#130 出立Ⅱ
(私たちは裏切り者……か)
宴席で杯を傾けながら、アイレの言った言葉を反芻する。
風人や獣人を始め、西大陸で亜人と呼ばれている者達は皆、元を辿れば東大陸に故を持つという。
もともと西と東は別々の大陸だったというのは周知の事であり、勉学に励んでいる者ならば子供でも知っている。
太古の昔、海を隔てた西の大地と東の大地が衝突し、その際に大地が盛り上がってできたのが人類未踏のクテシフォン山脈と言われている。
そのクテシフォン山脈に隔てられ、大地の繋がり以外に繋がりを持たなかった二つの土地は、長い時をかけて開拓が進むことになる。
海路、陸路、どちらも盛んに開拓が行われ、ようやく見つかったのがラングリッツ平原。
そこを起点に人、物が大いに行き交い、後の世で大戦が勃発すると、元々東大陸に根付いていた風人や獣人といった者ら、つまりアイレやシリュウの祖先が新天地を求めて西大陸に渡ってきたのだという。地人、水人も然り。
雪人と樹人はその例外で、彼らは最初から西大陸にいた民族なのだそうだが、つまり、東大陸に残った者らからすれば、アイレ達は故郷を捨てた、裏切り者の子孫ということになるのだそうだ。
これが指を折って数えられるような昔話ではないのは確かで、遠い遠い大昔の話。だが、未だに両大陸の交流はほぼ断絶したままというのが現状なのだから、人とは悲しい生き物である。
とはいえ、西大陸にやってきた彼らとて安息の日々を手にしたわけではない。人間のいない地を求めて各地を転々とし、散り散りになりながらも慎ましく生きていた。
しかし数百年、数千年後に彼らの子孫の生活が突如、転機を迎える事になる。
獣人の一始祖と言われる古代種九尾大狐の出現。人と関わるはずのない古代種、それは気まぐれか、はたまた持って生まれた使命感からか。
突如世に出た九尾大狐は西大陸に散らばった己が子らをまとめ上げ、人間の群雄割拠の時代に堂々と国の樹立を宣言したのだ。
九尾大狐は己が名をこう宣言する。
ルイ
と。
ルイは途中、役目を放り出して他人任せにしてきた時期も数多かったが、名をルーナと改めながらも、未だ乞われて数百年間絶対的な指導者としてその座に君臨し続ける希代の王である。
あの後、ルーナは珍しく自分の事を大いに語った。
本人曰く、この事を詳しく知る者は今では本当に数少ないというが、この西大陸で冒険者ギルドをまとめ上げるグランドマスター、ヨル・イザナミがそのうちの一人というのだから恐れ入る。
元々本人があまり人に話して来なかったというのもあるが、そもそもルーナの過去を詳しく知る者が寿命を迎えて逝ってしまっているというのが前提としてあるのだろう。
己を知る者、知ってくれている者がいなくなってゆくというのは、寂しいものである。
「足らんでぇ! もっと酒持って来んかーい!」
俺を送り出す宴席でこんな調子だが、その内の一人に選ばれたと思えば、多少は目も瞑ってやれる。
「お前がこの先帰ってくる度に寂しい酒飲まなきゃなんねぇ俺の気持ちが分かるかこのやろぅ!!」
「そうだそうだ! 次はあれな! 三日! 三日で帰ってこいっ!」
「かーっかっかっか! ええでええで二人とも! もっと言うたれ! 残されるモンの気持ち考えんかい!」
「うぐっ……」
(どの面下げて便乗しやがるっ!)
飲まずにはいられないと、大いに酒を煽って叫ぶエドガーさんとオプトさん。
そして、その二人と酒を煽り倒す希代の王、もとい、酔いどれ狐。
やはりこ奴に酒を飲ませるとロクなことにならない。それを言われてしまっては立つ瀬がない俺は、さっきの話で頭が一杯でろくに応戦できず、悔し紛れに酒を煽り返す他なかった。
「よしよし」
「こ、コハクっ……!」
よく利く鼻に救われたか、コハクがもぞもぞと椅子の下から懐に潜り込み、小さな手で俺の頭を撫でてくる。
少し見ぬ間に、コハクは随分成長したものだ。
最近は孤児院のハナと毎日二人で遊んでいるようだし、ハナに教わって作った花飾りを母上に被せる様を見て、転げまわりそうになってしまった。
俺には無いのかと聞きたくても矜持が邪魔をして聞けなかったのだが、頭を撫でてきたのもあの時の俺の心中すらも察しているのかもしれない。
「……さすがに考えすぎか」
「?」
「いや、なんでもない。ありがとう、元気が出た」
「じん げんきでた」
そのまま俺を椅子にし、スプーンを片手に料理を頬張る様はまさに子供。将来セキとシキもこのような愛らしさを見せるのかと考えたら、今から頬が緩みそうになる。
まぁ、そんな無様を晒す俺ではないがな。
あの後コハクの生まれに関する事もルーナから聞いた今、共に食卓を囲んでいるのはまさに運命神の導きか。どうにも信仰心の薄い俺ですら感謝したいくらいだ。
八神教が及ばぬという東の地でもその恩恵に授かれるかは定かではないが、たまには天に向けて杯を傾けるのも良いかもしれない。
宴にはいつもの面子が勢ぞろいし、村に帰ってもう何度目か分からない宴席も今日で一旦最後となる。
初の帰郷は様々な事が起こり過ぎた。
何か前世でやらかしたのかと思えるほどだ。
それでもなお、また笑って旅立てる俺は本当に恵まれている。
その事だけは決して忘れてはならない。
「聞いてください。ジンったら、私がお守りにと持たせた石を剣に変えてしまったのです。ちょっと酷いと思いませんか?」
「なんという事でしょう。確かに酷い、酷すぎます。でも、大丈夫ですジェシカ。ジンは大切な何かを守るためだけに剣を振るいます」
「えっと、あれよね? あの綺麗な黒い剣の事よね? あの剣のおかげで私生きてるんだから、お守りなのは間違いないよ!」
「コーデリア……アイレさん……そうだと良いのですが……セキ、シキ。あなた達はどう思いますか?」
「う」
「zzz……あ?」
「そう、よね……ジンは優しい子だものね……母が信じないで、誰が信じましょうか」
駄目だ。
あの母上までもが酔っぱらってしまっておられる。
どうやら産後めっきり酒に弱くなってしまったらしく、育児のおかげで酒量は減ったままだと後に知らされたがそんなことは今は分からない。
まさか星刻石にそこまでの思い入れがあったとは思いもよらず、同じく俺の為の酒の席に幼くして同席させられている弟妹にも全力で謝罪したい。
(必ず五体満足で帰って来るからな! 心配するんじゃないぞ!)
と、赤子に言った所でどうしようもない。俺もいささか酔っているらしい。
「ちょっとソグン! あんたそんなであたしを貰う気あるの!? ジン兄ぃもなんとか言ってよ!」
「……え゛!?……え゛っ!?」
「この木の杯は継ぎ接ぎだらけですのにどうして漏れないのでしょうか」
「あ゛~? そんなもん、気合だ気合!」
「き、きあいでございますか……この村の木は凄いのですね……」
「簡単に信じないで下さいセツナさん」
「あっはっは! すごいでしょう、ウチの商品は!」
尻に敷かれる事が決定しているソグンに同情の視線を送り、父上に訳の分からない嘘を吐かれたセツナさんを諭すマティアスさん。ニットさんも酔いながら鼻高々のご様子で。
もう無茶苦茶だが、一番無茶をしそうな奴がこの場にいない事が気がかりである。
寝床を貸しているコーデリアさん曰く、考えてるからそれどころじゃないと言って部屋から出て来ないらしい。
飯と酒より優先されるものがあるのかとそれはもう驚いたが、よく考えろと言った張本人である俺が言ってやれる事は何もない。
本当によく考えるとは素直なやつだと感心する反面、折角の宴の場に来られなくしてしまった罪悪感おかげで、最後の一口がほろ苦い酒となってしまった。
盛大に行われた宴席も終わり、皆が皆帰路に就く。
そして、この出立前夜にとんでもない土産を持たせる事になる張本人が不意に部屋の扉を叩いた。
「よぅ。話がある」
俺はすっかり身支度を終え、一旦ベッドに預けた身をおもむろに起こす。
「はぁ……明日は早いんですがね」
「うるせぇ。酒が抜けきっちまう。さっさとこい」
「息子と話すのに酒の力が必要とは」
扉を開けると、父上は既に外に出ていた。
家は静まり返っており、母上と弟妹は寝静まっている。
俺は物音を立てぬよう静かに家を出て、雲で月が隠れた暗い夜道を父上の後に続いた。
(どこまでいくのやら)
広間を抜け、屯所の前に差し掛かったところで俺たちの足は当然のごとく止められる。
「待ちなさい。こんな夜更けに村を……あっ」
「おぅ。ちぃとばかし森に入るわ」
「リ、リカルド殿、それに
「いんや、なんもねーよ。散歩だ散歩」
「さ、散歩ですか……わかりました。お気を付けて、は……必要ありませんね」
こんな一幕を挟み、ズンズンと森に入っていく父上に黙って付いてゆく事数分。
森の中に突如巨岩が現れ、父上はタタンと岩に上り、ここに座れと促した。
「っと。念の入った事ですね」
「まぁな。知ってるか? この岩」
「ええ。遥か昔、オルロワス大火山の噴火の折にここまで飛んで来たと」
「そうそう。なんでもここいらに在るはずのない石で―――」
父子揃って夜の森に入り、まさか岩の話をしに来た訳ではあるまい。
この人らしからぬ他愛もない話がしばらく続いたが、俺にはわかる。
父上は緊張しているのだ。
「どうだ。旅は」
「たまりません」
「たまらねぇ、か……はっはっは。そりゃ最高だな」
ゆく先々で、とはいかないが、旅の途中で母上に何度も手紙を出していたので、俺の道程は父上も知るところだろう。
「あー……くそっ」
「……」
中々切り出せない父上に喝でも入れてやろうかと思ったが、自分が今情けない事になっている事は本人が一番よく分かっていた。
ようやく踏ん切りがついたのか、深く息を吐き、星々が瞬く夜空を見上げた。
「ジン。次は東に行くんだな?」
「……よくご存じで」
ルーナといい父上といい、どうして言ってもいない事が分かるのか。
気になってきたので聞いてやろうかと思ったのもつかの間、『これまでの道のりを聞いてりゃわかる』と機先を制されてしまった。
「そんなに分かりやすいですかね」
「俺も冒険者だったってこった」
ルーナに至っては百年以上旅をしていたのだ。父上でこうならルーナに分からぬ道理は無かったという事だろう。
そう勝手に解釈し、気持ちよく答えを得られたところで、続けざまに父上の口から予期せぬ事が告げられる。
ある程度は覚悟していたつもりだったが、よくも今まで黙ってくれていたなと、いつまでも恨み節が尾を引く次元である。
それは、俺のこれからの道をも変える衝撃の事実だった。
「でよ。俺は十五で冒険者になる前は
「……ぞく」
「そ。盗賊。義賊ぶって大物ばっか狙うやつだ」
「……ぎぞく」
「全部で千人ぐらいいたんじゃねぇかな。そこで幹部張ってた」
「……かんぶ」
「ああ。でも勘違いするなよ。ジェシカは……いや……ジェリトリナは俺みたいなクズじゃねぇ」
頭が付いてこない。
「あいつの本当の名はジェリトリナ・ル・ナイトレイ。ルクソル王国の王族だ」
俺は両親の事を全くと言っていい程、知らなかったらしい。
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