#104 美しくも苛烈な世界へよくぞ参った、我が弟妹よ

 真っ白な布にくるまれ、真っ赤な顔で大泣きする赤ん坊。


 布を通じて感じるその熱と泣き声は生きている証だ。


 だが、祝福すべき時であるにも拘らず、場の空気はとてもではないが明るいものではない。


「よくやった……元気な男子だっ……」


 皆俺の腕の中にいる泣きわめく赤ん坊ではなく、青い顔をして横たわる一人の女性を囲んで悲痛な表情を浮かべている。


 女性の手を取り、歯を食いしばっている男は目に涙を浮かべ、手を取られている女性はもう片方の手を重ねて慈しむように赤ん坊を見ながら最期の言葉を発した。


「貴方様……甚之助……この子をお頼みします……ああ……なんて幸せな生涯なのでしょう……こうして最期に……命を……我が子……に……」

「奥様っ!!」

「お、お゛お゛っ……!」


 女中らと男は最後に女性の名を叫び、その横で俺は赤子を強く抱きしめた。


「子は、必ずやっ……!」


 母の死を感じ取ったのだろうか、赤子も今まで以上に泣き喚き、泣き疲れて眠ったあとも屋敷は大勢の悲しみの声に満ちていた。



 ……―――



「縁起でもない」

「のわっ! なにが!?」


 とんでもない前世の記憶に苦情を入れると、側に居たのであろうシリュウが大げさに驚いて見せた。


 どうやらここは自室。部屋に差し込む明かりの具合から察するに日は高い。俺はしばらく寝ていたようだ。


 寝覚めが悪いどころの話ではないが、それに文句を言っている場合でもない。


 上半身を起こすと身体は包帯でぐるぐる巻きになっているが痛みは大したことはなく、動くには問題はなさそうである。


 しかし、やけに喉が渇いている。


 目覚めの一言から黙りこくって脳内で状況を整理している俺を見て、不思議そうに肩を突っついているシリュウに水を頼むと机に置かれた水差しごと手渡してきた。


 真横のコップが見えないのかと言ってやりたいところだったが、何度も入れる手間は省けるかと水差しごとゴクゴクと一気に飲み干す。


「ふぅ……」


 全身に水分が行き渡る感覚を味わいながら、ベッドから足を下ろして腰掛けた。


「怪我は大丈夫なのか?」


 最後にシリュウを目視した時は確か腹から血を流して倒れていたはず。


 隣に座って不気味なほどニコニコとしている様を見る限り聞くまでもなさそうだが、俺が頼んで戦闘に参加させたという手前、一応は聞いておくのが筋というものだろう。


「ふふーん」


 シリュウは聞かれるなりバッと服をめくり、羞恥どころか得意げに裸体を晒す。


 見る限り外傷は見当たらない。額が若干赤みを帯びているのが目に付いたが、怪我というほどではなさそうだ。


 ついでに俺が与えた傷痕も当初より遥かに薄くなっており、ここ数日母上の元へ通っていた成果までも見せつけられてしまった格好だ。


「穴きえた! ヒールすごいです!」

「……よかったな。とにかく下ろせ」


 俺が頭を抱えて服を下ろすように言うとシリュウは素直に従い、『あっ』と一声上げて立ち上がる。


「お師起きたらコーデにおしえるやくそく! 行ってくるです!」


(……コーデリアさんは無事か)


 慌てて部屋を出て行くのを見送り、立ち上がって窓の外を見る。


 大勢の村人たちが大層忙しそうに動き回り、男らは数人がかりで重そうな建材を運んでいる。中には女手も混ざっており、大鍋に揺れる汁物やパン、いかにも精がつきそうな肉類を運んでいる者もいる。


 家々の倒壊は俺が原因だという事はさておき、皆一生懸命に村の復興に力を尽くしているのが良くわかった。


「守れたと思っていいのか……?」


 俺は救いを求めるように呟いて村の喧騒とはかけ離れている家の気配を探る。


 コソコソとそんな事をしている自分に嫌気が差すが、実はここを出るのが恐ろしくてたまらないのだ。



 父上はどうなった?


 エドガーさんは?


 オプトさんは?


 防衛隊の皆は?


 そして何より


 母上と、産まれ来る子は?



 折悪く蘇った最悪の記憶が俺の恐怖心を煽り、ここで誰か一人でも欠けていようものなら俺は自分を保っていられる気がしない。


(魔物なんぞより、それが遥かに恐ろしいっ……!)


 どうにもシリュウが空元気だったように思えて仕方が無いというのも、さらなる不安要素だった。


 そして情けなくも自室から出られずにいること数分。


 ダンッと家の扉が開かれる音が聞こえ、足音が俺の部屋の前で止まってすかさず扉を叩く音がする。


「ジン」

「どうぞ」


 もちろん声の主はコーデリアさん。


 窓際に立つ俺を見てみるみるうちに目に涙を浮かべ、大粒の涙をこぼしながら駆け寄った。


「無事でよかったっ……!」

「コーデリアさんも」


 娘のアリアと同様に俺の胸元を濡らし、つかの間互いの命を噛みしめる。


 そして赤く腫らした目を拭いながら向き直り、今の俺が最も欲しかった言葉を投げかけてくれた。


「一人も死者は出ておりません。行方不明だったエドガーさんも大怪我は負っていましたが無事でしたし、防衛に回っていた皆も、もちろん村人も。まぁ―――」


 と、コーデリアさんは腕をまくる。


「全員欠かさず包帯と仲良くやる羽目にはなっていますけど」


 そう言って、俺の強張った全身を溶かそうと茶目っ気たっぷりに伝えてくれた。


「ああ……」


 これを聞いて俺は全身の力が抜け、崩れ落ちるように再度ベッドに身を投げた。


「もう御免ですよ……こんな思いをするのは……」

「私もです」


 ギシギシとベッドの軋む音に合わせてコーデリアさんは苦笑い、パンッと手を叩いて脱力する俺にハッパを掛ける。


「さぁ、やる事は山積みです。この二日間皆がジンの目覚めを待っていました」

「……え!? 俺は二日も寝ていたんですか!?」

「やはり気付いていませんでしたか。あなたが最後です」

「なんということだ……情けなし……!」

「守るという強い意思があなたに限界を忘れさせていたのでしょう。かく言う私も、大した怪我も無いのに丸一日床に伏せっていました。歳は取りたくないですね」


 悔やむ俺にコーデリアさんはやんわりとフォローを入れてくれるが、なかなか目を覚まさない俺が突然『縁起でもない』と、訳の分からない言葉を発すればいくらシリュウとて驚いても仕方が無かったのかもしれない。


「最初にやるべきことは分かっていますね?」

「はい」


 俺は立ち上がって部屋を出ると、コーデリアさんも静かに後に続いた。


「おぅ、ようやくお目覚めか」


 俺が部屋を出るのと同時に帰って来た父上の開口一番。


 眩しいものを見るように俺に向かって目を細め、俺も父上の包帯まみれの姿を見てつい笑ってしまった。


「申し訳ありません。寝過ごしました」

「いいや、お前はよくやった。行くぞ」

「はい」


 もちろん向かう先は母上の寝室。


 先に入れという父上に促されて扉を前にすると、俺が叩く前に内側から扉が開かれた。


「え?」


 中から出て来たのは見知らぬ女性。


 扉の前に立っていた俺たちを見て目を丸くしたが、父上とコーデリアさんに軽く会釈するとさっさと家を出て行ってしまった。


「どなたでしょう」

「ああ……ジェシカの代わりにな」

「?」


 説明にならぬ事を言われて戸惑うが、とにかく入れと続けるので俺は半開きとなっている扉に手を掛ける。


 窓が閉め切られた薄暗い空間に、ベッドに横たわる母上と、側にはマーサさん。


 コツと足を踏み出すとマーサさんはビクリと背筋を伸ばして振り返り、俺の姿を見るや立ち上がった。


「ジン様っ、お目覚めになられたのですね!」

「ええ、ご心配をおかけしました。マーサさんも無事治療を受けられて何よりです」

「っ……」


 眠っている母上がいるので殊更に小声ではあるが、まずは互いの無事を確認。


 だが、俺の言葉に顔を伏せ、マーサさんはコーデリアさんと視線だけでやり取りをして何も言わずに静かに部屋を後にしてしまった。


「……?」


 どうにも様子がおかしいと首をかしげるが、二人を振り返っても何も言わない。


 何があったんだと訝しんでいると、その不穏な空気を切り裂くように雷鳴が響き渡った。



「あ゛ぅ……んぎゃあ! んぎゃあ!」



 ―――!?


 そう


 生まれていたのだ


 こんなにも力強い


 新たな命が



「おおっ……」


 意図せず身体は打ち震え、泣き声だけで込み上がる感動に胸奥がギュッと締め付けられる。


 俺は声がする小さなゆりかごに歩みを進め、情けなくもカタカタと震える手を伸ばすと、それを察したかのように母上が目を覚ました。


「……ジン?」

「は、母上っ! よくぞ……よくぞ……っ!」


 もう言葉にならない。 


 ゆりかごに伸ばした手を慌てて母上にやってその手を握ると、俺の涙腺は崩壊してしまった。


「ありがとう。村を、この子たちを守ってくれて」

「い゛え゛っ……い゛え゛っ……!」


 とてもじゃないが顔を上げられない。


 男たる者、そう簡単に泣いてはならぬのだ。


 ましてや母に無様を見せるなどあってはならない。


 そう言い聞かせれば聞かせる程、なぜか涙は止まらなかった。


 母上の布団に突っ伏す形となっている俺の頭に温かい手が乗ると、背後からもすすり泣く声が聞こえた。


 そして場に耐えかねたコーデリアさんが無言で部屋を後にすると、次は野太い声が俺に降り注ぐ。


「くぉら。兄貴がいつまでも泣いてんじゃねぇ。なっさけねぇな」

「くっ!」


 すっかり存在を忘れていた父上に強引に引き戻され、俺は顔を上げて泣き声やまぬゆりかごを見た。


「きっと、兄さんに抱っこして欲しいのです」


 そういって母上はゆりかごに掛けられた薄い布を取る。


 そこには白い布にくるまれ、新生児特有の赤味を帯びた小さな顔―――




「なっ、なっ……」




 が、ふたつ。




「なに゛ぃっ!!!!!」


 ガタン!


 俺は驚きの余り尻餅をつき、ゆりかごを指さしてパクパクと口を開閉させた。


 泣き腫らした目元にこの間抜けな有様がさぞ可笑しかったのだろう。


 母上はクスクスと肩を震わせ、後ろからまた呆れた声が聞こえる。


「驚き過ぎだっての。何回も言ってただろうが。って、聞いてねぇな……」

「ふ、ふた、ふたたたたた―――」

「はい。双子です。兄さん」

「うわ゛ぁーー--っっ!!」


 俺の絶叫と赤ん坊の泣き声が家を中心に響き渡り、家の周囲を歩いていた村人らが皆一様に驚いて足を止めていたと後から聞かされた。











――――――――――――――

はい、過去話で大体予想ついてた方は挙手!(´・ω・)/

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