#128 破顔一涙

 一進一退の攻防は周囲に熱波と風切り音を生み出し、常人には目で追えぬ速度で力と技がぶつかり合う。


 ブカの森で開いた戦端は空気を揺らし、スルト駐屯隊、アルバニア騎士団、守り手の主だった者らが集結してこの至極の戦いを見守っている。


 強化魔法を纏ったアイレの細剣と手足はシリュウの膂力を受け止め、次いで放たれる火炎は風に流されて彼方へ散る。


 獰猛な十指の爪は暖簾に腕押すかのようにアイレに届くことはなく、一方細剣による刺突や斬撃はシリュウの拳の前では文字通り歯が立たないでいた。


 互いに手は出し尽くしている。


 アイレの超高速の連続突きをいなし、躱し、即座に距離を詰めて爆発を伴う反撃を繰り出すシリュウ。


 それを見切るアイレもまた反撃を左腕の手甲で弾いて身をよじり、滑らかに廻し蹴りに転じるも、シリュウの反応速度の前には空を切る。


 互いに二手三手の先を読みながらの応酬は、見ている側からすればまるで息の合った双舞と思えるほどの美しさを孕んでいた。


 ここからは体力勝負になるかと手に汗を握っていた周囲は一声も上げることなく、両者距離を取ったと同時に膨れ上がった魔力反応と暴威を見て慌てて身構えた。


「はあ゛ぁぁぁっ!」

「うお゛ぉぉぉっ!」


 皆が強化魔法を纏って衝撃に備え、この戦いの立会人を務める俺とルーナは屹立したまま、瞬きすらも惜しんでぎょくの衝突を見届ける。


 耳をつんざく鮮緑の風刃が収縮、片やすさまじい熱をまき散らして紅炎が凝縮されると、両者至極の一撃を放つ。


「―――風の巨星エア・アステラ!」

「―――火竜炎星ドラゴ・ノヴァっ!」



 ズンッ



 腹の底を揺らす轟音が全身を駆け巡り、俺の口角は無意識に上がった。


「アイレは随分と腕を上げたな」


 正直、アイレは聖霊の力無しにシリュウを相手にしては分が悪いと踏んでいただけに、たったの一年でここまで練り上げているとは思いもよらなかった。


 そのつぶやきにルーナの耳がピクリと反応し、飛散する割れた角礫を雷で弾きながら答える。


「ウチからしたら、アイレはん相手にシリュウがようやっとるで」

「ガリュウに比してということか」

「んー……ガリュウはんっちゅうか、竜人は勝ちゃええっちゅう戦いするはずなんやけど、あいつはちゃう」


 皆まで言うつもりはないらしい。


 しかし言われてみれば尤もで、実力が拮抗しているだけにその『勝てばよい』という戦い方をシリュウが為そうにも手は無い。


 今二人は互いを真正面から受け止めて完全な勝ちを得ようとしている、そういう戦いだった。


 シリュウにとってアイレは仇を討った相手であり、当然全力をもって勝ちを得たい相手。


 片やアイレにとってシリュウは戦友の縁者であり、無様を晒してはその戦友をおとしめ、果ては竜人族の誇りすらも汚しかねない。


 どちらが強いかを測るだけの戦いならもっと気軽に見届けられたはずだが、シリュウは闘志の中に感謝を込め、アイレは亡き同胞の誇りと、その強さを示すべく戦っている。


 この戦いの本当の意味と思いを知る俺は、巻き上がる砂塵の中、肩で息をしながら対峙する二人を見て不意に目頭が熱くなってしまった。


「あいれおねえちゃん しりゅ なかよし」


 これほど激しい戦いを前にしてなお、コハクは嬉しそうに俺とルーナを見上げてそう言った。コハクですらただの喧嘩ではないと分かっているのだ。


 かっかと笑ったルーナが尾でコハクを抱き上げると同時に、思いをぶつけ合う二人が踏み込んだ。


 下ろされんとする幕が見えるかのような高揚と緊迫感、両者の気迫が最高潮に達したその時、全てを貫く鮮緑の刺突と全てを切り裂く真紅の斬爪がぶつかる。


「―――聖風貫穿バルキリー・イラ

「―――大断竜爪ラル・ヴォーヴル


 最後の激突。


 瞬間、ここまでほぼ無傷だった両者の血飛沫が舞った。


 シリュウが背負っていた木々が渦巻き状に大きく抉れ、アイレの後背には地割れが起こったかのような裂け目が深々と刻まれている。


「う……ぐっ」

「がっ……」


 膝を突き、力無く細剣を落としたアイレがガクガクと震えながら顔を上げると、力尽きたシリュウが盛大に仰向けに倒れた。


 立会人である俺はルーナに目配せし、互いに頷き合うと同時に大きく息を吸う。


「これまで! この勝負、同体とする!」


 そう宣言するや、すぐさま真昼の空に白光が行き渡った。


「―――極光回復魔法オーロラヒール


 極上の治癒魔法に抱かれ、アイレが無言で母上に顔を向けてにっこりと笑うと、母上もまたそれに応える。


 頭から脚にかけ、全身に五線譜を刻まれたまま不確かな足取りでアイレは立ち上がり、まだ終わっていないと告げるように白光に抱かれながら風で身を包んで倒れるシリュウに歩み寄った。


「私は……風人の長、ヴェリーンの娘。戦士アイレ」

「……シィはシリュウ。竜人の戦士」


 ここにいる者達はただの観客ではない。決着に声を上げぬまま胸に手を当て、死闘を演じた二人に敬意を示し続けている。


 歩み寄る資格があるのは、俺とルーナだけである。


 沈黙の中で互いに名乗り、近づいてくる二つの足音が傍で止むと、シリュウはむごく抉られた胸のまま犬歯をのぞかせた。


「アイレ……ありがど……」


 グスリと鼻をすすり、震える声とその表情は、


「シィよりづよぐで……ありがどっ」


 全くもって相反している。


「どう、いたしまして」


 とめどなく溢れる涙と笑顔を亡き兄に捧げ、


 シリュウの復讐の旅が真の終わりを告げた。



 ……―――



 死闘から三日が経ち、あの興奮を忘れられない見届け人らからの声は未だ止んでいなかった。


 特に風人の姫があれほどの使い手だったと知った者らは、単に姫という立場と美貌にばかり目を向けていた事を恥じるほどである。


 形式的に勝負は同体となっているものの、最後に立ち上がり、倒れるシリュウに歩み寄ったのは実質的に勝者の振る舞いと映る。


 アイレにそんなつもりは無かったにせよ、当のシリュウが暗に負けを認めてしまっているものだからこの空気は覆らない。


「レイムヘイト様も細剣だし、実は細剣って最強じゃないか?」

「ばーか。武器の問題じゃねぇっての。お二人はそもそも次元が違うんだよ」

「はぁ……だよなぁ」


 守り手としての仕事がアルバニア騎士団に取られているという事もあって、セツナさんの特訓に付き合う以外に取り立ててやることがなくなった帰り道。


 村を歩いている騎士が冗談交じりに細剣を振るう真似を見て、俺は少しばかり誇らしい心持ちだ。


 友人であるアイレが立場と見てくれだけではない事が証明されたのもそうだし、そんなアイレと対等に戦ったシリュウには既に賛辞を送っている。


「ぼへぇ~」

「呆けているな」

「あ、お師」


 駐屯隊から休みを言い渡されているシリュウが家の前で伸びているのを見つけ、丁度良いかと俺も席につく。


 丁度良いと言ったのはこれからの事を話すには良い機会だと思ったからである。


 シリュウの復讐の旅は終わった。


 片や俺は皇帝の依頼により東大陸に向かう使節団の護衛が始まる日が刻々と近づいている。


 この村にいられるのは残すところあと数日といったところで、これを機にシリュウをドラゴニアへ帰すのが良いのではないかと思い始めていた。


 折よくここにはルーナもアイレもいるし、コハクを含めた四人で共に故郷へ帰るというのは旅の締め括りとしては悪くないはず。


 もちろんシリュウの意思次第だが、ドラゴニアの現長もシリュウを心配していると言うし、多少なりとも説得するのが俺の役目ではないかと思えるのだ。


「さて、シリュウ」

「あい」

「そろそろ村を出ようと思う。お前はどうする」

「……え?」


 単刀直入に聞くことにする。


 シリュウ相手に回りくどい言い方は時間の無駄である。


 目を見開いて身を乗り出したのを見て続けた。


「お前は復讐を終えたし、一度故郷に帰るべきだと思っている」

「っ……あ……ぅ」


 アイレとの戦いを経ていなければ『いやだ』と即座に声を大にしていただろうが、今ならなぜ俺がこんなことを言い出したかが分かったのか、途端に俯いてしまった。


「同じ冒険者と言っても俺とシリュウでは立場が異なるんだ。もう分かっただろうが、俺は村におらずとも何の影響もない。しかし、お前はドラゴニアを背負う立場にいる。違うか」

「ちがう、くない……です」

「勘違いするなよ。帰れと言っている訳では無い。次の旅、依頼は長いものになる。これを逃せば故郷に戻る機会は数年後になるだろう」

「……」

「まだ少し日はある。よく考えることだ」


 別段やることもないが、俺が近くに居ては自問し難いだろうと言い終えて席を立つ。


 すぐさま、背中越しにガタリと椅子が倒れる音とシリュウの焦りの声が聞こえる。


「お、お師っ!」

「ん?」

「あ、っと……その……なにもない、です……」


 こんなに歯切れの悪いシリュウを見たのは初めてだが、これも成長した証なのかもしれない。


 俺はそうかと言葉を残し、最後になるかもしれない試練を与えてその場を去った。







―――――――――――――

二ヶ月ぶりの更新でした。

ようやくモチベ戻ってきたのでペース上げていきます。


近況ノート

■ヤバいくらい更新してない

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817330662304437448

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