#108 湯に溶ける

 母上は出産直後の弱った身体で村人の指示に奔走し、自身も家の近くで倒れていたマーサさんと、腹に大穴を開けていたシリュウに治癒魔法を施したあと力尽きてしまったらしい。


 弱った身体では魔力はともかく、分け与えられる生命力は心許ないと言わざるを得ない。


 母上は自分の限界が分かっていたからこそ、俺と父上の怪我具合を見て命にかかわる程ではないと判断し、より重傷を負っていた二人を優先したという事なんだろう。


(それでマーサさんの様子もおかしかったのか……)


 彼女も彼女でその責任に苛まれ、荒れるシリュウとはまた別の手段で自分を罰するかのように母上の傍に控えていたに違いない。


 そこに俺の開口一番、『無事でなにより』の言葉はさぞ突き刺さってしまった事だろう。俺と入れ替わるように場を後にしたのはそういった事が原因だったのだ。


 となると俺が寝室の扉を開ける前に、向こうから扉を開けた見知らぬ人についてもある程度の予想が立ってくる。


 父上の『ジェシカの代わり』の言葉をそのまま捉えると、母上の代わりに我が弟妹に乳を飲ませてくれていたと考える事はできないだろうか。


 思えば、乳が張っていたような……いなかったような……


 妄想して整合を図ってはみたものの、さすがにそこまでの記憶は無かった。


 とにかくつい間抜け面を晒してしまったが、あの方にも感謝せねばなるまい。


(母上のおかげでマーサさんは責任を感じ、シリュウもこうして地面に穴を空けるハメになった訳だ)


 事を全て話したところで、目の前のシリュウの説得材料にならないのは明白。


 母上に無茶をするなと言ったところで果たして俺に言えた事だろうかとの疑念が尽きないが、さすがに今回は言わなければならないだろう。


「シリュウ。母上には俺がガツンと言ってやる。任せておけ」

「え゛っ!? なんで!?」

「お前は村の為によく戦ってやってくれた。どれほどの命が救われたか。感謝してもしきれない」

「えへへ……シィ負けたけど実はめっちゃまものたおして……って、ちがうちがう! ははうえガツンしないでお師っ!」


 耳飾りをピピンと三回弾き、らしく無い照れを見せた後のこの慌て様。


 いや、らしいと言えばらしいのだが、怒りの原因が母上の治療にあったことを遠回しにバラしてしまった事には気が付いていない。


 いつものシリュウを垣間見れたことに安堵し、珍しく乗ってこなかった事、そこに責任を感じる事が出来る程の繊細さも持ち合わせていた事に俺は驚いた。


「いや、言わなければならない。無茶を反省してもらわねば。俺以外に母上に物申せるのは……」


 ここでコーデリアさんの顔がチラつくが、やはり俺から言うのが筋のはず。


 不安そうに俺を見上げるシリュウの表情は初めて見るもので、母上はなぜこんな短期間でシリュウの中で重きが置かれるようになったのか、いささか不思議ではあるが今は置いておこう。


 この話に落し所を探っていてはキリがないので、シリュウを立ち直らせる為、俺は全く別の手段を取る事にした。


「まぁ、とにかくだ。あんな魔物ごときにやられるとは修行が足らんようだな」

「う……」


 当然これは方便だ。俺も危うかった。


「しかもその前。大量に魔物を見逃したな? おかげで大きな氷魔法を使う羽目になってしまった」

「うっ」

「さらにこの有様」


 戦いのためとはいえ、人里の森を焼いてしまうのはあまり褒められたことではない。俺は額に手をかざして今立っている場所、森に一直線に引かれた焼野原を見渡して止めを刺す。


「はうっっ! ごごごご、ごめんなさーい! うわ゛ぁーーん!」


 そしてシリュウは大声で泣き始めた。


 母上に謝りたくてもできない。感謝したくてもなかなか言えない。


 そういった感情が渦巻き、耐えきれなくなって大地に八つ当たりするしか無かったのだろう。


 理由はどうあれ、これで吐き出してしまって立ち直るきっかけになればいい。


 そう思った矢先。


 俺の背に強烈な蹴りが入ったのは仕方のない事だと思う。


 ドガッ!


「ぐおっ!?」

「なに泣かしてんの!? 一回死ねっっ!!」


 少し離れた場所で事の顛末を見ていたエイル。


 いきなり大泣きし始めた友人を見て驚き、怒りは即座に俺に向けられた。


 エイルは俺を蹴飛ばしたあとすぐにシリュウを抱き寄せ、まるで敵を見るかのような鋭い視線をこちらに向けている。


「一緒にジン兄ぃに謝るって話だったけど、もうその必要ないよ!」

「え、なんのこと」

「理由はどうあれ、シィちゃんみたいな女の子を泣かせるような男はロクでもないって言ってるの!」

「うぐっ!」


 返す言葉も無かった。


 事を急いて妙な手段を取った結果がこうして別の方向から現れ、即座に報いとなって返って来た。


 俺が、悪い。



 ……―――



「ちょっと~、シィちゃん、ジン兄ぃ、生きてる~?」

「……傷が開いた」

「せっかくははうえになおしてもらったのにぃぃ」


 エイルに強烈な一撃をもらった後、俺とシリュウは互いを鍛えなおす為に本気の組手をした。


 怪我が治りきっていない俺は普段通りの力は出せず、シリュウもシリュウで竜化無しの上、気持ち的に本調子が出なかったというのもあり勝負はほぼ互角。


 若干押され気味だった俺の脇腹にシリュウの蹴りがまともに入り、俺が揺れる視界の中でその脚を掴んでシリュウを地面に叩きつけたところで、両者とも夕焼け空を見上げる事となった。


「シリュウ。気分はどうだ」

「んと」


 俺は身体を起こして膝を立て、大の字になっているシリュウに問いかける。


 紅い髪がサラサラと夕風に揺れるとシリュウはにっこりと笑い、


「なはっ、わるくないです!」


 そう言っていつもの調子を取り戻した。


「はぁ。師匠と弟子って、似るのかなぁ……」


 呆れるエイルが深いため息をつくとシリュウも起き上がって胡坐を組み、エイルの名を呼ぶ。


「イルイル」

「ん~」

(いるいる?)


 母上はさておき、なんちゃら人間ではなくまともに名を呼んだことにまずは驚いたが、続いた言葉にさらに驚かされてしまった。


「イルイルいいやつ。もうシィのなかま」

「あ、うん。えっと……友達じゃなくって?」

「ともだちよりえらい」

「そ、そうなんだ……わかんないけど、ありがと」

「いつかシィの里にこい。里長にあんないする」

「え゛!? シィちゃんの里!? それって……どーゆーこと?」


 はっきり言ってありえない。


 人間の旅人がふらりとドラゴニアに立ち寄ることは無い事もないようだがかなり珍しいというし、ましてや呼ばれて行く人間が過去いたのかのすら怪しい。


 エイルは預かり知らぬことだが、シリュウは現状家出娘だが次期長候補であり、さらに現里長へ面を通すというのだから驚かざるを得ないだろう。


 それがどれほどのものなのか分からないエイルはただ困惑しているようだが、悪い気はしていないのが見て取れる。


「ドラゴニアまでは険しいが……光栄なことだと思うぞ」

「光栄なんだ……って、険しいの!? あたしスルトここから出た事ないんだけど!?」

「よゆーよゆー。イルイルならポイポイって走ればすぐだ」

「ぽいぽい?」


 それも厄介な魔に遭遇しなければの話だが、今の調子で四、五年もすれば一人でも十分にミトレスへ入れるだろう。ソグンもいればなお盤石だが、それをシリュウが許すかどうかは怪しい。


 いまいちピンと来ていないエイルだったが、ドラゴニア訪問が一つの目標になれば何が必要で何を知るべきかを自分で色々調べ、成長を加速させてくれるに違いない。


 俺は多くを語る必要は無いだろうと立ち上がり、それに続いたシリュウとエイル、三人で森を後にする。


 色々あったが、シリュウを連れ帰るという当初の目的は達せそうだ。


「あーん、なんだかんだで汚れちゃったなぁ」

「確かに。よし、シリュウ。川に行くぞ」

「いくですっ」

「……ちょっと待ったぁっ!!」


 いつもの調子でシリュウを水浴びに誘った所、エイルが全力で割って入る。


 俺とシリュウは同時にエイルを見て何事かと目を見開くと、先ほどと同じか、それ以上の鋭い視線を俺とシリュウに向けていた。


「何なの今のやりとり!」

「言葉の通りだが?」

「川しらないのか?」

「そうじゃなくって……っ! 川で何をするかって聞いてるの!」


 この後は想像通りだ。


 男女同じ場所で身を拭う事に激怒。


 そしてさらに今の流れで自分をためらいもなくのけ者にしようとした俺たちに、エイルは大いにやかましく騒ぎ立て、挙句俺に償いを求めて来た。


 なぜだ。


 シリュウにそんな気遣いは微塵も必要ないだろう。


「その不思議そうな顔がありえない! そもそもシィちゃん泣かした事まだ怒ってるんだからね!」

「うっ……わ、わかった。ならば離れた場所で」

「ちっがーう! もぅ、ジン兄ぃって馬鹿なの!?」


 そこまで言われる筋合いは無いはずなのだが、禊はまだ済んでいないので反論は出来ない。


 ならばどうすればいいのかと潔く聞いてみると、エイルの口からとんでもない言葉が出て来た。


「ちょっと高いけど、湯処屋さんがあるじゃない」

「なっ、なんだとっ!? そんな馬鹿な!」


 そんなものは村を出る前には無かったはずだ。


 まさか俺が出た後に出来たのか、元からあって知らなかっただけなのか。しかしそんな話は父上らから聞いたことも無かった。


 そもそも湯屋なんてものはスルト住民の文化にはなく、近隣の交易都市マイルズでも相応の身分の者らしか―――うんぬん


 よくよく詳細を聞いてみると、二年前に村の比較的若い商店主らが資金を出し合って造られたものらしく、それはマイルズからの流入に他ならなかった。


 如何せん湯を焚き続けるには相応の人出が必要で、やっているのが夕夜の時間帯という事も費用が掛かる要因。そういう事もあって一回入るだけでそこそこの料金を取られるとの事だが、この際どうでもいい。


「くっ……スルトにも素晴らしい文化がっ……」

「なんで泣いてるの? 慰めないよ?」

「ゆどころやってなんです?」

「シリュウ喜べ。この村には風呂があるぞっ」

「ふろ……あーっ! あのあったかいやつ!? いくです! すぐいくです!」

「じゃあけってー♪」


 そうしてエイルの案内で足早に湯屋に向かい、俺の懐から三人分、驚愕の銀貨三枚を叩きつけてまさかの褒美にありついた。


「ふーろ、ふーろ、ふーろっ♪」

「ジン兄ぃ、のぞいたらコーデリアさんに言いつけるから。遠視魔法ディヴィジョンもあたし気づくかんね」


 仮に覗き、そうなったら俺は殺されるだろう。探知魔法サーチ使いのエイルらしい脅し文句だ。


 しかし今の俺に風呂に勝るものは無く、そんな脅しは意味がない。


「愚かな。子供に欲情する趣味は無い」

「おろか!? こども!?」

「んぇ? お師あっちです? じゃあシィも」

「こらっ! シリュウ!!」


 シリュウはスルズルとエイルに引きずられて二人は女湯の戸を、俺は男湯の戸を開いた。


 温泉でも露天でもなかったが、中は程よい木の香りと落ち着いた雰囲気がはっきり言って最高。桶の反響音すらも心地よく、俺が即席で造ったことのある露天温泉風呂とはまた違った趣がある。


 どうしようもなく傷にしみてギリギリと歯を食いしばったが、ほどなく湯がそれ以上に疲れた身体に心地よくしみわたった。


「はぁぁぁぁ……今日も生き残ったかぁ……」


 お決まりの言葉が無意識に漏れ、収納魔法スクエアガーデンから酒を出しそうになったがさすがに湯が赤く染まりそうなのでここは我慢。


 我が弟妹の名の事はすっかり湯に溶けて忘れ去っていた事はここだけの話にしておこう。


 すまぬ。


 色々駄目な兄者を許してくれ。我が弟妹よ。











――――――――――――

次話からお久しぶりキャラの登場です。

誰かを予想してみてくださいませ。神読者さんならよゆーよゆー

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