#102 業魔
「竜娘っ!」
「シリュウさん!」
倒れる事無く錯綜する視界に耐えているロンとコーデリアは、怒気をまき散らして突進したシリュウの背を押すように叫ぶ。
ドギャッ!
『『ギィエ゛ェェェッッ!!』』
この突進に反応できずまともに蹴りを食らったバケモノは、叩きつけられた木に八つ当たりするように幹を握り砕き、すぐさま立ち上がって咆哮を上げた。
ロンは過去に因縁があったかのようなシリュウの言動に何かしらの勝機が見出せるかもと考えたが、満足に動かぬ身体でこの戦いに介入することは不可能。
そして思った通りに、戦いは苛烈さを極めていった。
殺意の全てを乗せたかのようなシリュウの攻撃は一撃ごとに空気を揺らし、地を
「だりゃぁぁぁっ!」
『『ア゛ーッ!』』
ガガガガガガガッ!
拳撃、蹴撃を流れるように組み入れ、申し分ない速度と威力を併せ持つ、回避不能の一撃を小さなバケモノに繰り出し続けた。
しかし、あれほどの威圧を放ったバケモノが一方的にやられる事はなく、シリュウの殺意を自らの殺意で上書きし、隕石衝突を思わせる程の攻撃に真っ向打ち合っていた。
(こ、いつっ! 強くなって―――!)
ここでシリュウは以前の戦い、ドレイクのライン戦線で一方的に討ち滅ぼしたバケモノとの違いに小さく舌打ちする。
強い相手と戦える事は楽しみ以外の何者でもない。だが、今相手取っている魔物は存在していてはならないと本能が告げていた。
あの時はジンが樹魔法で拘束してはいたものの、確かに自分の攻撃でこいつはバラバラになっていた。
そもそも竜人の持つ硬度で放たれる一撃を、強化魔法無しにまともに迎撃するなど自殺行為なのだ。腕で受ければ腕が飛び、そのまま胸に風穴が空くはず。
しかし、そうはならなかった。
となると再生し、疲労とは無縁の魔物であるこのバケモノを相手に長引かせるなど愚の骨頂。そうなる前に押し切ってしまわなければ、負けの二文字がちらついてくるかもしれない。
そう思ったシリュウは瞬間、大きく踏み込んだ。
「これならどーだぁっ!」
ドゴン!
以前との状況の違いは拳を合わせている事。ならば拳ごと砕いてやるつもりで殴りかかったが、砕くどころか自分にも同様の衝撃が返って来た。
「ぐっ!」
『『ア゛ギッ!』』
互いの放った渾身の右拳がぶつかり、双方大きく後退する。
ここで拳では砕けぬと悟ったシリュウは、ならばと打撃から斬撃へ転じるべく、手足の竜爪を剝きだして姿を更に竜へと近づけた。
「ナマイキなまものが……切りきざんでヤル、バラバラにだっ!」
そして一気に距離を詰め、迎撃せんと同様の体勢を取ったバケモノに両手の竜爪を振り抜いた。
ザクッ!
『『ア゛ッ!?』』
これが見事功を奏し、打撃で迎え撃ったバケモノの拳は中央でバッサリと割け、握れぬ拳を見て放心した隙を見逃さずに爪撃の嵐を見舞う。
「らぁぁぁっ!!」
血の代わりに吹き出る黒いもやをも切り裂きながら、竜爪はバケモノを撫でる度に獰猛さを増していった。
ここに、
『オ゛……ア゛……』
時折繰り出してくる反撃をことごとく打ち伏せ、受けが通用しない爪撃の前に変わり果てたバケモノ。
シリュウは思惑通りに地に転がしたそれを見下ろし、
「どん―――おまえ何なんだ?」
爪を剥きだしたまま手に炎玉を浮かべ、痙攣し、無体となっている目の前の脅威を尚も全力で許さない。
「どん―――おまえどっから来たんだ?」
側で見るロンとコーデリアが瞬きする度に巨大化する炎の塊をシリュウが頭上にかざすと、それは遥か後方、神獣の足跡に身を潜める村人らの目にも赤々と映り込む。
バケモノは手足を失い、胴は半分が千切れ、三割を失った頭の欠片も既に魔素へと還っている。
そんな状態にあっても欠損部分の再生は刻々と進んでおり、切り口から膨大な黒いもやが噴き出していた。
炎に照らされて赤く染まる視界の中、それがシリュウの問いに対する返答なのかは分からない。
バケモノの欠けた頭部に一つの線が浮かび上がり、『ミチャリ』と不快な音を立てて割れた線の奥から深淵を思わせる黒い眼球を覗かせた。
「それ目か……? きもちわるい―――どどーんっ!」
ズッ―――
炎玉は最後の膨脹を迎え、神獣の足跡にいる皆が神の怒りだと恐れて祈りを捧げる。
「駄目だ、俺には止める資格がないっ! 頼む、エドガー! 避けてくれーっ!」
「くっ……神よっ! どうか友の命をお繋ぎください!」
最早祈る事しか出来ないロンとコーデリアの叫びは紅炎の濁流にのみ込まれ、バケモノを跡形もなく消し去る事しか頭にないシリュウは、躊躇うことなく災害を解き放つ。
「じゃあな―――
……―――
ブカの森を南北に分断する紅炎の玉。
その恐るべき火力はいかなる存在も許さず、動植物は灰となり、黒々と焼け焦げた地面は森に一本の線を引いた。
ほぼ全ての魔力を使ったシリュウはいつもの姿に戻り、冷静さを取り戻すと同時に自分がやってしまった事の重大さにここで気がつく。
「も、もりが……これダメなやつだ……うわぁぁぁっ! に、にげるしかない! お師よんでこないと!」
バケモノを消し去るためには仕方が無かったとはいえ、やらかした事態に大いに慌てた。
共に逃げようとしているジンが最も怒りそうな事態なのだが、今のシリュウにそこまでの考えは及ばず、そもそも師の元から離れるという発想はない。
いつも怒られそうな時や面倒な時は逃げを選択するので、今のシリュウにとっては最善を選んだつもりだった。
焼けた森を見て頭を抱える様子に絶句しながらも、『こういう娘なのか』と即座に察したロンとコーデリア。
逃げる必要など無いと助け舟を出そうとするが、言う間もなくシリュウが森に背を向けたその時。
ゾワッ
あれで消滅しないはずがないと思っていたのは放った本人だけではない。ロンとコーデリアもまた、決着はついたと思っていた。
実際にシリュウの鼻に敵のニオイは無かったし、コーデリアの
(別種か!?)
(馬鹿なっ、ありえない!)
こんな怖気立つ存在がなおも在るはずがないと、突如襲った悪寒に振り向く三人。
その反応速度はそれぞれまさしく一流のそれだが、悪寒の主を目で追う事も出来ず、黒い影がシリュウと重なった。
速度の話ではない。
それは、いきなりそこに現れた。
ズグッ
血が伝う腕を振り上げる様は、獲物を仕留めた狩人の如く。
その辺の生半可な武器では竜人の皮膚すら傷つける事は出来ないのだが、背後から突き上げられ、腹部から飛び出す得体の知れない刃にシリュウは血を吹きながら戸惑った。
「……うそ、だ」
油断していたとは言え、痛撃を受ける程周りが見えていなかったとは思いたくない。
ギリギリと歯を食いしばって腹から出る刃を握り締め、自分を貫き、得意げな顔をしているであろう相手を睨みつけるべく首を回す。
(なんだこいつ!?)
刃が臓器に触れる激痛に耐えながら振り返ると、目に入ったのは先ほどのバケモノではなく、明らかにサイズの異なる別種である。
腕が刃と化しており、それが今自分を貫いている。魔物の形状変化はよくある事なのでそこに驚きはなかったが、両の目が先ほどのバケモノと同じだった。
さらに、奇態を思わせる行動が一つ。この人型の悪寒の主は、何かをぐっちゃぐちゃと喰っていたのだ。
そして全てを飲み込んだ瞬間、腕に刺さるシリュウの事など意に介さず咆哮を上げた。
『『オ……オ……オ゛、オ゛オ゛ォォォォォッッ!!』』
ドンッ!!
「うがっ!」
シリュウは地を揺らす波動に吹き飛ばされ、刃の抜けた腹から大量の血飛沫が舞う。そしてそのまま地面に叩きつけられ、霞む視界に第二のバケモノに飛び掛かる二人を捉えた。
《 一瞬でいい、隙を作ってくれ! ヤツを無抵抗にするっ! 》
《 了っ! 》
「ちちうえ……コーデ……」
敵の手中にあったシリュウが離れるまでの間、ここまで耐えに耐えていたロンとコーデリア。その間思考を重ね、初めて相まみえる脅威を討ち滅ぼすべく二人は同時に踏み込んだ。
「―――
神速の一閃は咆哮やまぬ敵の胸中央を穿ち、コーデリアはそのまま突進。けたたましい悲鳴を頭上に聞きながら
これは追撃を行うためのものではない。
これで終わるはずのない敵の反撃に備えたものであり、その予想通りに右から腕が伸び、まずはそれを頭を下げて躱す。そして続けざまに左から振るわれた血の滴る刃を、右手に持ち替えた細剣で受け流した。
ギュリィィン!
「っ!」
あまりの膂力にコーデリアは中空で三度回転してやっと勢いを殺し、着地するやそのまま腰を落として、片手のまま下段霞の構えで目を閉じて静止した。
突き刺さったままの胸の細剣を抜くことすらなく、第二のバケモノは目の前で動きを止めた敵に向かい追撃しようと突進の構えを見せるが、背後の気配にその動きは制される。
それは、完璧に計算された前後からの波状攻撃だった。
それぞれが持ちうる最強の一撃が、これ以上は望めぬ拍子で敵に襲い掛かる。
「―――
ズバンッ!
『『ギョェェェェッ!』』
ロン渾身の
そして、シリュウを貫いた刃が宙を舞ったあと地面に突き刺さるのと同時に、再度コーデリアは開眼。
黒いもや吐き出し、ギャアギャアと悲鳴を上げる敵に向かって最後の力を振り絞った。
(全てをっ!)
「―――
ズドドドドドドドドドドドドドッ!
『『ミギャァァァァッ!』』
「はあ゛ぁぁぁぁぁっ!」
為す術なく真正面から穿たれ続けるバケモノ。
コーデリアはブチブチと腕の筋繊維が千切れる音を骨を通じて聞きながら限界まで流星を敵に浴びせ、その無呼吸の刺突が止むと同時に意識を手放す。
そして同じく一撃に全てを込めていたロンも地に伏した。
この刹那の攻防の前に、再び見るも無残な姿に変えられたバケモノは両膝を突いて動きを止め、切り離された腕、穴だらけの全身から黒いもやを立ち昇らせた。
そしてバケモノは自身をこのような姿にして倒れた二人を意に介する事無く、新たな理を紡ぎ始めた。
『サム、イ……イキ、ガ……デキ、ナイ』
最早原型は留めていない。
穴だらけになった全身を望むように顔を伏せ、バケモノは魔物としてあるはずのない意識を辺りに泳がせた。
『……オレ、ノ……ウデ』
『オレ、ノ……ケン……カエ、セ……』
不気味な声がより静けさを際立たせ、朝鳥のさえずりも無く静まり返る前線。
『……オレ、ハ、ダレ……ダ』
一言発する度に黒いもやは形を変え、大きさを変え、失った自身の欠片を探すように早朝の冷気の中に
『オレ、ハ……ドコ、カラ……』
その時、
青い時を切り裂く一筋のまばゆい雷光が、理外のバケモノの前に降り立った。
パァン!
「知らぬまま果てろ」
シュオン
静まり返る前線にただ一体黒いもやを上げ、奇妙な声を響かせているだけでこいつは万死に値する。
問答は無用。
俺は即座に謎の魔物の首を刎ね、前線を崩壊させた元凶を断つ。
『オマ……エ……』
だが、力尽きている仲間の様子を伺う時もなく、声が再び辺りに漂う。同時に黒いもやが魔物の残骸に収束し、それは再び立ち上がった。
『アノ……トキ、ノ、ガキ……ッ!』
ビュォォォォッ!
「喋る上に首では死なぬ類かっ!」
もやは形を成して穴という穴を塞ぎ、グネグネと身体を形作ってゆく。
関節部のつなぎ目に先端がゴツゴツとしていながらも、腕や脚、胸といった箇所は滑らかに形成されたそれはまさしく鎧。
胸に刺さっていたコーデリアさんの細剣がガラリと音を立てて抜け落ち、千切れた腕を再び得たバケモノは武器の代わりに右腕を刃に変えた。
その間、俺は脳裏に浮かび上がる記憶との整合に意識がゆく。
再生した頭と腕、それらを得た体躯、そして声。
何より決定打となったのは、右腕に宿る異国の武器だった。
「ツヴァイハンダー……? おい待て……まさか貴様っ!」
皆の勝利を絶望に変えたこのバケモノの名を、俺は知っていた。
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