#109 来訪者Ⅰ

「よいですか母上。母上がなさったことはご立派なのは間違いありませぬ。しかし、今回ばかりは相手に同等の自責の念を生む行為なのです!」

「はい」

「うおぉぉっ、ちっさ! なははっ! なにこれー!」

「生まれたばかりの子らに乳もあげられぬほど衰弱なさるとは、ご自身の限界を見誤ったとしか言いようがないでしょう!」

「言う通りです……心配をかけてごめんなさい……」

「ほーれほれほれ。めちゃくちゃよわっちぃ赤ん坊人間ども。外でひろってきた草だぞ? くうか?」

「サブリナさんが私なぞに頭を下げて来た時はどう言ったものかと困り果てましたよ! この気持ちが母上にお分かりになられますか!?」

「サブリナさんにも、あの二人にももう一度精一杯謝ります……」

「ばーかめ! これはくうやつじゃない! こうして、こうして……」


 プピョー プピィー


 風呂を満喫して家に帰るなり母上に説教する俺の声と、寝室にいる弟妹に話しかけているシリュウの声、そして下手くそな草笛の音が家を満たしている。


 緊迫感と間抜けの一進一退の攻防は徐々に間抜けに押され、俺はシリュウを怒鳴りつける事も出来ずにため息で吐き出すと、家の扉が控えめに叩かれた。


 父上なら何も言わずに入ってくるし、エドガーさんやオプトさんなら叩くと同時にデカい声で名乗るのでこの二人でもない。


 顔を上げた母上を制して代わって出迎えると、そこには俺を見上げるマーサさんが立っていた。


「夜分に申し訳ありません」

「いえ……」


 その表情は何かを決心したかのような凛とした表情。


(やはりシリュウのように手間はかからないな)


 真昼に会った時のような、後ろめたい様子は微塵も感じられなかった。


「ジェシカ様とお話しさせて頂けないでしょうか」

「もちろん。どうぞ」


 そうして彼女を招き入れ、俺は言いたいことは言ったのでマーサさんに場を譲る。


 俺は雑音でしかないシリュウを寝室からつまみ出して共に自室に引きこもり、しばらくして母上とマーサさんが俺とシリュウを呼びに来た。


 扉を開けると同時に漂ってくるメシのいい匂い。これはしてやられたと俺は頭を掻くしかない。


 テーブルに所狭しと並べられた料理の数々は俺の腹を鳴らし、シリュウは目を輝かせている。


「ふぉぉぉっ……これくっていいのか!?」

「もちろんです。マーサさんに沢山お手伝いして頂きました」

「お約束しておりましたので」

「じゃあ……くう!!」


 物凄い勢いでガッツき始めたシリュウを横目に、マーサさんはチラリと俺をみて微笑んだ。


 重傷を負って天を仰ぐ羽目となった時の約束を覚えていたようで、俺も腹の音がこれ以上酷くならない内に頂いておくことにする。


 三年以上ぶりに味わう母上の懐かしい味に俺の目頭は熱くなり、説教したことは忘れて勢いよくかき込んだ。


「うまい……うますぎるっ」

「ははうえありあとう、マファありあとう」

「よかったわ」

「はい」


 戦いも終わり、こうしてわだかまりも無くなった。


 平和とはかくも良いものだと、改めて思う。


「そういえば父上は何処に?」

「駐屯隊に呼ばれて出て行ったきりよ」

「ははうえこっちこっちっ。赤ん坊人間ねてるっ。なはっ、すきだらけだなー」

「ふふっ、そうね。そのまま寝かせてあげてくれると、うれしいな」


 料理を余すことなく平らげた俺は、食後の茶をすすりながらこの家の大黒柱の不在を今更ながら聞いてみた。


 同じく腹一杯になったシリュウは食べ終わるなり母上の腕を引っ張って寝室に忍び入り、弟妹の寝顔を見てケラケラと嬉しそうにしている。


 何がそんなに楽しいのか分からないが、程なく道連れになるのは分かり切っているのでここは放置が最善だろう。


「主と奥様もご一緒しております」


 母上が席を外すと同時にマーサさんが口を開き、村長や村の重役もこぞって寝る間も惜しんで戦後処理に奔走しているのだと言った。


 今日の朝方にエドワード団長率いるマイルズ騎士団が到着しており、さらに三日後にはアルバニア騎士団の大隊が、そしてその後にも北の騎士団がやってくるというのだからその忙しさたるや想像に難くない。


「初めはジン様もとグレン隊長様が仰っていたのですが……戦いの事なら自分たちだけで十分だとロン様と奥様がお止めになられたのです」

「なるほど。それは助かりました」


 聞いただけで目の回る忙しさ。弟妹やシリュウの件で今日は俺にも余裕はなく、ここで駐屯隊に呼び出されでもしていたら今ここでメシを食えていなかっただろう。


 それに故郷とはいえ今の俺は一介の冒険者に過ぎないので、村の決め事に参加するのはお門違いというのもあったりする。


 その後もマーサさんから戦後の状況が事細かに語られ、壊れた建物の再建や物資調達といった復興班、魔物大行進スタンピードの究明や戦力の分析を行う調査班といった具合に大まかな役割が各々に当てられているという。


 村の重役やティズウェル卿は復興班、守り手や駐屯隊の半数は調査班に割り当てられているらしく、父上など当分は見回りに出る時間すら無いのではとマーサさんは言った。


「ティズウェル卿に至っては領地外でしょう」

「仰る通りですが、我が主が何もしない訳がありません。戦いが終わると同時に皇帝陛下に戦後処理を手伝うと正式に書状を送っております」

「……恐れ入るばかりです」


 主がそう決めた以上、マーサさんを含めた使用人らも誠心誠意仕えるまでと言ったところか。口には出さないが、目がそう語っている。


 ひとしきり状況を聞き、続いて唯一戦いを共にした仲という事もあって戦いの話に華を咲かせていると、寝室の扉が静かに開かれた。


「ジン」


 顔を出した母上の腕には寝息を立てているシリュウが収まっていた。


 それを見て俺は慌てて立ち上がる。


「母上! そ奴は見た目以上に重いはず。その辺に転がしておけば十分です! わざわざ抱えるなど」

「そんな酷いこと言わないで」

「っ……すみませぬ」


 静かになるだろうとの予想通りに早々と寝息を立て始めたのはいいが、こうなる事に想像が及ばなかった自分が情けない。


 悲しそうに俺を見る母上から急いでシリュウを受け取り、束の間どうしたものかと思案する。


 もう転がす訳にはいかなくなってしまったし、残された手段は一つしかない。


「俺の部屋に寝かせます。お二人ももうお休みなって下さい」


 それを聞いた母上は相好を崩し、『ジンはどうするの』と言うので軽く誤魔化しておく。俺の寝床などそれこそどうとでもなる。


「わ、私めは」


 先程の話を聞く限り、マーサさんはコーデリアさんにこの家にいるよう指示を受けているのははっきりとわかった。自分が忙しくて行けない代わりに、彼女を遣わせたのだろう。


 そしてシリュウを俺のベッドに置いて改めて二人に休むように言い、ついでにマーサさんには父上のベッドを使うよう言っておく。


 どうせ父上は遅くなるか、下手をすれば帰って来ないのだ。弟妹の夜泣きに対応するためにも女性二人には多めに休む時間を取ってもらう方が俺も安心できる。


「そうさせてもらいましょう。いつもありがとう、マーサさん」

「し、使命ですのでっ!」


 そう言って顔を赤らめたマーサさんを見て母上は微笑み、二人は弟妹の眠る寝室に入っていった。


 俺はシリュウと組手をしたと言ってもあれだけ眠った後。それほど疲れもないので、夜の運動でもしようかと収納魔法スクエアガーデンから木刀を取り出して表に出た。


 無心を心がけたものの、どうしても初めて母上に物申してやったことが脳裏に渦巻き、身体を動かしているのも相まってみるみる眼が冴えてゆく。


「はっ!」


 ブワッ


 大上段からの振り下ろしは砂塵を巻き起こし、近くにあった灯りが揺らめいた。気付けば全身を強化魔法で覆って本気の素振りになっていたようだ。


「熱心なやつ」

「父上」


 どれほどの時が経ったのか分からないが、夢中になっていた俺の目を覚ました父上が半笑いで声を掛けて来た。


「お戻りですか」

「おぅ、腹へってんだ。入れてくれ」

「ありませぬ」

「は?」

「メシは私とシリュウで食い尽くしました」

「なんでだよ! なんかあるだろ!?」

「ありませぬ。こんなに遅くなるならどこかしらで食って来るのが礼儀でしょう。ちなみに寝床もありませぬ」

「……会合で軽く出ただけで、足りなかったんだよ。くっそ~、寝床はマーサか」

「はい。寝床に限れば、私もシリュウに取られたのでありませぬ」

「そうかよ……にしてもあいつ日に日に俺の扱いが雑になってるな」


 コーデリアさんは母上が、加えて母上の血を引く俺と弟妹が大事なのであって、父上を尊重する理由は何処にもない。


 であるならば、コーデリアさんに仕えるマーサさんが父上を尊重する理由など当たり前にないと言える。


 実に忠実かつ合理的。そして父上も二人に大いに世話になっている以上、愚痴はともかく本人らに文句など言えるはずも無いのだ。


「赤子は全てに優先します」

「はぁ……だな。まぁいい。湯処屋って知ってるか」

「もちろんです」

「ほぉ、伊達にウロチョロしてないな。なら話は早い。行くぞ」

「失敬な。お供します」


 大層な言われようだが、これも父上なりの八つ当たりだ。軽く受け流しておき、汗もかいたという事もあって本日二度目でも断る理由は無い。


 父上も何か聞きたそうな雰囲気だったので、それに答えるのも俺のここでの仕事のだろう。


 途中すれ違う村人らに手を上げつつ足早に湯屋に向かい、二人して湯船につかると父上は今日の疲れを乗せて腹の底からため息を吐き出した。


 分かる。


 分かりますぞ、父上。


「なぁ、ジン」

「はい」

「あれは例の魔人ってやつだったんだな?」

「……」


 魔物大行進スタンピードにあって獣が多数混ざるという異常な戦況、見た事のない顔無し魔物の出現など、最前線で気を吐いた父上なら此度の戦に気になる事は多々あるはずだ。


 だが全ての経過をすっ飛ばし、父上は単刀直入にを湯煙に乗せた。


(さすが父上)


 遠回りな質問は時間の無駄と言わんばかりに、即座に現実を直視しようとする所は素直に尊敬できる。


「はい。間違いありません。奴の名はベルドゥ。俺がエーデルタクトで仕留めたはずの、ジオルディーネ王国の元傭兵です」


 そう答えると父上は天井を見上げ、『そうか』と一言だけ漏らした。


「父上?」

「だぁーっ! やっぱめんどくせぇ事になったっ!!」


 ザブン!


 勢いよく湯に潜り、上がるやいなやブンブンと頭を振って水しぶきを飛ばしてくる。


「湯に頭を浸けるのは作法に反します」

「そうなのか?」


 確かに面倒なことになるだろう。


 滅んだはずの魔人に聖地が襲撃されたと分かれば、事はスルトだけにとどまらないのは明白だ。


「すまんが、明日お前も屯所に来てもらうぞ」

「承知」


 そうして俺と父上は湯屋を出て、夜風に当たりながらさっぱりした身体を家の近くの草むらに預けた。


 村に居ながらにして野宿する羽目になるとは思わなかったが、互いに慣れたもの。雲がかかって月は見えないが、明る過ぎる月光は邪魔になるので丁度いいかもしれない。


「名前、決まったか?」

「……」

「はっ。頼むぞ」

「むぅ」


 そうしていつ振りだろうか。


 父子並んで瞼を閉じた。








――――――――――――――

長くなり過ぎたので分割。明日Ⅱを公開します。

あと、都市の位置関係を記した簡素な地図を作ってみました。

https://kakuyomu.jp/users/shi_yuki/news/16817330655261627026

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