#124 虎の矢と春夏秋冬Ⅱ

 その無言の視線が何を示すのか定かでがないが、俺は心を決めてコハクに聞いてみる事にした。


 いや、何か手がかりが欲しい訳ではないのだが、笑ってごまかしたバツの悪い俺を、コハクは見抜いているように思えたからだ。


 蚊帳の外でいさせる事は無礼なようにも思えるし、それにコハクは既に弟妹に会っているので無関係などでは無い。


「赤ん坊のことなんだがな」

「あかんぼう だっこ」

「そうそう。コハクが抱っこした赤ん坊だ。実はまだ名が決まっていなくてな。どうしたものかと考えていたんだ」

「……」


 案の定、コハクは黙りこくってしまった。


 少しして抱っこの合図である両手を広げたので腕に乗せてやると、不意に民家を指さしたのでその方向に歩いていく。


 すると、開いていた窓から甘い匂いが漂ってきた。


 飯時はとうに過ぎているし、夕食にはまだ早い。恐らく復興現場で働く皆への差し入れを作っているのだろう。疲れには甘いものがよいのは間違いない。


「ははっ。腹が減っていたのか」


 ルーナとアイレが弟妹に会っている間、コハクを散歩に連れ出したのは俺である。と言ってもルーナに預けられたというのがその前にあるのだが、ここはひとつ俺の出番だ。


「もうし」

「はいよー、ちょっと待ってねー」


 窓越しに声を掛けると、振り返らずに女性が返事をする。


 ちょうど火を扱っていたらしく、申し訳ないと思いつつも待つことにした。


「はいはい、待たせたね。あら? これは凄いお客さんだわ。この子もこないだ来たっていう」


 己の認知度ぐらいは分かっているつもりだ。自惚れたくはないのだが、この村で俺を知らない大人はまずいないだろう。


 それに加えて獣耳と尻尾、白髪に白衣とくれば一目でくだんの来訪者であることはすぐに分かるというものだ。


「お忙しい折にすみませぬ。厚かましいのは承知の上で、お願いがありまして」


 急に近寄って来た人間を見てコハクが俺の肩に顔をうずめたが、チラチラと目線を女性に移しているのは分かる。


 そしてその恥ずかし気な視線と俺のお願いという言葉で、女性はすぐに要件を察してくれた。


「ああ、構わないよ」


 そういって女性はパタパタと台所にゆき、大量に並べられた手のひらサイズのパンを手際よく紙で包み、鍋で煮ていた甘いタレをパンにゆっくりと回しかけた。


 コハクの分だけでよかったのだが、あまりの手際に俺の分はなどと口をはさむ暇は無く、女性は俺とコハクの分のパンを窓越しに差し出してくれる。


「はいどうぞ。蜜が出来立てで熱くなってるからね。気を付けて」

「恐縮です。ありがとうございます」

「……」


 すぐ近くで香る甘い匂いにコハクは恐る恐る手を伸ばし、無言で二つともそれを受け取った。


 両方とも受け取ってしまった見るからに内気な少女に俺と女性は笑ったが、当人は何がおかしいのかと首を傾げている。


 金袋を出そうとする俺を女性はピシャリと手で制し、まさか支給品で金を受け取る訳にはいかないと続けて笑った。


 聞けばこの間食さえ復興支援の予算内らしく、さすが聖地というべきか、皇城から出ている巨額な復興予算は限りない程らしい。


 確かに国中何処へ行っても甘味は安いものでは無い。


 帝国外に出ようものなら、もはや庶民には手が届かない地域もある程だ。


 要件は済んだので再度礼を言って立ち去ろうとすると、背後からふと声が掛かった。


「ジン君。ちょっと待って」

「はい?」

「なにか言いたそうだよ」

「……え?」


 何のことかと一瞬考えたが、窓縁まどべりに頬杖をついた女性は、穏やかな顔でコハクを見ていた。


「こ」

「……?」

「こはく」


 おずおずと告げる、自らの名。


 食べ物となればすぐさま口に運ぶはずのこの子が、そうしていない時点で俺は異変に気が付くべきだったのだ。


 少し身を乗り出すと、パンにかかった蜜がトロリと指に垂れた。


「コハクちゃんっていうのね。わたしはクラリッサ」

「くらりっさ」

「そう、クラリッサ。よろしくね」


 にっこりとほほ笑んだクラリッサさんを見て、コハクはぴょんと俺の腕から飛び降りる。


 そしてリンと鈴を鳴らして両手のパンを彼女に向け、小さく、だが、しっかりとした物言いで成長の証を見せてくれた。


「くらりっさ ありがとう」

「どういたしまして。またいつでもおいで、コハクちゃん」

「いく」


(うぐっ!)


「じんと るーなと あいれおねえちゃんと ははうえと しりゅ」


(ぐあぁぁっ! いかん、これはいかん!!)


 クラリッサさんに見送られ、カンッと下駄を鳴らして俺の胸に飛び込んで来たコハクを受け止める。


「はぁっ、はぁっ……」


 抱っこして欲しい時はねだるようになっていたのが、飛び込んで来た時点でコハクの心持ちが分かるというもの。


 クラリッサさんは俺の何かに耐えている様子を見て、クスクスと笑った。


「あの英雄ジンも、その子の前じゃ形無しって訳だね」

「い、いやはや……返す言葉もありませぬ。これを機に英雄とやらは忘れて下さい」

「ふふっ、そうしようかな」


 最後に何とも良い瞬間に立ち会えたと告げ、散歩を再開する。


 胸元でうまうまとパンを頬張るコハクの表情は前髪のおかげで良く分からないが、ぷらぷらと脚を遊ばせている時はすこぶる機嫌が良い事の証だ。


「くらりっさ やさしい」

「良い方に巡り合えたな」

「じん やさしい」

「うむ? そうか?」


 頬についたパンくずを取ってやりながら、そう答える。


 正直、相手がコハクなら大人は誰だってそうしたいと思うだろう。


 因みに根拠はない。


 珍しく饒舌なコハクは、一つ食べ終えたところでもう片方を俺の口元に寄せた。


「くれるのか?」


 コクリと頷いたので、一口頂く。


 濃く、甘い蜜の味が口いっぱいに広がるや頬骨辺りにジワリと熱を感じ、ギュッと唾液が分泌されたのがわかる。


 たまには甘味も悪くないと思いながら飲み込むと、コハクは俺の歯型の付いたパンを持ったままジッとこちらを見ていた。


「うまかった。残りは食べてくれ」


 一言感想を述べてそう言ったが、口をつける事無く、俺を見たまま口を開く。


「こはく」

「うむ。良い名だな」

「よいな るーな くれた うれしい」

「……」

「あかんぼう じん くれる」


 俺は、まだまだこの子を見誤っていたようだ。


「いっぱい うれしい」



 ……―――



 今なら、良い名が浮かびそうな気がする。


 俺などが名付けてもよいのかという、拭い切れなかった引け目はコハクのおかげで綺麗さっぱり無くなり、胸の内が急に軽くなった。


 俺が一口付けたパンを食べきり、蜜だらけになった手を俺の創り出した水玉で洗っているコハクには感謝しかない。


「むむむ……」

「おー」


 バシャバシャ


 洗い終わっても水玉を叩いて遊び始めてしまったのだが、楽しそうなので今しばらく水を追加し続けている。


 コハクにもらった自信の対価にしては安すぎるので、いくらでも出してやる腹積もり。


 今の俺には形を変える事はできないが、いつか剣の形にして敵を牽制できるくらいにはなりたいものだ。


 そんな事を考えつつ、水魔法の修行兼コハクの水遊びをしているところに、二人の子供が駆け足で寄って来た。


「うわーっ! すげー! 手から水でてる!」


 駆けて来たのはカッツェと、その手を引かれるハナ。


 どう見てもハナは行きたくなさそうに抵抗しているように見えたが、カッツェはまるで気付く様子はなく力づくで連れて来てしまった。


「ジン兄ちゃんジン兄ちゃん! それって水まほうだよな!?」


(相変わらずだなこ奴は……)


 元気なのは結構な事だが、ハナはカッツェの陰に隠れて怯えているし、せっかく機嫌よく遊んでいたコハクも俺の後ろに隠れてしまった。


 呼び捨てをやめたのは多少褒めてやれるが、これはいかん。


「そうだ。お前のような悪ガキを懲らしめる為のなっ」


 バシャッ!


「うわっ! 冷たい! なにすんだよ!」

「嫌がるその子を無理やり連れて来た罰だ」


 顔を水浸しにされて服の裾でこうとするカッツェだが、その後ろからハナが慌てて小さな手拭いを取り出し、カッツェの裾を押さえた。


 服で拭くなと、そんな献身を見せられては俺が悪い事をしたようで少々心が痛んだが、拭くまでもなく水気が無くなったのを見て二人とも不思議そうな顔をした。


「カッツェ、覚えておけ。魔法は術者を離れた後、内包する魔力が無くなれば霧散する。つまり弱い魔力で生み出された水なら、どれだけ濡れようが乾く前に消える」

「よ、よくわかんねーけど……まほうってむずかしいんだな……」

「この際だ。全身ずぶ濡れで乾かぬまま一日を過ごすか、無理やり腕を引っ張ったその子に謝るか、どちらか選べ」

「は、はい! ハナごめ……ん?」

「!?」


 俺の意地の悪い選択肢で即座に謝罪を選んだカッツェが謝ろうとした瞬間、ハナが手を広げて俺とカッツェの間に割って入る。


 まるでカッツェに手を出すなと言わんばかりだ。


 ふるふると震え、泣かぬように必死に唇を結んでいる様を見て、俺は大きな間違いを犯していた事に今更気が付いた。


(ま、まさか……俺を怖がっている、のか?)


 俺はこの子に怖がられるような事は何もしていないはず。


 確かに問答無用でカッツェに水魔法をぶつけたが、それとて遊びの範疇。実際にカッツェは何食わぬ顔をしているのだが……


(いや、まて……果たしてハナにそう映ったか……? ハナはカッツェの血まみれの姿を見た衝撃で声まで失ったという。非殺傷の魔法だとしても、それだと見抜く力がないとなれば、それはもう―――)


 俺は、完全にやらかしていた。


「すまなかった、ハナ! カッツェを攻撃するつもりは全くない!」

「え!? ジン兄ちゃん!? なんで!?」


 俺は目線を合わせるために即座に胡坐を掻き、両こぶしを突いてハナに頭を下げた。


 後日ソグンから聞いた話だが、ハナは最初から俺の事を怖がっていたらしい。


 その理由は、魔物大行進スタンピードの最中、戦う俺を間近で見てしまったから。


 雷を纏い、怒り顔で抜身の夜桜を携えた姿は、子供にはさぞ恐ろしかったに違いないとソグンは言った。


 戦の最中だったとは言え、その事をすっかり忘れていた俺は酷く後悔した。


 とにかく、急に頭を下げた俺を見て、ハナはジリジリと後ずさって再度カッツェの後ろに隠れてしまった。


 とりあえず、俺がカッツェを攻撃する人間ではないと思ってもらえたか。


 俺はしばらくハナに合わせる顔がないと気落ちしていると、ハナがもう行こうとカッツェの袖を引くのとほぼ同時に、今度は座する俺の肩袖が引かれた。


「じん おみず おみず」

「コハク?」


 俺の後ろに隠れていたコハクがそう言うが、たった今それでやらかした手前、おいそれと出すことはできない。


 また後でと小声で言うが、珍しくぶんぶんと首を振ってわがまま? を言いだしてしまった。


「わ、わかった……ハナ、もう一度水を出すが、カッツェには何もしない。いいか?」


 一応先に確認し、カッツェの後ろからチラリと俺を覗き見たハナが小さく頷いた。


 遊ぶ姿を見せればハナの警戒も少しは緩むだろうと気を取り直し、手のひらの上に水の玉を創り出す。


「もっと」

「え? もっと?」


 そう言われても今の俺では二つ創り出すことは難しい。なので少々大きくしてやると、リンと鈴を鳴らした。


「もっと もっと」

「おいおい……」


 要望通りにとりあえず大きくしていく。


 そしてこれ以上は形を維持できないとなった所でコハクは水玉に触れ、その表面をパキリと薄く凍らせる。


 器用な事をするなと感心したところで、コハクは水球を両手に乗せて上空に放り投げてしまった。


「あっ!」


 つまり俺に頭から水を被せたかったのかと思い、甘んじてその罰を受けてやろうと腹を括る。


 しかし、この自虐的な思考は、コハクを愚弄するに等しかったと言わざるを得ない。


 水玉を覆っていた氷膜は急速に内側に収縮し、上空で水玉をパンッと弾けさせた。


 瞬間、コハクが空に向かってフッと息を吹きかけると、弾けた水は瞬く間に氷の粒となり、キラキラと陽光を反射しながら辺り一面に降り注ぐ。


 折よく吹いた一陣の風が氷の粒を踊らせ、あっという間にその場を真昼の星が瞬く空間へと変えた。


「こわくない」


(コハク……)


 この光景に目を奪われていた、自身と変わらぬ子供二人にゆっくりと近づいていくコハク。


 差し伸べた手は、驚くカッツェを通り越し、後ろにいるハナの頭に添えられた。


「こわくない」

「……っ」


 ハナはカッツェの後ろでしゃがんだままコハクを見上げ、置かれた手を払うことなく声にならぬ声を上げる。


「こわくない」

「っ……ぁ……」

「ハナはしゃべれないんだよ……おれの……せいで……」

「……」


 申し訳なさそうにカッツェは顔を伏せる。


 それを聞いたコハクはハナの頭に置いた手を正面に向け、両手を広げてその場でクルリと回った。


 パキパキパキパキッ!


 すると俺たちを囲むように地面が霜に覆われ、コハクはリンと軽やかな鈴の音を鳴らしながら霜の上を駆け、


 キン キン キン キン―――


 まるで下駄を追いかけるように次々と足元から氷の花が生まれる幻想的な光景に、通りすがりの村人も目を奪われた。


「こ、これは……」

「すっげぇー……」

「っ……」


 大小様々。


 これまでコハクが見て来たのであろう花に色は無く、風に揺らぐことも無い。


 だが、これまでの旅路を彩って来た思い出の花々は、俺がこれまで見て来た野花のどれよりも美しく見えた。



 舞い踊る氷粒。


 咲き乱れる花々。



 カンッ



「こはく」


 後ろ手のままぴょんと飛び、振り返ったハナに両手で差し出した。


「おはな」


「ぁ……」


「きれい すき」


「わ……も……っ」


「おともだち なる」


「わた……し……もっ―――」



 つめたくて、あったかい。


 溶ける事のない一輪の花をそっと胸に抱く。


 絶望に触れ、声を失った少女。


 交わるはずのない運命はここにもあったのだ。


 互いに年端もゆかぬ少女と少女の出会い。


 それは、失われた色を取り戻すには十分だった。











―――――――――――――

これが真の無双だと思う。

(ちょっとやり過ぎじゃ?感を蛇足コメで薄めて頂きたい作者です)

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