#111 来訪者Ⅲ


 ザウッ!


「エドガーさん!」

「っしゃー! かかってこいっ!」

「ジン、竜の嬢ちゃん!」


 村の西門に到着した俺とシリュウは既に集まっていた騎士団、駐屯隊の斥候とエドガーさんに合流。ゆっくりと近づいてくる魔力反応を迎え撃つべく、ブカの森方面を睨みつけて迎撃態勢を取る。


「この魔力反応を最初に見つけたときにゃ震えたぜ」

「姿を見たと聞きました。宙に浮く人型、大尾を持つ獣型、そして子供の姿をした奴だと」

「ああ。最初は亜人なんじゃねぇかとも思ったんだけどよ……あれは違う! バケモノだ!」


 そう言ってエドガーさんはいつの間にか熱量を帯びていた自分の声に驚いて滴る汗を拭う。


「一体と目が合った……あの距離で、何の気も無くだ……完全に俺の探知魔法サーチに気付いてやがった」

「よくぞ退いて下さいました」

「俺一人じゃ何も分からんまますぐ殺されて終わりだ。全員で迎え撃つべきだ」


 魔物大行進スタンピードにも臆さず突っ込んでいったエドガーさんにここまで言わせる相手なのだ。


 ゴオッ!


(全力の天羽々斬アメノハバキリ。初撃で終わらせるっ!)


 敵かそうでないかは一目すれば即座に判断できるだろう。俺は間合いに入った瞬間に両断すべく、夜桜に風魔法を纏わせた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっ!」


 ボボボボボンッ!!


 シリュウも様子見するつもりはない。


 火球をまき散らして牙をむき、深竜化して来る瞬間に備えた。


(っ! 今二体の魔力が揺らいだっ!)


「強いぞ、シリュウ! 心してかかれ!」

「じょうとうです!」


 俺の遠視魔法にかかる魔力反応は合計で四体。その内一体は恐るるに足らぬ相手だが、他の三体は別格である。


 そして間もなく前後二手に分かれていた四つの魔力反応の内、後方の一体が急速に接近を見せ、後の三体を置き去りにして村の目と鼻の距離にまで迫った。


(一体突出したかっ!)


「来やがるぞっ!」


 エドガーさんの声で最高潮に達する緊迫感。


 俺は極限まで魔力を練り上げ、その荒ぶる風に牙を剥いて超前傾するシリュウの炎が混ざりあった。


 待った無し。


 草をかき分け、それは無造作に顔を出す。




 カサカサッ




「……」

「……」

「……」

「……」



 ……ん?



 相対するはずの敵。


 沈黙を塗り潰す斬風と烈火が織りなす轟音は、これから始まるはずの激闘を思わせている。


 しかし、大勢の人間が向ける敵意に対し、いつまで経っても害意がぶつかる様子はなかった。


 これまで数々の敵の戦力を推し計り、それを的確に見抜いてきた斥候隊の面々にも戸惑いが広がり始める。


 想像とは全く違い、武器を握る皆の手に汗が滲み始めるが、さらに不思議な光景は続く。


 草むらの主は怯えるように顔を引っ込めたかと思いきや、隠れんぼをする子供のようにまた顔を覗かせた。


 そして程なくピョンと草むらから出て全身を晒すと、躊躇いながら恥ずかし気に顔を伏せ、頭から生える丸い耳はこちらを探るように小刻みに動いていた。


 姿を現したのは、獣人らしき真っ白な少女。


 沈黙が辺りを支配する中、斬風と烈火は白い前髪の隙間から覗く瞳の、淡い蒼白の魔力光を見て霧散した。




 リン―――




 人は怖い。


 しかもそれが大勢ともなれば躊躇いもひとしおだ。


 しかし、静寂に鳴る儚げな鈴の音が場に満ちる敵意を覆い隠し、恐怖を振り払う小さな勇気を与えた。


 少女は人間たちの中にたった一人、




 いっぱい


 いっぱい




 ありったけの親愛を届けたい。




 あいたかった




「きた」 




 ◇




「なんっじゃこれ」

「酷い……」

「……」


 三月という長い旅路を経て、とうとう神獣が降り立ったと言われる地に足を踏み入れようとしている四人。


 だが隣接する森の入口を見てさしものルーナも絶句し、自身の風から伝わる匂いと光景にアイレも愕然とした。


 森が真っ二つに割れている。


 それは並大抵の力で成せることではなく、おおよそ人の技ではないだろう。


 アイレの傍らで顕現している聖霊シルフィードは、この惨状を目の当たりにして早々に答えを口にした。


《 これは竜の火が通った跡です 》

「竜ですって!?」


 その言葉に驚くアイレの横でルーナも感覚を研ぎ澄ませ、程なく自慢の嗅覚がシルフィードと同じ結論にたどり着く。


「確かに竜の火ぃやな。にしてもおかしいで。そんなもんおったら遠ぉてもわかるはずや」

「そうよね……まさかアイツが倒したとか?」

「いやぁ~……なんぼあん人でも」


 と、竜はさすがに人の身で抗える相手ではないと唸って見せたが、先の戦乱で猛り狂う自分がズタズタにされた事を思い出し、さらにこの先から感じられる複数の強力な魔力反応を鑑みるとあながち無理ではないと思い直した。


「ここで立ち止まっててもしゃーない。気付いてるか、アイレはん」

「ええ。こっち視てるわね。もしかしてめっちゃ警戒されてる?」

「多分な。さすがに手ぇは出して来ぇへんやろうけど」


 先程からチクチクと感じる視線と人間の魔力。


 二つに分かれた森の片方から探知魔法サーチを感じ取り、ルーナは木々の隙間に視線をやる。


 すると反応の主はあっさりと探知魔法を解除し、逃げるようにその場を後にした。


「かかっ、雑な探知魔法やで」

「行くって手紙、出したのよね?」

「モチロン。ウィンザルフはんのお墨付きや。ゆーてたより遅なってしもたし一人増えとるけど……まぁそんくらいいけるやろ」


 そう言ってルーナは後ろを見やり、古びた剣を支えに辛うじて歩みを進めている帯同者を見る。


 何度も転び、身に着けている衣服は膝から下は破り捨てられ、履いていた草履もとっくに役目を果たしていない。


 そのおかげで足の爪は割れ、休みなく歩いたおかげで両膝は炎症を起こして赤く腫れあがっている。足首に至っては疲労骨折しているのか、赤黒く変色していた。


 満足に食事もとれておらず、その頬は痩せこけ、息も絶え絶えの状態だった。


 控えめに言っても満身創痍。


(もう少し、もう少しだから頑張って!)

(気力だけで付いて来よったな。大したもんや)


 事情は聞かされていたものの、本来性格的にこれをアイレが放っておける訳も無く、何度も『このままじゃ死んじゃう』と苦言を呈してきたがルーナは一度たりとも取り合うことは無かった。


 どころか『死ねばそれまで』とまで言い返された時は喧嘩になりかけた程である。


 だがさすがに帝国領内で聖獣対聖霊を始める訳にもいかず、アイレは早々に矛を収め、それを機に見守る事に徹したという成り行きがある。


 ただでさえ弱い身体なのだ。人という種を超越している三人と共にゆく旅路は、帯同者にとってただただ地獄だった。


「くさ たべる」

「おーい、コハクー。邪魔したらあかんでー」

「……」


 間近に差し出した草にすら気付くことなく、どう見ても辛そうなのに歩くのを止めようとしない。


 それを近くで不思議そうに見ているコハクにだけ声を掛け、ルーナは一直線の焼け跡のど真ん中を行く。


「ウチらの為に用意してもろた道かもしれへんな」

「そんな訳ないでしょ」


 冗談交じりに犬歯を覗かせたルーナを全否定し、気がかりだが分かりやすい道ではあると、アイレもまたそれに続く。


《 それはそうとアイレシア。ほんの僅かですが、この先から青炎の主の力を感じます。本当に行くのですか 》

「うん? せっかくここまで来たんだし、それに大丈夫よ。二十年くらい前だし今は普通の人里よ」

「おぅおぅビビっとんのか? 風霊が聞いて呆れるわ」

《 口を慎め獣風情が! 貴様が最も恐怖している筈だっ! 》

「はっ、頭悪いのぉ。ウチはマーナはんとちゃうてまだわからんのか!」

「ちょっと! 二人ともいい加減仲良くしてくんない!?」

《 ごめんなさい。この謎の存在とは相容れないのです 》

「誰がナゾじゃ! そもそも聖霊こいつ半聖獣ウチが仲よぅするんは無理っちゅーもんや」

「じゃあせめて喧嘩は止めなさい!」

《 …… 》

「ふんっ」


 この時漏れ出た互いの殺気と帯びた魔力は森を揺るがし、大勢の人間達に感知されていることは露知らず。


 片やコハク。道中何度も見て来たこの光景に対し、大きな声でいっぱい話をするのだから二人は仲が良いと思っていたりする。


 カンッ カンッ


 森の先に目的の人物がいる事を嗅ぎ取ったことも重なり、上機嫌に下駄を鳴らした。


「こ、こら待ちなさいコハク! 抜け駆けはダメよ!」

「せや! ウチが最初に抱かれるて相場は決まっとんのや!」

《 氷森の子の方が億倍マシです 》

「あ゛?」

「シルフィ」

《 はい 》


 コハクを追いかけたいのは山々だが、後ろからついてくる帯同者を置き去りにするわけにもいかず、二人は歯を食いしばって小さな背を見送った。


(くっ、子供の特権ズルい!)

(あの奔放さが羨ましいっ!)


 これも自分たちが一助になっていることも露知らず。


 両者謎の敗北感を胸に秘め、目的地まであと少し。



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