#103 祝福の夜明け

「ベルドゥ!」


 エーデルタクトで大勢の風人エルフを襲い、当時の長であるイクセル氏をもその手に掛けたという魔人。


 俺がかの地で一刀の下に両断したはずの名を叫ぶと、そいつはグニャリと首を向けた。


『ベル、ドゥ……? ソレ、ハ……オレ、カ?……アア、ソウダ……俺ハ』


 まるで何かを思い出すかのように頭を抱えるや黒い霧が色づき始め、俺の遠視魔法ディヴィジョンに映る魔力が徐々に形を得、とうとう人間のそれと遜色ない程にまで形を成した。


(分からん事だらけだが……アロウロが消え、こいつが突然現れた事だけは確かだ)


 居るはずの無いサントル大樹海の魔物、アロウロの侵攻は遠くからでもすぐに分かった。


 それと分かった瞬間に倒れるマーサさんを置いて駆け、その間にアロウロはシリュウの炎玉の前に消滅したかと思いきや、今度はまた新たな人型の魔物である。


 あえなく背後から突かれたシリュウは凶刃に倒れ、父上とコーデリアさんの猛攻でも滅する事は出来なかった。


 もう二度と会う事は無いと思っていたが、この魔物の業はここにいる誰よりも知っている。


 ここで食い止めなければ、こいつは間違いなく意思を持って村の皆を無残に殺してしまうだろう。


 それだけの脅威を孕んでいるのは相対して明らかだった。


『ククク……コリャァイイ……今度コソブッ殺シテヤルヨォッ! クソガキィィィッ!!』


 ゴォッ!


「くっ!」


 当時とは比べ物にならない魔力の圧を発したベルドゥは、自身に宿る魔力量に対する光悦の表情から俺への怒りの表情へと変わり、なぜ自分が再び両脚で地に立っているかの疑問すら抱くことなくありったけの殺意を俺に向ける。


 忘れもしない。


 こいつの初撃は相も変わらず突進からの力の限り振り下ろされる縦一閃。


 当時との違いは、その速度と強化具合だろう。


 これに対し俺は夜桜を強化し、真っ向迎え撃った。


 ガキィィン!


(夜桜と打ち合えるかっ!)


 あの時は剣ごとその胴を真っ二つにしてやったのだが、剣と化した腕は折れる事無く、夜桜と対等に渡り合う。


 ガガガガガガガガガッ!


『ウゼッテーンダヨォッ!』


 ドガン!


 圧倒するつもりが意外にも互角の剣撃を繰り広げる俺にベルドゥは腹を立て、大きく右足を踏み込む。


 だが、そんな見え見えのやり口に掛かるはずもなく、俺は地面と脚が接触する前にタタンと後ろに飛退とびのいて割れゆく地面を躱した。


『ダヨナァッ!』


 これを見越していたのか、ベルドゥは開いた距離を一息で詰めて俺の顔面に切っ先を突き出す。


(速いっ!)


「っ!」


 ギリギリのところで上半身ごと傾けて刃を見送るが、頬を掠めた刃に俺の顔が映り込むのを見た瞬間、刹那の拍子で中段回し蹴りが襲い来る。


 ドギャッ!


 夜桜で受ける事は間に合わず何とか潜り込ませた左腕でこれを受け止めるが、凄まじい威力の前に腕はビキリと音を立て、身体は大きく吹き飛ばされた。


「ぐうっ!」


 その威力はシリュウ並みかそれ以上か。


 過去一刀で伏した相手とは到底思えない強さは、これまで相対してきたどの人型よりも手強いかもしれない。


(あの時より遥かに強化されている……!)


『ヤッパ気持チイイゼ……生意気ナ奴殺ルノハヨォッ!』


 よろめく俺を見て今のベルドゥがこの好機を逃すはずもなく、またも叫んで俺に向かい突進してくる。


 一見すると単調な攻撃だが、これに速度と膂力が合わさると不可避の重撃となるのだから、ベルドゥにとってはこれ以上の攻撃手段は無いと言える。


 ガギン!


 未だ痺れが取れない左腕は夜桜に添えられない。


 そして右腕一本では到底受け止めきれないベルドゥの剣撃を前に、俺は満足に受け流すことも出来ずに防戦一方となってしまった。


『オラオラオラァッ! カルスギンゼクソガキィッ!』

「くっ!」


 このままではやられるのは時間の問題だと、俺は一撃ごとに崩される体勢を利用して後ずさり、戦場を変える事を選ぶ。


 これを逃げだと思ったベルドゥは自身の優勢を確信し、口角を上げて嗤った。


『ハーッハァッ! 逃ゲテモイインダゼェ!? 俺サマハ背中ブッタ斬ルノモ得意ダカラナァ!』


 ブシュッ!


「!?」


 大きく振り抜かれた剣を何とか受け流して後退するも、すぐさま脇腹が熱を帯びた。見るとそこには血が滲んでおり、アヴィオール鉱糸で出来た服がぱっくりと割れている。


(何が起こった!? 剣は確実に対処したはず。届く距離ではなかったっ!)


 俺は受けた斬撃に驚きつつ、退避した先は森の中。


 身を隠した木を背に痛む脇腹を抑えながら移動し、周囲の木々に魔力を込めていった。


『冗談ダヨナ? ソレデ隠レテルツモリカ?』


 ただでさえ長引く戦いで万全ではないのだ。全力の原素魔法を叩き込もうにも魔力は心許ないし、奴の膂力が存分に発揮される場所で戦っていてはさらに勝機は見えない。


(ならば―――)


 俺がここでやられてしまってはここまでの戦いは全て水泡に帰し、村は壊滅するだろう。


 しかしその事実は明らかな劣勢の中にあって俺の思考を研ぎ澄ませ、慣れ親しんだ森の呼吸は静かな力を与えた。


(地の利は俺にある。ここは俺の故郷だ……絶対にふざけた真似はさせん!)


 息を潜めながら左腕の回復を待ち、真っすぐに向かってくるベルドゥの動きを見極めつつ移動を繰り返して苛立ちを煽る。


 そして思惑通りに、ベルドゥは雄叫びを上げて苛立ちを爆発させた。


『イツマデコソコソ隠レテヤガンダ……無駄ナンダヨッ、全部ナァッ!!』


 ズドン!


 行く手を阻む木々を撫で斬りにし、ベルドゥは俺の居る場所に向かって突貫。


 対する俺は奴が視線を遮っていた最後の木を斬り倒し、蹴り飛ばして来た木片を避けると同時に魔法を発動した。


「―――樹霊の縛ドリアドバインド!」


 ブワッ!


 夜桜を介して発動した原素魔法により、魔力を込めた森の木々が一斉にベルドゥに向かって枝を伸ばす。


『クハッ! 小賢シイナァ、オイ!』


 ズガガガガガガガガ!


 だが、硬化した枝もツヴァイハンダーの前には脅威とならず、自身を拘束せんと方々から襲い掛かって来るは次々に意思を手放していった。


 しかしこれも想定通り。


 俺は暴れ狂うベルドゥを視界に収め、夜桜を地面に突き立てた。


「―――氷走りアイシクルロード!」


 バキバキバキバキバキ!


 夜桜を起点に真っすぐに駆ける氷の道が、頭上からの枝に意識を取られるベルドゥの脚を見事に捉える事に成功。


『今度ハ氷カヨッ! 半端モンガーッ!!』


(これもただの氷ではない。脱するには相当な力の集中が必要になるはず!)


 脚を取られながらも襲い来る枝を全て払いのけ、剣で氷を砕こうとする隙を見逃さず、俺はベルドゥの頭上に舞い上がった。


 空中で大上段に構える俺に向かい、ベルドゥはありったけの殺意を飛ばして剣を構える。


 脚が固められているという事は、逆に言えば体勢は十分だという事。折れぬ斬れぬのツヴァイハンダーで防がれてはこの作り出した好機も無駄になる。


(これで仕留める!)


 そう決意した俺は止めまでの動きを脳裏に浮かべるが、ここへ来てまたも視えざる刃が今度は全身に襲い来た。


 ザクザクザクザクッ!


「ぐっ、またかっ!?」


 明らかに眼下のベルドゥは身構えたままで、何か斬撃の類を繰り出した様子は無く俺を睨みつけたまま。


 そして明らかに本人もこの攻撃は意図していないかのようで、俺の五体に刻まれた斬痕から吹き出る血で全身を赤く染めた。


『クハハッ! ドウシタオイ! 古傷デモ開イタカ? ソンナザマデ俺ヲ殺ヤレンノカッ!』


(本当にこ奴の攻撃では無いのか!?)


 ぼろ雑巾が頭上から降ってきた所でどうという事は無いとベルドゥは嗤い、切り結ぶであろうツヴァイハンダーを振り上げた。


 最早落下の体勢に入っているだけに、今更剣を止める事など出来ない。


 俺はまたも襲い来る可能性のある見えざる刃の威を振り払い、ベルドゥに相対する。


「ここでお前は討伐する!」

『テメェニャ無理ダァッ!』


 ブンッ―――


『ナ、ニッ……!?』


 切り結ぶ瞬間に振り下ろした夜桜を引いてベルドゥの足元に着地。


 すかされ、ガキリと歯噛みして見下ろされる前に、俺は夜桜を斬り上げた。


 シュオン


 パッと肩口から切り離された腕はツヴァイハンダーとしての形を失って霧散。


 その刹那に視線を空中に泳がせたベルドゥに声を上げさせる間もなく、俺は夜桜を捨てて右腰にある舶刀を逆手に抜いた。


『ヤメロ゛ォ゛ォォォォッ!』


 胸元で抜かれた舶刀がどこへ向かうかを察したのか、ベルドゥは残った腕を振りかざす。


 だが、振り下ろされる前に舶刀の切っ先は胸の中央を穿ち、俺は残った魔力全てを注ぎ込み、舶刀を通じて不可避の雷撃を見舞った。


「―――衝雷鼓エレ・トロンっ!!」


 ドンッ!!


『ギガッ!』


 人間の形をしている以上、首を刎ねるか心の臓の位置を穿つかで勝負は決するはずなのだが、こいつは首を刎ねても消えなかった。


 魔物である以上、魔力核は体のどこかに存在するはずで、ならばと見舞った心の臓への一撃と体内を焼く雷魔法。


 これで討伐できなければ今の俺に打つ手は無いのだが、その心配はどうやら杞憂に終わりそうだ。


 ブスブスと焼け焦げた身体から煙とを立ち昇らせ、ベルドゥは何もかもが受け入れられない。


『ナンッ、ダヨ……コレ……』


 そのつぶやきと共にベルドゥは昇りくる朝日に掻き消え、俺の遠視魔法からもその存在は完全に消え失せた。


 謎ばかりが残ったが、無粋な思考は相応しくないと祝福の夜明けに目を細める。


「これで……安心して……産ま……れ……」


 ひんやりと冷たい森の地面は、火照った体に心地いい。


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