ、今や領都守護戦団の団長として頂点に駆け上がり、彼自身もまた先代達の期待に応えられていることに誇りをもっている。
しかし、歳とともに成熟し団長となった今でもなお、ゼノンの心の奥底には充実感だけではない、それとは対極とも言える形容しがたい複雑な感情が存在していた。それは羨望、復讐、諦念……幼いころに祖父から聞かされた、バイスリー併合の真実がそれらを生んでいた。
ゼノンよ、心して聞くのだ
? なんでしょうおじい様
この地は帝国の金に負けたとは聞いておるな
はい けいざいふうさというひれつな手段だと教わりました
うむ それもあるにはある しかしの 決定打となったのは別の事が原因じゃ
そ それはいったい
そもそもバイスリーは独力で生きてゆける資源 人が集まる地 帝国の二年にも及ぶ経済封鎖もこの地が音を上げるほどの成果は生まなかったのだ
えっ ならばなぜ主さまは……―――
「百万の軍事演習を見せつけるなどと、何たる不遜なぁっ! ……うぐっ!?」
「だ、団長! お目覚めですか! よかった!」
「っ、またか……俺はいったい」
目を覚ましたゼノンの元に、馬に餌をやっていた団員が急ぎ駆け寄って来る。
腹と後頭部にひどい痛みがある。身を起こしたゼノンは自身に何が起こったのかを思い出そうとした矢先、地揺れを思わせるような大きな衝撃が辺りに響き渡るとその思考が止められてしまった。
「な、なんだっ!?」
「歩けますか? 見て頂いた方が早いかと」
「う、うむ……?」
痛む腹を押さえ、団員に肩を借りて立ち上がったゼノン。
どうやら自分は街道から外れた林の一角で横たわっていたらしい。少し歩いて街道沿いに立つ他の団員の背が見え、その奥に焦点を合わせると衝撃の正体を目の当たりにした。
「後ろを取ったぞ!」
「これは勝負ありか!?」
興奮する団員たちは立場を忘れてその戦闘に夢中になっている。
「むぎぎぎ……っ! お師ぃっ! こうさんしないと首とれるですよぉっ!?」
「ぐっ……愚か、者が……この程度でっ……うおらぁっ!!」
バチン! バチチチチ!!
「あぎゃぁぁっ!」
黒髪の青年がツノの生えた少女に背後からおぶさるように裸締めにされていたが、程なくして青年が突如発光。強い光と共に少女は激痛に見舞われたのか飛び退いて距離をとった。
「でたな雷魔法」
「だな。団長の時も……あっ! 団長!」
戦いに見入っていた団員が背後に立つゼノンに気が付き、慌てて駆け寄る。
ゼノンはそこら中窪んだ地面、騒ぎを聞きつけた騎士団員とその他街道の利用者らが集まっている光景を見回した。
「いったい何がどうなっている」
「はっ! これはですね―――」
……―――
全く、ここまで熱が入ってしまうとは思いもよらなかった。
だがまぁ弟子といいつつシリュウとの組手は久々なのは否めないし、俺もたまには全力で動いておく事も必要だ。良い機会だと自分を納得させ、時が来るまでとことん付き合ってやることにする。
絞められた気道を確保して呼吸を取り戻し、雷を全身に食らったシリュウは痺れに抗いながら俺をにらみつけている。
「いだだだだ……こんのぉ……かーみーなーりぃぃぃっ!!」
「ふー……っし、来い。丸焦げにしてやろう」
「むっ! それシィがやるやつ!」
ゾワリとシリュウの髪が逆立ち、腕に竜鱗の文様が浮かび上がる。五指は太く鋭く尖ってゆき、紅黒く艶めく両角がググッと後ろに伸び始めた。
この場所ならそこそこ暴れても問題はないだろう。多少街道が乱れてしまうが、半竜化までなら良しとする事にした。
夜桜と舶刀は隅に置いてある。俺はシリュウの変化を見つつ全身にさらなる強化魔法を、そして重ねて雷を纏って身構えた。
「ぜったいかぁーつ!」
「ふっ!」
ここからが本領発揮。
踏み込んだ勢いのままぶつかった両者の拳は辺りに爆炎と雷を飛散させ、続けざまの攻防で放たれる眩しさに周囲は目を細めた。爆散した炎が地でゆらゆらと揺れては消え、また落ちては消える。
そんな光景がしばらく続いたのち、初めから観戦していた団員の一人が我に返ったようにはっと目を見開いた。
「(しまった! 見入ってしまっていた!)リ、リカルド殿! シリュウ殿! 団長が目を覚まされました!」
「ぬおぉぉぉっ!」
「でりゃぁぁっ!」
「ちょっ、まっ―――」
「うぐっ!」
「ぶはっ!」
このまま最後まで見届けたい気持ちを押さえつつ、団員は戦いに夢中になっている二人に向かって改めてあらんばかりの声を上げる。
「すーっ……お二人ともっ! それまでぇーっっ!!」
「っ!」
「う゛っ!?」
その声で俺とシリュウの脚が衝突寸前でビタリと止まり、上がった脚のまま二人して声の方へ視線をやった。
「ふぅ」
「うぎーっ!」
俺はギリギリと悔しそうに歯を食いしばるシリュウの頭をポンポンと叩き、団員の後ろで目を丸くしているラインハルト氏へ歩み寄る。
「目を覚まされましたか」
「いいとこだったのに! もっと寝とけ! このぺしゃんこ人間!」
「ぺ、ぺしゃ……?」
「やめんか」
明らかに自分に向けられたシリュウの悪態にラインハルト氏は困惑の色を隠せないでいる。それもそうだろう、多くを率いる長がこんな低俗な非難を受ける機会などこれまで無かったに違いない。
組手を始める前の決め事として、ラインハルト氏が目覚めるまでとしていた。俺もシリュウもダメージを見て長らく時間が取れると踏んでいただけに、相当戦いに集中していたらしい。
「これからも互いに精進しましょう」
ラインハルト氏は傍に置かれた自分の鎧と兜を一瞥し、自分が受けたであろう攻撃を反芻。未だに頭がはっきりとしない様子だが、戦いで汚れた姿のままで手を差し出した俺を見て、氏はフッと頬を緩めてその手を取った。
「情けない事に格が違ったようだ」
団長が身に着ける鎧が粗末なはずがない。それが腹の部分で大きくひしゃげ、兜も同様に後頭部が平らに変形していた。
これがシリュウの言う『ぺしゃんこ』の由来となっている訳だが、それはもういいだろう。
俺は沈みかけている日を見やり、今日はここまでかと皆で食事にしようと提案した。
……―――
「んまかった!」
「……何から驚いていいのやら」
「こ奴の稼ぎはほぼ飯代に消えてますから」
塩をふった肉汁滴る塊にガブリと嚙みつき、合間に甘く新鮮な野菜をシャクリと
それらをペロリと平らげ、胡坐をかく俺の膝を枕に満足げに横たわる。
「やけたです?」
「まだだ」
「んぃー」
そこらに生えていた茸にそこらに落ちている細枝を刺して焚火に当て初めてまだ数分。
団員らと酒を酌み交わしながらラインハルト氏が手合わせを望んだ理由、領都守護戦団について、包囲網の苦労話などを肴に穏やかな時間が進む。
ここらの魔物や魔獣は騎士団や領都守護戦団が狩り尽くしている言っても過言ではないので、警戒いらずと言うのも実に気楽でいい。
パチリはじけた火の粉がそよ風に舞うと同時に、ラインハルト氏が改まる。
「明日より、私を含めたこの五名でお二人をノースフォークへご案内させて頂きたい」
氏曰く、最初からそういう命を受けて俺とシリュウを待っていたらしい。手合わせだけは氏の独断だと改めて謝罪と感謝を受けたが、受けたのは俺の意志なので謝意は無用とこの件は早々切り上げた。
特段込み入った道のりでもなく迷わず目的地にたどり着けるはずなので一度はその提案を断ったが、俺とて彼らの立場は理解できる。
本気で断っては彼らが何かしらの罰を受けかねないので、程ほどにしてその提案を受ける事にした。
そして何より馬を貸してくれると言うので俺も気が乗ってしまった。走った方が早いと言ってしまえばそれまでだが、普段馬を連れて旅をするのは難しいだけに楽しみではある。
問題はシリュウが馬に乗れるかどうかだが……ヘタをすれば食おうとしかねないだけに、歩かせるか俺の後ろに乗せておけばいいだろう。
俺たちが案内を受けるかどうか、自分たちが命を果たせるかどうかでまともに味のしない食事を摂っていた団員らは胸を撫でおろし、これでようやくうまい酒にありつけると笑った。
「つい先程まであれほどの戦いを繰り広げたお二人とは思えないのですが」
「そうですよ。シリュウ殿はもっと荒ぶって……あ、これは失礼」
すでにそれなりの時間を過ごしているのでこういった軽口も出るようになっている。だがこれに関しては俺から言う事は何もないので、黙って膝元で俺を見上げるシリュウに繋いでおこう。
「なに言ってるかわかんない」
シーシーと尖った爪を楊枝代わりにしながらそう答える。
だが行儀も何もあったもんじゃないと呆れ果てたその時、意外な言葉が続いた。
「でも、ちゃんといっしょしてくれるお師がいい」
何の気なしに続いたこの言葉に、一同は不覚にも沈黙させられた。
「む、ぅ?」
(どういうことだ?)
(竜人ってのはみんなこうなのか……)
まぁ……行儀については今は許してやろう。
「ほれ、できたぞ」
「もらう!」
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