#126 涙波抱珠

「兄である」

「あー」

「う」


 セキ、シキの弟妹を外のテーブルに並べ、俺はここ最近の日課を行う。


 サブリナさん曰く、赤子にはなるべく話しかけ、肌に触れると良い影響があるらしいのでそのまま実践している訳だ。


 二人は最近になって音を発するようになり、手足も面白い程動かすようになった。なんならもう立てるのではとセキで試してみたが、見事に尻餅をついたのでまだ早かったらしい。


 この時ばかりは中々泣かぬはずのセキでも泣いてしまったので、流石に無茶だったようだ。


「いいかセキ、男子たるもの容易に泣いてはならん。よくよく肝に銘じるのだ」

「う」

「シキ、お主はしとやかさを心得るように。良き女子おなごは男の三歩後ろをゆくものだ」

「あ?」

「……今尻を上げたかお主。いかんぞ、兄の言う事を聞くのだ」

「あ?」

「……」


 まぁ、母上がいるので俺が伝えられずともその内分かってくれるだろう。


 帰郷して二月が過ぎた。


 その間様々な事があったが、今は本来のあるべき穏やかな日々が続いている。


 村の復興作業も滞りなく進んでおり、比較的小さな家には村人が戻っているところもある程だ。


 俺は弟妹を交代で抱き上げながら、今まで広場になかったはずの木漏れ日に目を細めた。


 ここ、家の前の広場は本来、聖誕祭や村人の皆に報せ事がある場合に使用され、何もない時は村の踊り場でしかない。


 しかし今は違う。


 マイルズ騎士団が村を後にし、二千いたアルバニア騎士団も五百を残して別任務に付いた頃、貴賓館で過ごす事に不満を貯めていたルーナがここで寝ると言い出したのだ。


「天井が嫌じゃ。息苦しぃて敵わん」


 確かにルーナにとって人間用に設計されている貴賓館は少々窮屈かもしれない。


 そう言って広場を陣取ろうとしたのだが、いかんせん広場は広場。道端と変わりない。さすがにそれはさせられないと村の主だった連中は反対し、賛成したのは俺一人だった。


 正直ルーナがどこで寝ようがどうでもよかったので反対はしなかったのだが、ならばとルーナが皆に提案したのが、広間のど真ん中に木を植え、枝葉の上で寝るという事だった。


 この時ほとんどの村人が首を傾げたのだが、ルーナは俺が時折木を移動させ、良い感じに変形させてそこを寝床にしているのを知っている。


 要するに俺の樹属性魔法で森の枝ぶりの良い木を移動させ、そこを寝床にしたいと言っている訳である。


 木など移動させてはそれこそ邪魔でしかないように思えたが、この我儘かつ自由過ぎる発言にも皆慣れたもの。その日の内に移植が行われた。


 と言ってもルーナが選んだ木を俺が移動させたのだが、村の子供らにしてみれば面白い玩具のようなものか。遊びで下から呼ばれればバッサバッサと尾を振って最低限の愛想は見せるので、まぁ我儘にも目を瞑ってやれる。


 そして翌日にはコハクまでもこの木に棲みついてしまい、二人して一日の半分は木の上で寝ているといった状況である。これに種が関係しているのかは定かではないが、獣としての特性が強く表れていると考えれば妙に納得できてしまう。


 この棲家のおかげである日、俺はニットさんの店でとんでもないものを発見してしまった事があった。


 それは、ルーナの抜け毛が小瓶に入れられて売られていたのだ。


 白毛と水色毛が金貨一枚、二つの色が入り混じった毛が金貨三枚という意味不明な高値で売られていたのを見て、俺は開いた口が塞がらなかった。


「ぐあぁぁっ! 気持ちが悪い! 今すぐ捨てて下さいニットさん!」

「なっ、なんてこと言うんだいジン君! これはお守りとしてとても人気があるんだよ!?」


 なんて事を言うものだからルーナはこの事を知っているのかと聞くと、ニットさんは当然許可は頂いていると鼻を鳴らした。


「馬鹿な……」


 本人がいいと言っているならこれ以上何も言えないが、怖気が止まらないのでその真意を本人に確かめてやると、なんとルーナは自分の毛が売られている事を全く感知していなかったのだ。


「気色悪ぅっ! いや、自分の毛やけども! ウチそんなん知らんで!?」 


 売られている店に案内しろと言うのでルーナを連れてニットさんの店に行き、事の顛末を問いただすと、ニットさんは商人仲間数人と共に木の下を訪れて何度も確認したと恐縮した。


 ―――ルーナ様っ! ルーナ様の抜け落ちた尾の毛を頂戴し、村の復興に役立ててもよろしいでしょうか!


 バサッ


 ―――相応の値を付けて売り、売上の九割を村に納めるという事になります!


 バサッ


 ―――本当によろしいでしょうか!?


 バサッ


「つまりルーナは尾を振って返事をしたと」

「そうだよ。てっきりあの御仕草は了承と受け取っていたんだけど……」

「……」


 商人たる者、言質などは最低限。


 書面を残してこそだとニットさんは言うが、相手が相手なだけに自分たちの商慣習を押し付ける事はできなかったと申し訳なさそうに俯いた。


「で、当のルーナは全く覚えていないんだな?」

「……寝とった」

「尾が声に反応しただけだったと」

「たぶん」


 そうしてルーナは悩んだ挙句、今瓶に入っている分は売っても構わないが、それ以上は止めてくれという事で話は落ち着いた。


 ニットさんは残念そうにしていたが、今ある在庫の値を三倍にしてもよいかと食い下がり、その商魂逞さに二人して笑った。


 後にこの大木の根元に『英雄の木』『白い狐の棲み家』と書かれた立て看板が掲げられ、神獣像とならんでこの村の名所となってしまったのは置いておく。


 事はこれで終わらない。


 ルーナが急に懐をまさぐり、そこから出したものが毛の売買以上にとんでもないものだったのだ。


「せやせや、すっかり忘れとった。ジンはんに獣人国ウチらから手土産あるんやった」


 どうやらその手土産は道中無くさぬように衣の内側に縫い付けられていたようで、ブチリと糸が切られて出て来たのは、一つの巾着である。


 店の精算台に雑に置かれた小さな巾着から、ジャラと音がする。


 音から察するに、石のような固形物か。


「今更感が半端ではないが……貰ってもいいのか?」

「モチロンや。オットーが救国の英雄に持ってけてうるさぁてな。なんなら村直す足しにしたって」

川獺カワウソのオットーさんか。かの御仁ならその辺りは抜からんだろうな。毛の代わりにさせてもらおう」

「言わんとって……なんぼウチかて恥ずかしいもんもあんで……」


 手のひらに収まる程度のものを選ぶ当たり、オットーさんもよくよく心得ているように思える。


 巾着の口を広げて改めると、中には飴玉大の透明の玉が五つ入っていた。


「なんだこれは」


 そう言って一粒つまみ上げると、透き通る薄水色の玉の中に白波が立っており、これはと思って振ってみると、波がゆらゆらと揺れた。


 見たことも無い石だった。


 触った感じはひんやりと冷たく、表面は実に滑らか。中に水でも入っているのかと思えるほど、形を崩さず揺れる白波は不可思議で美しいと思える。


 俺とルーナの分の茶を入れて戻って来たニットさんも興味深げに玉を眺めるが、長らく商人をやっている自分も初めて見る物だと息をのんだ。


「それウチの前の名前ついてんねん。なんやったかなぁ……ルイ……ルイ……」

「女王の名を冠する石か。ルーナの贈り物に相応しいな。有難く」

「かかっ、せやろ? 貰ろたって」


 しかし、何の気なしに互いに茶をすすりながら雑談をしていると、



 ―――うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!



「おわっ!」

「な、なんやおっさん! いきなりデカい声出しなや!」


 腕を組んでブツブツと玉の名に行き当たろうとしていたニットさんがひっくり返ってしまった。


 茶をこぼしそうになった所を辛うじて回避し、腰を抜かすニットさんを支えようと精算台を飛び越える。


「だ、大丈夫ですかニットさん!」

「ル、ルルルルルーナ様っ! そ、そ、そ、それはまさかっ!」

「ん?」


 俺に上半身を支えられ、台に置かれた巾着を指さすニットさんの額には大量の汗が浮かんでいる。


(……考えないようにしていたが、やはりとんでもない代物だったか)


 女王の名を戴く石がそこらに売っている物ではない事ぐらいは分かる。


 星刻石という最上の石を手にしている俺からすれば、この石には美しい以外に何も思わないのだが、商人からすれば名に行き当たってしまった時点で腰を抜かすほどの物なのだろう。


「る、る、涙波抱珠るいはほうじゅではありませんかっ!?」

「おー、それそれ! よう知っとったな」


(はて……どこかで聞いたような……)


 ニットさんの言った石の名が辛うじて引っかかった俺は、何だったかと記憶を探る。


 だが俺が行き当たる前に、ニットさんは石の価値を分かりやすく吐露した。


 涙波抱珠るいはほうじゅ、またの名を涙の渦。


 時代が時代ならこれ一つで領地が丸ごと買えてしまう程で、今でも帝都で城が軽く建つと言われるくらいの価値があるらしい。


 そこでようやく俺は涙波抱珠を思い出した。


 古くはアルバート帝国の祖王、ディオス・アルバートが遥か大陸北西に都を構えた理由の一つに、西の海で採れる涙波抱珠を資金源としていた事が史書に載っていた。


 石は深い海の底に生息する二枚貝の中で生まれているとされ、極々稀に見つかる白波が立つほどの出来のよいものが涙波抱珠と呼ばれる。


 そもそも、その深海に生息する二枚貝ですら人間には物理的に手が届かない。


「獣人でも海ん中に長時間おれるヤツはホンマに限られるな。たまーに水人アクリアが塩やら何やらと引き換えに代わりに見つけて来たりしよるらしいわ」


 と言っている辺り、ルーナは聞かされているだけで全く関与していないようだ。価値についても知らぬ存ぜぬで、獣人国の資金源の一つになっている事も知らないのだろう。


 人間の場合、それだけの価値があるのなら黙って私腹を肥やす輩も出てこようものだが、そこが獣人という種の恐ろしい、いや、凄い所。


 女王に隠れて私腹を肥やし、国の財産とすべき物を内密に売りさばこうとする輩は一人としていないのだ。


 当の女王本人がこの有様なのでなかなか理解し難いが、ルーナは獣人国ラクリという場所ではもはや王を越え、現人神あらひとがみに近い存在と言えるのかもしれない。


 そう考えればルーナが細かなまつりごととは縁遠くても納得がいくというもの。政は神などではなく、人の手で行われてこそだと俺は思う。


 とにかく、この目の前の石で城が五つ建ってしまう訳だが、今更突き返す事も出来ないし、そんな事をしてはルーナの顔に泥を塗る羽目になる。


 たった一つで復興費用の足しどころか、帝都からの物資や人手までも十分賄えてしまうブツを全て懐に眠らせておくなど無駄でしかないので、記念に一つ貰っておき、一つを母上に差し上げて残る三つは村長のマティアスさんに押し付ける事にした。


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