#113.5 新時代の盟主
「むぎぎぎ……なんでシィがこんなことっ……!」
「わっ、アスナロのいい匂い」
「かかっ、ええカンジやん。褒めたるわ」
「いるかぁっ!」
「とつ げき」
ザブン
普段は夕夜しか空いていない湯処屋を訪れたルーナ、アイレ、コハクの三人。
来訪者が獣人国の女王、さらにアイレがエーデルタクトの長の娘だという事が分かり、騎士団と駐屯隊、事の重大さを知る村の重役は大いに慌てた。
ひとまず準備と皆を落ち着かせる為にとジンに提案された風呂行きをルーナが即諾し、今に至っている。
そこに
如何せん三人を風呂に案内するとなると女であることが必須条件であり、まず最初に白羽の矢が立ったのがコーデリアだったのだが、ルーナたっての希望でシリュウが選ばれた。
四人が入ると大いに湯が溢れ、この贅沢さが醍醐味だと三人は極楽気分に浸った。
「あ゛~……しみるわぁ……」
「きもちいい……お風呂なんてアイツとリージュに行った以来ね……」
アイレもまた二年ぶりの風呂に吐息を漏らして噛みしめるが、これに付き合わされているシリュウは折角の風呂も台無しだと言わんばかりに声を荒げた。
「ぐぐぐ……かんしゃしろ! それとシロチビ! もぐるのあれだぞ、さほーにはんするんだぞ! お師におこられろ!」
「がぼぼ」
ちなみに湯はコハクの創り出した氷をシリュウが溶かして急遽張られたもの。
通常、魔法で創られた氷は水に変質することは無く、放っておけば魔素となって消えるのだが、こと原素魔法で生み出された氷は記憶を留める。
それを同じく原素魔法として火を操る竜人ならば、コハクの氷を溶かして水に変える事が出来るとルーナは知っていた。
まさか自分の火を風呂の用意に使われるなど思っても見なかったシリュウは一人やかましくしているが、コハクはともかく、二人は華麗に聞き流している。
三月ぶりに入る風呂は三人の旅塵を洗い流し、疲れもあっという間に湯に溶けていった。
無言で満喫するのも悪くは無いが、ルーナがシリュウを選んだ理由は火の用意と、もう一つある。
「おい、シリュウ。ギダーダルはんが心配しとるで」
「え゛っ」
「あー……そういえばドラゴニアから一人家出したって言ってたわねぇ」
「い、いえでじゃない! シィは」
「はいはい、大体分かっとる。連れ戻すとか邪魔くさいしやらん。にしても、まさかジンはんと一緒とはなぁ……趣味やないけど、さすがに運命神おるんちゃうかて思てまうわ」
「ヘンないろきつねのくせにシィのなにが……っ!」
「かかっ。変な色狐て、えらい長いな。ルーナでええんとちゃうか?」
続けてルーナにいきり立ったシリュウだが、怒りもせず笑いながらチラリと送られた視線で押し黙る。
(こ、このきつね……今のシィじゃかてない……こっちのエルフもなんかヘンなのまじってるし、こいつらなんなんだっ!)
本能的に格の違いを感じ取り、まさかジン以外に視線だけで黙らされるとは思いもよらなかったシリュウはその悔しさで頭が一杯になっていた。
しかしルーナはアイレまでもが驚き、今まさに敵わないと悟ったシリュウの敗北感を拭うような言葉を口にして二人を驚愕させた。
「ほんまに、すまんかった」
「……あ?」
「いきなりどうしたの?」
まさに訳が分からないと言った状況だが、『大体わかっとる』と口にしていたルーナは伊達ではない。
が、流石のルーナもその本質は見抜けていなかったと直後に知ることになる。
「ガリュウはんがやられてしもたんはウチのせいなんや」
―――!?
「な、なんであいつが出てくるの……?」
脈絡のない言葉に即座に反応したアイレとは異なり、この時シリュウは目の前が暗くなっていた。
シリュウを一目見た時にまさかと思っていたルーナは自らの過ちを隠すことなく吐露し、己に罰を与えるにふさわしい人物をジッと見つめた。
「……そっくりなんや、こいつとガリュウはん」
視界が閉ざされているアイレはそう聞かされ、ザブンと湯船から立ち上がって勢いよくシリュウに向いた。
遠視魔法と風魔法を組み合わせた
だがもしそうだとしたら、いや、ルーナが言うのだから間違いないのだろう。
瞬間、アイレの記憶の断片が次々と線で繋がる。
―――あんた妹居るんだってね
―――ちっ 耳だけはいいな
―――名前なんて言うの
―――てめぇに言う訳ねぇだろ
―――へぇ そんなに可愛いんだ
―――なんでそうなる しかしなんだ 厄介極まりねぇ
「そ……んな……」
あの戦乱、最後の被害者がここにいたことに愕然とした。
そしてその驚きはシリュウとて同じ。思う所は全く異なるが、兄の名が出たこと、そして兄の死は自分のせいだと言った目の前の獣人に、我を忘れた。
「しねごらぁっっ!!」
「シリュウ待っ―――」
ゴッ!
アイレの制止も虚しく、容赦なく振るわれた拳はルーナの顔面に直撃。
躱すことも防ぐこともせず、まともに拳を受けたルーナの首はミシミシと音を立て、湯船に飛んだ血が赤い波紋を成した。
「ふーっ! ふーっ!」
「シリュウ、お願い待って! あの時、ガリュウはみんなを」
シリュウに抱き着いて止めようとするアイレだが、竜人の力の前では風人など涼風同然。
にじり寄るシリュウを前にして泰然自若のままのルーナだったが、コハクがまたも敵と認識しそうになったところで濡れた尾で口から流れる血を拭い、言葉を紡いだ。
「ええんやアイレはん。こいつが怒るんはもっともや。ウチはどつかれて当たり前―――」
しかし自傷的な言葉の続きは、魂の叫びで掻き消える。
「兄様がおまえのせいでしんだ!? そんなわけないだろ!」
「っ」
「兄様は、戦士だからっ……ほこりたかくてきとたたかってしんだ! おまえなんかかんけーない!」
ルーナとアイレはこの少女、ガリュウの妹を大いに見誤っていた。
「兄様がおまえなんかのせいにするわけない! 兄様をバカにするなぁぁっ!!」
息を荒げて目を潤ませ、必死に泣くまいと握りしめられた拳は小刻みに震えている。
「シリュウ……」
ルーナは亜人の中でも特にややこしい竜人相手にさっさと胸襟を開かせるべく風呂に誘い、仮に無言でも湯が溶かしてくれると踏んでいた。
竜人は戦って死した者に涙を捧げることは無いと思っていたが、今のシリュウを目の前にして自身の浅はかさを思い知る。
(なんちゅーこっちゃ……ガリュウはん、こないな奴遺して逝きよったんか……)
「おまんの言う通りや」
そう言い、手の甲でグシグシと目頭を拭うシリュウに向き直る。
そうに違いないと思っていた自身の中の竜人を排し、シリュウをシリュウとして認める以外にするべきことは無い。
「ガリュウはんは偉大な戦士やったし、馬鹿にするつもりは全くない。ウチがアホやった」
「……あほぎつねか?」
「あ゛ぁっ!? ……っ、い、今だけや……頷い、とく……っ、それで堪忍せぃ……」
殴られるより断然堪えるシリュウの口撃にギリリと歯を食いしばって耐えたルーナ。
大陸広しとは言え、公にルーナに悪態をつける数少ない人物が今まさに生まれた瞬間である。
そして事はルーナだけに留まらない。
シリュウがガリュウの妹だと分かった今、アイレも伝えておかなければならない事がある。
《 ルーナどうしよう……やっぱり私も言った方がいいよね? 》
《 あー……それが筋やろな。風人を見て反応せんって事は、ジンはんから何も聞かされてないっちゅーこっちゃ 》
《 そう、よね…… 》
《 せやけど今はやめとこ。下手したら殴りかかってきよる。問答無用で素っ裸でやり合うハメになんで 》
《 それは嫌すぎ! 》
こうして話は後でという事になり、ルーナの謝罪と贖罪を得たシリュウは泳ぎ回るコハクと格闘を続け、以降は穏やかに時間は過ぎていった。
湯処屋を後にした四人は集合場所に向かうべく、シリュウを先頭に歩き出す。
「あれが獣人の王様って話だ」
「すごい……綺麗……」
「あの小さな子、シリュウちゃんと互角らしいぞ」
「ま、まじかよ。見かけによらないどころじゃないな……」
「風人のお姫様だ、と……!? 拝むしかない!」
道行く先々で村人らの声を受けながら歩く事数分。
ルーナは誉めそやされる言葉とは裏腹に、見渡す村の様子がおかしい事に眉を潜めていた。
傷ついた建物、地面に残る赤黒いシミ。僅かに香る匂いからして、これは人間と魔獣のものだという事は分かる。
明らかに村の中で戦いが行われ、その過程で森を割ったのがシリュウなのは間違いない。だが如何に戦いとは言え、人里の森をあそこまで傷つけてしまう必要はあったのかという疑念は拭えない。
しかし不思議な事に、前を歩くシリュウを見る村人らの目に敵意は全く感じられなかった。
どころか―――
「うおぉぉぉっ! ここであったがひゃくねんめぇぇっ!」
ガシッ
「うわ゛ぁぁぁっ!」
シリュウは建物の陰から木剣を手に飛び掛かって来た少年の頭を掴み上げ、
目についた古めかしい木箱に放り投げた。
バキッ
「ぐえっ!」
ルーナはこれを黙って見ていたが、流石にこれはまずいと思ったアイレは慌てて少年に駆け寄った。
「君、大丈夫!? ちょっとシリュウ! 子供相手にやり過―――」
だが駆け寄るのは自分だけだと感じ、言葉に詰まりかけたアイレに被せてシリュウはつまらなさそうに声を上げた。
「はぁ……声デカすぎ、おそすぎ、よわすぎ。そんなんじゃひゃくねんたってもシィにかてないぞ」
「く、くそっ! おぼえてろーっ!」
大した怪我はなく、シリュウに
見ていた村人は全く気にしていないようで、木箱の持ち主であろう家主も解体する手間が省けたと言わんばかりに散らかった木片をさっさと片付けてしまった。
「むちゃくちゃ馴染んどるがな」
「え、ええ……」
「ひゃくねん」
こんな一幕を経て集合場所に向かう四人だったが、変わらず憮然として歩くシリュウを先頭に村の中央に差し掛かると、その光景はさしものルーナも見過ごせなかった。
「ちょい待ちや、シリュウ」
「んぁ?」
「これはどーゆーこっちゃ。何があったんや」
明らかに不自然に更地になっている一角にクィと顎を向け、アイレもおびただしい魔獣の血の残り香に鼻を押さえた。
しかし聞いた相手がシリュウというのが、二人にとって不足この上なかったと言えるかもしれない。
「たぶんお師がぶっこわした」
「な、なんやて?」
まさかの返答についルーナが間抜けに聞き返してしまったところで、そうだと仮定してアイレが質問を繰り返す。
「魔獣の血の匂いがするのはどうしてなの?」
「はぁ? たたかったからにきまってるだろ!」
当たり前のことを聞くなと苛立ったシリュウだが、当然、二人が聞きたいのはそういう事ではない。
「なんでここで戦ったかて聞いて……いや、ちゃうな……おまんとジンはんがおってなんでこないなとこまで攻められとんねん。しかもこれめっちゃ最近やろ!」
要領を得ないとルーナはにじり寄り、つい復興現場の村人らの視線が集まる程の声を出してしまった。
(ぐっ! シィがいっぱい見逃したからとか言えないっ!)
右翼を張っていたシリュウが一部を見逃したとはいえ、結果にさほど変わりは無かったと言える。だが、そんなことはシリュウには分からない。
もっと言えば
「そ、それは……シィがよわかっ……たっ……からだっ!」
嘘をつけないシリュウは、自分がそうだと思い込んでいる原因を悔しそうに吐露する。
肩を震わせ、そう言った相手からこれ以上聞く事は出来ない。
もちろんルーナとアイレが聞きたいことはそういう事ではなく、当然二人の頭をよぎっているのは魔物大行進である。
しかし、その言葉を知らなければ話す事など出来ようもないのは分かっている。
「もうええ。行くで」
これ以上聞き出せることは無いと判断したルーナは、俯くシリュウの肩に手を置いた。
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