#123 虎の矢と春夏秋冬Ⅰ
「わ……あったかい……ふふっ、貴女はどんな顔をしてるの?」
来訪初日の騎士団との会合の後、リカルドの家で知らされていたロンとジェシカの双子の子。
生まれたばかりという事もあってなかなか会えない日々が続いていたが、来訪から四日経った今日、ようやく会う事が出来たジンの弟妹にアイレは万感の思いで温もりを抱いていた。
入室制限が課されている寝室にはルーナとアイレ、そしてつきっきりで世話をしているジェシカとマーサの四人。
決して交わるはずの無かった四人の奇妙な巡り合い。その橋渡し役となったジンは今、コハクを連れて散歩に出かけている折である。
「名前、何ていうの?」
「ごめんなさい。まだ決まっていないのです」
「「え゛っ!?」」
誰とてまずは聞きたい事だろう。
だが、ジェシカは双子に未だ名が無い事をあっさりと白状し、ルーナとアイレは揃って驚きを隠せない。
「な、なんでやねん……そんなんまず初めに決めるもんちゃうんかい」
「人間ってそうなの?」
当然出てくる質問にジェシカは事情を説明し、一応今日が期限である事も付け加えた。
ジンに名付けを任せた以上、あれから名については本人に触れていない。
「忘れてんとちゃうやろな。なんやかんやあったし」
「私たちのせいだもんね……」
「それはありません。あの子は最後まで考えたいんだと思います」
不安な顔をする二人にジェシカはそう言い、腕の中の子をルーナに差し出した。
「まだ名はありませんが、ルーナ様も抱いてやって下さいませ」
「ん……ほんまにええんか?」
「駄目な理由がございません」
「……さよか」
自身が
立場上、幾千の赤子を抱いて来たルーナも人間の赤子を抱くのは初めて。種の違いはあれど、獣人の子は生まれてすぐに自らの力で立ち上がる子もいるし、泣きながら雷を発する子すらいる。
ルーナはわずかしか開かぬ目、身動きも、声すら出せない無力な人間の赤子を大尾で支え、ふわりと抱き上げた。
「小っちゃいのぉ」
「はい」
「寝とるんか起きとるんかよー分からんのぉ」
「はい」
「……楽しみやのぉ」
「はいっ」
何が、とは、誰も聞かない。
二人は赤子を抱きつつ色々聞き、その育児の難しさにため息をついたが、ここでアイレが『あっ』と小さく声を漏らした。
「ルーナならこの子たち外に出せるんじゃない?」
それを聞いてジェシカとマーサはどういう事かと首を傾げたが、ルーナはピクリと耳を動かした。
「要するに外の刺激があかんねんな?」
「は、はい。生まれたばかりの赤子はちょっとした刺激で体調を崩す事がありますので、生後三十日はなるべく家の中で過ごしますが……」
「かーっ。おまんら貧弱やのぉ」
ルーナはポリポリと頭を掻いて赤子の顔を見つめ、尾に乗った子と、アイレの腕に抱かれている子にそっと手をかざした。
「ほれ。ウチとアイレはんからの出産祝いや」
フッ、とルーナの手が青白い光を発すると、二人の赤子が半透明の球体に包まれる。
そして球体は徐々に収縮し、赤子の全身を覆って最後に淡く光を放った。
「これは……?」
「膜、のような」
見たことのない現象にジェシカとマーサは不思議そうに赤子を見やり、ジェシカはそっと我が子の頬に指をやる。
「え? え??」
触った感触がまるで無い。
頬に触れる直前に押す力そのものが無くなったような、抵抗すら感じない不思議な感覚だった。
ジェシカに
「すごいよね。ルーナが持ってる聖獣の力で、
アイレがサラっと説明するものの、二人にとって聖獣という単語が更に疑問を増やす事になる。
しかしそこを今掘り下げても仕方のない事だと、ルーナは具体的な効果だけを告げた。
「その辺の話はまたするわ。とりあえずこの子供らは今、外からの影響を全部拒否しとる。音も風も、温度もや」
「エレクシオン……そのような魔法が存在するのですね……」
「コレ使えるん今のウチとピクリアの幻獣だけや思うで」
「げ、幻獣!?」
とんでもない名が出たことでマーサは驚いてつい大きな声を出しまい、慌てて口を塞いだ。
「泣けへんやろ? 今のも聞こえてへん。どっぷり静寂の中や」
マーサの慌て様にルーナは犬歯を覗かせて笑い、そのまま尾に乗っていた子をジェシカに預け、アイレも腕の中の子をマーサにそっと手渡した。
「外に出てみようよ! 初めてはジェシカとマーサね!」
そう言ってアイレは笑顔で寝室の扉を開け、併せてルーナが家の扉を開けて二人を外へ導いた。
「お待ちください。私めでは分不相応でございます。奥様……いえ、ここはジン様が相応しいかとっ!」
そう言って躊躇うマーサだったが、ジェシカは早く早くと言いながら急かしていたずらっぽく笑った。
「コーデリアには後で自慢しちゃえばいいのよ。きっと二周回って震えながら羨ましがるわ。ほら早くっ」
「……二回はお怒りになるということですよね!?」
「かかっ。観念しなはれマーサはん」
先んじて家を出たジェシカ。
決心の付かないマーサの背をアイレが押し、腕の中の双子の兄妹は生まれて初めて日の光に包まれた。
ただでさえ目立つルーナとアイレがまずは衆目の的となるが、二人と仲良さげに話すジェシカとマーサが抱いている赤子が目に留まるや、あれよあれよ人が集まって来る。
「お~い! ロンさんとこの赤ん坊のお出ましだー!!」
「なに!? ついこないだ生まれたばっかりじゃないのか!?」
「あらあらまあまあ。かわいいわねぇ……もっと近くでみせておくれよ」
「これだけに人に囲まれても全然泣かないな。さすが守り手の子だ」
「いやいや、何といってもジン君の
これほどの短期間で出てこられたのは
まさかここまでの人だかりが出来るなど想像もしていなかったルーナとアイレは、慌てて皆を嗜めようとしたがジェシカが笑顔でそれを制する。
「いいんです、ルーナ様、アイレさん。皆さんに会って頂けて嬉しいですから。ねっ、マーサ」
「仰る通りですっ。私めが一番この子たちのお世話をしていますから!……あ、い、いえっ! ジェシカ様の次にでした!」
慌てて訂正したマーサに、あながち間違っていないとジェシカが返すと皆に大いに笑顔が溢れた。
傍で万が一を警戒しつつ、どうにもこういう雰囲気は慣れないとルーナは首をコクコクと鳴らす。
「あ゛~……らしゅうない事やって肩凝ったわ」
「なにそれ。嬉しいくせに」
《 見え透いた獣め 》
《 ……うっさいわボケ 》
◇
「あ、ありがとうございましたっ」
「また来ます」
(うむ。まさに荒野に咲く一輪の花よ)
コハクと散歩がてらに寄った、鍛冶師アンテロッダさんの店。
長年番がおらず、扉を開けても皆が工房に籠ったまま誰も出てこないということがままあったのだが、それも昨日までの話である。
今日の午後から店頭に立ったセツナさんの行き届いた掃除のおかげで店は光り輝き、開店からしばらくは彼女を一目見ようと大勢の見物客が訪れたらしい。
職人気質のアンテロッダさんが槌を担いで見物客に怒号を響かせたというが、彼女が時の人であることを鑑みれば村人の好奇心も仕方がないというものだろう。
そんなセツナさんがアンテロッダさんの店で働くことになったきっかけは、彼女が携えていた古びた剣を新たに打ち直すことになったからである。
俺とコーデリアさんが色々考えた結果、セツナさんに向いた武器は
現状この村に刺突針剣を使っている者は騎士団を含めて誰もいないのだが、それに近い武器を長年使っている守り手が一人いたという事も大きい。
それが、村一番の弓の使い手であり、俺の弓の師でもあるオプトさんである。
弓と刺突針剣など全く共通点が無いように思えるが、弓矢と言い換えれば簡単に通ずるものが思い浮かぶだろう。
オプトさんは
やむなく接近を許した時も躱しざまに矢で応戦する様を何度も見ているし、なんなら
とまぁ、その辺りはさておいて、店で働けば人に慣れざるを得ないし、力仕事も多いとなると筋力も鍛えられる。
貧弱でかつ人間を恐れているセツナさんには少々酷かもしれないが、給金を得てなおかつ訓練にもなると考えれば、決して悪い選択ではないと思っている。
アンテロッダさんにしてもセツナさんが居れば店は光り輝く上に、何より自分が工房に集中できるというもの。
マイルズ騎士団とアルバニア騎士団の駐留で目の回る忙しさにあったアンテロッダさんからすれば、真面目で頭脳明晰なセツナさんの存在は天からの贈り物に等しいはず。
引く手数多が予想されただけに、声を大にしては言わないが引き合わせた俺に感謝して頂きたいほどだ。
実はその引く手数多に先んじて、村長のマティアスさんがセツナさんに孤児らに勉学を教えてもらえないかという声を上げているらしいが、それを引き受けるか否かは彼女次第。
俺などそれこそセツナさんの領域だと思うのだが、果たして日々の訓練と店番に加え、子供らに物を教える余裕などあるのかとも思える。
結局は彼女の意思次第なので何も言えないが、無理をしてまた倒れようものなら目も当てられないので、気にかけるくらいはしてもいいはずだ。
……と、ここまで散歩がてらに寄り道しつつ色々と思考を取り交ぜてみたはいいものの、実は俺が早急に考えなければならない事は他にある。
それは、我が弟妹の名。
生まれて七日目の夜を迎える今日が期日なのだ。
怪我で寝込んでいた二日間は仕方ないにしても、まさか五日かけても良い名が思い浮かばないとは思っても見なかった。
ルーナ達の来訪にかかわる事や、アロウロ、魔人の出現に関する会合があったからなどは、まるで言い訳にならない。
しかし俺なりにとことん考えてはみたがこれぞというものは浮かばないし、ならばと夢中で木刀を振ってみても駄目、瞑想しても駄目。
父上らに相談しては俺が任された意味がなくなるし、コーデリアさんに至っては一度名付けを断ったことで激怒されているので論外だ。
「はて、どうしたものか……ん?」
つい共に歩く連れの事を忘れそうになったところで、袖が引かれる。
「ああ。すまんすまん」
「……」
この子にだけは共にいてつまらぬなどと思われたくないので、何事も無いかのように笑ってごまかした。
コハクは、ジッと俺を見上げている。
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