#120 風霊の呼人Ⅱ

 そんな俺はさておいて、この光景にはさすがに皆後ずさっていた。


 もちろん今のシルフィードの挨拶が聞こえている様子はなかったが、驚くべき事に、父上らは俺が思うよりかなり早く聖霊を受け入れてしまった。


「これが聖霊か……どおりで女王さんと同等の圧力を感じる訳だ」

「これ、触れたりすんのかな?」

風人エルフの姫さんにはぴったりじゃねぇか?」


 この反応は逆にアイレとルーナも意外だったようで、『あまり驚かないのね』とアイレが言うと、父上は腕を組んで二人に水を向ける。


「驚きはしたけどな。もっとありえねぇのに会っちまってるし……なぁ?」

「なんなら俺とコイツは飛び掛かったぜ」

「神獣サマによ! がーっはっはっは!」


(はい。そうでした)


 これぞこの三人が村人から特別視されている所以である。もっと言えば、神獣飛来以前からの村人らが皇帝から特別扱いを受けている理由とも言える。


 伝説の神獣と対峙した。


 その事がすっかり思考の外にあった俺は半ば呆れつつ早々に納得し、これを聞いたアイレとルーナはエドガーさんにつられて笑い合った。


「あ~あ。おまはんら最高やな~」

「ほんと、緊張したの馬鹿みたいじゃない。で……ジンにはここからが本番」


 だがひとしきり笑った後、アイレは俺も知らなかった聖霊の力を口にした途端に空気はまた一変する。


「魔物を威嚇だと!?」

「うん。あんたとリュディアで別れた後しばらくして分かったんだけど、シルフィったらやろうと思えばそんな事も出来るみたい」

《 そうなのか!? 》

《 わたしは魔を制する存在。貴方は既に目にしているでしょう 》

「ね?」

「っ! そういう事だったのか……」


 確かにあの時、シルフィードが痛撃を加えたおかげで俺は魔人と化した九尾大狐に止めを刺すことが出来た。


 だが、あれが魔物に対する優位性を持った力だったとは思いもよらなかっただけに、その力をもって意思なき災害なはずの魔物を戦わずして散らす事が出来るという事実は衝撃の一言である。



 ドクン―――



 その時、俺の胸中に不穏なざわめきが起こった。


 今聞いた事実への衝撃に比べればあまりに小さな変化であり、まるで関係のないようにも思える。


 それに、視界を失ったアイレの身に大いなる力が備わっていると知った今、不穏どころか歓迎すべき事ではないか。


(なんだ……この胸騒ぎは……?)


 だが俺は、その気持ちの悪さについ眉を潜めた。


 口に出すほどの事でもない、ささやかな違和感。


 爪の先がほんの少しかかった程度の、すぐにでも溶けて消え去ってしまいそうなうれい。


「ジン。どうしました」

「え? 何かあったの?」

「……いえ。何でもありません。少し驚いたもので」

「わかります」


 そこで良くも悪くも、途端に黙りこくった俺を見てコーデリアさんとアイレが声を上げた途端に胸騒ぎは霧散してしまった。


(幻王馬に会って以来、どうにも理に触れる話は神経質になるな……)


 束の間考え込んでしまったが、すぐさま消えるという事は大した問題でもないのだろうと切り替えたところで、驚き飽きた父上が気軽に事をまとめた。


「つまり女王さんと雪ん子が獣除けで、姫さんが魔除けになってるこの村は世界一安全ってことじゃないか?」

「そーゆーこっちゃ。帝都もビックリの安全地帯や」

「ちょっとロンさん。置物みたいに言わないでよ」

「そりゃすげぇな。怖ぇのは人間だけってか」

「今この村を襲う馬鹿がいるなら逆に会ってみたいぜ」

「ふっ、確かに」


 間違いなく、並みの軍勢では万でもビクともしないだろう。


 そう思うと途端に心が軽くなって緩んだところに、コーデリアさんが一転して真面目な顔をしてアイレに疑問を呈した。


「私とお会いした当初はおられませんでしたよね?」

「んーん。ずっと私の中にいて一緒だったの。私自身が本当の意味で気が付いてあげられなかったのよ」

「……なるほど。ようやく謎が解けそうです」

「え?」

「気が付いたのはエレ・ノア……いえ、旧王都イシュドル崩壊の最中、もしくはその直後でしょうか」

「そ、そうだけど……どうして? よくわかったね」

「やはり」


 そう言ってコーデリアさんは全てを察したかのように俺の方を見て、フッと口角を上げる。


「な、なにか……?」


 なにも後ろめたい事は無いはずなのだが、こうなった時のコーデリアさんはロクでもないことが殆どである。


 ピンとこないやり取りなのにも拘らず、なぜか冷や汗が止まらない俺にコーデリアさんは一言告げた。


風霊の呼人シルヴェストル

「なっ!?」


(くそっ! 油断したっ!)


 ギクリと肩をすぼめてしまったが最後。


 この反応に何かあると踏んだ父上らも加わると、コーデリアさんの謎解きが始まった。


「ルーナ様がジンに贈った救世主ハイラントの称号。そしてエレ・ノアの古に並び立つ者エンシェンダー。これらは非常に分かりやすいものでしたが、エーデルタクトの称号だけがよくわからなかったのです」

「あ、ちょっ、ちょっと待ってコーデ―――むぐっ!」


 この流れを読んだアイレがコーデリアさんを止めようと手を伸ばしたところで、ルーナの大尾がその口を塞ぐ。


《 貴様! アイレシアに何をするっ! 》

《 だぁっとれ! これからオモロなるんじゃ! これがアイレはんの為や! 》

《 なんだと!? アイレシアの、ため……? 》


 頭の中でそんなやり取りが繰り広げられているが、そこに割って入る余裕などない。


「呼び起こしたのがジン。あなたですね」

「そ、そういう事になる……のですかね? ははっ」


 もっともな称号を贈られてしまい、それが周知の事実である以上否定する事は出来ない。


 風人の民にどうしてもと言われ、アイレの母で風人の長でもあるヴェリーンさんにも押されてしまった当初を思い出し、拒否できなかったあの時が頭をよぎる。


「つまり、アイレさんも気が付かなかった、いえ……認めたくなかったもう一人の自分。言い換えるなら、隠していた、あるいは隠れていた感情」

「んー! んー!」

「それを受け入れたのがあの戦いが終わりを迎えた時。アイレさんは心に宿っていた感情を―――」

(な、なぜそう繋がる!? やはりバケモノかこの人は!)


 俺にはコーデリアさんの口を塞いでしまう事も恐ろしくて出来ない。この人は推論に推論を重ねて話しているだけなのだが、アイレの慌て様はそれを裏付けていることに他ならないというものだ。


 何も皆がいる前で披露しなくてもという恨みと焦りを乗せてコーデリアさんを見ていると、必死に抵抗したアイレの口がルーナの大尾から解放され、寸でのところで助けを呼ぶ声が響き渡った。


「ぷはっ! ジェシカーっ! 助けてーっ!」

「あ。しもた」

「や、やべぇっ!」

「俺は何もしてないからな!?」

「にげろっ!」


 タッタッタッ―――バンッ!


「アイレさん! どうかなさいまし……た……?」

「なんだなんだ!? おわっ! なんだあれ!?」

「しるふぃ」


 大尾でぐるぐる巻きにされているアイレに、退散しようと踵を返した状態で固まる父上ら三人。


 俺に詰め寄ったままの姿勢で母上の顔を見てにこやかに笑うコーデリアさん、そしてそれに慄いて身を引いている俺という構図を、母上は静かに見渡した。


「なんでエルフが二つになってるんだ!?」

「しるふぃ」

「それあれだろ! なまえだろ!? てきか!? たおすのか!?」

「……しるふぃ」

「おまえそれしかないのか!?」


 確かにシリュウの言う通り、シルフィードはアイレと同化しているだけあって全く同じ魔力反応を示し、視る者によってはあたかも分身したように映る。


 その事をうまく言語化できないコハクに説明させようとするのが間違いで、シリュウはただ騒ぎ立てるだけのやかましい奴になってしまっているが、傍らにいる母上の手が肩に乗ると途端に大人しくなった。


「さすがに分かりかねますね」


 母上が困ったように手を顔に添えると、大尾から解放されたアイレがその胸へ飛び込んだ。


「ううっ! みんなに虐められたっ!」


(みんな!?)


「……」


《 ジェシカ・リカルド。そこの悪獣を罰すのです。貴方ならそれが可能です 》


 頭の中でシルフィードが素晴らしい提案をしているが、母上にそれが聞こえているはずも無く。


 母上はアイレに縋られてそう言われるなりスンと目を細め、誰も何も言わない空間に鋭く視線を泳がせた。


「コーデリア」

「……この光景で核たる私を即座に仕留めるとは。さすがジェシカです」

「言う事は?」

「はい。アイレさん、申し訳ありませんでした」


 コーデリアさんは母上に抱き着いているアイレを直視し、素直に頭を下げた。


「……いい」


(ほう……早い決着だったな。しかし、助かった)


 案外あっさりと許されたコーデリアさんがアイレに歩み寄ると、ポコポコと胸倉を叩きつつ小声で何かを言い合っているが、それは聞こえない。


「かーっかっかっか! なかなかオモロかったし、今日はこんぐらいで―――」

「ルーナ様。今日のお酒は抜きでございます」

「うえ゛っ!?」

「当然だ」

「ええ。当然ジンも抜きです」

「なぜです!?」

「がっはっは、しょうがねぇよ」

「だ、だな。可哀想だから俺も付き合ってやるぜ」

「ふっ、お前の日頃の―――」

「そちらのお三方は食事抜きです」

「「「……」」」


 父上は当然、サブリナさんが他所へ仕事へ出てしまっているエドガーさん、独り身のオプトさんはリカルド家の食卓をアテにしていただけに、これは痛恨の一撃だろう。


 なぜか俺も罰せられた格好だが、母上がそういうのなら気づけない何らかの罪にまみれているに違いない。


 言い残し、母上はルーナを除いた女性陣を伴って家へ戻っていった―――


「もぅ、何をやってるの」

「はい。娘の好敵手に塩を贈ろうかと」

「アリアもなの!? あっ」

「そうなのですか?」

「ち、ちがっ!……わ、ない……です」

「あらまぁ。大変ですねぇ」

「うっ! やっぱり……重いのかなわたし……遠くから急に押しかけて来たりして……」

「違いますよ。大変なのはアイレさんの方です」

「……え?」

「押しても引いても駄目だと思います。あの子は」

「そ、そんなっ! じゃあどうすればいいの!?」

「そうですねぇ……刺してみるのはいかがでしょう」

「刺す!?」

「なるほど。介抱という名の下に」

「……あ。それらしいことしたことあるかも」

「ダメでしたか……」

「「「う~ん」」」


(おいきいたかシロチビ! お師さされるぞ! どうする!? ははうえたおせないぞ!?)

(だっこ)

(だっ、こ?)

(じん だっこ)

(……はっ! そうかっ! お師だっこしてにげればいいのかっ!)


「シリュウ、コハクさん」

「ひゃいぃっ!」

「……」

「女性の心に男性が土足で踏み込むのは悪い事なのです。覚えておきましょうね」

「あわわわ、わかった!」

「どそく だめ」


《 あれで許してあげて下さいますか? 風霊さん? 》

《 結構。素晴らしい 》



 ……―――



「……ヴェリーンはんとおんなじや」

「と言うと?」

「ジェシカはんに歯向こうたらアカン」

「二日で気が付いたのなら上出来だろう」

「割に合わねぇ! ほとんど何も聞けてねぇぞ!?」

「こっそり他所で……」

「諦めろ。食事処は全部ジェシカのテリトリーだ。バレたら二度とメシ作ってくれなくなるぞ」

「……死んじまうよ」



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