#131 つれてって
早くに両親を亡くし、体が出来上がった十五の歳で故郷を捨てて冒険者となった父上は、瞬く間にランクを駆け上がり、押しも押されぬAランク冒険者となって各地を旅して周った。
初めて聞いた時、幼いながらに俺の行く末が決まったといっても過言ではない。
そして、父上が母上と出会ったのもそんな旅の途中。
母上は幼くして親に売られ、売られた先で出会った同じ境遇の者とともに脱走したものの、行く当てもなく彷徨っていた所に父上に出会って旅を共にするようになった。
これが幼い頃に聞いた、両親の冒険の始まりである。
そう、聞かされていた。
あの時、売られた親の子という不名誉を俺に背負わせないために母上は誰にも話していないと父上は言い、俺は可哀想な過去を持つ母上にはその事に触れぬようにしてきた。
しかし、幼いながらに俺が可哀想だと思った母上の過去は、より悲惨な真実を覆い隠すものだったのだ。
俺は俺で気を使い、母上は母上で真実を話せない苦しみに苛まれていたと知り、言葉では言い表せない感情が渦巻いた。
そこに追い打ちをかけるように、母上が魔球班病に罹ったのも自然発生したものでは無いと聞かされて怒りで気が狂いそうになってしまった。
「そ、そのような仕打ちっ……!」
だが肩に手を置かれて正気を取り戻し、父上がわざわざ村から出た理由がようやくわかってしまった。
「ジン」
「っ」
周囲にわずかな獣の気配すらも無い事に気が付き、俺は無意識に振りまいていた威圧を止める。
あと少し暴走させていたら駐屯隊、それこそシリュウやコーデリアさんが飛んで来ていたかもしれない。
「すみません」
「……いや。よく我慢した」
父上の口から本当の過去を聞き遂げ、怒りと悲しみ、哀れみと寂しさが混濁した先は虚無感だったのかと思い知らされた。
これは俺が生まれる前の話である。
俺に為す術はなく、両親がスルト村に行き着いたからこそ俺が生まれた。
ならば二人が秘してきた過去ですら、俺がここに居るための糧だったという事なのだ。
頭では分かっている。変えられぬ過去に恨みを持った所で虚しいだけなのは。
この無意義な感情に揺さぶられるというのが人の子たる証だと俺は思うが、揺さぶられるがままに周囲を顧みないのは獣と変わらない。
本当なら墓まで持っていくつもりだったはず過去を、父上は俺が因縁の地に向かうと知り、今の俺を信じて話してくれた。
なればこそ、獣にだけは絶対になってはならない。
「母上は私が知ることに……」
「ああ。めちゃくちゃ暗い顔してた」
偽りでも親に売られた過去があると子に伝えるのは辛かっただろう。
真実がそれ以上に酷だったが故、母上は更に知られたくなかったはずだ。
「お前がガキんとき、目に見えて強くなっていくのをジェシカは恐れてた」
なぜか。
「この事を知ったら、自分の為に復讐しようとしてしまうかもしれないってな」
「……」
確かに、俺は母上の辛い過去を断ち切る為なら刀を抜くことを躊躇わない。
当然そんな俺であることを知る父上と母上は真実を歪曲し、状況だけを似せて俺に伝えたのだ。
父上が俺に頑なに剣を教えなかったのも、己の剣では己を超えられないという理由の裏に、自分で復讐の刃を作り上げてしまうかもしれないという恐怖があったという。
しかし、そんな心の奥底を知るはずのない友人達は、己の技術、経験を余すことなく俺に授ける事になる。
「剣はコーデリアとボルツ。魔法と弓はエドガーとオプト。ニットのジィさんも出てきて商売の事まで。図らずともお前は最高の師どもに巡り合っちまった。正直、最初は躊躇ったさ……本当に力を付けさせるべきなのかってな。だがよ……まぁどいつもこいつも嬉しそうに薪を焚べやがる。止めさせるなんて、俺もジェシカも出来る訳が無かった」
「誠に有難きこと。皆、大切な家族です」
「ああ。だからこそ、真実を知ったお前にはあいつらに貰った力を俺達の復讐なんぞに使って欲しくない」
「……」
ならば真実など話さなければ良いではないかとも思えるが、それはそれで現実的に大いなる危険を孕む事になる。
「俺はこの村に来てから姓を得たのは言ったよな」
「はい」
「賊から足洗ったっつっても、所詮俺は人様に顔向けできるような人間じゃねぇ。だから、戒めと誓いの為にリカルドを名乗ったんだ」
「……」
「最初はジェシカに名乗らせるつもりは無かった。でもあいつ、夫婦なんだからっつって引かなくてよ。何も恥じることは無いって、堂々と賊の名をだぜ?
「くくっ、容易に想像できますね。父上の困り顔が」
戒めと誓いの名。
東においては悪名高い、リカルドの名。
話を聞く限り、この名をもってすればかの地で両親の過去に遭遇する可能性は大いにある。
俺が知らぬままに両親の過去を異国の地で知ることになっていた場合、俺は仇討ちに何の躊躇いも持たなかっただろう。
両親から知らされる事なく、両親の望まない復讐を、両親の知らない所で。
これは、父上はともかく、母上に耐えられる事ではない。
「三十年経っちゃいるが、リカルドってのは
名乗るな、とは言わない。
ただ知っておけと、こういう所が父上を尊敬できる部分だ。
冒険者として俺を村から出した以上、俺は己の道をゆくという事をよくわかってくれている。
未熟な俺を、認めてくれている。
だからといってその高揚を顔に出すほど俺は甘くない、が。
帰郷して早々に殴り合った末、まどろむ意識の中で父上が『伝えねばならん事―――』と言っていた事を思い出し、これがそうだったのかと、今日の今日まで言いそびれた事を責めておく。
こんなにも長時間、父上と二人で話したのは初めてではなかろうか。
「寝ちまったお前が悪い。デケェ息子を背負わされた俺の身にもなれ」
「……」
反抗期が抜けきっていないのか、無意識に父上を言い負かせてやろうとする俺も、この時だけは沈黙で返した。顔に出さずに本当に良かった。
「まぁ、色々混乱しただろうが……ついでに言っとくわ。お前あれだから、神獣サマも認めた俺達の子だから」
元盗賊もすっかり聖地の一員だと言いたいらしい。
同盟国でもない限り、国を越えれば罪人は罪人でなくなる。ましてや大陸を跨ごうものなら、それはもう無かった事になる次元だろう。
如何に俺がアジェンテとはいえ、今更異国で盗賊だった父上を騎士団に突き出したところであっさり解放されて終わる。帝国にとって、父上がこの聖地で何を成してきたかが全てだ。
「ロードフェニクスのお墨付きだと」
「おうよ」
「別にそんなもの要りませんけど」
「村中を敵に回すぞ?」
今更なんの
今の俺の心中をよくわかっているらしい。
立ち上がり、前を向いて夜桜の柄に手を置いてしかと父上を見据える。
「委細承知。父上、行って参ります」
「ああ。行って来い」
……―――
早朝の冷たい空気を大きく吸い、俺を見送ろうと家の前に集まった皆を振り返る。
昨日の酒が抜けきってないと、身体を擦りながら笑うオプトさん。
「ソグンとエイルを頼みます」
「げっ! 最後にそれかよ!?」
酔いと寒さを吹き飛ばす一言を突きつけられて狼狽するオプトさん見て満足し、端で静かに頭を下げているセツナさんに一言告げる。
「次は剣を交えましょう」
「し、精進いたしますっ!」
そして、バシバシと背を叩くエドガーさんと拳を突き合わせた。
「暴れてこい」
「お任せを」
そのままコーデリアさんに視線を移すと、凛とした表情のまま涙を流している。
「器用な事をなさいますね」
「それでは村を出ることは叶いません」
らしい。
俺は時を止めて思考し、スッと指で涙を拭いながら彼女が欲している言葉を選び抜く。
「帰郷の折は真っ先に抱き締めさせて頂きます」
「ぐっ……なんて罪深い子なのでしょう」
この人のお陰で、俺は生涯で口にするはずの無かった言葉を何度吐かされてきたことか。
「お主は……まぁいいか」
「なんでやねん」
こ奴とはこれで十分。
バッサバッサとルーナの尾が揺れると、いつもなら飛びついてくるはずのコハクが珍しく後ろ手に歩み寄る。
「て て」
「手?」
飛びつきをちょっと期待していたのだが、言われた通りにしゃがんで手を差し出すと、ひんやりと冷たい、モコモコした白い何かが手に乗った。
「んー……?」
(四肢に、この突起物は耳……か? こっちの垂れた紐は……)
「こはく」
「え?」
「このこ いっしょ」
「あ……ぐほっ!」
ようやくわかった。これは白虎となったコハクの人形だったらしい。
冷える朝の空気の中、それを優に超える冷気を発するこはく人形は、俺の手を氷漬けにできる程の魔力が込められていた。
だが、冷たくも暖かい、そんな相反する不思議な感覚を覚えている。
あちらこちらにほつれが見えるだけに決して出来がいい訳では無いが、慣れぬ手つきで一生懸命に俺のために人形を編んでいる姿を想像しただけで、俺の後ろ髪が地面にめり込んでいくのを感じる。
「くっ……ありがとう。大切にする」
俺の言葉にコクリと頷き、しゃがんだままの俺の首に手を回し、耳元で小さく呟いた。
「じん すき」
「つぎ コハク いっしょ」
そう言ってスッと離れ、恥ずかしげに顔を伏せてピョンとルーナの肩に飛び乗った。
次は、コハクを連れて旅に出ようと心に決めた瞬間である。
「はいはい。いつまでも浸らない。キモいから」
「貴様っ!」
「目が見えないって、案外便利なの知ってた?」
「何をいきなり……っ!?」
感動に打ち震える俺を一刀両断し、有無を言わさずアイレの唇が俺のそれと重なった。
ほんの一瞬の出来事とはいえ、この衆目の中での大胆な行動はこれまでの彼女らしくないが、何も彼女の全てを知っている訳では無い。
この好意に感謝しつつ、今の俺には応えられない事はアイレはよく分かっていた。
「いらないから」
「……そうか。次は俺から会いにゆこう」
「待ってる」
《 シルフィード、アイレをよろしく頼む 》
《 無用な言葉ですね 》
《 ……そうだったな 》
改めて死ぬわけには行かぬと覚悟し、鼻を高くした俺を諌めるのはやはりこの人である。
(やはり俺には女殺しの才能が……)
「ちゃんと責任を取りに帰るのですよ?」
「……はい」
その恐ろしげな笑みに、本当の過去を知った俺への遠慮は見られない。
俺はこはく人形を一旦荷袋にしまい、母上が差し出す一つの巾着に視線を落とした。
「私には書けませんでした」
昨晩父上から知らされ、母上にその事をそれとなく伝えた上で、儚い笑みを浮かべた母上に俺はこう言った。
旧知がおられるのなら、俺が手紙を届けると。もしその方が逝っておられたならば、必ずやその墓前に供えると。
「だから、これを代わりに」
一応中身を検めてよいかと確認し、手渡された巾着の中には複数の植物の種が入っていた。
手紙の代わりというならば当然何かしらの意味があるはず。花の名にも花言葉とやらにも明るくないが、母上がずっと大切に育てている家の窓際の花の種だという事だけは分かった。
「お任せを。お元気で母上。行って参ります」
「無理だけはしないでね。いってらっしゃい」
最後に父上の腕の中にいるシキとセキの頭を撫でる。
「セキ、男子たるもの、強く逞しく育てよ」
「う」
「シキ、女子たるもの、強くしとやかに育てよ」
「あ?」
「父上、頼みます」
「ふっ、お前と同じだ。こいつらが勝手にやるさ」
父上の言葉で皆笑い、その笑顔を背に俺は一人歩き出す。
(間に合わない、なんてことはないよな?)
待ってやるほど優しくない。
だが、俺には予感がある。
――― おーしーっ!!
背後から呼ぶ声がする。
予感は確信に変わり、狙いすましたかのような機ではあるが、あ奴にそんな器用な真似ができるはずもなく。本当に今の今まで考えて、答えが出たのが今なのだろう。
振り向きはしないが、足を止めてやるのはやぶさかではない。
「シィいっぱいかんがえたっ!」
「でも……シィわかんなかったから、ははうえとコーデとアイレとイルイルとちちうえとがはは人間とびびり人間にきいたっ!」
「あとしょうがないからあほぎつねとシロチビにもきいたっ!」
別に言わなくてもいい事を朝っぱらから馬鹿デカい声で言い放ち、ブオンッ、と、ルーナの尾が急旋回した音がする。
「それで……シィいないと、お師はだめだと思った!」
何を聞かされたのかは知らないが、ガクリと膝から崩れ落ちかけた所をギリギリで耐え、殴りたい気持ちにも耐えてやる。
「あ、あとあとっ! シィ、まだまだいろんなとこいきたい! まだまだいろんなことおしえてほしい!! まだまだいっしょしたいっ!!!」
「だから、だから―――」
ため息をつきながら振り返り、皆の避けた先に見る紅い竜の少女。
声と同様に馬鹿デカい荷物を背負い、腰には自慢の
ほんの少し癪だが、準備は万端という訳だ。
「シィのこと、つれてってーっ!!」
上がりそうになる口角を必死に堪え、俺の答えは決まっている。
「行くぞ、シリュウ」
「っっっっ!! はいーっ!!!」
これからの旅も、賑やかなようだ。
――――――――――――――
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
三章はこれにて完結です。
次章は挿話を挟み……と行きたいところですが、先に新作を公開します。
■ジェシカ ―Frontier of Beginnings―
https://kakuyomu.jp/works/16817330659202947917
格好をつけて英語副題です。と言ってもお分かりのとおり、本作の読者さまからすればただのスピンオフなのですが……w 一応予備知識なしでお読み頂けるように書きましたので、完結までコレクションには入れないつもりです。
ぜひお時間があれば……いえ、あえて言います! 絶対読んでください! 色々繋がりますので!
それでは主人公ともども、次の旅路で読者さまとお会い出来ることを楽しみにしております。今後ともよろしくお願いします。
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