#105 男雛と女雛と葛藤と

 ゆりかごに収まる二つの小さな顔。


 片や天井を突き破る逆さ雷の如く泣き喚き、片や奔流にも負けぬ岩の如く静かに俺の目をジッと見つめている。


「……っ!」


 抱けと言われたものの、正直ここからどうすればいいのか分からない。


 雷鳴を抱くのか、岩を抱くのか。


 できれば岩の方が幾分気が楽なのだが、それは順を付けているようで雷鳴に悪い気がする。かといって同時に二人抱くという技を持ち合わせていない。


(くそっ、前世の俺はどうやって抱いたんだっ! 肝心な所が思い出せん!)


 何とか泣き止んでくれないものかと『どう、どう』とあやしてみるものの、すかさず父上から『馬じゃねぇ』と苦情が入って為す術が無くなってしまった。


 やはり、心も技術も追いつかずにオロオロする俺を助けてくれるのは母上しかいない。


「最初に抱っこするねって言ってあげて。それから両手で頭をちょっとだけ―――」


 まるで最初から抱いていたように滑らかに胸元に収まった雷鳴で手本が示され、母上は岩に視線をやった。


 まずはどちらを先にという問題が解決した格好だが、滑らか過ぎる母上の手本は俺の沸騰する脳に幾分も残されていない。


「こういう時、二人いるのは便利だな」


(ええい、ままよっ!)


 そこはかとなく不謹慎な父上の言葉に反応できぬまま、ジッと俺を見る岩へ一声かけて手を伸ばす。


 しかしここで、蘇っていた前世の記憶がまたも脳裏をよぎった。


(本当に大丈夫か? 子を抱けば母上に身の危険が迫るのでは……? それに、俺の手はとっくに血に染まって)


「や、やはりできませぬ……私の手はもう」

「ん゛ん゛っ!」


 ボグッ!


「い゛っっっ!?」


 あと少しという所で声を震わせ、またも躊躇いを見せた俺にすかさず言葉を打ち消す咳払いと戒めの手刀が繰り出され、ベルドゥに折られていた左腕に激痛が走った。


 よりにもよって最も重傷を負っている箇所を打つのだから、確実にそれと知った上での制裁だ。


 本能的に出かかった悲鳴をなんとか堪えて振り返ると、父上が未だかつて無い程の怒りの視線を俺に向けている。


 表情は普通。


 だが、目だけは俺をくびり殺さんばかりである。


 そこで俺は、母上と産まれたばかりの弟妹を前にしてとんでもない事を口走ろうとしていた事にようやく気が付いた。


 ただの緊張で躊躇っているだけならまだいい。


 しかし、実の弟妹を前にして怯えた様子でいつまでも触れず、あまつさえ人を殺めた手では抱けぬなどと今言われたら、母上はどう思うだろうか。そして、どうなるだろうか。


 きっとありったけの言葉を尽くし、表面では微笑みながらも心の中では泣きながら俺を慰めるに違いない。


 それは前世の俺が経験した事と同等、いや、満足して逝かれたであろう事を差し引けば、もしかするとそれ以上に酷な事ではないだろうか。


(何という事だ……己の臆病な身勝手さで母上を地獄に叩き落とすところだったっ!)


 今すべきことは何も学んではいなかったと悔やむ事でも、それと気づかせてくれた父上に感謝と謝罪を告げる事でもない。


 俺は腹を決め、全ての不安材料、言い訳を即座に捨てた。


「ふーっ……いざっ!」

「ふふっ、そんなに?」


 気合の一声で母上が笑うや腕の中の雷鳴が鳴り止み、俺の両腕に岩など目ではない重みがのしかかる。


「あら、緊張してた割には上手ね」

「……」


 岩の顔がすぐ胸元にある。


 勢いよく抱き上げてしまった気がしたが雷が落ちる気配はなく、大人しいままに為す術なく俺に抱かれている。


 いや、術が無いのは当然なんだが、大人しいのは俺が妙だったと思いたい。それを見た母上が何か言ったように聞こえたが、胸中はそれどころではなかった。


「ふっ……くっ……」


 またもぐしゃぐしゃになってゆく俺の顔を見てまたも母上は笑い、父上は腹の底からため息を吐き出した。


「お前なぁ……頼むからコーデリアみたいになるなよ?」



 ……―――



「おおっ! 今笑いましたよ!」


 その後、岩を抱きつつ立ち直った俺は岩を父上に預け、今度は母上の腕の中で泣き止んでいた雷鳴を腕の中へ収めた。


 明らかに重さが違ったのでそれにも驚いたが、俺が抱きかかえると程なくして笑顔になった雷鳴に興奮を抑えきれない。


「産まれたばっかでそんなことあるか」


 そういって父上は俺の興奮を潰しにかかるが、感性の乏しい父上には気づけないだけ。間違いなく雷鳴は俺に笑いかけたのだ。


「残念な父上だ」

「おい」

「ところで」


 と、俺は食い下がりかけた父上を早々に見切り、情けなくもようやく重大な事に気が付いたので次第を二人に尋ねる。


「名は何というのです。かくも愛らしく生命力に溢れているとは思いもよりませんでした。父上と母上の事です、さぞ聡明で力強き」

「あー、それな」


 ベラベラと言葉を連ねる俺を遮り、父上は母上と互いに見やった上で先ほどとは違った軽い咳払いをして俺に居直る。


「やりきったら褒美をやるって言っただろ?」

「え……? ああ、開戦前のやつですか」


 そういえば、魔物大行進スタンピードが始まって俺の作戦を話した後、父上がそんな事を言っていた。死人は出ていないという話だし、やりきったと言えばやりきった事になるのだろうが、褒美どうこうの話では無いだろうと、にべもなく断ったはずだ。


 しかしこの流れで父上が何が言いたいのかが分からぬ程、今の俺は先ほどまでの醜態を晒し続けた俺ではない。


 雷鳴をもう一度笑わせようとタンタンと足取り軽やかに動きながら反論する。


「いやいやいや……父上と母上の子らです。ふらりと消える私なぞが名付けではこの子らに申し訳が立たぬでしょう」


 俺としては至極真っ当な意見だと思っている。おそらく子らが自分の名を意識し始める頃には俺はとっくにこの村にいないのだ。


 いくら血を分けているとはいえ、顔も知らぬ、いつ帰るかもわからぬ、あまつさえ血に染まった兄に名付けられたと後々知れば、不幸に苛まれても全くおかしくはない。


 さすがにそこまではこの場では言わないが、言葉の裏に出来るだけ滲ませて二人に言っておく。


 もちろんこれで『そうか』とならぬのも承知の上。本気で理屈を言わせたら俺以上に論立てられる父上を納得させられるかは甚だ疑問である。


 そしてやはり父上も俺の反論は分かっていたようで、面倒そうにポリポリと頭を掻いている。ちなみに母上、というかこの世は男が基本的に名付けを担う事になっており、その後に建前として妻に同意を得て名が決まる。


 こういう事もあり、今母上が口を挟む様子は全くない。


 思うに母上はこの不毛となるであろう父子論争に物申したいと喉まで出かかっているいるはずで、それもこれも俺が寝過ごしたせいで我が弟らは産まれて二日経っても名無しのままだという事。


 その事に気が付いた俺と、そんな事はとうに分かっている父上だったが、両者譲らない様相を呈しかけたところで父上の視線が扉に向いた。


「はぁ……黙って受け取れって言ったよなぁ……まぁ、お前のそういう所は想定内だ―――もういいぞ!」


(や、やられたっ!)


 父上が扉を見た瞬間に悪い予感、どころか確信がよぎる。


 そして父上の声ですかさず扉が開かれ、入って来たのは目元と鼻頭を赤くしたコーデリアさん。


 涙を拭う為の布をスッと懐に入れ、俺が抱いている雷鳴と父上の腕にある岩を交互に見つめ、俺が見たことのない満面の笑みを浮かべた。


「うっ!」


 つい驚いてうめき声を上げてしまったが、コーデリアさんは全く意に介する事無く二人の赤子に顔を寄せる。


「ジンがいつまでも眠っているから、ずっと我慢していたのですよ? 私にもどうか抱かせて下さい」


 話が読めないと先に俺の腕にいた雷鳴を引き渡そうとすると一瞬にして腕から消え、気づけば先ほど雷鳴を抱いていた母上と同じ顔をしていた。


(なるほど。これは敵わん)


 どうやらコーデリアさんは子を抱く順番を殊更にこだわったらしく、母上、父上に次いで俺が抱いた後でなければ抱けぬと歯を食いしばりながら言っていたらしい。


 よく分からないこだわりだが、俺がそこに今更異を唱えたところで何の意味も無いので、大人しくその心遣いに感謝しておくことにした。


「ふふっ……この子は陽の光のように明るく、美しく育ちます。対して髪はロンさんとジンと同じ黒……困りました。これは国宝となる子。つまらない男が言い寄らぬよう、早めに護衛隊を組織せねば」

「うつく? くろ? こくほう?」


 全くついて行けていない俺にコーデリアさんはおもむろに雷鳴を預けるや、今度は父上から岩を吸い取る。


「良い体格です。この何者も恐れぬかのような佇まい……ジン、いえ、ロンさんの方が雰囲気的には近いかしら。きっとブロンドの髪がとてもよく似合う偉丈夫となる事でしょう。表にはあまり出さないけれど、きっと月のように優しく人々を照らす子になります」

「あ、えっ?」


 どうしてほんの束の間抱いただけでそこまでの事が分かるのか。只人なら希望を言っているだけで済ませられるが、事コーデリアさんには当てはまる気がしない。


 俺がまだ知らない二人の情報が洪水のように飛び出し、俺はそれを整理するので精いっぱいだ。


 腕の中の雷鳴と母上を交互に見やると、母上は眉尻を下げて困ったような、それでいて嬉しそうな表情を俺に返した。


 どうやら俺の耳に入った肝心な情報は全て的を射ていたらしい。


「お主、女子めのこだったのか……」


 そして岩は男子おのこ


 双子だというからてっきりどちらも男子と思い込んでいた自分が恥ずかしい。


 それと分かるや突然雷鳴が俺の手に負えぬように思えて来たのも、育った環境の所為かあるいは。


(いや、これも子を持つ母親の直感……的なものなのか? いや、それにしても女子が妹だと普通分かるのか? 髪とてほとんど生えておらんぞ。なぜ色が分かるのか……)


「もう、怖いですよ」


 錯綜する情報を整理できず、俺のつぶやきは無意識に部屋に漏れてしまった。それを聞き逃さなかった三人は顔を上げ、父上は『全くだ』と同意、母上は教える手間が省けたとクスクスと肩を揺らした。 


「ジン」

「はい」

「愛が足りないから、この子たちは何も教えてくれないのです」

「そんな無茶な」


 その後、無茶ではないとコーデリアさんに一喝され、俺が名付けを拒んでいると父上から知らされるや表に引きずり出されて滅茶苦茶に怒られてしまった。


(母上のお気持ちを持ち出すとはおのれコーデリアさんめ……俺が反論できぬ要所ばかり突いてくる。それを出されればどうしようもないではないか。無体が過ぎる! いや、そもそもが)


「卑怯なりっ! 父上っ!」


 一人家を放り出されて膝を突く俺の元に、怒られている様をたまたま目撃していたらしいエドガーさんとオプトさんがニヤニヤと嬉しそうに近寄って来たので、どう八つ当たりしてやろうかと企んだ。


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