#113 第三の大波、来たる

 夜桜で強化を施した俺の威圧は西門に集まる皆を無差別に圧した。


 門と柵の木組がミシミシと音を立て、我先にと武器を携えて躍り出た皆は息をのんでその場に立ち尽くす。


「シリュウ! やめろっっ!」

「ひゃいぃぃっ!」


 これにギクリと背をしぼめ、コハクの冷気に対抗するように周囲に熱波をまき散らしているシリュウを怒鳴りつける。


 今度こそ俺の本気を感じ取って背筋をピンと伸ばして向き直り、俺を直視するのが怖いのか視線をあちこちに泳がせている。


 これで半分。


 頭上から押さえつけられるような圧に驚いて歩みを止めたコハクにもする。


「コハクもすまなかった。こ奴は敵ではない。冷気を解いてもらえないか?」

「てき ちがう」

「そうだ。敵じゃない」

「……」


 ヒュンッ


 ここで思いもよらない事態が発生する。


 コハクはコクリと頷いて冷気を解くや、驚くべきことに直立不動のシリュウに歩み寄ったのだ。


「……」

「な、なんだ!? てきじゃないって言っただろ! こっち見るな、またシィがおこられる!」


 ジッと無言で見上げられたシリュウはたまらんと言わんばかりに腕を振るうが、ここで性懲りもなく手を上げれば今度こそ大目玉を食らうのは分かり切っている。


 ぎこちなく抵抗を見せるが、ここで間もなく沈黙を破ったコハクに俺だけでなく、周囲にも驚きが広がった。


「こわくない」

「なにが!?」

「こわい ごめんなさい」

「……わ、わからないっ! たすけてお師! このシロチビやっぱりおかしい!」


 さすがにコハクの心中は分からないが、言葉をそのまま捉えるならば自分は恐ろしい存在ではない、怖がらせて悪かった、と言ったところだろう。


 つまりコハクはシリュウは自分の事が怖かったからこそ攻撃してきたと思っているという事で、攻撃事に対して謝っているのだ。


(謝罪の言葉と折を覚えたのか……くっ、やはり成長しているっ!)


 過去に獣人を殺めてしまったコハクの過去を知る俺からすれば何とも痛々しい言葉なのだが、そんな事は露とも知らない周りの人からすれば傲岸不遜も甚だしく映ってしまうだろう。


 しかし多くを語らない、語れない少女であることは誰の目にも明らかなので、これが彼女なりの精一杯である事は皆すぐさま察した。


 これに対してシリュウはと言えば、コハクを怖がっているはずも無く、困惑したままの彼女に今の事をそのまま伝えては『誰がビビってるんだ』と怒り出すのは間違いない。


 何と言ったものかと思案する間もなく、シリュウの元から逃げるようにリンと鈴を鳴らして駆け寄って来たコハクを今度こそ抱き上げたところで、臨戦態勢を俺に潰された面々が一斉に前に出て話は移った。


「つまりそこの竜人、シリュウゆーたか? が突っかかってコハクがキレたっちゅーことかいな」

「有体に言えばそうだ……序盤で止めなかった俺も悪い」

「かかっ、さよか。まぁ謝りおうてもしゃーない! 怪我人もおらんみたいやしこの話は終わりや! ええか? 皆の衆?」


 パンと手を叩き、からりと笑ったルーナのおかげで皆の緊張が解けていくのが目に見えて分かった。


 それと同時にざわめきが起こり始めるが、俺が口にしたとはいえここにいる殆どの人は三人の名すら知らないのだ。


 未だ門をくぐろうとしない二人を不思議に思いつつも話しかける事もままならず、皆口々にシリュウとコハクの戦いに意見を述べ合っている。


 こういった所は戦いを主とする守り手や騎士の性と言えるのかもしれない。


 さておき、ここで先陣を切ったのはコーデリアさん。


 考えても見ればアイレとコハクとは先の戦場で知り合っているのだ。コーデリアさんは西門前に飛び込んで俺の威圧を食らう前、この二人を目視した瞬間に剣を納めていたらしい。


「ジンに脅された傷は癒えそうにありません……アイレ、コハクさん。可哀そうな私を慰めて下さい」

「し、知り合いなのか?」

「お、脅してなど……勘弁してください」


 まさか知り合いだとは思わない父上が歩み寄ったコーデリアさんに驚いてすぐさま合いの手を入れるが、その声でハッと顔を出したアイレを見て言葉を失った。


 そしてそれは、俺とコーデリアさんも同じだった。


「この声……コーデリア? いるの?」

「っ!?……はい。ここにおります」


 ルーナの陰に隠れるように沈黙していたアイレがその手を伸ばすと、コーデリアさんはその瞬間に察し、力なく泳ぎかけた手を取った。


「アイレ、その目……!」


 未だ癒えていない傷痕を見た俺は一瞬で頭が怒りで沸騰した。


 決して浅い傷ではなかったが、風人の薬があれば治るものと思っていたし、何なら帝国の治癒魔法師にでも頼めば快く引き受けてくれたはずだ。


 にも拘らず、それが無いという事は―――


「おっと、ジンはん。アイレはんはちょーっとややこしい事んなっとってな。ひとまず後にしったてもらえるか?」

「あはは……長くなっちゃうから」

「っ……わかった。話せる範囲でいい。後で聞かせてくれ」

「うん」


 確かに皆への自己紹介も済んでいない今、立ち話で話すことではないだろう。


 コハクの殺気に当てられ、やる気満々で西門前に飛び込んで来たアイレを思えばさほど苦労はしていないように思えなくもない。


 だが、それとは別に二人が未だ村へ入ろうとしない意味がよく分からないので聞くと、ルーナはスッと割れた森を指さした。


「あん人が来るまでウチらはここで待つよって、どんだけかかるか分からんしみんな帰ってええよ」

「あ、ああ。そういえばもう一人い……た!?」


 ルーナが差した先に視線が導かれ、皆の目に映ったもの。


 コハクと同様に髪も、肌も、着ている物も白いおかげで真っ黒に焦げたとの対比で良くも悪くも目についた。


 強大な三つの魔力反応おかげで数にも入れていなかったが、シリュウも気が付いていた四人目。それは、焼けた森に倒れ込む髪の長い一人の女性だった。


 当然、眠っている訳ではない。


 不釣り合いな抜身の剣を支えになんとか立ち上がろうとしているが、持ち手は本人の血で赤黒く染まっており、俺も含め、皆がその意味を理解する前にズルリを手を滑らせて顔を地面に強打した。


 それを見た瞬間、場の空気がまたも様変わりした。


 これはルーナの誤算だったと言えるだろう。


 ここにいる守り手と騎士は国を守り、村を守り、民を守る事に命を懸けているのだ。傷ついている人をただ見ているだけなど出来ようもない。


「すぐに治癒術師を連れてきなさい!」

「はっ!」


 エドワード団長がそう叫ぶのと同時に父上とコーデリアさんが駆け出し、まるで事前に取り決めていたようにマイルズ騎士団員と駐屯隊、守り手らが周辺を警戒すべく一斉に走り出した。


 コハクが何かを察したのか腕からルーナの背に飛びついたのを見て、俺は俺がすべきことをする。


「ルーナっ! 何をしたっ!!」

「あ~あ。しにかけ」


 魔力や動き、表情や呼吸、果ては匂いまで感じ取って相手の状態を見抜くシリュウの言う通りで、この三人の中にあって一人だけ満身創痍なのはどう考えても不自然である。


 俺の役目は皆に続くことではなく、彼女をああいう風にした張本人を問いただす事だ。


 しかし、ルーナの第一声は、皆の信じがたい事だった。


「全員動きな!」



 バシュン!!



 ―――!?



 雷を纏った尾が振るわれると地面に長い線が引かれ、俺が放った威圧とはまた違った覇気が場に満ち満ちた。


 皆が驚いてルーナを見ると、視線を向けられていると感じたアイレは一人顔を伏せる。


 俺の知るアイレはああなっている人を放っておけるような達ではない。ルーナ曰く本人はややこしい事になっているというが、心まで変わり果てたとは思いたくなかった。


 怒気を当ててしまった手前だが、何か想像もつかない事情があるのだろうと思い当たるのにそんなに時間はかからなかった。


「そんな怖い顔せんとってや」


 そういって眉尻を下げたルーナはまず驚かせたことを皆に謝罪し、軽く事情を説明した。


「むぅ」


 それを言われてしまったら手出しが出来ないし、アイレが動かないのも致し方ないかもしれない。


 俺は苦虫を嚙み潰すように無理やり感情を抑えたが、これはルーナという者を知っているからこそ飲み込める事情だろう。


 いくら察しが良いとはいえ、ここで引き下がるはずも無い人がいる事は俺とて百も承知である。


「ああなっているのはあの人の意思だと……それを証明できるか?」


 父上が皆の心境を代弁し、返答次第ですぐさま助けに行くと言わんばかりにルーナを背後に置き、引かれた線の上に立つ。


 エドガーさんとオプトさんが遅れて父上に並び立つと、呼ばれて来たマイルズ騎士団所属の治癒魔法師らをエドワードさんが無言で制した。


 俺の出る幕は無い。


 ルーナは少し困った顔をしながら背に飛びついていたコハクを尾で巻き上げ、肩に乗せてこれに答える。


「できんし、察しの通りウチは半分嘘で出来とる女や。せやけど、こればっかりは王の名に懸けて誓ったる。ウチもアイレはんも、やりたくてやっとんのや無い」

「……は!? い、今なんて!?」

「あん? せやからやりたくてやっとんのや―――」

「そこじゃないっ!!」


 父上、エドガーさん、オプトさんの首があり得ぬ速度と角度で曲がり、初めてスルト村に足を踏み入れようとしている獣人を振り返った。


 その後、命がけで村を目指すその人への声援が村中に響き渡るまでは実に早かった。


「うぉーっ! がんばれ! がんばれーっ!」

「無理に立たなくていい! 這って! そう、そうだっ!」

「あと少し、あと少しだ!」

「手を伸ばして!」


 緊急事態では無かったことが告げられた村人らも参加してあれよあれよと大合唱が始まり、その瞬間を待ちわびた皆が声を枯らし始めた頃。


「っ……う゛……」


 その人は、史上初めて人間の集落に足を踏み入れた雪人となった。


「よぉやった」


 ルーナは自ら引いた線を指先で跨いだ雪人を慈しむように尾で包み込み、必死に声援を送った皆に向かって今更だがと前置き、ようやく自らを口にする。


「初めまして、スルト村の皆々さん。ウチはラクリで王さんやっとるルーナ。この小っこいのはホワイトリムの土地神でコハクいいます」

「私はエーデルタクトから。アイレです、よろしく♪」


 もうずいぶん前から騎士団と駐屯隊は冷や汗を流しながら無言の最敬礼を取っている訳だが、よくよく理解が及ばないからか、村人らはシンと静まり返っている。


 聖地とは言え、ここスルト村は辺境である。


 その民草からすれば、目の前の獣人がアルバート帝国皇帝と並び立つ人物だとは誰も想像だにしないだろう。


 最後に、ルーナは自らの尾の中で気を失っている人を見やった。


「来て早々すまんけど……こん人、セツナはんを治してやってくれへんやろか」


 頭を下げるという、王としてはやってはならぬことをやって騎士らを大いに困惑させた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る