#129 出立Ⅰ

 出立を翌日に控えた今日。


 俺は数日前に知らせていた村の面々に改めて別れの挨拶を告げ、最後となった墓に手を合わせる。


「行って参ります、ティムル村長。ジンの旅路、天よりよくよくご覧あれ」


 手入れの行き届いた墓石に一献供え、深呼吸をする。


 思い残すことはないと言えば嘘になる。


 復興途中の村も気になるし、村人となったセツナさんにもまだまだ伝えられる事はある。俺が去った後はコーデリアさんとオプトさんが主となって引き受けてくれるので心配は無用なのだが……それでも、だ。


 数年後になるであろう帰郷の折、まだ彼女がいるのかは分からないが、どれほど成長しているのかは今から楽しみにしておく。


 そして何より我が弟妹、セキとシキ。


 その成長をずっと見守っていたいのは偽らざる本音だが、俺は兄であると同時に冒険者だ。おそらく前世より引き継いだ、この魂に刻まれた未知への好奇心を鎮める事は出来ない。


 二人の世話は父上と母上に任せ、俺は弟妹が誇れる存在になれるよう、両親にもらったこの脚で歩き続けるのみ。


(……とはいえ、俺の事など記憶の彼方に消えるのだろう)


 生まれてから毎日顔を突き合わせているとはいえ、やはり覚えておくなど赤子には少々荷が重いか。


「っと」


 幾何の寂しさがぬぐえないが、墓の前でどうしようもない事でうなだれていてはティムル村長に心配をかけてしまうと気を取り直し、その場を後にすべく踵を返す。


 すると、墓地の入口で三人がこちらの様子を伺っている事に気が付いたので歩み寄った。


「ティムルはん、やっけか。挨拶は済んだんか?」

「ああ、快く送り出してもらえた」

「さよか、そら何よりや」


 ここで死人に口無しなどとのたまう女王ではない。


 かっかと笑って犬歯をのぞかせると、その肩に乗っていたコハクが止まり木を俺へと変える。


「……」


 コハクは無言のまま。


 クシャリと俺の髪をつかみ、足をプラプラと揺らして今日も機嫌が良いようだ。


「で? 揃って挨拶に来たのか?」


 改まって話すような事と言えば最早それしかない。


 俺がそう言うと、今度はアイレが場所を変えようというのでそれもそうかと賛同し、俺がいつも水浴びで使っている川のほとりに案内した。


 小さな二本の滝とせせらぎが聞こえる、お気に入りの場所である。


 グッと伸びをしてコハクを肩から降ろし、胡坐の上に乗せると、合わせてルーナとアイレもその場に座る。


 一杯ひっかけたい所だが、今晩エドガーさんとオプトさん主導で俺の送り出しを盛大にやってくれるらしく、それまで酒は我慢した方がいいだろう。


 それにコハクはさておき、二人は若干神妙な面持ちなのでここで美味い酒は期待できそうもない。


 ならばと収納魔法スクエアガーデンから茶器を出し、火魔法を使って川の水で茶葉を煮出す。


「うむ」


 淹れたてを味見し、納得の出来。


「かかっ、手際よすぎやろ」

「はぁ……どれだけこだわるのよ」

「いらんのか?」

「そんなこと言ってない」


 別で淹れてやろうと急須を傾ける前にアイレは俺が口を付けた茶をむしり取り、一飲みしてほうっと吐息を漏らす。


「……まぁまぁね」

「そうか」


 素直にうまいと言えないのは知っている。


「あちち」

「火傷しないようにな」

「やけど しない」


 一応ぬるめに淹れたつもりだが、猫舌どころか猫そのもののコハクにはまだ熱かったらしい。フッと一息で冷たくなった茶をちびちびと舐めている様を見て、癒される俺がいる。


 ん、待てよ。虎って猫か? まぁ……親戚みたいなもんだろう。


「ジェシカはんには及ばんけどこれは中々……って、いやいやいや。ちゃうわ。ウチらまったりしに来たんとちゃうわ」


 言いたい事がある時に水を飲むと、言葉まで飲み込んでしまうと聞いたことがある。


 その逆境をはねのけ、ルーナは二口目を付けながら本題に入った。


「ジンはん、東に行くんやろ?」


 冒険者は根無し草。


 本拠と定めた町村に定住する者もいるが、俺は大した当てもなく気の向くままに旅をするのが好きなので、目的地を誰かに告げる事はしない。


 だからこそ俺を探すならギルドを通じて知ることとなるのだが、まだ誰にも告げていない次の行き先をズバリと言い当てられ、肩をすぼめた。


「隠す必要もないな。その通りだ」


 あっさりと白状した俺を見て二人は目配せし、次はアイレが続ける。


「魔族って……聞いたことある?」

「まぞく? はて」


 聞いたことが無い。


 魔物でも、魔人でもなく、魔族。


 『魔』が付く時点でよからぬ者なのは明らかだが、言葉端にも耳にしたことが無かっただけに俺の好奇心がうずいた。


「知らんな。東と関係があるのか」

「大ありや。これが」


 すかさずルーナがそう答え、アイレは湯呑を両手で持って見えぬ目で俺を見据える。


 その暗い瞳には、鮮緑の魔力光が宿っていた。


「魔族は……西大陸こっちでいうところの亜人。つまり、私たちの事よ」

「なんだと……!?」


 特にルーナと出会ってからというもの、俺は亜人と呼ぶことをできるだけ避けている。


 どう考えても一括りにしてよいものではない上に、まるでと、人間と変わらぬ意志と感情を持つ彼らを蔑んでいるように聞こえてならないからだ。


 なので亜人という単語すら毛嫌いするようになっている所に魔族と言われ、俺は途端に腹が立ってしまった。


「まぁまぁ、そない怖い顔しぃなや。こればっかりは他所モンのウチらにはどないしようもあらへん。茶でも飲んで落ち着きなはれ」

「俺は……落ち着いている。ズズッ」

「ふふっ。怒ってくれてありがとう、なのかな……? 私は父様から昔聞いただけだし、東大陸あっちにも行ったことないからあんまりピンとこないんだけど」


 それでも、と、アイレは続け、ゆっくりと俺に頭を下げた。


「もし、もしも……向こうで私たちの同族に会う事があったら伝えて欲しいの。困ってたら、私たちを頼ってって」


 これが、二人がこの席を欲した理由だった。


 すっかり飲み干した湯呑をカンッと置き、ルーナも同様に頭を下げる。


「ウチからも頼む」

「承知した」


 間を置くことなどしない。


 理由など聞いては男が廃る。


 男子たるもの、友の頼みならば即諾するのが器の見せ所である。



 ―――まーたかっこつけちゃって しらないよ~



(ん? 気のせい……か?)


 懐かしい声が聞こえた気がするが、喜び勇んで俺の手を取るアイレと、こちらも上機嫌に肩をバシバシと叩いてくるルーナには聞こえていないらしい。


 幻聴だったかと気を取り直すと、二人は一応話さない訳にはいかないと想像通りの理由を続けた。


 確かに長年の懸案事項だったジオルディーネ王国は消滅し、今、獣人国ラクリを筆頭とするミトレス連邦は彼らにとってこれ以上ない安全な場所となっている。


 二人して里を長期間離れる訳にはいかないのは当然だと思うし、アイレならまだしも、気性の荒いルーナが東にズケズケと入ってしまったらどんな問題が起こるかわからない。


 それこそ帝国を巻き込んで国家間の問題が勃発しないとも限らないのだ。


 さすがにそこまでの馬鹿をやってのけるとは思わないが、魔族と蔑まれている獣人がもし目の前で人間に非道な扱いを受けていたならば、おそらくその人間をルーナは生かして帰さない。


 想像するだけでその怒り様に身震いがするというもの。


「ラングリッツまではいけるわ。せやけどその先……リーゼリアが全力でウチを止めに来よる。さすがにウチらの都合で帝国は巻き込めん」


 西大陸と東大陸を繋ぐ唯一の陸路であるラングリッツ平原。


 そして、その先にあるリーゼリア王国。


 史書曰く、西からの侵入者を防ぐためだけにおこった国であり、さらに帝国への敵愾心は尋常ではないと聞く。


 帝国の十分の一程度の国土ながら、三百年以上帝国と戦い続けている強国でもあるのが恐ろしい所だ。


 先の戦乱で西大陸を統一したと言っても過言ではない帝国だが、未だリーゼリアと決着を付ける動きを見せないのには戦費だけではない、何かしらの理由があると俺は思っている。


 目を見て話したからこそ分かる。あの皇帝は権威と力だけではない、権謀術数を得手とする御仁だ。


 おそらく、俺が受けている依頼がまさに一石を投じる事になるのかもしれないが、この事は極秘なので当然ここでは口にしない。


 とにもかくにも。


「全部無視して大樹海経由で渡れるちゅーたら渡れるけど……正直、しんどいからやりたない」

「むぅ……大樹海はルーナでも二の足を踏むか」

「昔ほどやない思うけどな」


 ルーナは手のひらを開閉し、ブンッと音を立てて万物の選別エレクシオンを操る。


 唯一無二の力をもってしてもなお、ルーナにそう言わしめる大樹海は改めて危険な場所なのだと認識させられた。


 さておき、その手段を取ったところで帝国と手を結んでいる獣人国の王が東に足を踏み入れたと露見すれば、途端に大問題になるのは目に見えている。


 これはアイレにも当てはまることで、二人が身軽な俺に頼むのはごく自然な成り行きと言えるだろう。


「わざわざ探してまでやってもらわんでええんよ。アイレはんも言うたけど、もし会うたらでええねん」

「うん。その人たちが幸せならそれでいいの。それこそ余計なお世話だろうし、それに―――」



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