#107 塞がった穴

「つまり己の力量を測れず、挙句ハナを巻き込んだと」

「で、でもあいつがかってに付いてきて……」

「言い訳するな、馬鹿者っ!」


 ビリビリビリ!


「ひっ!」


 カッツェがゴブリンといい勝負をしたと自慢気に言うのでよくよく話を聞いてやると、結局は腹を刺されて自分は倒れ、そのせいでハナはショックを受けて声を失ったという顛末を聞いて俺は眉間にシワを寄せた。


 大声で怒鳴りつけたせいで皆の注目が集まってしまったが、そんな事を気にしている場合ではない。誰かが言わなければならない事なのだ。


「いいかカッツェ。武器を持ち、敵に打って出たお前は殺されても誰にも文句は言えん。だが、傍に戦えぬ者がいる場合は別だ。その者を守る為に絶対に負けてはならんし、相手を測れぬのならまずはその者を逃がすことが何よりも優先される。言っている事が分かるか」

「わ……わかり、ます」

「なぜそうしなかったか、とは聞かん。よもや自分が負けそうになってもシリュウが助けてくれると、アテにしていたんではあるまいな」


 武器を持って戦った時点でシリュウはカッツェを助けることは無い。勝手に期待したとすれば、それは大いなる誤算になっていたはずだ。


 しかしカッツェはそれ以前の問題だったと首を振る。


「おれ、なんにも考えてなくて……やるんだって……むちゅうで……」

「心意気だけは見上げたものだ。しかし周りが見えなくなるのはいかん」


 その後目を覚ませば孤児院のベッドの上で、傍らでその手を握るハナが眠っていたという。


 褒められたいがために俺に話を振ったが逆に怒られ、挙句に言われたくない事を的確に言い放たれたカッツェは顔を歪めている。


 今にも泣きだしそうな表情ではあるが、震えて拳を握って耐える様に俺は昔の自分を重ねた。


(俺も今のカッツェくらいの時に単身オークに挑んで死にかけたな……)


 あの時はボロボロになりながら逃げ帰ったはいいものの、後を付けられて村の入口までオークを案内するという最悪のおまけつきだった。つまり、カッツェと同様に戦えぬ者らを巻き込みそうになったのだ。


 あの時は門番が時間を稼ぎ、魔物の侵入を知らされて真っ先に駆け付けた父上がオークを撫で斬りにして事なきを得た。


 当の父上はよく生き延びたなと高々と笑っていたが、母上はそうはいかない。


 その怒り様は……思い出したくもない。


 とにかく子供の頃俺を本気で怒ったのは母上とコーデリアさん、あとはエドガーさんが主だったのだが、如何せんカッツェは孤児。


 何かしらの悪さをして村人に叱られる事はあっても、面と向かって説教を食らわされるのは初めてだろう。


 俺が村にいた頃に孤児院で元気が有り余っている子供の噂を耳にしてはいたのだが、恐らくそれがカッツェ。良くも悪くもここまで成長したということだ。


 昨日ソグンとエイルもカッツェの身勝手さに苦言を呈したというが、治療を受けた直後だったのであまり強くは言えなかったらしい。


 つまり、カッツェを連れたソグンは話の流れを利用し、本人が尊敬している俺に叱らせたという事だ。


(これくらいでいいだろう)


 どうやら効果はてき面のようで、ちゃんと反省の色を見せているカッツェを見て傍で直立不動の姿勢だったソグンが少しだけ頭を下げた。


(ありがとうございます)


 俺は逆上せず耐えているだけで十分見込みがあると思えるカッツェに向かってしゃがみ、頭に手を置いた。


「敗戦にこそ得られるものが多い。シリュウを超えるんだろう? ならばまずは守るべきものを知り、己の弱さと真に向き合う事を期待する」

「おのれとむきあう……」

「そうだ。今は分からなくてもいい。だがその言葉だけは忘れずにいることだ」

「わ、わかりました! ジンっ!」

「こらカッツェ! 呼び捨ては駄目だよっ!」


 もういいと乗せていた手をどけると、カッツェは唇を結んで置いていた木切れを拾い上げ、復興現場に突撃していった。


「全く……すみません、よく言い聞かせます」

「構わん。英雄などと呼ばれるより余程マシだ」


 そして傍の石材を持ち上げ、同じく復興現場に行こうとしたソグンにシリュウの行方をついでに聞いてみる。


 すると、これにソグンは表情を曇らせた。


「あの、そのことなんですが……ハナの声を治すにはシリュウさんに声を掛けて頂くのが一番だと思って探したんです」

「見つからないと?」

「いえ、見つけるには見つけたんですが……どうも、その……」


 なんとも歯切れの悪いソグンに、俺はシリュウの空元気を思い出す。


「はぁ……シリュウはシリュウでややこしい事になっているのか」

「ぼ、僕の口からは何とも」

「場所だけ教えてくれ」

「はい。ブカの森です。エイルも一緒にいます」

「わかった。助かる」


 そして俺は戦いの最前線となった森に脚を向けた。



 ◇



 ズガン! ズガン! ズガン!


 ブカの森に引かれた真一文の焼け跡。


 そこを起点に木霊する衝撃音は、森の一帯に逆に静けさをもたらしている。


 敗戦の悔しさからくる八つ当たりを通り越し、まるで己を罰するかのように額を地面に打ち付け続ける火竜の末裔に、人はおろか魔獣ですら近づけなかった。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! あんなやつに負けるなんて!」


 自身が額で抉る地面とは裏腹に、すっかり穴の塞がった、綺麗な自分の腹が目に入るたびにその衝撃音は増してゆく。


「シィのせいで……シィのせいで……なんでっ……なんでシィはこんなによわいんだーっ!!」


 ドガンッ!


「シィちゃん……」


 森で大きな音がすると守り手から聞き、数人で様子を見に来たエイルが初めにシリュウを見つけた時からずっとこうである。


「荒れてるなぁ」

「ジン兄ぃ!」


 こんな音を響かせていては見つけられない方がおかしいと、荒れるシリュウを見て俺はため息をつく。


 エイルはすぐさま俺に駆け寄り、『遅いよ!』と一声。


 コーデリアさんの言った通り本人に始まり、父上と母上、そしてエドガーさんにオプトさんと続き、ここにも俺を待っていた者がいたようだ。


「一応聞くが、止めたんだろう?」

「もちろん! はやく何とかしてよ、お師匠さんでしょ!? あたしもう見てらんないっ!」


 守り手数人で自傷するシリュウを止めようとしたが全く聞く耳をもたず、よくよく見るとほとんど怪我らしい怪我もしていないので皆そっとしておく事にしたのだそうだ。


(これのおかげで額が赤くなっていたのか)


 俺は目覚めた時のシリュウを思い返し、ここで額の赤らみの原因にたどり着いた。


 その後エイルだけがここに残り、たまに俺の様子を見に来ていた以外はずっとここで自責の念に駆られているシリュウを見守っているのだという。


 後はあの空元気と、今の状況がどう繋がるのかを考えなければならない。


「ありがとう。傍に居てやってくれて」

「当然っ! なんだから!」

「ふっ……そうか。心当たりはあるか?」

「そっ、それは」


 胸を張ったと思ったら途端にソグン同様に口篭ったエイル。


 二人ともシリュウをおもんぱかっての事だろうが、この様は流石に俺の予想を超えているので、何かしらのとっかかりが欲しい。


 目に入る位置にいるにも拘わらず、シリュウは俺に気付くことなく荒れ続けている。周りが目に入らぬほどの事があるのだろう。


「真昼に会った時はいつも通りに振る舞っていた。恐らく……いや、間違いなく俺には事情を話そうとしないだろう。早く止める為にもある程度の情報がいる」

「っ……直接聞けた訳じゃないし、聞いた話だけど……たぶん」


 そう言ってエイルはポツポツとシリュウの怒りの原因であろう事を話してくれた。


 敗戦直後は誰よりも悔しがるシリュウだが、ここまで引きずるのは今まで見たことが無かっただけに、俺は因縁のある魔人に敗れた事が原因かもしれないと思っていた。


 アロウロがベルドゥへ変化した事にはシリュウも勘付いていたはずであり、直接の仇ではないとはいえシリュウにとって魔人は兄の仇でありただの敵ではない。


 だとすれば仇討ちどころか敗れようものなら、それこそ自分の弱さに腹が立って荒れ狂うのも仕方が無いだろう、と。


 だが、エイルはそれとはまったく別の、俺の予想だにしない事を口にした。


(そんな事全く言っていなかったぞ。母上も悪い人だ……)


 俺はどうしたものかと頭をもたげながら、なるようにしかならぬと腹を括って荒れるシリュウに歩み寄る。


「ぬがぁーっ!」


 ガシッ!


「っ!?」

「もうよせ」

「お、お師っ!?」


 地面と額が接触する寸前に肩を掴み、本気の頭突きを押さえた。強化している腕でもこれほどの力を感じるということが、この怒りが尋常ではない事の証左だろう。


 そしてやはり俺が近くにいたことに気付いていなかったようで、シリュウの目は驚き見開かれているが、この期に及んでなお何事も無いかのようにパッと立ち上がった。


「あ、っと……ひ、ひみつ! ひみつとっくん! ばれたらしかたないです!」

「ほぅ、それは感心だ」

「なーっはっはっは! こんどは勝って、あいつクソボロにしてやるです!」


 もう再戦の機会はないと分かった上で言っているのは丸わかり。何としてでも誤魔化したいシリュウの赤らんだ額に、かく事の無い汗が見える気がする。


「竜人は嘘をつかんからな。それは本当だろう」

「とうぜんですっ」

「……で? それだけじゃないんだよな?」

「な、なんのことでス?」

「気に病むことはない、と言っても無駄なんだろうが……」


 シリュウが自分に怒り狂っていた最大の原因。


 それは、母上の治癒魔法ヒールを受けた事にあった。



 ……―――



 戦いが終わった後。


 夜明けと同時に、二つの命が新たに生まれた。


 命の息吹が部屋全体に木霊する中、サブリナの手で手際よく沐浴もくよくが行われ、母ジェシカは最大の愛を込めて自らの手で二人をゆりかごに収めた。


 家の外は終戦の報せを受けた大勢の村人らが前線へ移動を開始し、怪我人の処置や壊れた村の様子、大量の魔獣の死骸のおかげでてんやわんやの大騒ぎとなっている。


 そんな中、ジェシカはゆりかごに収まる二人の顔をジッと見つめたあと、重い身体をベッドから降ろそうと身を起こした。


「動いちゃダメだよ」


 それを見たサブリナは当然止め、手伝っていた二人の経産婦もジェシカを横たえようとそっと肩に手をやる。


 だが、強化魔法を纏ったジェシカの力の前に、普通の女人二人程度の手は役に立たなかった。


「行かせてください。私なら大丈夫です」

「強化魔法もご法度だよ! こうなる事は分かっていたからね。マーサに外から鍵をかけてもらってるんだよ。窓も開かないようにしてある」

「っ」


 戦いが終われば、ジェシカは確実にお産直後の弱った体で怪我人の治癒に当たろうとするだろう。そんなことは二十年以上の付き合いのあるサブリナにとって容易に想像できた事だった。


「あんたが今すべきことは体を休めることさ。そしてあたしらが今やるべき事は、あんたを絶対に行かせない事」

「……」


 事前に言い含められていたのであろう二人の経産婦もこれに頷いて同意するが、ジェシカは己の決意を改める事は無かった。


「サブリナさん、お願いです! 私は治癒術師ヒーラーです! 村の為に命を懸けた人たちを放っておくことはできません!」


 大声すら憚られる身体である。


 この声でさらに赤子の泣き声は大きくなり、生まれたばかりの子ですら母の行動を戒めているかのような状況となっていた。


 ジェシカの頑固さはサブリナも良く知るだけに、この程度で引く覚悟で阻んでいるはずも無い。


「もう冒険者じゃないんだ。あんたは治癒術師じゃない! 一人の村人で、あたしの家族同然なんだよ! ロンも、ジンだって、ここにいたなら絶対に行かせない!」

「その二人が命を懸けたのです! エドガーさんもきっとそう! もし大きな怪我をしていたら……薬じゃ間に合わない怪我をしていたらっ!」

「それが守り手の役目だよ! もし……もしそうだとしても、あたしもあの馬鹿な旦那も覚悟は出来ているさね!」


 全く引く気の無い二人のやり取りに二人の経産婦は圧倒され、その手はジェシカの肩からそっと外れていた。


「救える命があるかもしれない! 約束します、絶対に無理はしません! 私はこの達が立派に育つまで元気でいるって、ジンと約束しているのです!」

「そ、それはそれだよ! そこまで言うならはっきり言うよ……誰も今のあんたに治して欲しいなんて思っちゃいないんだ! 迷惑だよ!」

「っ!」


 この言葉にはさしものジェシカも口を噤み、纏っていた強化魔法は静かに霧散した。


 静寂が訪れた空間に赤子の泣き声だけが響き、ジェシカがもう一度ゆりかごに目をやって細めると、声は次第に小さく、そしていつしか泣き止んだ。


「それでいい。それでいいんだよジェシカ。お願いだから休んでおくれ」


 二人の経産婦に代わってサブリナがジェシカの肩に手を添え、抵抗なく横たえられる身体。


 再度天井を見るジェシカの目には今にも溢れそうな涙が浮かび、横たわると同時に溢れて頬を伝った。


 もう大丈夫だと胸を撫でおろしたサブリナは、手伝った二人を家に帰らせようと声を掛ける。


 この二人とて夫と子を持つ身である。戦いに赴いていないとはいえ、脅威を無事乗り越えた事の喜びを分かち合い、怪我人の手当も手伝うくらいできるだろう。


「騒いでごめんなさい」

「いいえ、ゆっくりお休みになって下さい」


 ジェシカは二人に感謝を告げ、鍵の掛かっていない扉から二人はその場を後にした。


「嘘つきです」

「何のことだい」


 とぼけるサブリナにジェシカは笑う。


 しかし、開かれた扉から外の住民の声が漏れ聞こえると同時に、その笑みはすぐさま消える事になる。


 ―――この人見たことあるぞ。ティズウェル家の使用人だ!

 ―――戦ってくれてたのか!?

 ―――酷い……腕も、脚も……こりゃ全身が折れてるぞっ!

 ―――揺らすな、ゆっくりだ、ゆっくり運べ!


 まるで計ったかのように届いた声にサブリナは愕然とし、そして案の定、ジェシカの身体が白い光を纏った。


(この光はっ……!)


 もう、サブリナにジェシカを止める事は出来なかった。


「ジェシカ! 回復魔法エクスヒールは使っちゃ―――」


 タンッ


 立ち上がり、サブリナには止める事の出来ない速さで扉に手を掛けたジェシカ。


 帰ろうと扉を開いた二人もまたその速さに圧倒され、最早諦めの表情を浮かべていた。


「ごめんなさいサブリナさん。それとありがとう。家族って言ってもらえて嬉しかったです」

「はぁ……二人に合わせる顔がないよ」

「悪いのは我儘で頑固な私。きっとため息をついて諦めてくれます」

「全く……だろうね。あの二人があんたにとやかく言える訳もないさね」


 『そうでしょう?』とジェシカは笑みを浮かべ、最後に背中越しに自らの在り様をこぼす。


治癒術師わたしは押しつけがましいくらいじゃないとダメなんです」

「奇遇だね。助産師あたしもそうさ」


 そうして、ジェシカは履物も履かずに家を飛び出した。


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